39話 2隻の幽霊船
「乗船資格者の制限が厳しくて、蒼依が乗れなかったのは残念だな」
3月1日に中学校の卒業式を終えた一樹は、翌々日には幽霊船を除霊する仕事の補助を紹介された。
そして鹿児島県まで移動して、海上保安庁の『しゅんこう型巡視船』に乗船して、現場海域付近へ向かう事になった。
海上保安庁とは、大雑把には海の警察官だ。
任務は『海上における犯罪の予防および鎮圧、海上における犯人の捜査および逮捕』であると、海上保安庁法第2条第1項に定められる。
活動内容は幅広く、救助要請に応じる事もある。
そんな海上保安庁の巡視船が救助に赴き、民間船1隻と共に沈没して、幽霊船になってしまった。海の警察も、幽霊船の除霊は流石に門外漢であり、今回の依頼が発生した次第であった。
依頼を受けた一樹だったが、参加者には制限があった。
ヘリコプター2機搭載型巡視船で現場海域近くに赴き、ユーロコプターEC225という大型ヘリコプターで現場まで飛ぶ予定だが、陰陽師の国家資格を持たない蒼依は駄目だと、依頼主から制限を受けたのだ。
陰陽師では無い人間を連れて行って、もしも除霊で事故に遭えば、海上保安庁が困る。そのように言われては、一樹も従うしかなかった。
「申し訳ありません」
「いや、沙羅のせいではないだろう。帰りにお土産を買っていこう。鹿児島の名産って何かな」
一樹がパッと思い浮かぶ範囲ではサツマイモ関係だったが、蒼依はサツマイモのお菓子を貰って、喜ぶだろうか。
何も無いよりは良いだろうが、大喜びするとも思えない。一応、買って帰るとして、他にも何かが必要に思われた。
「ちなみに沙羅は、何を貰ったら嬉しいんだ」
「蒼依さんにプレゼントする物を、私に聞いたら駄目ですよ。逆の場合も、蒼依さんに聞いたら駄目です。一樹さんが自分で選んで下さい」
いっその事、各駅でお土産を買い漁りながら帰ろうか。
そんな風に悩みながら、一樹は大阪まで向かい、依頼を回した五鬼童家と合流した。
五鬼童家からの参加者は、A級陰陽師で沙羅の伯父の義一郎、B級陰陽師で義一郎の次男の義友、同じく長女の風花、C級陰陽師で沙羅の双子の妹の紫苑だった。
義一郎は、えんじ色(黒みをおびた深く艶やかな紅色)のスーツが似合う品の良い中年男性だ。
その息子である義友は、筋肉質で体格が良く、短髪のスポーツ青年だ。年齢は20代前半で、これから絶頂期に入る力強い鬼の印象を受ける。
娘の風花は、ミディアムボブの華やかな女子大生だ。紫苑を大雑把な性格にして、朗らかに成長させると、風花のようになるだろう。
絡新婦との戦いで重傷を負い、毒も受けた沙羅の父親は、療養中である。
依頼を受けた義一郎は、息子と娘に加えて、姪の沙羅と紫苑、そして一樹に経験と実績を積ませようと企図したらしい。
合流して新幹線で移動する最中、義一郎は一樹と沙羅に対して、依頼の詳細を説明した。
「事故は、太平洋沖でクジラ漁を行っていた捕鯨船団が、クジラと間違えて海竜の子供に銛を打ち込んだ事で発生した」
事故があったのは、一樹が受験勉強をしていた冬まで遡る。
国際捕鯨委員会を脱退した日本は、現在捕鯨を行っている。
捕鯨は、捕鯨母船と呼ばれるクジラを引き上げて処理・加工する母船と、キャッチャーボートと呼ばれる捕鯨砲でクジラに銛を撃ち込んで捕まえる船が船団を組んで行われる。
そしてキャッチャーボートが、クジラと間違えて海竜の子供に銛を撃ち込んだ事故が起きた。
「後から分かったが、海竜の子供は、クジラの中に紛れて遊んでいたようだ。ソナーを使っても、判別出来なかったそうだ」
「それは、事故も不可避でしょうね」
義一郎の説明に、一樹は頷いた。
人間は海中まで見えず、魚群探知機などであたりを付けるしかない。
クジラの群れの中に、たまたま子竜が紛れ込んでいたとして、見分けるのは不可能だろう。気を付けても避けられるものでは無い。
「銛を撃ち込まれた子竜は、海中で藻掻き苦しみながら泣き叫び、母竜を呼び寄せた。そして銛を撃ち込んだキャッチャーボートは、状況を理解する間もなく、沈められた」
一樹が渡された資料には、キャッチャーボートの詳細が記されていた。
船体は全長70メートル、全幅11メートル、乗員20名。
シロナガスクジラの2倍以上もの巨大船であり、クジラが相手であれば沈められないが、母竜はシロナガスクジラよりも大きくて、遥かに強かった。
海竜を倒そうと考える人間が居ないので強さは不明瞭だが、ランクはS級に分類されている。
怒り狂った母竜に襲われて、キャッチャーボートは沈められた。
標的がキャッチャーボートであったために母船は無事で、母船が海上保安庁に救援を求めた。
最初に現場海域に到着したのは、PL200『みやこ型巡視船』だった。
みやこ型巡視船は、全長117メートル、最大幅14.8メートルの巨大船だ。乗員は42名。ディーゼルエンジン4基で、速力25ノット以上。
武装は、船の前部と後部に70口径40ミリ機関砲を1門ずつ備えており、追撃、並走、撤退のいずれを行っていても、相手に砲撃できる。
巨大な海竜に対して、小型の巡視船では危険だと考えられたことから、必然的に救助へ赴いた。
そして現場海域に到着して、キャッチャーボートの乗組員を救助しようとしたところ、S級の母竜に沈没させられてしまった。30階建てのオフィスビルに匹敵する巨大船でも、怒れる母竜には耐えられなかったのだ。
「救助に駆け付けた巡視船が沈没させられて、救助活動は不可能となった。捕鯨母船は辛うじて逃げ帰ったが、キャッチャーボートと、みやこ型巡視船は、帰還できなかった」
当時は大ニュースになったので、受験であまりテレビを見ていなかった一樹も、多少は内容を見聞きしている。
高い戦闘力を有する巡視船が竜に沈められた事故は、世間の耳目を集めた。だが事故の被害は、それだけに留まらなかった。
銛を突き刺されて引き摺られ、藻掻き苦しんだ子竜が溺れ死んだ事により、怒り狂った母竜の呪詛と怨念が、両船に浴びせられた。
そして沈められた両船は、幽霊船と化した。さらに悪い事に、幽霊捕鯨船に銛で繋がれた子竜まで、霊体と化してしまったのだ。
「動画を見たまえ」
義一郎は一樹に対して、ノートパソコンを差し出して来た。
沙羅と並んで座っていた一樹は、座席前にある机を出してノートパソコンを置き、イヤホンの片方を自身の耳に、もう片方を沙羅の耳に付けさせた。
すると一樹と沙羅に視線を向けた紫苑が、不機嫌そうに視線を逸らした。
(一体、何が不満なんだ)
一樹と沙羅が一緒に居る姿を見る紫苑は、終始不満そうである。
これまでずっと一緒だった半身を取られた事が嫌なのか、それとも姿が瓜二つの沙羅を自身に重ねて複雑な気分に陥るのか。
他の五鬼童も居るので追求を避けた一樹は、動画を再生した。
動画には、幽霊捕鯨船と化したキャッチャーボートの甲板に立つ、船長らしき幽霊捕鯨船員が映っていた。
真っ白な肌の船長は、同様に白い周囲の幽霊捕鯨船員達に叫んだ。
『がはは、大物が掛かったぞ。引き上げろぉ!』
『『『いぇあっ、大漁だああっ』』』
幽霊船員達は悪乗りして面白おかしく盛り上がりながら、銛を巻き上げていく。すると子竜の霊が海上に浮かび上がってきて、苦しそうに甲高い悲鳴を上げた。
「直ちに止めなさい。君達のせいで母竜が怒り、周辺海域の民間船が何隻も襲われている」
幽霊捕鯨船の甲板に飛ばされたドローンから、海上保安庁の警告が発せられる。
すると幽霊捕鯨船長は、居丈高に答えた。
『何を言っている、儂等が捕まえたのは、クジラじゃあ!』
「君達は間違えて、海竜の子供に銛を撃ち込み、沈没させられたのだ。もう無駄な事は止めなさい」
海上保安庁から諭された幽霊船長は、腕を上下に振って地団駄を踏んだ。
『いやじゃああっ。あれは、クジラじゃあぁっ。それ引き上げろ』
『『『いぇあっ、大漁だああっ』』』
悪霊化した幽霊捕鯨船員達には、話が全く通じていなかった。
そんな幽霊捕鯨船の傍では、同じく幽霊と化した幽霊巡視船が、何処かに向かって、70口径40ミリ機関砲を撃っていた。
「映像にあるとおり、島国の日本は、海上輸送の危機に陥っている」
悪霊達の陽気な様子に、一樹はこめかみを押さえながら、溜息を吐いた。