07話 式神選び
「主様は、わたしにご不満ですか?」
そう質した蒼依の表情は、初めて会った日のように蒼白となっていた。
蒼依は一樹から『我に従いて、我が式神と成れ』と、『一緒に暮らしてくれ』と言われており、生活環境も与えている。
だから不満があろうはずがない、と、蒼依は信じたいのだろうが、確信が持てない様子だった。
これは一緒に居る時間が短くて、一樹を理解し切れていない事に起因するのだろう、と、一樹は想像した。
使役者と式神との関係は、対等では無く、明らかな主従関係にある。
一樹は蒼依に気を与えて、蒼依は一樹に従っている。
もしも一樹が気を与えるのを止めれば、蒼依は自身の存在を保つための気を得られず、いずれ人肉を喰わなければならなくなる。
なるべく生気が薄れていない新鮮な死肉を喰うか、自ら殺した人間を喰って山姥に変化するか、死にたくなければ二択である。
一樹が手放せば終わりであり、これは対等な関係とは言えない。言葉を重ねる必要性を痛感した一樹は、蒼依に語り掛ける。
「蒼依の事は、一生手放さないから安心しろ」
直ちに不安を解消する必要性を感じたとは言え、あまりに直接的すぎる表現だったかもしれない。
言った張本人の一樹が押し黙り、頬を朱に染めた蒼依が追及しなくなり、食卓には暫しの沈黙が流れた。
「……ところで、式神を増やす理由だが」
テレビを付けて、そちらに注目している風を装って誤魔化した一樹は、やがて気を取り直して説明を始めた。
「あ、はい。どうぞ増やして下さい」
先程とは打って変わって、蒼依は話も聞かずに全面肯定した。
「いや、説明するから聞けって」
思わずツッコミを入れた一樹は、蒼依の返答も聞かずに説明を続ける。
「牛鬼は8メートルの巨躯で、屋内の依頼では使えない。普通に生活している蒼依は、式神だとは言えない。俺が安定して依頼を受けるためには、屋内でも使えるような、他の式神も必要な訳だ」
屋内に妖怪が出て調伏を依頼されるような場合、巨大な牛鬼は建物を壊してしまうので、とても顕現できない。
依頼は、他の陰陽師に回されるだろう。
蒼依は問題なく入れるが、蒼依が式神だと言えば、蒼依の人間としての生活に支障を来す。
「そういえば蒼依は、どれくらい戦えるんだ」
ふと気になった一樹は、蒼依に尋ねた。
山姥の強さであれば、妖刀の包丁を生み出して牛鬼と戦っていたので、大まかには理解できる。『国生み』や『神生み』と呼ばれた女神イザナミの分体であるため、生半可な強さでは無い。
1日1000人を殺すと宣言して、全国の山に散っていなければ、一樹は一撃で粉砕されただろう。
では、その前段階であった山姫は、どの程度の力なのか。一樹は気になったが、蒼依の答えは不明瞭だった。
「分かりません。主様の気を頂く前は、そこまで強くなかったと思います。主様に力を頂いてからは、山姥ではなく神気を帯びた山姫と成って、山姥と同じくらいの力に成った……気はしますけれど」
蒼依は神気を発して、山姥が妖刀の包丁を生み出したように、手元に1本の矛を生み出した。
それは薙刀ほどの長い柄に、先端が両刃の剣となった、矛だった。
「神気を帯びているが、まさかイザナミが、日本を作った時に混沌を掻き混ぜたとされる天沼矛か」
「分からないです」
勿論、本物では有り得ないが、分体が持つ模造品でも、途方も無い品だ。
山姥が死者寄りになったのに対し、生者の山姫である蒼依がイザナミ寄りになったのだろうか、と、一樹は考えた。
「だったら蒼依は、なおさら式神としては出せない。元々出す気は無いが、目立ちすぎる」
牛鬼の棍棒と打ち合えそうな矛を見ながら、一樹は断言した。
「はい、分かりました」
牛鬼も蒼依も、式神として軽々しくは使えない。
一樹の場合、調伏の現場に大量の式神符を持ち込めば解決するのだが、国家試験では、それが通用しないと考えられる。
立派な道具の持ち込みで試験に受かるのであれば、金とコネのある人間ばかりが合格して、全体的な陰陽師の質が下がるからだ。
妖怪を倒せる陰陽師を増やす試験で、役に立たない陰陽師ばかり増やしては、本末転倒にも程がある。
そのため一樹は、道具の持ち込みは出来ないと考えた。
であれば陰陽師の国家試験に際して、試験用の式神を持たなければならない。式神使いが式神を持つのは、流石に本人が持つ霊能の内である。
「俺は呪力が強くて霊符も作れるから、式神が無くても下級なら受かる。だけどF級陰陽師に認定されても、陰陽師協会からは、ろくな仕事を回されない。最初から良い評価を取っておきたい」
全力を出して、同業者や妖怪に手の内を曝け出すのも問題がある。
協会に所属する陰陽師達は、別にお友達同士という訳では無く、顧客を取り合う同業他社のライバル関係だ。
隣り合う飲食店、密集するコンビニエンスストア、道路を挟んで向かい合うガソリンスタンド……いずれもライバルに対しては、何らかの対策をしないだろうか。
一樹の陽気が強いなら、それ以外の部分で勝とうとするかもしれない。
だから店のマニュアルを公開したりはしないが、相応に客を呼ぶために、品揃えの良いコンビニや、看板メニューのある飲食店や、タイヤ交換も受け付けるガソリンスタンドなのだと示す必要はある。
一樹が説明すると、蒼依は納得の表情を浮かべた。
「どんな式神を増やすんですか」
蒼依と同じく、一樹の式神となる存在だ。
調伏の現場では、共闘することも有るかも知れない。蒼依が気にならないはずも無く、どのような相手なのかと尋ねた。
「それなんだよなぁ。式神は、怨念系を呪力と術で縛るのが作りやすくて強いけど、そういうのは嫌だしなぁ」
「怨念系ですか?」
式神について詳しくない蒼依は、怨念系という言葉に疑問符を浮かべた。
言葉の通りに捉えれば、恨む霊を使役する事だと考えられる。
だが一樹の説明は、蒼依の想像よりも残酷なものだった。
「例えば、犬神の式神を作る場合は……犬を顔だけ出して土に埋めるか、何かに縛り付ける。そして口がギリギリ届かないところに食べ物を置いて、餓えで、食べ物に欲望を集中させる」
思わず息を呑んだ蒼依に、一樹はさらに残酷な事を口にした。
「何度か食べ物の種類を変えて、置き直すなどして、犬を嬲り苦しめる。そして食べ物に首を伸ばしたところで、首を斬り落とし、怨念を封じて敵方に送り込む。それが犬の式神の作り方だ」
これは一樹が考えたのでは無く、実際に陰陽道系の呪術に載っている基礎の儀式だ。
恨みを深くするほど怨念が強くなるので、使役者の呪力が弱くても、強大な式神を使役できる。
「残酷であるほど恨みが強くなって、強い式神になる。但し術を破られると、術が解けて自由になった式神に復讐されるハイリスク、ハイリターンの式神術が、怨念系だ」
漫画などで見る『式神を倒された使役者が苦しむ姿』は、解放された怨念が、一番恨み深い相手に仕返しをするからだ。
術を破られた場合、術を破った敵と、返ってきた怨念系の式神から二重に襲われて、使役者は危機に陥る。
なにしろ術を破られる時点で、相手の戦闘力を読み間違えている。そこに最も強力な怨念系の式神まで加わると、使役者は殺されかねない。
なお紙に呪力を籠めて作る道教呪術系では、式神が破られても怨念は返って来ない。
一樹が紙で作る鳩の式神であれば、一樹が自身の気を陰陽で流転させて、変化させて飛ばしている。
自分の気を使って生み出したので、怨念自体が存在せず、術を破られても自分に襲い掛かってくる訳が無いのだ。
「俺は怨念系をやった事が無いし、やる意志も無い。危ないし、道義にも反するから」
「安心しました」
断言した一樹の態度に、蒼依は心底安堵した。
一樹が使いたいのは、一樹自身の気で作った紙の式神か、蒼依や牛鬼のような使役者と友好な関係にある式神だ。
前者は完全に知り尽くした安全な道具であるし、後者は自己判断で使役者を助けてくれる強力な味方となる。
「優先的に使役したいのは、人を助けた逸話のある鬼神や神霊だ。そういった存在は、使役者を助けてくれる。一応、目星も付けている。八咫烏だ」
八咫烏とは、『古事記』では高御産巣日神が、『日本書紀』では天照大神が、神武天皇に遣わしたとされる三本足のカラスであり、導きの神だ。
すなわち、人を助けた逸話のある鬼神や神霊であった。
「八咫烏は、神武天皇を熊野(和歌山県南部~三重県南部)から、大和国(奈良県)を流れる吉野川の末流まで導いた。だから、その辺りに現れる事は分かっているのだが……」
生憎と蒼依の家からは、距離が離れすぎている。
「旅費ですか?」
「道具代と、カラスの飼育費も貸してくれ」
一樹は陰陽師として活動するにあたり、父と同様に、借金から始めた。