77話 龍神の巫女と継承の愛狐
『霊符作成は、3時間で6枚だ。その後、隣の会場で実技を行う。それでは、試験開始』
試験開始のアナウンスが流れ、8293人に混ざった柚葉と香苗は、霊符を作成し始めた。
二次試験の符呪は、3時間で6枚の守護護符を作成する試験である。
6枚の符に気を移して、3日後の三次試験までは効果が保つ護符を作らなければならない。
想定しているのは、陰陽師となった後に妖怪調伏に赴く際、自身を守る護符を作れるのかだ。
妖怪と直接戦闘しない一般人向けの護符であれば、守護効果は下がっても良い一方で、守護期間は最低でも数ヵ月単位で保たなければ売り物にならない。
どの程度の効果が、何ヵ月保つように作るのか。
その調整は、陰陽師として長年活躍していくうちに、出来るようになる。それが引退陰陽師に、一般人向けの霊符作成を任せる理由の1つでもある。
――旦那様のお役に立てる護符って、どんな護符なんでしょう。
一樹に言われたとおりに龍神の鱗をイメージして描きながら、柚葉は一樹が望む護符について、想像を巡らせた。
柚葉は、ムカデ神との戦いに一樹を引き込む代わりに、一樹側にも協力する約束を交わした。
その後、柚葉の母親である蛇神が、柚葉の力と比べて300倍に相当するムカデを倒す事と引き替えに柚葉を譲り渡す契約を交わして、実現している。
その件に関して、約束を反故にする気など無かった柚葉は、全く問題ないと思っている。
一樹の下での役目は、陰陽同好会を維持する人員になる事。
国家試験に合格して、同好会の実績を作る事。
将来的には、一樹の事務所で働く事も含まれるかも知れない。
ムカデ神の眷属との戦いに特攻させられていた場合は、確実に死んでいた。
死ぬ事に比べれば、それらの協力など対価として釣り合わないほどに小さく、何ら不当では無い。
親元に返されれば特攻隊員にされるので、戻さないで欲しいと思っている。子供を生めば堂々と居座れるが、残念ながら今のところ手は出されていない。
従って柚葉は、自ら望む状況を続けるため、一樹の役に立たなければならない。
――お母様くらい強ければ、いくらでもお役に立つのでしょうけれど。
母龍から単為生殖で生まれた柚葉は、将来的には母龍と同程度の能力までは上がり得る。
だがS級に届くのは、千年後だろうか。
それに対して人間である一樹の寿命は短く、現役陰陽師の定年も60歳までのため、残り44年しか役に立てない。
――お母様、力を借ります。急急如律令、符呪開眼。入魂、龍神。
一樹達と同様に、龍神の加護を得ている柚葉の身体には、母親の力が流れている。一樹が霊符神の力を用いるのが上手いのであれば、柚葉は同等以上に龍神の力を用いるのが上手い。
柚葉は身体を巡る母龍の力を引き出して、霊符に籠め始めた。
それは一樹を含む人間には、不可能な次元に達する術だった。
柚葉は企図せず、龍神の真の神女(巫女)として神降ろしを行い、龍神の加護を霊符に籠めた。
◇◇◇◇◇◇
試験開始の合図が出た瞬間、香苗の脳裏に、1体の白狐が浮かび上がった。
毛筆を手にした香苗は、筆先を朱墨に浸して、生漉き和紙に陰陽道の神である牛頭大王の牛王宝印を施しながら、霊符神の神使である八咫烏を描きつつ、白狐のイメージを送り込んでいく。
本来送り込むべきイメージは玄武だが、それは香苗にとっての間違いだと、白狐は告げている。
香苗が最大限に活かせる水行の力は、豊川稲荷で受け取った白狐の魂の欠片だ。
香苗は脳裏に浮かんだ光景を鮮明に視ようと、白狐の姿を思い浮かべた。
白い毛並みを持つ二尾の彼は、雪の降りしきる山の石段を下っていた。
腰には日本刀を差しており、後ろには金色の毛並みを持つ二尾の女を連れている。
弓を携えた金狐の女は、赤い瞳を爛々と輝かせながら、口元に笑みを浮かべて、楽しそうに白狐の後を付いていく。
やがて2体の二尾は、石段の半ばで立ち止まると、白狐は鞘に収まった日本刀を構え、金狐は矢を番えて立ちはだかった。
何人たりとも通さないという、揺るぎない意志を籠めた白狐の瞳が、正面を見据える。必ず射殺すという狩人の瞳が、油断なく周囲を見渡す。
――急急如律令、符呪開眼。入魂、護法神。
今まさに、2体の二尾による死守の意志が、守護護符に強く篭められた。
守護護符の持ち主を害する者が現れたならば、二尾の狐達は文字通り命と引き替えにしてでも、持ち主を死守するだろう。
この際、敵との力の強弱は関係ない。
2体の二尾は、敵と刺し違えてでも、味方を守るからだ。
10倍の力量差があろうとも、命と引き替えに敵に深手を負わせたならば、敵は背後の者を害するどころではなくなる。
――この先、一歩も通さぬ。
白狐と共に居る金狐は、白狐が盾となる瞬間に生まれる敵の隙を狙い、逆撃を企図している。
そんな守護護符を生み出した香苗は、これが陰陽師への試験である事、試験官を殺したり、機械を破壊したりしてはならぬイメージを送る。
すると白狐は刀を腰に差し直し、金狐は弓を降ろして微笑みを浮かべて、石段の上に佇んだ。白狐の口元からは、白い息が吐き出される。
――実技試験は3時間以内で、三次試験は3日後。そのどちらかです。
香苗が時間を告げると、2体は頷いた。
――何人たりとも、害する事、能わず。
――あなたは、わたし達が守るわ。
2体は香苗に意志を残すと、霊符に溶け込み、薄らと消えていった。
1枚目を作り終えた香苗は、2枚目の和紙を手に取った。
◇◇◇◇◇◇
今回の試験で大本命の前評判を得ている五鬼童凪紗は、世間から天才と評されている。
天才とは、努力では絶対に至れない、特別な才能を有する者だ。
アインシュタインであれば、脳の機能に関わるグリア細胞の数が、常人の2倍程が確認された。このような生まれつきの差は、本人の努力で覆せる領域では無い。
そのような意味において凪紗には、存命中の五鬼童一族で、紛れもなく最高の才能がある。
その才能とは、鬼神と大天狗の力を意のままに引き出す力だ。
凪紗は、自身が鬼神や大天狗の子供であるかのように、その力を遺憾なく発揮できる。
一樹は沙羅から聞き出すのがズルいと思って聞かなかったが、もしも尋ねていたならば、沙羅は次のように答えただろう。
『凪紗は、今の私と同じくらいの強さかも知れません』
沙羅は、一樹の神力と、龍神の加護を得ており、B級中位の力を持っている。
それは紫苑5人分で、1年前であれば、C級上位の八咫烏5羽を同時に相手取って、一歩も譲らない戦いが出来た。
力を1つに集約している分だけ有利で、空中戦に限っては、八咫烏達に勝ったかも知れない。
空戦で勝った凪紗は、牛鬼の守りさえ突破できれば、一樹にすら勝ち得た。
鬼神と大天狗の力を遺憾なく発揮できる凪紗は、陰陽師として、本物の天才だ。
そんな彼女は、A級中位の義一郎よりも15才時点での能力が高く、将来はA級に達すると見なされている。
生物学的には女性の方が成長は早く、男性よりも先に成長し切ってしまうために、いずれ伸びなくなる。だが凪紗は、スタートダッシュが相当早かった。
凪紗の才能は、五鬼童一族でも突出している。
五鬼童家が、次代の当主である義経と、鬼神と大天狗の力を最大限に引き出せる凪紗との結婚を考えた程には、外に出したくない才能だ。
婚約候補に対する凪紗の考えは、無関心だったが。
――入魂、守護鬼神。
凪紗は守護護符に、1年前の沙羅が籠めたよりも強力な守りの力を籠めた。
そして気を操作して、守りを固めて強化していく。
20分ほど掛けて1枚を完成させると、2枚目、3枚目と、同等品を次々と作り出していく。
凪紗には、同年代のライバルは存在しない。
本家の嫡男である義経は、一樹の一回り年長で、あと数年でA級に到達できる。
だが凪紗は、十代のうちにA級に到達する。
そんな凪紗にとって、唯一の上位者が一樹だ。もちろん最大の関心事項だが、すでに姉の沙羅が、五鬼童家から送り出す人員の席を確保済みだ。
――1年、ズレてくれていたら良かったのに。
凪紗は自身が1年早く生まれていた場合、そして一樹が1年遅く生まれていた場合を想像する。
凪紗が1年早く生まれていたならば、双子の姉達は1歳年上なので、一樹と対峙するのは凪紗だったはずだ。
交渉担当者は凪紗になっており、絡新婦との戦いでも共働していた。そして結果は、沙羅の立場だっただろう。
それに関して凪紗には、忌避感は無かった。
むしろ、そうなって当然だと考える。
逆に一樹が1年遅く生まれていた場合、五鬼童家は大打撃を受けていた。
本家は当主と嫡男が無事なので保たれるが、分家は凪紗だけになっていた。
立て直しのために凪紗が試験を受けて、おそらく一樹に負けて、固執していたかも知れない。
――惜しいな。
考え事をしつつ生み出した凪紗の護符は、1枚目に全く遜色のない性能だった。
























