71話 凍える世界
「夏の雪女は、弱っている。だから使役し易い……って、言っていましたよね」
「事実だ。しかも夏に探せば、大抵は万年雪がある場所に居るから、見つけ易い。それが、この白馬大雪渓だ」
香苗から軽い抗議を受けた一樹は、堂々と言い返した。
一樹と香苗、それに蒼依と沙羅が赴いたのは、長野県の北安曇郡にある白馬大雪渓だった。
一行が探している雪女は、知名度の高い妖怪だ。
生息範囲は、日本海側の中部以北、東北、北海道など、毎年それなりに雪の降る積雪地帯だと知られる。京都に現れた記録などもあるが、現れるのと、住んでいるのとは異なる。
伝承は数多あり、雪のある場所では強く、夏は放置しているだけで死にかねない弱さだ。
人間が呪力を与えるのでなければ、雪の降る場所にしか居られない。そのため活動範囲が狭まる夏に、万年雪が残る僻地に赴けば、狭い範囲に追い立てられた雪女に会える。
時期は6月に入ったところだが、大雪渓の最深部には、全長3キロメートル、幅600メートルに渡って、一年中融けない万年雪が積もっている。
万年雪に近い人里では、行方不明者も定期的に出ており、白馬大雪渓は、昔から雪女の生息地域だと知られている。
電車で白馬村まで来た一樹達は、可能な限りタクシーを使い、その後は徒歩で登山してきた。
途中から登山道は、でこぼことした大きな石の道に変わり、登山靴の必要性を痛感させられた。道があって、藪が生い茂っておらず、季節が夏であっただけマシだろう。
使役し易いのは間違いないが、そこに至るまでの道が、楽であるか否かの問いであったならば一樹も楽ではないと答えざるを得なかった。
香苗が狐のクォーターではなく、普通の女子高生であったなら、文句を言う気力も沸かなかったに違いない。
「蒼依と沙羅は、元気ですね」
香苗に話を振られた蒼依と沙羅は、顔を見合わせてから返答した。
「わたしは住んでいる家が、山奥なので」
「私の実家も山奥ですし、五鬼童ですから」
国外には、険しい山道を数時間掛けて通学している小学生も居る。子供でも、慣れれば出来るようになるので、慣れていると言われれば納得するしかない。
そして五鬼童家は、鬼神と大天狗の子孫である。
歴代に渡って呪力の高い配偶者を迎え、力が落ちないように修験道を極め、直系は並の天狗よりも力が強い。
一樹の神力や、龍神の加護が無い紫苑でも、天狗の上位並の力を持っている。20歳になるまでには、大鬼の下位くらいの力は得られるだろう。
ちなみに一樹は、呪力で身体を強化しながら登ってきた。
「もっと近場には、居なかったのですか」
「近場に居たら、そこに行くに決まっているだろう。ここが一番、確実だったんだ」
雪女が調伏されていないのは、生息地域が人外の領域で、純血の雪女が雪の精でもあるからだ。
常に肉体を持って活動しているのではなく、精霊寄りで顕現する事も出来る存在。
そんな雪女を絶滅させるのは不可能で、人と子を為す事もあり、完全に有害とも言い切れない。他に調伏を優先すべき妖怪は山のように居るため、対応されないまま現代に至る。
もちろん戸籍は持たないため、陰陽師や見習いが雪女を使役するのは自由だ。
雪女は、冬だけ強くて、他の季節では弱いために、あまり使役には向かない。活動できる範囲も北側に偏るために、北海道の陰陽師でもなければ、普通は使役しようとは思わない。
雪の精であるために、冬以外には顕現させなければ消費を抑えられるが、そのような事を考えるくらいであれば、いつでも使える犬や鳥の式神を使役する方が良いだろう。
だが一樹には、一定の目算があった。
「充分な呪力があれば、式神の雪女は冬のように戦える」
一樹は香苗が首からぶら下げているネックレスの勾玉に視線を送った。
それは槐の邪神を調伏した時に手に入れた翡翠製7個、滑石製3個の勾玉のうち、使えないと判断した滑石製の1個だった。
翡翠製は少しずつ効力が落ちていくので、いつ使えなくなるのか予想できる。
だが滑石製は、突然効力が落ちて使えなくなるために、予想が出来ない。
そのため滑石製は、命を掛ける戦闘では安心して使えない。
溜め込める呪力もC級程度で、一樹の呪力から見れば1000分の1程度の誤差に過ぎない。
だから一樹は、使えないと判断した3つのうち1つを香苗に使わせて、他の二つの性能を測ろうと企図した。
「C級の呪力を使えれば、三次試験に勝ってD級になるくらい容易いだろう」
同じく試験を受ける柚葉に関しては、一樹は特に何も対策していない。
そもそもD級上位の実力があって、母親の蛇神が龍神に昇神した戦いの場にも居たので、もしかすると現在はC級下位に上がっているかも知れない。
香苗とは異なり、柚葉には術の下地があった上に、龍神の加護まである。
守護護符に龍神の加護を籠めれば、人間が術を籠めるよりも直接的かつ強靱な守りが発動するであろうから、好成績になるのは疑いない。
他の受験生次第だが、昨年であれば4位には入っている。
すると対戦相手は下位の96位くらいなので、D級上位の力を持つ白龍の娘として戦えば、余程のヘマをしない限り勝てるはずだ。
――あいつ、ヘマするんじゃないか。
今一つ、柚葉を信用できない一樹だったが、試験で負けたところで死にはしない。柚葉が負けたら下積みからさせれば良いと割り切った一樹は、香苗の式神獲得に集中した。
「それでは雪女を引っ張り出す。使役の準備をしてくれ」
宣言した一樹は、蘆屋道満からきた横5本縦4本の呪術図形・ドーマンを万年雪に刻んだ。
ドーマンは9本の棒で構成されており、九字を表す。元が中国の『抱朴子』に載る九字に由来し、九星九宮を表して、術を強化する印として使える。
雪女は、冬で女のため、陰中の陰で水に属する。
五行相克図では、土剋水といって、水に勝つのが土だ。また五行相生図では、水生木で水は木を生む。
流れとしては、雪女という水を土で堰き止め、木に誘導する陣を作れば良い。
一樹は土で囲い、木に引き寄せる陣を雪上に描いて、香苗の準備が整うのを待ってから呪力を流した。
『臨兵闘者皆陣列前行。天地間在りて、万物陰陽を形成す。水行の化身たる雪女に命ず。陰陽の理に基づき、木行の流れに従いて正体を現せ。急急如律令』
一樹の呪力が、陰陽師や鋭い人外には分かる程度の微かな光を放ちながら、波紋を広げるように万年雪の表面を走り抜けていった。
すると雪上に淡い光の塊が浮かび上がり、流れるように寄ってきて、一樹達の目前で粉雪を舞わせて吹き上がった。
粉雪が舞い上がった中から現れたのは、白い着物を着た青白い髪の少女だった。
年齢は香苗より年下で、辛うじて中学生だろうか。
――若いな。
元々が雪の精である雪女は、気を得る目的で人化するために、人間に似通った姿をする。
そして人化の際、雪女としての寿命を人間年齢に換算して変化するため、大凡の力や経験も推察できる。
現れた雪女は、未熟とまでは言えないが、独り立ちして間もない妖怪に思われた。
青白い髪をした雪女は、一樹達を一瞥してから告げた。
「奥さん、居すぎじゃない」
「はぁっ!?」
第一声で機先を制された一樹は、呆気にとられた声を上げた。
「沙羅と香苗は、奥さんじゃありません!」
「この雪女、良い子ですね」
一樹が呆気にとられる中、蒼依が一樹の主張を代弁し、沙羅が雪女を庇う素振りを見せた。そして香苗は、首を横に振って否定する。
すると一行の様子を見た雪女は、関係性を訂正した。
「奥さんが1人、仲間が1人、よく分からないのが1人で良いのかしら」
一樹が言い返す前に、今度は蒼依が雪女を褒めた。
「この子は、とても良い子ですね」
他方、沙羅は無言で雪女を見詰めて、雪女を後退りさせた。
そして香苗は、陰陽師とも、仲間とも評価されず、不承不承の表情を浮かべる。
その間に気を取り直した一樹は、頭の回転が速そうな雪女に対して、早々に用件を突き付けた。
「手っ取り早く言う。式神として使役しに来た。お前は万年雪の範囲しか移動できなくて、そこには誘導の陣を敷いたから、もう逃げられない」
煌めく万年雪に目配せした一樹は、得られる物を提示した。
「使役の対価は、人間の気を吸うよりも遥かに多い呪力。働いた期間だけ、お前は強くなれる。自然の掟に従って、強い者に従え。異論はあるか」
問われた雪女は、一樹を頭のてっぺんから爪先まで観察してから答えた。
「無いわ。待遇が良いと、頑張るわよ」
あまりにも呆気なく応じた雪女だったが、それは彼女の頭が良いからだろうと一樹は想像した。
仮に抵抗したところで、莫大な呪力と隙のない術で万年雪の中から引っ張り出した一樹からは、どうやっても逃れられない。
逆らったところで無駄であるし、使役者からの印象と扱いが悪くなる。
それならば交渉で応じた体を保ちつつ、より良い待遇を求めるのが最適解だ。
それを一樹が理解している事も察した上で、頭が良くて有益な式神だとアピールする意図もあるのだろう。賢い方が信頼できるし、惜しいので捨て駒にもし難くなる。
「賢い雪女だ。だが、すまないな。お前を使役する術者は、俺ではない」
一樹が硬い表情で告げると、雪女の顔が強張った。
そして蒼依、沙羅、香苗の3者を順に眺める。
蒼依は、女神イザナミの分体にして山の女神だ。
神気を纏い、龍神の加護も得ており、上位の大鬼に匹敵するB級上位の力を持つ。その神聖な力の波動を感じた雪女は、生唾を飲み込んで小さく頷いた。
沙羅は、鬼神と大天狗の血を引く陰陽師だ。
一樹が注いだ神気の欠片と、龍神の加護を得ており、中位の大鬼に匹敵するB級中位の力を持つ。明らかに格上の沙羅に対して、雪女は納得の表情を示した。
香苗は、妖狐のクォーターだ。
E級上位の力は有るが、E級は下位の中鬼よりも弱い。雪女は口元を固く結んだ。
「諦めろ」
「やだぁ」
賢い女をアピールしていた雪女は、女子中学生の外見に相応しく、涙目で訴えた。
























