34話 回収システム構築
旅館に到着して2日目。
朝食後、旅館の喫茶店でコーヒーを啜り寛ぐ一樹の眼前で、晴也が悔恨した。
「くそっ、俺の呪力が、もっと高ければ」
晴也の呪力が高ければ、一体どうなっていたのか。
夕氷は「母と妹にも気を分けてくれるなら」と条件を出しており、晴也も条件に応じた。
晴也は陰陽師協会を通して、上級陰陽師の一樹を応援に呼んでいる。
そのため夕氷は、晴也の気を取るだけ取って、後は用済みとばかりに破棄など出来ない。
陰陽師を騙す妖怪であれば、一樹も協会に報告した。
すると佐々木家は、今後は協会からの協力を得られなくなる。
協会に所属する陰陽師への新たな依頼の不受理、霊符の供給停止などが行われ、直ぐに首が絞まるだろう。
だから晴也が条件を満たしたならば、夕氷は確実に晴也の要求に応じたのだ。
晴也が残念な男でも、充分な甲斐性があれば、関係は成立していた。
夕氷は晴也と同い年で、北欧系を彷彿とさせる美女だ。
昨日は、まさに千載一遇のチャンスだった。
晴也の保有する呪力的に、惜しかったと言えるほど僅差ではなかったものの、逃した魚の大きさから後悔も一入だろう。
「D級のリザードマンとかなら、式神化出来るんじゃ無いか」
「いらんわアホ!」
リザードマンを隣に座らせる未来について、晴也は力強く拒否した。
式神使いが使役できる式神の数と質は、術式や式神との相性などもあるが、基本的には術者の呪力に左右される。
式神を使役する場合、「俺の呪力を与えるから従え」と契約を求める。
それは人間社会における雇用契約のようなものだろうか。
働かせるか否かはさておき、雇ったなら給料を渡さなければならない。
D級妖怪1体を使役する場合、術者は自身の呪力から、D級1体を十全に動かす分の呪力を人件費として徴収される。
呪力を与えない場合は、術者側の契約違反で従属させる契約は無効となる。
夕氷を使役する呪力負担は晴也にとって重いが、D級のリザードマンであれば晴也も可能だと一樹は考える。
「リザードマンも強そうだし、使い勝手は良さそうだと思うけどな」
「そんな魔物が欲しいのは、小学生までや」
リザードマンに関して、晴也は本当に嫌がっていた。
夕氷と比較すれば、受け入れられるはずも無い。
晴也の悔恨を別の式神で代替するのは諦めて、一樹は沙羅に霊符を作らせるのとは別の解決手段について提案した。
「うちの所員が霊符を作る以外の方法も、考えようか」
「……せやな」
「少し考えたが、旅館の一部、この喫茶店の床とかに陣を敷いて、客から姉妹や女将に向けられる気を回収して補うのは、どうだろうか」
妖怪は、人の気を吸う。
だが殺して喰う以外にも、手で触れるなど接触して送る方法や、陣を使って送る方法もある。
前者は、一樹が倒れた晴也や霊符を作成する沙羅に対して行った。また後者は、晴也が夕氷に対して行った。
一樹が提案したのは、式神契約を試みるのではなく、あくまで向けられる気を、無為に散らせずに回収するやり方だ。
一樹の方法は、体外に出た所有者の無い気を吸うので、罪には問われない。
大気中に存在する空気を使ったところで、罪に問われることは無い。
大気中に放たれた気を集めたところで、やはり同様である。
単に漂う気を集めるのは大変だが、客自身が夕氷に気を向ければ話は別だ。
自ら気を向けるのであれば、量こそ少ないが、一樹が晴也や沙羅に気を送ったのと同じ事をしている。それを術式で補えば、晴也が夕氷に送ったように、相手が受け取れる。
「絨毯の下にでも敷いておけば、外観も損なわないだろう」
「陣は敷けるけど、一般人の呪力やと足りんやろ」
晴也は提案自体を否定しなかったが、根本的な解決には疑義を呈した。
自然発散される気程度では、足りないのでは無いか。そんな晴也の懸念に対して、一樹は気を多く向けさせる方法を口にした。
「例えば、メイド喫茶とかはどうだ。気を向けられるんじゃないか」
「……なんやて?」
動揺した晴也が身動ぎして、ズレた椅子が音を立てる。
すると喫茶店の手伝いをしていた夕氷が、一樹達に近寄ってきた。
「おはようございます」
挨拶してきた夕氷は、目立つ明るい色合いの着物姿だ。
旅館の仲居が着る、落ち着いた色合いの物とは若干異なっており、若女将が特別な物を着ているような印象を受けた。
「おはようございます」
「お、おはよう」
一樹は丁寧語で挨拶を返し、晴也は挙動不審に短く答えた。
「霊符作成の方は、如何でしょうか」
「順調に進んでいます。今は霊符を用いない気の集め方を相談していました」
告白後、盛大に失敗した晴也は、挙動不審になるのも無理からぬ話だ。
応援で呼ばれている身の一樹は、やむなく晴也の代わりに、現在検討している案を説明した。
「……という訳でして、安倍陰陽師が行った陣による気の回収を、威力を大幅に縮小して再現する方法を検討中です。気を向けられ易くするために、メイド服はどうかと話していたところでした」
イギリスなどで家事使用人を指したメイドの服装は、給仕する者の格好としておかしくはない。
給仕される客は、自分が使用人を持てる疑似体験が出来て、非日常の上流階級ごっこを楽しめる。
それに対して店員は、特段おかしくない制服で、普段通りにコーヒーなどを出すだけである。
女性の中には、男性客に変な目で見られるから嫌だという意見も有るだろう。だが夕氷の場合は、自身の命が掛かっている。気が欲しいのだから、気を向けられるのは願ったり叶ったりだ。
老舗旅館という空間において、メイド服は目立って注目を浴び易い。しかも氷柱女という容姿と併せれば、客の視線は釘付けだ。
はたして夕氷は、普通に効果を聞き返した。
「どれくらい効果があるのですか」
「そうですね。人間を1人食べて得られる気に対して、1000分の1しか回収出来ないとしても、1000人に給仕すれば良いわけです。大雑把に考えますと……」
喫茶店で1日1時間の給仕を行い、10人の客から気を向けられるとして、100日で1000人達成となる。
1時間毎に妹や母親と役割を交代したとして、旅館内の喫茶店も3時間くらいは営業するだろう。
1日1時間の労働であれば、継続は難しくない。トータルで総量を満たせば良いわけだから、テスト期間中などは休むことも出来る。
「概算ですが、不足するなら労働時間を増やすなり、下位の霊符を調達して補うなりすれば良いわけです」
「無理ではないかも知れませんが、なぜメイドの発想が出たのですか」
「たまたまテレビで見まして」
一樹が偶然見たテレビ番組では、結婚相談所の特集を行っていた。
そこではカリスマの女性アドバイザーが、相談する女性に対して、「男性と会う時にはスカートを履くように」と指導していた。番組曰く、スカートが揺れ動くと、男性は獲物を狙う動物の狩猟本能を刺激されるらしい。
(心当たりが、あるような、気がしなくも無い)
情報源がバラエティ番組である時点で、演出された部分も否定できない。
だが日本では、スカートは一般的に女性しか履かない。
男性がスカートを履けば、一般男性からは失望と抗議の視線を向けられるし、一般女性からも冷めた目で見られる。警察からは、職務質問されるだろう。
従ってスカートを履いていれば女性だという先入観があり、女性らしさを意識し易いのは紛れもない事実だ。
一樹はメイド喫茶を出した理由として、テレビ番組の解説を挙げた。
「テレビによれば、ズボンよりもスカートの方が、男性の気を惹きやすいそうです」
「それなら学校の制服とか、別の服装でも良いのですか」
学校の制服で給仕する効果は、着物やメイド服よりも高いのか。
おそらく着物よりも効果はあるのだろうが、メイド服よりも効果があるかと問われれば、一樹は懐疑的だと考える。
学生の一樹にとって女子の制服は日常であるし、電車に乗る社会人であれば、同様に見慣れているかも知れない。一方でメイドは、非日常の存在だ。
給仕して貰う体験で、自身が一時的にメイドを雇えるような立場になったと錯覚、あるいは一時的には使用できた感覚を得られて、立場に付随する様々な事を妄想できて、満足感を得られるのではないか。
これは救命の仕事だと考えながら、一樹は最適解を模索した。
「メイド服の方が非日常で、関心を向けられ易いかも知れません。関心を向けられ易い曜日や、時間帯もあるでしょうが、そこは私には分かりませんので、ご判断下さい」
「……ぐぬぬ」
隣で聞いていた晴也が、思わず呻き声を上げた。
だが夕氷が気を得る必要性は理解しており、否定はしなかった。
告白してくるほど気のある陰陽師の晴也が、渋々と納得する姿を見た夕氷は、一樹の提案には相応の必然性があるのだと認識した。
「私は構いませんし、氷菜も気にしないと思いますが、母にはメイド服を着て欲しくないです」
「それでは女将さんは、夜に旅館のバーで、普段の着物姿で手伝うとか。陣は複数の場所に設置できますので」
「それでしたら、家族と相談してみます」
陣の作成ポイントは、放出されて、身体から離れた気だけを回収する事だ。
実際に式神を使っている賀茂家と安倍家が協力して作るのだから、それほど難しくはない。
将来トラブルが発生しないように、統括陰陽師の春日家に確認を取ってから運用を始めれば良い。一樹の事務所には従姉妹の沙羅が居るため、連絡は非常に付け易い。
その後、旅館の床に敷かれた絨毯の下に、気を回収する陣が作られた。
そして沙羅の作った霊符の納品と合わせて、氷柱女の救命依頼は、達成となったのであった。
























