64話 虎狼狸退治
「この管玉を使えば、限界まで修業が出来ますので、四尾に届きそうです」
一樹が提案した勾玉と管玉の分配を受け入れた豊川は、管玉の価値について説明した。
「四尾は、天狐に至るために必要な力でしたか」
人間の一樹は、非公開の狐の階位については、一般的な知識しか持たない。
狐の階位は、中国の『玄中記』(265年~316年)や、日本の『有斐斎箚記』(江戸時代中期)など、様々な書物で大まかに記されている。
狐は50歳になると、人に変化できるようになる。
100歳になると、美女あるいは男に化け、人を誑かす。
それらは野狐と呼ばれ、仙狐に至るためには、東岳大帝の娘である女神・碧霞元君が主催する試験を受けて、修行を始めなければならないとされる。
必ずしも泰山で試験を受ける必要はなく、日本では王子稲荷でも可能だそうだ。
・阿紫霊狐 0歳~ ※飯綱や管狐を含む。
・地狐 100歳~ ※合格して生員と呼ばれ、仙術の修行開始。
・気狐 500歳~ ※地狐の次段階。尾が増えていく。
・仙狐 1000歳~ ※気狐の次段階。神通力を獲得。
・天狐 1000歳~ ※尾は4本、本試験に合格して天に通じた狐。
・空狐 3000歳~ ※尾は0本、肉体から解き放たれる。
・野狐 100歳~ ※試験に合格していない狐
・妖狐 ???歳~ ※妖力を増した野狐。尾の数が増えていく。
天狐からは、肉体から解き放たれていき、尾の数が減っていく。
白狐、黒狐、金狐、銀狐などは血統であり、階位とは無関係だ。
善狐、悪狐は、人間が自分達との関係性から勝手に付けている。
「豊川様は、500歳以上の気狐という階位だと聞き及んでおります」
一樹が知る豊川の情報は、ウェブサイトの百科事典に纏められる世間の噂話だ。
もっとも、可能な限り出典の求められるウェブサイトは、情報が大きくは外れておらず、大まかな推察を行うには充分な情報量がある。
豊川は500年以上前の文献に登場しており、下界に居るため、天に仕える天狐には至っていない。
はたして豊川の返答は、ウェブサイトの正しさを証明した。
「800歳ほどです。60年前に三尾になりましたから、早い方です」
驚きの年齢に、一樹は咄嗟に歴史を振り返った。
800年前は、鎌倉時代の只中にあった。
西暦1221年、承久の乱が起こる。
後鳥羽上皇が北条家の鎌倉幕府に挑んで敗退した事によって、武家に実権が移っていく事が決定付けられた。
西暦1232年、御成敗式目が制定された。
武家を対象として明文化された51ヵ条からなる法律は、江戸時代の寺子屋の教科書にもなり、明治時代に近代法が成立するまで続いた。
すなわち800年前は、明治以前の日本の礎が築かれた時代だ。
その当時から生きてきたと発言した豊川は、狐の尾について軽く触れた。
「1尾が増えるには、通常は500年以上を費やすと言われます」
「それは何とも、気の長い話ですね」
尾が増えるための年月を想像した一樹は、遠い目をした。
殷王朝の妲己妃や、鳥羽上皇が寵愛した玉藻前など、伝説の九尾の狐に達するためには、1尾で生まれてから4000年が必要となるらしい。
4000年前は、世界では四大文明が起きた頃だ。
四大文明とは、エジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明、中国文明であり、大まかには紀元前3000年頃から紀元前1500年頃とされる。この頃に文字が作られて、文字による記録が残る有史時代となった。
当時の日本は、縄文時代。
勾玉は作られていたが、水田稲作の伝来は不確実な有史以前にあたる。
九尾の狐に「お前の祖先が縄文土器を捏ねていた頃から、妖力を鍛えてきた」と言われれば、それは勝てないと思わざるを得ない。
「わたしは、地狐の間に二尾となり、気狐の半ば前には三尾へ上がったので、仙狐までには四尾に達すると思っていました。ですが霊格の高い管玉を使えば、900歳を待たずに届きそうです」
「豊川様は、狐の中でも優秀でいらっしゃるのですね」
一樹が不意に褒めると、気狐の豊川は、若干照れた表情を浮かべた。
「管玉は、勾玉10個との折半でも若干釣り合っていません。虎狼狸退治はわたし側で行います。それと賀茂が何か困ったら、内容次第では手を貸して上げない事もありません」
「大差は無いでしょうが、先達の豊川様にご相談できるのは、有り難く存じます」
一樹が提案を受け入れた後、豊川は自身の物となった管玉を首に掛けた。
そして財宝を得た槐の木の周囲にて、陣を作り始めた。
地面に狐火を落として、それを操る形で円を作っていく。
それを眺めていた一樹は、豊川が作業を行う邪魔にならないように、蒼依や沙羅のところまで下がった。
そして勾玉の割り振りについて、2人に相談した。
獲得した勾玉は10個で、翡翠製が7個、滑石製が3個。
一樹は正式なA級、蒼依と沙羅は、実質的にはB級。
ランクが1つ違えば力は10倍差と評価されるため、報酬は実力に比例して10対1対1で分けるのが、世間的には妥当とされる。
「2人には翡翠製を1つずつ選んでもらう。併用できないから、残る5個は予備を兼ねて、蒼依が神域を作る練習用にしよう。滑石製は耐久度が低い使い捨てだから、適当で。俺の分の金銀珠玉は、約束通り身延町に還元する」
「わたしは主様を守れませんでした」
蒼依は落ち込み気味に、割り振りが過剰ではないかと訴えた。
一樹は沙羅の様子も一瞥したが、沙羅の方は防ぎようが無かったと分かっているのか、そこまで落ち込んではいない。
落ち込む蒼依に対して、一樹は考え違いを正した。
「穴山武田信君は、浮世絵にも描かれる武田二十四将の1人で、戦国時代に上杉謙信と合戦をした侍の怨霊だ。蒼依が斬り合いで勝てる訳が無いだろう。むしろ勝てたら吃驚だ。牽制してくれただけで、充分役に立っている」
B級上位の蒼依は、B級中位の沙羅と共に、一樹の前で武器を構えていた。
そのため信君は、牛鬼や水仙に囲まれた状態での無謀な接近戦は避けている。
結局のところ突破を許したが、今回の依頼では危険を想定して、A級上位の豊川に居てもらっていた。
すべては想定の範囲内だった。
「武術を習いたければ、信君様に教えて貰えば良い。妖怪を倒せば、領民の子孫の安寧に繋がるのだから、教えて下さるだろう。信君様、お願い致します」
『構わぬ』
理を説き、今後の対策も示した一樹は、次いで蒼依の身体を引き寄せた。そして泣いている幼子をあやす様に正面から抱きしめた。
すると蒼依は素直に腕の中に納まったが、今度は沙羅と目が合った。
「次は私の番ですよね」
沙羅が問うと、一樹の胴体に腕を回す蒼依の力が急に強くなった。
「ぐぇっ」
一樹は肉体的には普通の人間で、蒼依はB級上位の力を持つ山の女神だ。
呻き声を上げたのは、止むを得ざるところだった。
その間、陣の作成を終えた豊川は、陣の中心に宝玉を置いていた。
豊川が行っているのは、式神術の一種である。
異界より神社の稲荷などを呼び出す術で、異界を繋げようとしていたのだ。
どこの誰でも呼べるわけでは無く、使役の対価として相応の呪力や捧げ物を用意したり、予め契約していたりするなどの条件が必要となる。
おそらくは豊川が属する神社に繋げているのだろうと解した一樹の眼前で、界が繋がって狐達が飛び出して来た。
呻き声で抱き着く力を弱めてもらった一樹は、沢山現れる狐の数を眺めながら、由来を推察した。
「豊川稲荷かな」
豊川稲荷の正式名称は『円福山 豊川閣 妙厳寺』で、日本三大稲荷の1つとされている。
有名なのが霊狐塚で、1000体もの狐の石像が奉納されている。
100年を経た物には、霊魂である付喪神が宿るとされる。
付喪神について『伊勢物語抄』(1600年代)では、次のように記される。
『つくもがみとは、青鬼夜行の事也。陰陽記云、狸短狐狼之、類満盲年致人催喪、故名属喪神といへり。是はりとうころうとう(狸短狐狼等)のけだ物、青年いきぬれば色々の変化と成て人にわづらひをあたふ』
すなわち伊勢物語抄では、陰陽記にある説として、100年生きた狐や狸等が変化したものが付喪神になると記している。
豊川稲荷に1000体並ぶ霊狐塚に宿った付喪神は、いかなる獣の霊魂か。
狸や狼の霊魂が、狐の石像に宿るはずも無い。であれば狐の霊魂が必定だ。
続々と湧き出でる狐の霊達は、豊川や槐の木の周囲に集って行った。
そして集った霊魂の中から1体、人化して白面を付けた雄の白狐が、三尾を揺らしながら、前に進み出て来た。
豊川の前に進み出た白面の狐は、豊川を眺めるように観察した後、二度ほど頷いた。
『りん君には、もう実力で抜かれてしまったかな。その年齢で、実に素晴らしい。私が生きていれば、君に結婚を申し込んだのだが、全く口惜しい事だ』
白面の狐が軽口を叩くと、豊川はすかさず言い返した。
「良房様が生きていらっしゃれば、天狐になって、天に仕えていらしたでしょう。それから空狐になって、空に還ったでしょうに、有り得ない妄想を口にしないで下さいませ」
豊川が断じると、白面の狐は顔を見せないまま、右手の拳で左掌を打つ仕草をして、指摘に対する納得を示した。
『確かに、その通りだ。生に囚われて、つまらない狐生を送っただろうね。ああ、まるで社畜ではないかっ!』
白面の霊魂は、一体どこで『社畜』という言葉を覚えたのだろうか。
豊川稲荷の近辺で人に化けて、居酒屋にでも出入りして、居合わせたサラリーマンと酒でも飲み交わしているのだろうか。
フラフラと好き勝手に彷徨う狐達の霊を想像した一樹は、狐界隈の自由過ぎる生活に白目を剥いた。
『君は自由に生きると良い。天狐に成らずとも、仙狐として自由に生きる道もある。だが男遊びは止めておき給え。世に悪名が轟く、九尾の1狐になるが故。そして私も、なんだか無性に悔しいのでな!』
「わたくしは自由に生きております。それと、余計なお世話でございます」
明確に否を示した豊川は、白面の狐を含む周囲の狐達に指示を出した。
「敵は、虎狼狸です。奇怪な狸の妖怪で、増えており、世に疫病をもたらします。1匹残らず、山から狩り尽くして下さい」
狸の妖怪だと聞いた狐達は、各々の瞳をギラギラと輝かせた。
そして興奮を抑えきれぬのか、各々がその場で飛び、軽く駆け始める。
『……おお、それは何とも楽しい催しだ。最高ではないか』
「それではお願い致します。御礼の品々は、妙厳寺にお供えしますので」
『承知した。皆の者、りん君からの要請で、愚かで忌々しい狸狩りだ。奴らを引き倒し、喉元に喰らい付き、噛み殺せ。さあ競争だ、いざ進め!』
豊川の依頼を受けた白面の狐が号令をかけると、やる気が漲る狐の霊魂達が一斉に飛び出して、身延山に散っていった。
やがて身延山の方々から、狸の絶叫が響き始めた。
(虎狼狸に、虎と狼の部分があるのは、言わない方が良いんだろうな)
やる気になっている狐達の意欲を削ぐことは無い。
そう思った一樹は、虎狼狸の正体について胸の内に仕舞い込んだ。
かくして身延山から、『狸の化け物』が駆除されるのは、確定的に明らかとなった。
























