08話 カラス界のイケメン
「電車とかインターネットとか、現代社会は便利だな」
神武天皇が八咫烏に導かれて旅した時代と比べた一樹は、現代の利便性をしみじみと痛感した。
この世界には古来より、妖怪変化が溢れている。
諸外国でも、地元の逸話に由来する魔物が生息しており、それが当たり前の世界なのだ、と、一樹は認識する。
八咫烏が目撃されるのは、熊野(和歌山県南部~三重県南部)から、大和国(奈良県)を流れる吉野川の末流までだ。
すなわち三重県南部の熊野市から、奈良県南部の吉野町までの範囲に出現する。さらに細かく絞れば、『日本書紀』では神武天皇が東回りに進んでいるため、東側に出現すると考えられた。
捜索対象の八咫烏は、3本足のカラスだ。
その物珍しさから、スマホで撮影してTwitterに写真を載せる層は、それなりにいる。
そうやってSNSにアップロードされた写真とコメントから、日付や位置情報を確認した一樹は、奈良県の吉野郡天川村にある弥山まで赴いた。
珍しい写真を載せる人々のおかげで、既に八咫烏の巣は特定している。
「八咫烏って、1羽だけじゃないんですね」
一緒に付いてきた蒼依が、空に浮かぶ白い雲を眺めながら呟いた。
雲の位置は、蒼依が見上げる高さには無い。
一樹と蒼依は、標高1895メートルの弥山を登ってきた。
行者環トンネル西口までタクシーで来て、徒歩で2時間半を掛けて、奥駈道出合、弁天の森、聖宝ノ宿跡を越えながら、目的地周辺である弥山小屋まで上ってきた。
弥山小屋の標高は1876メートルで、雲の高さは同じ目線や下にも存在した。澄んだ空気を吸いながら、一樹は八咫烏に関する想像を述べる。
「1羽しか来なかったとしても、カラスなら繁殖するだろう。名前もヤタガラスだし、見た目もカラスだし、ちょっと足が3本生えているだけだ。カラス界ではイケメンで、メスのカラスにモテたかもしれない」
現代の八咫烏は、神武天皇を導いた八咫烏の子孫の可能性がある。
普通の生物と魔物の交配は良くある話で、それは人間と魔物の間にすら起こり得る。例を挙げるならば、『鬼の子小綱』だ。そこでは鬼の男と、人の女との間に、子供が生まれている。
八咫烏の足が3本有ったとしても、長距離を飛べて力も強ければ、野生ではカラスのメスからモテた可能性がある。
最初の八咫烏が、雌雄のいずれであったのか、一樹は知らないが。
「確かに写真のカラスの種類、ハシブトガラスでしたよね。ハシブトガラスと子供を作ったのかな」
蒼依の想像通りだろうと一樹は考える。
日本に多いカラスが、ハシブトガラスとハシボソガラスの二種類だ。
古来、ハシブトガラスが森林に生息し、ハシボソガラスが人里近くに住んでいた。
近年は都会に進出してきたが、神武天皇の時代における奈良県の山林であれば、ハシブトガラスの可能性が高い。
「おそらく、そうだと思う」
ハシブトガラスは、あまり人間から好かれていない。
食性は雑食とされ、動物や昆虫、木の実など様々なものを食べる。嘴が鋭くて、生きたネズミや子猫を突いて肉を引き裂く事もあるほどだ。
人間が出したゴミを漁って撒き散らし、電柱の上に巣を作って糞を落とし、鳴き声が騒音となり、子育ての時期には人間を攻撃する事もあって、農作物に被害も出すので、害鳥と認識される。
かつて神武天皇を導いた八咫烏の子孫でも、現代の八咫烏の習性は、ハシブトガラスに近い。
おかげで人に害を与える妖怪変化の一覧に加えられており、積極的な討伐対象でこそ無いが、調伏しても構わないとされている。
「捕獲シーンは載せられないが、八咫烏の卵を確保して、それを孵卵器と陽気で育てて、式神にする。それをYoutubeにアップロードして、再生回数を稼いで、陰陽師としての集客に使うつもりだ」
資格取得後の集客は、現代の利器で補おう、と、一樹は考えていた。
「Youtubeで、集客ですか?」
首を傾げる蒼依に向かって、一樹はYoutubeを用いた集客効果を説明する。
「ああ。ヒナの飼育は、再生数を稼げるジャンルの1つだ」
Youtubeには、様々な動物の飼育動画が載っており、安定した再生回数を獲得している。
「飼育対象が妖怪であれば、再生数は上がるだろう。そして知名度が上がれば、直接依頼が来るようになる」
依頼が沢山来れば、美味しい依頼は自分で確保して、そうでない依頼は陰陽師協会を紹介して他に回す手が使えるようになる。
無名な一樹の父親・和則は、常に斡旋される側で、美味しくない依頼ばかり受けていた。それを踏まえた一樹は、対策を考えた次第だ。
自分で依頼を受けるにしても、陰陽師協会を通して協会に正式な手数料を支払えば、契約と支払いのトラブルを避ける事が出来る。
様々な観点から、八咫烏は一樹が式神にするのに最適だった。
「再生回数は、多いかもしれません。ですが批判は来ませんか?」
蒼依が懸念したのは、カラスに見える八咫烏を卵から育てる事に対する批判や、妖怪を育てる事に対する批判だった。
妖怪に対しては、動物愛護法や、鳥獣保護法は適用されない。
つまり3本足の八咫烏であれば、カラスとは異なるので、一樹が育てて式神にしても法的には問題ない。
妖怪の式神化に関しても、特に規制する法律は無い。
陰陽師が式神を使って妖怪を倒す事には、公益性が認められるためだ。
式神は術者の道具であり、道具が被害を与えれば持ち主である使役者が罪に問われるが、それは包丁で人を刺すのと同様の話である。
「法的には問題ないが、念のため八咫烏の卵の確保シーンは、アップロードしない。都合の悪いところも切り取って載せる」
再生数を稼いで行けば、やがて有名になって、直接依頼が来るようになる。
「それで卵から育てるんですね」
「まあ他にも、卵から育てれば親だと思って従うとか、色々あるからな」
卵から育てれば、式神が怒って術者を殺しに掛かるリスクは、限りなく低くなる。従って一樹は、八咫烏を卵から確保しようと考えた。
ハシブトガラスの巣作りは、3月中旬から4月頃。
寒い地方や高所は少し遅れるが、奈良県の山中であれば、一般的な季節から大きく外れる事は無い。産卵は4月下旬から5月上旬頃で、産卵後は20日ほどで孵化する。
タクシーには、海外製の自動孵卵器と大型バッテリーを載せており、蒼依の家には雛の餌も用意してあって、後は卵を確保するだけである。
掛かった費用は、一樹の借金ではなく、蒼依への借り1つとなった。
何を要求されるか戦々恐々としつつも、一樹は恐怖を振り払い、弥山小屋から八経ヶ岳へ向かって歩き出した。
「蒼依は、体力は大丈夫か」
「こう見えても、山姫ですから。陽気も頂いていますし」
登山中、念のために一樹が確認すると、蒼依は平然とした様子で答えた。
むしろ気は多くても普通の人間である一樹の方が、体力的には怪しい。
普通の中学3年生男子……あまり良い食事をして来なかったために、並の体力程度だと自負する一樹は、汗を拭いながら、普通の登山者よりも時間を掛けて、目的地である八咫烏の巣に辿り着いた。
「結構居るな」
離れた場所から双眼鏡で覗き込んだ先、高い針葉樹の幹と太い枝の隙間に、八咫烏の巣は作られていた。
抱卵しているのは、いずれも一般的なハシブトガラスのメスだが、複数の巣に餌を配っているのは、三本足の八咫烏だ。
成猫や子犬などを運び込み、鋭い嘴で子犬の腹を引き裂いて、臓物を抱卵するメスに与えていた。子犬の首には、赤い首輪が付けられている。
これこそが神鳥の子孫でありながら、妖怪の一種にも数えられ、人間から保護されていない所以であろう。
目の前の光景に関して、一樹は一般人のようには気にならなかった。
目を顰めたくなる酷い光景は、冤罪で堕とされた大焦熱地獄で存分に味わってきた。この世の残酷とされる全ての光景は、一樹にとって、ぬるま湯にすらならない。
それに動物が肉を食べるのは、生きるためには当たり前の行為だ。それどころか神々すらも、神饌という供物で、海川山野の幸を食べている。
人間が牛や豚を食べるのと同様に、卵を温めているメスに、オスが食べ物を運んでいるだけの光景で、どうして残酷だと思えるだろう。
(そもそも牛肉は良くて犬肉は駄目という風習は、神武天皇の時代には無かっただろうしな)
食文化は同じ人間でも多様で、時代によっても変化する。
日本では肯定的な捕鯨文化は、欧米では否定的だ。
逆に犬食文化は、日本では否定的だが、西アジアでは肯定的である。
日本人が捕鯨文化を認めろと言うならば、西アジアの犬食文化も認めなければならない。そして一樹は、相手の食文化を受け入れた次第だ。
但し、調伏や卵を奪う行為を後から他人に非難されないために、八咫烏が人の飼う子犬を襲って喰う映像は撮っておく。
一樹達が確認した八咫烏の巣は、1ヵ所では無かった。
「4ヵ所もあるんですね。1つの群れなのでしょうか」
山姥の孫でもある蒼依は、Youtubeでは配信不可能な光景にも、あまり気にした様子を見せなかった。巣を確認して、映像を撮るのにも協力してくれる。
そんな感覚の合う蒼依の助力に感謝しながら、一樹は答えた。
「八咫烏の群れは、ライオンの群れに近い感じかも知れないな」
つまりはハーレムである。
一樹はカラス界のイケメンに向かって、内心で軽く舌打ちした。