03話 牛鬼と山姥 中編
小鳥達の囀りが高らかに響き渡り、川のせせらぎが、微かに聞こえる。
山と主張するには、小ぢんまりとした、私有地の小山。
そんな小山に林立する杉林を分け入って、時にはナタで藪を打ち払いながら、一樹達は奥へと進んでいった。
見渡す限り広がる杉林は、かつて日本の電柱が木製だった時代に『お上のお達し』で大規模に植えられた、田舎にはよくある杉山の1つだ。
細長い杖を持ちながら、しっかりとした足取りで進む老婆は、自らが所有する山の由来を語り始めた。
「昔の電柱は、コールタールを塗った杉が主流だったんだよ。あんたは、知っているかい?」
「そうだったのですか、私は木製の電柱は、見た事がありません」
依頼人に丁寧な口調で答えながら、白髪の老婆は何歳なのだろうか、と、一樹は女性に対して失礼な疑問を抱いた。
「当時の日本は、電柱が杉だったんだよ。それで国中に電柱を立てて交換するためには、杉が沢山必要だって言われて、杉山を増やしたのさ」
それだけが、理由の全てだとは限らないだろう。
だが当事者ないし子孫の証言がある以上、杉林を増やした理由の1つであるには違いない。
杉を電柱用の長さに育てるためには、数十年の歳月が必要だ。
杉の電柱としての耐用年数は15年であるため、日本中の電柱を取り替え続けるためには、杉を育てる期間を計算に入れて、電柱の倍以上の杉が必要となる。
電柱が杉だった時代であれば、杉の需要を見込んで増やすのは、むしろ自然な流れだ。
「だけど、コンクリート製の電柱が登場して、杉は不要になったのさ。植えさせておいて、買い取れませんと来たものさ。全く、迷惑な話さね」
「それは大変ですね」
それは確かに困るだろう、と、一樹も理解を示した。
コンクリート製の電柱は、耐用年数が40年以上もあり、杉よりも管理が楽だ。何しろ育てなくて良いし、街中でも作れる。
すると国中の電柱がコンクリート製に変わって、杉は不要となる。
需要と供給が逆転して、不要となった杉が、日本中に溢れかえる。
古代から日本中に杉が溢れ返っていたのであれば、環境適応しているはずの日本人が、これほどスギ花粉で苦しむはずも無い。
国策で大規模に増やして、手に負えなくなったのが、現在の大量にある杉林なのだろうかと一樹は考えた。
土地は、所有するだけでも税金が掛かる。
かといって土地を活用するために杉を売ろうにも、誰も要らないので、ろくに売れず、伐採するだけでも大赤字だ。
そのような土地は、負債と不動産を掛け合わせて、負動産とも呼ばれる。そうした話を聞きながら歩くうちに、一樹達は牛鬼の下へと辿り着いた。
(やはり、ツバキの神霊だな)
山の片隅で、静かに咲く赤いツバキの花。
そのツバキから、一樹は自身にも宿る神気を感じ取れた。
気を感じ取る力に関して、一樹は他の追随を許さないと自負する。
何しろ大焦熱地獄で、無限に続くかと思われるほどの長きに渡り、膨大な陰気の存在に触れてきたのだ。
(こいつ自身に穢れは無い。暴れ回る凶暴な奴ではない)
一樹自身の経験を信じるか、初対面の老婆の主張を信じるか。
答えは、言わずもがなであった。
「父さん、俺が調伏してみる。凄く力の強い牛鬼で、勝てるとは限らないけれど、無理をしてでも倒さないと、依頼人さんが危ないからね。父さんには、式神の鳩を2羽付けるよ。最悪の場合、足止めにはなると思う。気を付けて」
一樹は、危険な相手に無理をする性格では無い。
現場でイレギュラーは発生するが、戦う前に勝てないかも知れないと分かっているならば、素直にそう言って一度逃げる。そして万全の準備を整えてから、再挑戦すれば良いと考える。
また一樹が生み出した式神の鳩は、足止め程度の存在でも無い。
あからさまに、おかしな事を言う一樹の意図を酌み取った和則は、しばしの間を置いて答えた。
「うむ、分かった」
和則と頷きあった一樹は、次いで依頼人に呼び掛けた。
「相川さんは、危ないので少し離れていて下さい。牛鬼を倒してみます」
「そうかい。それじゃあ頼むよ」
老婆と孫娘を下がらせた一樹は、陣を作成して準備を整えた。
但し作ったのは、調伏ではなく、式神として使役するための陣だ。
式神の使役には、大別して3種類がある。
1つ目、鬼神・神霊を、呪力と術で使役する陰陽道系。
2つ目、異界より喚び出す護法神。(神社の稲荷、寺の金剛力士等)
3つ目、紙や木片に、自分や誰かの呪力を籠める道教呪術系。
鳩の式神は3つ目で、今回牛鬼に使うのは1つ目だ。
1つ目や2つ目の式神を使役するには、術者が式神に、自らの呪力を与え続けなければならない。また式神が戦闘で力を消費すれば、その補充も行わなければならない。
そのため呪力の低い術者は、式神に力を与えるだけで、自らの呪力の大半を失ってしまう。すると式神の維持と運用に掛かりきりとなり、式神を扱う以外の活動はまともに出来ない。
そんなデメリットがあるために、式神契約は好まれない。
そのため式神使いではない陰陽師は、3つ目である使い捨ての式神を多用している。
だが一樹は、強大な牛鬼であろうとも、使役するには充分な呪力を持っている。
「それでは調伏します」
正しくは、調伏では無く、使役である。
一樹は印を結び、老婆には聞こえないように、小声で呪を唱えた。
『臨兵闘者皆陣列前行。天地間在りて、万物陰陽を形成す。我は陰陽の理に則り、霊たる汝を陰陽の陰と為し、生者たる我が気を対の陽とする契約を結ばん。然らば汝、この理に従いて我が式神と成り、顕現して我に力を貸せ。急急如律令』
一樹が唱えながら陣に気を注ぎ込んでいくと、やがてツバキの根がある中心付近に霊力の渦が発生し、恐ろしくも厳格な顔付きの巨大な牛鬼の顔が現れた。
「おおっ、なんと強大な!?」
おののいた和則が見上げる牛鬼は、二階の屋根に届きそうな巨躯だった。
牛鬼の姿形は、「名は体を表す」の言葉通りに『牛の頭に鬼の身体』であり、凄まじく筋肉質だ。
ゴリラやチンパンジーの筋肉の質が、人間とは異なるように、鬼の筋肉も人間とは異なるのだろう。単なるマッチョな人間では有り得ない筋肉だった。
全身はツバキのように赤色で、腰蓑を巻き付けており、右手には巨大な棍棒を掴んでいる。
『民家ほどの大きさのゴリラが、巨大な棍棒を掴んで見下ろしている』
それに等しい光景であり、和則は思わず後退った。
これほど強大な牛鬼であれば、アフリカ象を倒すどころでは無く、ティラノサウルスにも勝ち得るかも知れない。
ベテラン陰陽師の和則を怖じ気づかせた牛鬼は、流し込まれる陽気が契約に見合った時点で、一樹の影に飛び込んでいった。
刹那、呪力を流し込む対象を見失った陣が、強烈な突風と共に霧散した。
「きゃっ」
突風に煽られた蒼依が悲鳴を上げて蹌踉めき、思わず座り込んだ。
それから僅かな沈黙が流れた後、小鳥の囀りと小川の潺が戻った。
突風が吹き荒れた周囲からは、ツバキの花が消えている。一樹は依頼人の老婆に視線を合わせながら、報告を口にした。
「私の気と、我が家に伝わる秘術を以て、なんとか封印しました。私の気は尽きましたが、後日、牛鬼の記憶を見て、なぜ暴れていたのかを確認します」
「そんな事が出来るのかい?」
驚く老婆に向かって、嘘吐きの一樹は、力強く頷いてみせた。
「数日ほど気を溜めれば、確認出来ます。念のためですが、2体目は居ないですよね。私は、既に気が尽きて、父もC級陰陽師です。2体目が出ると……勝てません」
不安げな表情を垣間見せながら一樹が訴えると、老婆は口元を小さく歪ませながら答えた。
「そうかい。だけど安心して良いよ。牛鬼は、もう出ないからねぇ」
「それは良かったです。実は、もう歩くのも限界で」
そう言った一樹は、覚束無い足取りで老婆に背を向け、和則の方を向いた。
「父さん、封印がおわ……」
一樹が発した言葉は、鈍い衝撃音が鳴り響いて掻き消された。
咄嗟に飛び退いた一樹が振り返ると、老婆が持つ巨大な包丁が、一樹の影から現れた牛鬼の棍棒と打ち合い、激しい火花を散らせていた。