37話 究極の契約
晴也の式神を探す2日目。
ホテルを出た一樹はタクシーを呼び、晴也とキヨを連れて、同じ田辺市中辺路町真砂に流れる富田川のほとりまでやって来た。
「安珍・清姫伝説の初出は、西暦1040年から1044年に書かれた『法華験記』だ。色んな書物や芸能があるけど、概ね整合できる」
安珍・清姫伝説は、まとめると次のとおりだ。
昔、和歌山県田辺市中辺路町真砂に、荘司(荘園の管理者)の藤原左衛門之尉清重という者が居た。清重は妻に先立たれ、子供の清次と共に暮らしていた。
ある日、清重が散歩していると、黒蛇に飲まれている白蛇を見つけた。
白蛇を哀れに思った清重が助けると、数日後に白蛇の化身である白装束の女が宿乞いをしてきて、そのまま清重と夫婦の契りを結び、妻となった。
やがて白蛇の化身である妻は、清姫を生んだ。
それから13年後の西暦928年の夏頃、岩手県出身の安珍なる僧が、和歌山県で熊野参詣の道中、清重に宿を借りた。
安珍は其形端正な男で、清姫から懸想される。
言い寄られて困った安珍は、熊野参詣後に再び立ち寄ると口約束して、旅立ち、戻って来なかった。
誰彼構わず聞いて探し回った清姫は、安珍を追いかけて見つける。だが清姫の姿を見た安珍は、逃げ出した。
日高川を渡し船で逃げる安珍に対し、清姫は大蛇に変じて追いかける。道成寺に逃げ込んで、鐘の中に匿われた安珍は、清姫に鐘ごと焼き殺された。
やがて2人は蛇に転生して、道成寺の住職に供養を頼んで成仏する。
1359年、鐘の再興を行おうとした道成寺は、清姫の怨霊に妨害された。蛇に変じた怨霊が、鐘を引き摺り下ろし、鐘の中に入り込んだのだ。
寺は鐘を取り付けたが、不穏な音が続いたため、やむなく鐘を打ち捨てた。
1585年、豊臣秀吉が紀州征伐を行った際に家臣が山中で鐘を見つけて、怨念を解くべく、京都市の妙満寺に鐘を納めている。
清姫の墓は、故郷である真砂の富田川のほとりに石塔が建てられた。
石塔の横には、清姫之墓と刻まれた石碑があって、『煩悩の焔も消えて今ここに眠りまします清姫の魂』と書かれている。
「石碑は、怒りが消えたから建てたんじゃなくて、他人が勝手に消えたと決め付けて、安心したかっただけだろうな」
蛇は、恩も執念も深いから……とは口にせず、一樹は墓前まで連れてきたキヨに語り掛けた。
1100年もの昔話だが、自らの墓を眺めた怨霊のキヨは、やがて泰然自若と首肯した。
「あたしが居ますから、そうなりますね」
一樹が想像したとおり、キヨは伝説の清姫であった。
人が隠れた巨大な青銅の鐘に巻き付いて、融解させられる大蛇の清姫は、氷柱女とは比較にならない程に強いだろう。
他にも色々な事が出来そうだが、人間を殺すだけであれば造作もなさそうだ。
清姫の母であった人化する白蛇は、齢千年を超える白蛇の精が、仙術を会得して至る存在だとされる。
白蛇の能力に関しては中国の記録を頼るしかないが、日本では同格の存在として、齢千年を超えて神通力を得た仙狐がある。
神通力を会得した仙狐は、人界にあっては最強の狐だ。
位が1つ下とされ、500年から900年を生きる気狐の1人が、日本陰陽師協会に属しているA級3位。仙狐や白蛇は、それよりも強いかもしれない。
それでは白蛇の半妖で、仙術を会得していないキヨは、どの程度だろうか。
修行していないにしても、怨霊として齢千歳を過ぎたキヨは、力がA級に達するか、準じるかはしているだろう。
(狐よりも蛇の方が、戦闘型の生き物だからな。A級の強さは、有りそうだ)
一樹はキヨの力について、まともな修行は行っていないが、怨霊として1100年も存在した点を考慮して、A級だと見積もった。
キヨに対しては、B級上位の牛鬼を前面に押し立てたところで、勝利できるとは限らない。
D級の晴也が有する呪力程度では、式神として維持できる存在ではなかった。
「結婚すると嘘を吐いた安珍は、悪い男だとして……」
キヨが怒って暴発しないように、一樹は逃げた安珍が悪い男と断言しつつ、対策を考えた。
手持ちで最大の戦闘力を有するのがB級上位の牛鬼である一樹は、より強い力を持つキヨと争えば負ける可能性が少なからずある。
敗北は死とイコールであり、力での排除は試みられない。
A級陰陽師を複数呼べば排除できるかもしれないが、下手な動きをすれば知能が低くないキヨは気付くし、A級を呼び集める前に晴也が衰弱死する。
だがキヨは、人との対話が可能な白蛇の半妖だ。
一樹は自身がリスクを負わず、晴也も焼き殺されず、衰弱死もしない方法について思い付き、キヨに交渉を試みた。
「晴也はキヨさんを捨てず、大切にすると約束した。その約束を守れば、晴也を害さないという事で良いですか」
「それは勿論です」
キヨは当然だとばかりに、力強く主張した。
それならば、交渉が成立する余地も有る。
陰陽師の一樹は、怨霊であるキヨとの妥協点を模索した。
「晴也は式神じゃなくて、可愛い彼女が欲しかったんだろう。本音では、彼女ではなく、結婚したいと思っていた。この際、使役する式神契約は諦めて、別の契約、キヨさんと夫婦の契りを結んだらどうだ」
「……何だと!?」
疲労して虚ろだった晴也が、驚きの声を上げて反応した。
あまりにストレートすぎる物言いだっただろうか。
だが晴也はそれを望んでいたし、逸話通りならばキヨも同様に望んでいる。それが最善だと確信した一樹は、勢い良く晴也に畳み掛けた。
「キヨさんは、霊として自立してきた。だから使役ではなく、これまで通り霊として存在してもらう。そして晴也に取り憑き、気の吸収を最低限に抑えて貰えば、陰陽師の呪力を持つ晴也なら衰弱しない」
晴也が浮気せず、大切に扱えば、その分だけ任意の協力を得られる。
式神として使役するのではなく、背後霊のように勝手に取り憑いて、勝手に協力する存在とするわけだ。
「使役ではなくて、夫婦間での任意の協力だな」
晴也が衰弱死せず、キヨも納得するには、それしかない。
夫婦と聞いて大人しくなったキヨに対しても、一樹は畳み掛けた。
「キヨさんも式神に成りたいのではなく、捨てられず、大切にされたいのだろう。晴也は式神契約してくれと言ったが、式神化する約束は果たしたし、ずっと式神契約を続けるとも言っていない。次の段階が、夫婦になるわけだ」
約束は破っていないと念を押した一樹は、現状のままでは拙い事、他の道がより良い事を補足する。
「式神契約だと、晴也は呪力が足りなくて衰弱死するが、夫婦であれば約束を守って添い遂げられる。キヨさん、妻として、不甲斐ない夫の晴也を許してやってくれないか」
晴也を死なせないためには、キヨに売り飛ばすしかない。
医者が壊死した部位を切除して患者を救うように、一樹は陰陽師として、取り憑かれた晴也を救うための判断を下した。
「晴也、お前は衰弱していて、このままだと残り数日の命だ。他に助かる方法は無い。お前は独身で、他に彼女も居ない。今がチャンスだ。さあ、キヨさんに結婚を申し込め」
本当に彼女が居ないのかは、一樹も知らない。
夕氷に振られていたので、多分居ないと思っただけである。
一樹は晴也の身体を90度回転させてキヨに向け、困惑して大人しくなっているキヨの方へと軽く押し出した。
そして早く申し込めとばかりに、晴也の背中を軽くバシバシと叩いた。
はたして憔悴している晴也は、やがて必要な言葉を口にした。
「…………俺と結婚して下さい」
「はい、あなたの妻となります」
かくして陰陽師の晴也は、A級の強大な怨霊を結婚という契約で縛った。
結婚が成立したのを確認した一樹は、両手を挙げて無言のままガッツポーズをした。そして直ぐさま、2人に向かって指示を出した。
「結婚おめでとう。晴也、奥さんとの式神契約を解除しろ。奥さんは、旦那さんとの式神契約の解除後、ちょっと弱っているから、優しく取り憑いてやってくれ。いや目出度い、実に目出度い!」
「……ああ」
「分かりました。どうぞ解除して下さい」
晴也とキヨの合意によって、式神契約が解除された。
すると晴也に掛かっていた多大な負担が、瞬時に消え失せる。途端に晴也が蹌踉めいて、その身体をキヨが甲斐甲斐しく支えた。
強引に「めでたしめでたし」で纏めた一樹は、晴也の式神探しには二度と協力しないと、固く心に誓ったのであった。
>晴也は、A級妖怪(可愛い幼妻)を手に入れた
ヽ(*´∀`)ノ 「めでたし、めでたし」


























