62話 槐の邪神 後編【書籍化&コミカライズのご報告】
「あれは土地に根付いた怨霊です。怨霊が宿った槐の木だけを切ったところで、調伏は出来ません」
古民家に帰って囲炉裏に薪を置いた豊川は、右手から狐火を落とす形で火入れした。
瞬く間に火が燃え上がり、薪を燃やし始める。
狐は、火打ち石のように尾を打って火を灯す、骨や玉を使って火を灯す、寒い冬に吐く息が光る等と伝えられる。一樹が見たところ、仙術を学ぶ気狐らしく、術で火を灯していたが。
狐火を描いた絵としては、『二十四孝狐火之図』などが有名だ。
そこには諏訪明神の使いの狐が現れて、上杉謙信の娘・八重垣姫に加護を与え、凍った湖を渡らせる絵が描かれている。
諏訪明神とは、大国主神の子である建御名方神だ。
かつて葦原中国(地上)は、国津神が治めていた。
大国主神は、国津神の代表格である主宰神だ。
ある時、高天原に住む天津神の主神・天照大神が、葦原中国は自分の子供が治めるべきだと言った。
天照大神の言い分は、『葦原中国を作ったのは天照大神の両親イザナギとイザナミであるため、そこを治めるのはイザナギとイザナミの子孫(自分の子供)であるべき』だった。
そして葦原中国に向けて、幾度か神を送ったのである。
数度の失敗後、天照大神は建御雷神を送り出す。
建御雷神と建御名方神は力比べをして、建御名方神が負けて諏訪湖まで逃げた後に降伏して、地上は天津神に譲られた。
その後、建御名方神は夢でお告げを行い、子孫の身体に魂を宿らせると伝えた。
現在のA級1位である諏訪は、建御名方神を宿らせている現人神だ。
現人神は、今上天皇と、諏訪家当主の2家2柱である。
天皇家と同様に、諏訪家も世代交代すると、次世代に建御名方神の御霊が宿る。
(建御名方神が派遣した狐は、豊川様自身かな)
狐火からA級上位の関係性について想像を巡らせた一樹は、豊川の説明で意識を戻した。
「あの怨霊を通常の方法で除霊するのでしたら、身延町に存在する全ての槐の木を根元から取り除く必要があります」
身延町の面積は、301平方キロメートル。
9割が妖怪の領域で、その大部分が山林だ。
1平方キロメートルが千葉のネズミ園2個分であるため、身延町から槐の木を取り除くのは、ネズミ園500個分以上の広さに植えられている木を根元から抜くのに等しい労力が掛かる。
木を切り倒すだけなら人間がチェーンソーで出来るが、根元から抜くには重機を使わなければならない。場所も舗装された平地ではなく、山の斜面だ。
「作業する間、槐の邪神は妨害するでしょうし、他の妖怪も襲ってくるでしょう」
豊川が指摘するとおり、槐の邪神は、通るなら財宝を払えと要求する。加えて、A級の力を以て、槐の木を切るなと怒って襲ってくるかも知れない。
他の妖怪達も、彼らにとって餌である人が入ってくれば、襲うだろう。
牛鬼に守られた一樹が木の1本や2本を引き抜くだけでも、最大の警戒を要する。それほどまでに難易度の高い作業は、誰も行えない。
さらに、現在の人間が身延町だと区切った地域は、穴山一族が影響を及ぼしていた土地の全てだとは限らない。
身延町の槐の木を全て引き抜いたところで、槐の邪神が隣接する地域にまで移れるのだとしたら、単なる骨折り損だ。
「豊川様がご指摘された、通常の方法で解決するのは、不可能ですね」
常識的に考えた一樹は、物理的に不可能だと判断せざるを得なかった。
身延町は、槐の邪神との折り合いを付ける現状維持か、制御不能な妖怪の領域として放棄するのが妥当なのだ。
但し今回の場合、身延山を中心として虎狼狸が繁殖している。
妖気で疫病を流行らせる虎狼狸を放置すれば、北の甲府市、南の静岡市や富士市に、コレラが流行する。そして流行が始まれば、東の神奈川県や東京都、やがて全国にまで拡大するのは、時間の問題だ。
故に槐の邪神は、何とかしなければならない。
一樹が考えたのは、妥当な対応策だった。
「式神使いの私が、式神化で解決したいと思います。実体化した穴山信君の怨霊を倒して、術で使役します。そうすれば、槐の木から引き剥がせますので」
豊川が一樹を連れて来たのは、そのためだろう。
信君はA級であり、使役可能なのはA級陰陽師の8名となるが、7位と8位は呪力が足りない。
残る6人のうち式神使いは一樹だけで、A級中位の総合評価に対して、接近戦は評価よりも弱い。
若くて長く働けそうな一樹に、接近戦に特化したような侍の式神を持たせるのは、陰陽師協会の利にも適う。
「それが良いでしょう。今回は、死なないように守って上げますので」
意向通りの返答だったらしく、豊川は即座に肯定した。
GPSを用いた一樹達は、槐の邪神の本体がある位置を特定した。
場所は身延山の山頂付近だが、周囲には槐の木が林立しており、GPSを紛れ込ませた財宝を渡していなければ発見は不可能だった。
辛うじて山道の傍に生えていたのは、信君が利便性を考えての事だったのか。
おかげで一樹達は、樹高が20メートルほどの立派な黒槐の前に、容易に辿り着いた。
すると午前であるにも拘わらず、線の細い着物姿の侍が、虚空から浮かび上がるように姿を現した。
『何用か』
昨日、領主呼ばわりした事は覚えているのだろう。
槐の邪神は即座には襲い掛かって来ず、一樹に来訪の目的を問うた。
「恐れながら、領主である穴山武田信君様に申し上げます。私は現代の陰陽寮から参りました、賀茂一樹と申します。序列は第6席、従七位上相当となります」
一樹が目を逸らさずに告げると、槐の邪神は否定せずに視線で話の続きを促した。
相手が信君の怨霊だと確信を得た一樹は、事情を説明した。
「この身延山において、疫病をもたらす妖怪・虎狼狸が繁殖しております。このまま座視すれば、領民の子孫が疫病で死に絶えるでしょう」
信君自身も、嫡男が15歳で病死しており、家が断絶している。
一樹は挑発を避けるべく言及しなかったが、信君の琴線に触れたらしく、問い掛けは続いた。
『それで我に何用か』
「はい。無念を持たれる領主様が通行を妨げておられ、虎狼狸を駆除出来ません。そこで怨霊の領主様は、陰陽師の私が、式神化させて頂く所存。領民の子孫達に安寧をもたらすため、何卒お力をお貸し頂きたく、願い奉ります」
これらは、陰陽師と怨霊との間で繰り広げられる前哨戦だ。
一樹は信君が大暴れしないように、領主である自意識や、領民を思う感情を逆手にとって、式神化が正しい道なのだと心理的な楔を打ち込んでいった。
信君が一樹を殺したところで、領民の子孫が病で死に絶える。そして領民が死に絶えれば、領民の居ない領主など存在できない。
はたして身延山の様子を熟知する信君は、一樹の主張を戯言だと断じたりはしなかった。そして無頼者を斬り捨てるのではなく、一定の道理がある陰陽師だと認識した上で、己が立場を踏まえて告げた。
『ならば、我を下して見せよ』
条件付きで応じるとの約束が出された。
一樹は直ちに棍棒を構えた牛鬼、糸を手にする水仙を出して、自身は蒼依達の後ろに下がった。
蒼依は天沼矛、沙羅は金剛杖を構えて、一樹と信君との間に立ち塞がる。
また一樹自身は、100枚の束になった式神符を手に構えた。
『女子を盾にするとは、感心せぬな』
「私の式神にして、山の女神の事ですか。それとも絡新婦の妖怪か。はたまた、我が気を与えた、鬼神と大天狗の子孫か。私は陰陽師の作法に従っているまで。参ってよろしいか」
『いつでも来い』
腰元から太刀を引き抜いた信君が構えたところで一樹は頷き、式神符に向かって呪を唱えた。
『臨兵闘者皆陣列前行……木より流転し無の陰、我が陽気にて生へ流転せよ。矢と化して飛び、我が敵を鏖殺せよ。急急如律令、これより参る!』
一樹の手から離れた100枚の式神符は、続々と鳩に変化した。変じた鳩達は、蒼依達を迂回して飛び、四方八方から信君に飛び掛かっていく。
正面に立ち塞がる蒼依達、そして周囲から襲い掛かる鳩達に守られた一樹に忌々しげな表情を浮かべた信君は、後ろに飛んで鳩達を避けながら、高速で太刀を振るい始めた。
鳩達が斬り伏せられ、次々と紙に還っていく。
だが同時に数十回も斬れるはずが無く、周囲を囲まれた信君は全身を鳩に打たれる。
火行の炎が纏わり付き、木行の木矢が手足に突き刺さり、信君は手傷を負った。
そして正面から牛鬼、信君の右手からは水仙が迫った。
『ふん、女子は出さぬか』
蒼依と沙羅は、一樹の傍で護衛に徹している。
その様子を見た信君は、一樹が蒼依達を前面に押し出さなかった事は評価した。
水仙は側面から出させているが、絡新婦は人を害する妖怪であり、信君も絡新婦の扱いに対して違和感は覚えなかった。
まずは絡新婦をあしらいながら、早々に牛鬼を倒すべきだと判断した信君は、振りかぶられた棍棒を迎え撃つべく、太刀を構えた。
巨大な牛鬼の棍棒が、木の幹ほどの太い腕に振るわれて、信君に迫ってくる。
信君は身を捻って、鳩達の攻撃が致命傷にならないように避けながら、振るわれた棍棒を太刀で受け止めた。
硬い棍棒と太刀とが迫り、激しく衝突して火花を散らした。
信君の両足に重みがのし掛かり、わらじを履いた足が山肌に軽く沈み込む。
その瞬間、信君の足を何者かが殴打した。
『ぬおっ!?』
信君の足を殴打したのは、つむじ風に乗った鎌鼬だった。
一樹は牛鬼や絡新婦を見せ札として正面に出す一方で、鎌鼬の式神達は隠して、不意打ちに使ったのだ。
鎌鼬の式神は、1柱がB級中位の力を持っている。
A級下位の信君に対しては、5分の1程度の力に過ぎないが、信君は同じA級下位の力を持つ牛鬼と正面から打ち合っていた。
その瞬間に増援が加わったのだから、両者の拮抗を崩すには充分だった。
僅かに体勢を崩した信君に対して、牛鬼の棍棒がのし掛かる。
さらに水仙の糸が信君に絡みつき、引き倒そうと引っ張った。鎌鼬も弟神が信君の足を斬って、さらに体勢を崩す。
『ぬおおおおおっ!』
引き倒され掛けた信君は、このままでは終わるまいと左手で脇差を掴み、それを一樹に向かって投げ付けた。
それは一瞬の出来事で、一樹が知覚する間も無かった。
切っ先が向けられた小太刀が、蒼依や沙羅が迎え撃つよりも早く、一樹の胸元に迫る。
そして一樹の身体に突き刺さろうとした瞬間、その横合いから小太刀が振るわれて、投げられた脇差を叩き落とした。
振るわれたのは、イワナを捌いていた小太刀だった。
振るった持ち主は、事も無げに評す。
「やはり賀茂は、接近戦に難があります。あれを使役して、補うと良いです」
「恐れ入ります」
足元に突き刺さった信君の脇差を眺めながら、一樹は冷や汗と共に返答した。
もしも豊川が居なければ、その脇差は一樹の胸元に突き刺さっていただろう。
守護護符がA級妖怪の力を防げない事は、沙羅が絡新婦の母体に噛み裂かれて、分かっている。鎌鼬の妹神が傷を治せるが、肺や心臓を傷つけられれば、治療できるのか不明瞭だ。
下手をしたら死んでいた事を実感した一樹は、接近戦の弱さについて再認識させられた。
他方、脇差を投げた信君は、体勢を崩して倒れたところに牛鬼から攻撃を受けて、大打撃を負っていた。
牛鬼の棍棒が何度も打ち据え、その合間には鳩達に突撃されて、霊体の全身が大きく傷付いている。
水仙の妖糸が絡まり、鎌鼬に囲まれて、脱出する術も無い。
そんな信君と目が合った一樹は、信君に呼び掛けた。
「この地は9割が妖怪の領域にされ、衰退しつつあります。遠からず、人里も保てなくなるでしょう。我が式神と成りて、妖怪調伏を行い、領民の子孫達の安寧に力を貸して頂きたい」
勝ったのは一樹だが、豊川の力を借りての話だ。
居丈高に振る舞えるような決着では無いと感じた一樹は、用心棒を遇するような形で信君を招いた。
『臨兵闘者皆陣列前行。天地間在りて、万物陰陽を形成す。我は陰陽の理に則り、霊たる汝を陰陽の陰とし、生者たる我を対の陽とする契約を結ばん。然らば汝、陰陽の理に応じて、我が式神と成り、我に力を貸せ。急急如律令』
『ならば、見定めてやろう』
怨霊の信君は、一樹との契約に条件付きで応じたらしい。
豊川の助太刀が、陰陽師である一樹と式神の力だけで信君を下したと認められなかったからか。A級下位の妖怪が、式神化でA級中位に上がったような体感は、今回は得られなかった。
それでも虎狼狸退治の障害であった槐の邪神は、身延山から排除された。
・【書籍化&コミカライズ決定のご報告】
この度、本作を書籍化&コミカライズして頂ける事になりました。
評価ポイントを頂き、誠にありがとうございました<(_ _)>
皆様に、力強く応援して頂けた結果、
書籍化だけではなく、コミカライズもして頂ける事になりました。
イラストレーター様も素敵で、嬉しくて毎日何度も絵を見に行っています。
詳細のご報告は後日になりますが、鋭意制作中です。
頑張って作りますので、楽しみにお待ち頂けましたら幸いです。
























