70話 国家試験の準備
「7月下旬から陰陽師の国家試験があるが、香苗さんにも受けて貰いたい」
授業が終わって同好会室に移った一樹は、香苗に活動方針を話した。
4月上旬の同好会発足より、既に2ゕ月近くが経っている。
機材や道具を揃えた陰陽同好会は、蒼依、柚葉、香苗の3人に霊符の作り方を教え始めるなど、順調に活動を開始している。
その間にムカデ神を調伏して柚葉を解放し、一樹は柚葉を下の名前で呼び始めた。
一樹が小太郎を含めて、祈理香苗を除く全員を下の名前で呼ぶようになった事で、香苗にだけ疎外感を与えないために、祈理香苗も「さん付け」だが下の名前で呼ぶようになった。
発足から2ヵ月が経った同好会は、メンバー同士の関係性も変化している。
そんな同好会の当面の目標は、国家試験で小太郎以外の合格者を出して、活動実績を作る事だ。
実家で修行してきた小太郎が合格するだけでは、理事長から同好会の実績として評価されない。理事長からすれば少額だとは言え、同好会の備品としてポケットマネーも出して貰ったのだから、何かしらの結果は出しておきたい。
誰の弟子でもなかった柚葉や香苗が陰陽師になれば、実績として評価されるだろう。
香苗を勧誘する際、国家試験の受験には同意を得ており、今回は受験の確認だった。
「E級上位の呪力を持つ香苗さんは、二次試験で100位以内に入る。二次試験の評価方法は明確だから、充分な呪力があって、霊符を作成出来れば、E級に認定される」
「そうなんですか」
断定した一樹に対して、香苗は確信を持てないようで、疑わしげに問い返した。
疑問に対する一樹の答えは、単純明快だった。
「陰陽師は、深刻な人手不足なんだ」
日本政府と陰陽師協会の何れも、陰陽師が不足していると考えている。
大前提として、日本が領有を主張する国土の3分の2は、人外の領域だ。
政府は、陰陽師を増やせば、現在の領土維持や、あわよくば拡大も出来ると考えている。
協会も、高すぎる殉職率を改善すべく、増員して現場に余裕を持たせたいと考えている。
そのため試験には、合格者の上限人数が定められていない。
資格を与えるだけならば報酬も発生しないので、規定の呪力値と霊符作成の技術があるならば、陰陽師が100万人増えたところで構わない立場だ。
人数が増えれば管理も大変だが、運転免許証を持たせて管理するレベルであれば、政府は直ぐに実現できる。
あまり本格的に活動しない柚葉や香苗が受かっても、他の誰かが落ちたりはしないので、資格取得後に活動が少なくても気に病む必要は無い。
「柚葉は龍神の娘だし、香苗さんも妖気を持っているようだけど、A級の1位から3位も人外だ。そして推薦者には、俺が名前を書く」
受験の申込では、師匠の名前や、弟子としての従事期間を記入する欄がある。
香苗の場合、一樹は賀茂家の秘術こそ教えていないが、一般的な知識は伝授している。そのため香苗の師匠の欄には、主たる指導者として一樹の名前を書くのが正しい。
弟子入りの期間が1年以上でなければ一次試験の免除は無いが、A級陰陽師の推薦があれば念入りに確認されるので、一次試験で試験官側の手違いで不合格になる可能性は無くなる。
「今回受けるのは、小太郎、柚葉、香苗さんの3人になる予定だ。俺と沙羅は資格を持っているし、蒼依は事情があって、少なくとも今年は受験しない」
龍神の導きを受けた蒼依は、『いずれ山姥に至る山姫』から、『土地神になる可能性のある山姫』に成ったところだ。
現在は、式神として一樹から気を得ているが、神域を作って自然や地脈の気を集められるようになれば、一樹の死後も人を食べずに生きていける。
未だ山姥に至る可能性は残っており、蒼依の呪力の使い道は神域作りであるべきで、一樹から独立した別の陰陽師として妖怪調伏に行く状況ではない。
また将来が未確定の現段階では、陰陽師協会で不用意に目立つ必要もない。
蒼依の正体が発覚した上で、神域作りが未達成のままに一樹が殉職しようものなら、蒼依は討伐対象になりかねないのだ。
資格を持っている事には、メリットよりもデメリットの方が多いと考えられたため、現段階で一樹は、蒼依を受験させない判断に至った。
「えー、そうなんですか。蒼依さんは、受ければ1位で受かるのに」
ムカデ神退治で一緒だった柚葉は、B級上位の実力を持つ蒼依が受験しない事を惜しんだ。
もっとも一樹に言わせれば、「だから目立ちすぎるんだ」という事になる。
一樹は掲示板で知るのみだが、今年は世間で天賦の才だとか、天才だとか噂になっている沙羅の妹、五鬼童凪紗が受験する予定だ。
五鬼童家は、受験の段階で最低でもC級の実力者を送り出している。実際に沙羅と紫苑は、C級上位の実力者だった。
そんな実力者集団の中に有って、沙羅や紫苑ではなく凪紗が天才だと言われているのだから、凪紗の実力はB級だろう。
C級上位とB級下位は、呪力で2.5倍差がある。
すなわち、受験当時の沙羅と紫苑が2人掛かりで戦うよりも強い力を持っている事になるが、それくらい差がなければ天才とは言われない。
だが一樹の気と龍神の加護を受け、八咫烏達の霊符も作れる蒼依は、呪力と術で凪紗を上回る。
そしてエキシビジョンマッチになったところで、人間では不可能な反射神経で天沼矛を振るえば、日本中が注目する天才少女を倒してしまいかねない。
そうやって1位になった蒼依は、日本中から新たな関心の的となる。
両親の死や、祖母の行方不明、一樹が同棲している事も調べられて、不正を疑われる。
不正がないと知られれば、山姥に至る可能性がある部分や、財産相続の問題で面倒になるだろう。山姥が所有してきた土地や、過去の犠牲者に関する調査もあって、蒼依の神域作成を阻害する要因になるのも目に見えている。
――受験するなら、蒼依が神域を作れるようになって、協会に根回しした後だな。
蒼依の気の問題を解決した後、陰陽師協会から安全を保証して貰えれば、想定され得る問題の大半は解決する。
「蒼依は受験しない。でも柚葉と香苗さんが受かるから、実績の達成は出来る」
A級陰陽師の事務所に所属する助手で、事情があると言われれば、余程の事を察せざるを得ない。
一樹と蒼依だけではなく、同じく所属している沙羅も納得しており、柚葉も惜しみつつも翻意を促したりはしていない。
同好会室に居る小太郎も、蒼依の件は一樹の事務所内の事情と考えているのか口は出さない。
そんな5人の様子を見た香苗も、説明は求めなかった。
その代わり香苗は、試験の合格に太鼓判を押した一樹に対して、自身の部分の確認を行った。
「入会する代わりに、賀茂さんも協力してくれる約束でしたよね」
一樹が同好会に勧誘した時、香苗は迷いを見せていた。
その時に一樹は、ロングのストレートヘアだった香苗が運動部系では無いと想像した上で、技術の習得が必要な吹奏楽部などを検討しているのではないかと予想した。
そして音楽大学に進学したいなら吹奏楽部に入るべきだと話し、高校生活を楽しみたいのであれば同好会も悪くないと言った。
船上での演奏会や、動画配信チャンネルでの投稿や客の誘導に協力すると約している。
「約束したし、約束は守るつもりだ」
一樹が肯定すると、香苗は僅かに躊躇いを見せてから告げた。
「あたしは、父方の祖母が妖狐です。半妖よりも薄い、半々妖のクォーターです」
正体の告白に一樹は黙して頷いた。
狐の妖怪には、人間に有益な善狐と、逆に有害な悪狐が存在する。
だがA級3位である豊川のような存在の功績が、九尾の狐のような悪行を総合的に大きく上回った結果として、妖狐は人間に有益だと見なされている。
直近の虎狼狸退治を見ても、それは大抵の人にとって明らかだ。
そのため妖狐は、親が戸籍を持っていれば、子も戸籍を与えられる程度には市民権を得ている。
そして申請と保証人さえ居れば、戸籍のない妖狐も戸籍を与えられる。
祈理が明かした正体は、世間的には「祖母が外国人です」と話す程度の驚きでしかなかった。
確かに珍しいが、存在しないわけではないし、法的な問題も無い。
――狐の交流、活発だからな。
協会の会長から、虎狼狸退治後の打ち上げ話を聞かされていた一樹は、狐が混ざっている事に理解を示した。
「もう世間に公表されたが、俺は蒼依や沙羅と一緒に、気狐の豊川様と妖怪の調伏を行ってきた。豊川様には良くして頂いたし、安倍晴明の母親も狐だったし、陰陽師にとっては何の問題も無いな」
一樹の断言に続いて、蒼依と沙羅も頷いて同意を示す。
すると香苗は安堵の表情を浮かべた後、ルーツを持ち出した理由を告げた。
「つまり、100%の人間では無いあたしには、存在を認められたいという承認欲求があります。協力して頂けるのでしたら、良いですよ」
――歌や音楽の動画投稿で視聴者から褒められれば、承認欲求を満たせると言う事か。
香苗の事情を理解した一樹は、改めて約束した。
「陰陽師で歌い手や弾き手というのも、面白そうだ。視聴者も好きそうだから、何の問題も無い」
香苗の意思を確認した一樹は、受験の準備に関して付け加える。
「それで受験だけど、E級上位の呪力で、術が甘い現状だと、E級とD級を選り分ける三次試験では勝てない。だから、式神を使役してもらいたいんだ」
陰陽師国家試験では、二次試験に合格した中から上位100名が、D級とE級とを選別する三次試験に進む。
香苗はE級上位の呪力を持ち、守護護符に特化して練習したために、上位100名に入れる。
他の受験生が10年の修行を続けてきた中、本来は僅か2ヵ月で追い着けるはずがないのだが、香苗の場合は妖狐のクォーターで元から呪力が高い。
だが実戦形式の対戦になれば、流石に地力の差が出るので敗退は必至だ。
実力で負けたなら、それは仕方が無い話だ。
調伏の場に出て妖怪に負ければ、死んでしまう。
受験生同士の対戦で負けるのは、現場に出て1度死ぬようなものなので、死んだと思って下積みからやれと言うのは、安全に配慮した差配だ。
それでも一樹は同好会に誘った側であり、自分の名前で送り出す事もあって、何の対策もせずに送り出して安易に負けられるような事は出来ない。
そのため、香苗の呪力を使って戦ってくれる式神を使役させようと考えた。
「式神ですか?」
寝耳に水の香苗は驚いて、蒼依や沙羅にも視線を向けた。
だが式神に関しては、術を教えている一樹の独断だ。蒼依と沙羅も、身振り手振りで知らないと主張した。
「使役して貰いたいのは、雪女だ」
夏に行われる試験で一樹が選んだのは、よりにもよって冬の妖怪だった。
























