74話 霊符作成の下準備
「呪力の上昇速度が、おかしいだろう」
歌唱奉納を行った翌週の土曜日。
蒼依の家に集まった柚葉と香苗が八咫烏達と訓練する中、日本家屋の縁側に座る小太郎が、隣の一樹にそう述べた。
E級上位だった香苗はC級中位に跳ね上がり、山に向かって狐火を放っている。
その隣では雪菜も氷の矢を放ち、5羽の八咫烏が五行の術で迎撃していた。
柚葉もC級下位の力で、水弾や炎弾を放っている。
元はD級上位だった柚葉は、蛇神から龍神に昇神した母親の眷属であったために、現場に居合わせて力が流れてきたらしい。その後に一樹の管理下へと移されたので、力だけ貰い得している。
――柚葉って、運だけは極端に良いんだよなぁ。
ムカデ神との戦いでは上手く逃げ果せ、陰陽師を連れ帰れば一樹を引き当てた。
そして戦いには直接参加していないが、姉妹達よりも多くのものを得ている。
他の姉妹達は、中禅寺湖の周辺に潜伏するムカデ神の眷属を掃討している。だが柚葉は、高校生活を謳歌しつつ、陰陽師の国家試験に臨むところだ。
そんな二人を見て、小太郎は思うところがあったのだろう。
ちなみに沙羅は安全のために傍で立ち会っているが、そちらに関しては小太郎も何も言わない。
単に短期間で極端な上昇を遂げた件について、私見を述べていた。
「とりあえず柚葉は、蛇が脱皮した感覚で良いとして」
1段階の上昇をした柚葉の件を適当に流した一樹は、香苗に関して評した。
「人間も死の縁に立って生還すれば、呪力が大きく上昇する。そして狐にも、狐のやり方がある。花咲家も、式神を継承すればD級からA級並に上がるのだろう。色んなやり方が、あるだけだ」
花咲家には犬神が居ると指摘された小太郎は、渋々ながら受け入れざるを得なかった。
呪力の高さは、血統と環境要因に強く影響される。誰もが同じスタートラインに立ち、努力で決着する競争ではないのだ。
A級陰陽師を出しており、莫大な財産も持つ花咲家は、世間的には相当に恵まれた立場にある。
花咲家に生まれて恩恵も享受している以上、他家にも同様の恩恵があったとしても、小太郎は不当だと言える立場には無い。
「見苦しい嫉妬を見せたな」
「10年間も一生懸命に走り続けた隣を、車で颯爽と追い抜かれたら、『待てよ』と思うだろうさ」
詫びの言葉を口にした小太郎に対して、一樹は構わないと答えた。
そのタイミングで蒼依が、台所からお茶と茶請けを持ってきた。
それを一樹と小太郎が座る縁側の間にお盆ごと置くと、自分の分を取って、小太郎と反対側の一樹の隣に座る。
「朱雀達も、強くなりましたね」
香苗達と柚葉の術を弾いて飛び回る朱雀達を眺めた蒼依は、感慨深く語った。
木行の青龍、火行の朱雀、金行の白虎、水行の玄武、土行の黄竜は、各々が得意とする五行の術を洗練させて、鮮やかに放てるように成長した。
柚葉や香苗が空に向かって放つ術は、立体的な空間で当て難いにも関わらず、完全に打ち上がりきる前に同規模の術で素早く撃ち落とされている。
術の発動や射出速度が速く、狙いが正確で、無駄なエネルギーが無い。
職人芸、あるいは迎撃ミサイルのように、八咫烏達は相川家の上空を支配していた。
成鳥になった後、呪力自体はあまり上がっていないが、術の精度などは成長を続けている。
「1年前は、まだ羽ばたきの練習をしていた頃だったかな」
1年前を懐古した一樹も、ヒナだった頃の八咫烏を懐かしそうに振り返った。
5月の下旬に生まれたヒナ達は、1ヵ月ほどで飛べるようになり、8月の国家試験では沙羅と紫苑を相手に立ち回った。
その頃に相川家の納屋へと巣立ちをして、鉄鼠や絡新婦との戦いを経て、最近はムカデ神との戦いでB級下位に成長した。
――自然界の八咫烏って、どれくらい強いんだろうな。
高御産巣日神ないし天照大神が直接使わした八咫烏であれば、神武天皇を導く神鳥として、相当の強さを持っていただろう。
案内の道中で妖怪に捕まえられて喰われては、話にならない。立ち塞がる全てを蹴散らせる程度の力はあったはずだ。
創造神、ないし高天原の主神が使わした神鳥に比べれば未だ弱いだろうが、一樹が持つ泰山府君の神気で育てられた八咫烏達も、一角の力は得ている。
八咫烏達と、自然界の八咫烏達には、相当の力の差があるはずだ。
然もなくば、食物連鎖の頂点がカラスになってしまう。
一樹は八咫烏達を眺めながら、小太郎に語った。
「今回の二次試験では、柚葉には龍神の護符を描いて貰うが、香苗さんには八咫烏を描いて貰うつもりだ。イメージし易くするために、八咫烏の力を見せている。小太郎は犬神を描くのか」
「花咲一族が使うのであれば、氏神の方が守護効果を得られるからな」
香苗に八咫烏を描かせようとしているのは、八咫烏が霊符神の使いでもあるからだ。
熊野の神の使いが八咫烏である事は、広く知られる。
そして『鎮宅霊符縁起集説』(1708年)によると、熊野の神は妙見菩薩であるとされる。
妙見菩薩は、72種の護符を司る鎮宅霊符神と習合されている。
すなわち八咫烏は、霊符神の使いでもある。
霊符と八咫烏との関係は、熊野の他にもある。
日本の霊山である富士山は、陰陽道色が強い。
富士山が誕生したとされる御縁年の庚申の年は、陰陽道の庚申信仰から来ている。
そして富士山修験道における符呪『お身抜』や『おふせぎ』を集めた書は、『三足ノ烏の巻』や『烏ノ御巻』の名で残される。
符呪の書にある三足ノ烏とは、まさに八咫烏の事だ。
霊符を作成する際には、陰陽道の神である牛頭大王の牛王宝印を施しながら、呪力を篭めて描き込んでいく。
牛王宝印は2系統あり、文字を造形的に描く事と、神使である動物を組み合わせて社寺の名を形作る事だ。
すなわち牛王宝印を施すのであれば、霊符神である妙見菩薩を描くよりも、鎮宅霊符神の神使である八咫烏を描く方が、正しい効果を得られる。
現代の野生に暮らす八咫烏は弱く、他の陰陽師が描いても強い効果は得られない。
だが強い八咫烏をイメージできるのであれば、守護護符の効果は高くなる。
一樹が受験の際に八咫烏で5枚と、陰陽道の最高神霊である泰山府君で1枚を描いたのは、守護効果だけを考えれば正解だった。
やり過ぎて圧力機を破壊してしまったために弁償となったので、総合的に鑑みれば最適解では無かったが。
――今回の試験では、閻魔大王は無いな。
自身に縁のない物を描いても仕方が無い。
柚葉はS級の強さを持つ母親の龍神が加護を与えているため、自身が有する龍神の加護を護符に籠めれば、強大な効果を得られる。
香苗の場合は、冬であれば雪菜の力を表す氷の結晶でも良いが、夏なので八咫烏のうち玄武を描くのが良いと一樹は考える。
やがて特訓が終わって、柚葉達が戻ってきた。
お茶を入れるために蒼依が立ち上がり、入れ替わりで柚葉と香苗、そして雪菜が縁側に来てゾロゾロと座る。
「何あれ、強すぎなんだけど」
開口一番、八咫烏達に疑義を呈したのは雪菜だった。
そんな雪菜の評価は、一樹にとって好都合である。
「香苗さんは二次試験で、あの中で一番固かった八咫烏をイメージして、守護護符を描いてくれ。あいつらをイメージしながら、足が三本ある鳥を描けば、絵が抽象的でも問題ない。霊符に効力を発揮させるには、要点さえ押さえれば良い」
「それで、どれくらいの効果があるのですか」
習い始めて2ヵ月の香苗は不安げだったが、一樹は沙羅に視線を送った後、太鼓判を押した。
「八咫烏達の霊符は、現代の固定観念に囚われた他家には真似が出来ない。去年の沙羅に勝てる確信は無いが、紫苑には勝てるんじゃないか」
昨年の沙羅と紫苑はC級上位の呪力で、2位と3位だった。
C級中位の香苗よりも呪力は高かったが、八咫烏を描く効果は、その差を埋めて余りあるほどに大きい。
それでも沙羅に対する勝利を確信出来ないのは、沙羅が防御型に寄っており、紫苑が攻撃型に寄っていたからだ。同じ呪力でも、得意な事は上手く出来る。
もちろん今の沙羅には、香苗では到底勝てない。
呪力がB級中位で、一樹の神気と龍神の加護を併せ持ち、八咫烏と龍神のどちらも描けるのだ。凪紗でも、呆気なく負けるだろう。
「柚葉は龍気を籠めて、龍神様の硬い鱗を想像しながら描け。その方が効果は大きい」
「えっ、それならわたしは、どうして八咫烏と術を撃ち合っていたのですか」
「……三次試験に向けた訓練だ」
ついでで付き合わせていた一樹は、柚葉から目を逸らしたまま答えた。
【あとがき】
前作で恐縮ですが、
10月15日~16日、徳島県のマチ☆アソビにて
『乙女ゲームのハードモードで生きています』1巻
サイン本を5冊出させて頂きましたところ、
完売だったとのご連絡を頂きました。
初めてのサインで、拙いサインでございましたが
お買い上げ頂きました皆様、まことにありがとうございました。
今作はコミカライズも決まっており、
ポイントが上がれば、さらに先の展開もあるかもしれません。
今作も頑張りますので、今後もよろしくお願い申し上げます。
























