73話 歌唱奉納
「急速に力を付けても、使い方には直ぐに慣れます」
方針を定めてから一週間後。
一樹が奉納品を揃え、香苗はギターを持参して、再び豊川稲荷を訪れた。
すると奉納品を確認した白面の三尾は、ギターを携えた香苗を霊狐塚に連れて行った。
五脚の折り畳み椅子を持った一樹が後を追う。
演奏する香苗、聴く側である白面の三尾、さらに豊川、一樹、雪菜の椅子を並べる。
そして豊川を中央として、左右に一樹と雪菜が並んで座ったところ、一樹は豊川から力を与える事の解釈を語られた。
おそらくは、雪菜にも聞かせているのだろう。
「豊川様が、白面の方をお止めになられなかったのは、そのようなお考えからだったのですね」
一樹が尋ねると、豊川は小さく頷いて肯定した。
「運転免許を持つ人間は、車という大きな金属の塊を、高速で動かします。あれは人の筋力や脚力では不可能ですが、短い講習で、簡単に免許を取れるでしょう。同じ事です」
車と免許証を例え話に出された一樹は、理解を示した。
運転免許証は、最短では半月の講習で、殆どの国民が得る事が出来る。
そして巨大な金属の塊を、時速100キロ以上の速度で動かせるのだ。
自身の肉体では到底為せない業であるが、それが出来る事は誰の目にも明らかだ。
大小の事故も発生するが、日本全体では事故によるデメリットよりも、物流が齎すメリットの方が大きいと判断されて活用され続けている。
陰陽師の呪力向上も、運転免許証と同じ考え方が出来るらしい。
急速に呪力を上げれば事故も起きるが、術者が妖怪に殺されず、逆に妖怪を調伏できる恩恵の方が大きいと判断されたのだ。
――陰陽師協会の第3席にある豊川様は、大局的に物事を見た訳だな。
機械に疎く、古民家の囲炉裏でイワナを炙っているような気狐だが、陰陽師としての視野は、数百年単位の国家規模に及んでいるらしくあった。
「祈理は、狐の半々妖ですが、式神である雪女に呪力を送って戦わせる形になります。ガソリンスタンドで給油するのが祈理で、車を走らせるのが雪女なので、事故も起こりません」
豊川は隣に座る雪菜に対して、言外に「事故を起こすな」と言い聞かせているようだった。
車の機能や性能は把握していた方が良いが、よく分かっていなくても動かすだけならば出来る。自分で動かすのであれば危ういが、使役済みの式神に動くように指示するだけならば難しくない。
何しろ元からC級なので、気の供給さえあればC級妖怪として戦えるのだ。
霊狐塚に並ぶ石像を見渡しながら、豊川は語り始めた。
「この霊狐塚に宿るのは、戦いで死んだ狐達の魂です」
驚きに目を見張る一樹に対して豊川は、すました表情で頷いた。
「元の所属は、豊川稲荷に限りません。ここは戦い果て、なお未練を残す狐達の辿り着く所です」
戦い果てたとの話は、一樹にとって聞き流せる内容では無かった。
何故なら豊川が喚び出した1000体の狐達は、いずれも100歳を超える地狐や気狐だった。その中には、二尾の姿も少なからずあった。
狐達は、一体何と戦っているのか。
そのように視線で問い掛ける一樹に対して、豊川は明確には答えなかった。
「新たな狐の霊魂を受け入れる必要もありますので、満足した狐は、次の狐と入れ替わるために成仏します。今日の祈理が受け取るのは、成仏する何体かの狐達が託す、霊魂の欠片です」
「祈理は、地狐や気狐の霊魂の欠片を受け取れるのでしょうか」
E級上位でしかない香苗は、それほど莫大な呪力を受け取れるのか。
その様に不安視した一樹に対して、豊川は首を縦に振って保証した。
「最初は十全に使えないだけで、受け取れます。扱いに慣れれば、気狐にも辿り着けるでしょう。それでも900年という天寿の壁を越えて、仙狐に至るのは、困難でしょうが」
術を使える妖狐には、900年の寿命があるとされる。
気狐達の大半は二尾に至れるが、900年で寿命が尽きてしまう。
寿命の壁を突破出来る方法が、一定以上の仙術や力の会得だ。二尾の壁を超えて三尾に至れば、1000年以上を生きられるようになる。1000歳になれば仙狐と呼ばれ、四尾になれば天に仕える天狐にもなれる。
――日本に居る三尾は、数体くらいかな。
A級3位の豊川と同レベルの狐が、そう何体も居るはずが無い。だが日本三大稲荷の候補に挙げられるようなコミュニティであれば、そのうちの幾つかには居ない事も無いだろう。
「祈理は三尾に至りたい訳では無いでしょうから、問題ありません。差し当っては呪力を蓄えて、雪菜をしっかりと使役したいのです」
「でしたら問題は無いでしょう。歌唱奉納の質次第ですが、そもそも入れ替わりを考えていた狐は居ますから、C級の呪力は得られます」
一樹と豊川は、共に雪菜へと視線を送った。
すると雪菜は、不満げに視線を逸らしながら答えた。
「自力で使役するなんて、当たり前の条件。あたしは悪くない」
妖怪は調伏出来るか否かであり、式神は使役出来るか否かだ。
倒すのに武器や道具を使うのが当然であるように、使役では呪物や儀式を使うのが当たり前だ。だが一樹と豊川はA級陰陽師で、自力で使役してこそ完全に従属させられる考えには納得出来る。
雪菜の言い分に理解を示した一樹と豊川は、それ以上の言葉を続けずに、香苗の方を見た。
狐の霊魂達に囲まれた香苗は、ギターの弦を何度か弾く。
ギターを触り続ける事で緊張が解れてきたのか、やがて滑らかにギターを掻き鳴らしながら、幅広い曲を伸びやかに歌い始めた。
こんにちはの意味を込めた挨拶の歌から始まり、新しい物語を始めようという歌、晴れ渡る世界の歌、日向を歩いて行く歌と、歌で物語を作っていく。
歌詞で泣いているという単語が出た時には、声を震わせて、本当に泣きそうな声を出しながら感情を込める。
さらに曲の合間には、ありがとう、嬉しいな、幸せだよ……と、聴衆者の狐達に語り掛ける。
香苗の声質は高くて、話し方の雰囲気は柔らかく、笑い声はクスクスと小さくて、格好良く歌う大人の女性というより、可愛い女の子が一生懸命に歌う印象を与える。
自分で自在にギターを弾けるからか、音と歌のタイミングは完璧に合っており、息遣いが非常に巧く、歌声は伸びやかだった。
「彼女は、歌手ですか」
豊川に尋ねられた一樹自身も、初めて聞く香苗の歌に驚いていた。
人気の芸能人が歌うのではなく、テレビに顔出しをしない本物の歌手が歌うように香苗は上手かった。容姿、性別、年齢などとは無関係に、それくらい弾き語りが上手いのだ。
空き缶やギターケースを路上に置いて歌っていたら、タダで聴いているのが申し訳なくて、お金を入れるかもしれない。
生憎と現代では、路上ライブの類は基本的に行えないが。
路上ライブを行うためには、何日も前から警察署に道路使用許可申請書を提出して、手数料として収入証紙で数千円も納める必要がある。
しかも警察が許可を出すとは限らず、不許可でも手数料は返って来ない。明らかに赤字になるので、申請できないのだ。
そうやって実質的に禁止すれば、新たな方法が生み出される。
警察署の許可が不要な動画投稿サイトで生配信するのが、現代における路上ライブの代替えだ。
香苗の場合は金銭ではなく、承認欲求であるらしいが、一樹は協力しようとスマホのカメラを香苗に向けて撮影を始めた。
「賀茂、何を撮っているのですか」
「祈理の弾き語りです。本人が望んでおりますので」
「そうですか」
香苗も動画チャンネルを作れば良いと一樹は思った。
テレビに出る芸能人やアーティストの事務所には、ファンからの手紙やプレゼントが届く。それはテレビが普及した昭和時代からの文化であり、現代のネット配信者にも受け継がれている。
ネット配信者に対しては、芸能人やアーティストと同様のプレゼントが届く。
その他、配信者自身が公開するネット通販サイトの『欲しい物リスト』や、ファンが冗談交じりで月の土地の権利書、シーランド公国の爵位などを買って送ったりもする。
宣伝が上手くいって軌道に乗れば、香苗は配信者としてやっていけるだろう。
そして陰陽師としても、成功しそうだった。
狐達の霊魂から分かれた欠片が、香苗の身体に吸い込まれるように入っていく。
それらは5つに及び、それぞれ青、赤、黄、白、黒の5色に輝いていた。
「まさか五行で、バランスを保つように調和させたのですか」
自身よりも強い魂が1つ入ってくれば、それに影響されて、引き摺られるかも知れない。
だが5つの異なる属性を持った魂が入ってきて、五行の相生と相剋に基づいて力を貸すのであれば、打ち消し合って調和が保たれ、いずれか1つに意識が引き摺られたりはしない。
狐達の継承が五行の法則に則っていると一樹が理解したのに合わせて、豊川は告げた。
「多くの狐たちが、魂の継承を望みました。五行5枠の競争率は高く、質も予想外に高まりました。今の祈理はC級中位ほどですが、潜在力と可能性は、三尾に届きます」
状況が分かっているのか居ないのか、香苗は感謝の気持ちを伝える歌を歌っていた。
























