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72話 豊川稲荷

「斯様な次第でございます」


 6月最初の土曜日、一樹は香苗と、雪菜と名付けられた雪女を連れて、豊川稲荷を訪ねた。

 元々はA級3位の豊川に、香苗の使役後も不承不承な雪女について相談したのが始まりだ。

 一樹は、槐の邪神退治の折、管玉と勾玉との分配で若干得をしたと感じた豊川から「困った事があれば内容次第では相談に応じる」旨を告げられた。

 その後、豊川が虎狼狸退治を一人で請け負ったため、清算されているのではないかと考える。

 だが狐の問題でもあるし、明確に区切りを付けるためにも、一樹は豊川に相談した。

 すると2人を豊川稲荷に連れてくるように指示されて、いざ訪ねてみれば千人が入れる大座敷に通されて、なぜか白面の三尾が同席する中で事情を説明させられた。


「そちらのお嬢さんを受験させるにあたり、夏で弱った雪女を使役し、呪力不足を滑石製の勾玉で補おうとした。だが雪女は、名付け後も不承不承。従わせるために、手っ取り早くお嬢さんを強化する方法は無いか、という話だね」


 説明を聞いた白面の三尾は、手にしたキセルからタバコではない何かの煙を立ち上らせながら、一樹が持ち込んだ話の内容を纏めた。


「そのとおりでございます」


 E級上位の呪力しか持たない香苗であるが、滑石製の勾玉に籠められる呪力はC級だ。

 対する雪菜は、本来はC級中位の力を持っていたが、夏に入りかけた6月で弱っていた。

 そのため術で使役する事は出来たが、雪菜は使役者の能力に不満を持っている。

 このような事を素人が行えば、とても危険だ。

 冬になって雪女である雪菜の力が増し、滑石製の勾玉が突然効力を失って、雪菜が不満を持ち続けていた場合は、使役者が意図的に衰弱死させられる事も有り得る。

 だが一樹は、呪力を供給するなり、別の勾玉を用意するなり、契約を解除させるなり出来る。

 一樹が調伏中に落命しても、雪菜の件は蒼依や沙羅とも共有しているので、対応できる人間は他にも複数が居る。さらに同好会の柚葉は龍神の娘、小太郎はA級陰陽師の息子で、香苗の相談相手は他にも居る。

 故に雪菜は、逃れられないと理解した上で、せめて香苗の力量を改善しろと態度で示したのだ。


 良房の確認に対して、同行した香苗と、顕現している雪菜は大人しく頷いた。

 香苗は、雪菜が蒼依や沙羅と比較した上で、自分を涙目で嫌がった件についてムッとしている。一樹に対して「承認欲求が強い」と自称した香苗は、雪菜を従わせるべく努力する意志を示した。

 雪菜は不承不承だが、目の前に居る白面の三尾が、遙か高みの存在である事は理解できるらしい。借りてきた猫のように息を潜めながら、ジッと周囲の様子を窺っていた。


「御礼の品と致しまして、泰山府君の秘符と鎮札を10枚ずつ。また紙の人形の撫物10体の奉納を考えております。私は、昨年の試験で作成した泰山府君の霊符で、神気も発現させました。こちら、見本としてお納め下さい」

「ふむ」


 差し出された霊符を受け取った白面の三尾は、霊符を鑑定し始めた。

 一樹が名を挙げた泰山府君とは、陰陽道の主神、冥府の神、人間の生死を司る神として知られ、中国は五岳の一つ、東岳(泰山)に下りて神となった輔星の精だとされる。

 安倍晴明も泰山府君が陰陽道の最高神霊だとしており『今昔物語集』の巻十九には、晴明が泰山府君の祭祀を修した話も載る。

 泰山府君は、泰山を神格化した東岳大帝であるとされる。

 玉皇上帝(中国道教における最高神)の孫であり、人間の賞罰や生命の長短を司り、現世と来世を管理し、現世で犯した罪を上帝に報告している。

 そんな泰山府君は、天台宗において閻魔大王だとされる。

 それは天台の守護神として勧請した赤山の神が泰山府君であり、地蔵菩薩だと記されるからだ。『源平盛衰記』(鎌倉時代)の赤山明神の記述には、次のように記される。


『本地は地蔵菩薩ナリ。太山府君トゾ申ス』


 一樹にとっては、たいへん遺憾ながら、閻魔大王は陰陽道の主神だ。

 泰山府君の神気を籠めた霊物は、祭祀に使えるために、多大な価値を持つ。

 泰山府君祭では、延命や病気の快癒が成った実績がある。

 あるいは『御伽草子』によれば、玉藻前に化けた金毛九尾の正体を暴くために行われたのも泰山府君祭だ。

 泰山府君の神気を籠めた霊物を使えば、祭祀の効果は絶大であろう。

 そもそも泰山府君……すなわち東岳大帝は、狐達に試験を課す女神・碧霞元君の父親だ。神格は東岳大帝が上で、相手が狐達であればこそ、泰山府君の霊物は強い交渉材料になる。

 やがて霊符を見定めた白面の三尾は、結論を出した。


「よろしい。君が師匠で、弟子を短期間で強化したくて我らを頼ったのならば、奉納品に見合う協力を行おうではないか。お嬢さんの地力を高めれば良いだけだから、この問題は簡単だ」


 なんと白面の三尾は、豊川に確認すら行わずに協力を決めてしまった。

 それで良いのかと一樹が豊川に目線を向ければ、豊川は黙々と受け入れている様子だった。


 ――どういう関係なんだ。


 豊川と白面の三尾の関係について、一樹は想像を巡らせた。

 虎狼狸退治では、豊川が呼び出した白面の三尾に対して「良房様」と様付けで呼び、白面の三尾は「りん君」と呼んでいた。

 白面の三尾は「もう実力で抜かれてしまったかな」とも語っており、かつて白面の三尾は、豊川の上位者であったと考えられる。

 さらに白面の三尾は、自分と一緒に呼び出された残り999体の狐の霊魂を指揮した。

 999体は、いずれも付喪神になった地狐以上の存在で、狐達の小集団では長老格だ。

 従って、白面の三尾は、狐の中でも相当の上位者だろう。


 ――狐の世界は、よく分からないな。


 狐のコミュニティは、日本各地に根付いている。

 中心となるのは稲荷神を主祭神として祀る稲荷神社で、四国を除く全国に数千も存在する。


 稲荷神は、稲を象徴する穀霊神・農耕神であり、稲荷神の使いが狐だとされる。

 なぜ稲荷神が狐を優遇したのかと言えば、古来より稲を食い荒らすのがネズミで、そのネズミを食べてくれるのが狐だったから……ではないかと考えられている。

 稲が育ってネズミが増える時期、狐も増えて、ネズミを食べてくれた。

 冬になって餌の少ない時期にまでネズミを追い回してくれる狐は、さぞや頼もしかっただろう。

 そんな各地の稲荷神社が、現在は狐のコミュニティと化しており、戸籍を持つ地域の妖狐や、血が濃くて本人が望んだ人間が属している。総数は非公開だが、数十万人に上るとされている。

 人間に陰陽師が僅かなように、狐も仙術を使えるレベルに至る術者は少数だが、一大勢力だ。

 人間が優れた武器を持たず弱かった時代には、妖怪に滅ぼされないために、狐との共存が不可避だったかもしれない。


 豊川稲荷は、日本三大稲荷の一つに数えられる。

 日本三大稲荷には、伏見稲荷(京都)、豊川稲荷(愛知)、最上稲荷(岡山)、祐徳稲荷(佐賀)、笠間稲荷(茨城)、草戸稲荷(広島)、竹駒神社(宮城)、千代保稲荷(岐阜)などが挙げられる。

 三大稲荷としながらも多数の候補が挙がるのは、農耕民族の日本人には稲作文化が根付いており、それくらい各地の稲荷信仰が大きいからだ。

 清少納言が枕草子に稲荷詣を記した伏見稲荷は三大稲荷で揺るぎないが、他はドングリの背比べで横並びになるくらいには、狐のコミュニティは広い。

 但し豊川稲荷は、A級3位の『豊川りん』が、自らを豊川稲荷の所属だと宣言して活躍し続け、人間からも支持されて豊川稲荷の敷地や設備も拡大を続けたため、三大稲荷の一つと認識されるに至っている。


 ――白面の三尾は、豊川稲荷のコミュニティの中心人物だと考えるのが妥当か。


 強者の発言権が大きくなるのは、古今東西変わらない。

 四尾になると、大半が天狐として天に仕えてしまうために、地上では三尾が最強だ。白面の三尾は、最強の1狐なのだろう。

 一樹が想像する間、依頼を引き受けた白面の三尾は、香苗に特技を尋ねていた。


「お嬢さんは、能楽や狂言、舞など、何らかの芸能事は出来るかな」

「ギターの弾き語りでしたら、出来ますけれど」


 何を目的として問われたのか分からなかった香苗は、恐る恐る答えた。


「結構。芸能は、鎮魂の儀である。天照大神が天の岩戸に隠れた際、天鈿女命が神懸かりとなって踊り、天照大神を引き出したのが始まりだ。古代中国の『禹歩の法』や、それを源流とする日本の反閇など、芸能事は呪術的な意味を持つ」


 呆気に取られた香苗に対して、良房は説明を易しくした。


「足を上げて下ろす相撲の四股も、反閇の延長なのだよ」

「相撲の四股も、呪術なのですか」

「如何にも」


 驚きを示した香苗に対して、白面の三尾は、断言しながら頷いた。

 狂言や猿楽の元となった田楽は、穀物の豊穣祈願のための祭祀だった。舞踊は、自らが形代となって行う鎮魂の儀式だった。

 すなわち芸能とは、自らが形代となって行う呪術的な儀式が源流で間違いない。


「お嬢さんが、豊川稲荷で狐の霊魂を慰撫するならば、我らが力の一部を与えよう。賀茂氏からの奉納品は、与えるよりも遥かに多い故、自重は不要だな」


 白面の三尾が宣うと、黙って聞いていた豊川が、小さく溜息を吐いた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 閻魔大王は使い倒さなきゃな! [一言] 雪菜は不承不承だが、目の前に居る白面の三尾が、遙か高みの存在である事は理解できるらしい。借りてきた猫のように息を潜めながら、ジッと周囲の様子を窺って…
[一言] >自重は不要だな なんか壮大なフラグがーーーー
[良い点] イヤーフー! 歌って踊ろうキツネダンス
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