283話 地下の都
巨大なクジャクの翼が広がり、一樹と香苗の身体を宙に浮かせる。
香苗を抱き抱えた一樹は、自分達を助けた式神を褒めた。
「千幸、よくやった」
「恐縮です」
最初に随分と脅したからか、千幸の声色には若干の怯えが混ざっている。
そのおかげか従順で、飛翔しながら、ゆるやかに降下していく。
一樹達の真下には、目を疑う光景が広がっていた。
そこは、打出小槌町の全域にも匹敵する、広大な地下空間だった。
「本当に在りましたね」
淡い燐光のような光が、地下の各所に浮かんでいた。
光を発生させているのは数多の灯籠で、炎の明かりではなく、灯籠自体が光っている。
それらに照らされたのは、平安時代の町だった。
まず目を引くのは、空間の中央部を占める、巨大な建築物だった。
平安時代、貴族の中でも最高位の家格を誇った藤原氏が暮らしていたような、寝殿造と呼ばれる様式の邸宅である。
「あれは火行の世界で、見たことがある」
「そういえば、急報を届ける飛駅使にもなっていましたね」
豪勢な母屋からは、長い廊下が東西南北に伸びている。
それぞれの先には、対屋と呼ばれる副建物が配置されていた。
建物同士は、渡殿という屋根付きの回廊で結ばれ、全体が一つの巨大な複合建築を成している。その規模は、一万平方メートルを優に超えるだろう。
しかも寝殿造の建築群は、通常は木材と白壁で作られるが、ここにあるものは違っていた。
柱は漆黒の黒檀で、その表面には金粉で複雑な文様が描かれている。
壁は純白の大理石らしく、月光のように白く輝いている。
屋根を葺く檜皮は、本来であれば茶色なのだが、真下の建物は金色だった。
おそらく本物の金だ。
「アホか」
あまりにも成金趣味な光景に、一樹はツッコミを入れずには居られなかった。
小槌から物を出すためには、神力や地脈などからの充填が必要なはずだ。
時間を掛けて溜めた力で出したであろう物が、目の前の光景である。
見栄のほかに、優先するものは何も無かったかと、一樹は呆れた。
「金閣寺でも参考にしたのでしょうか」
「こっちが先なんじゃないか。しかし、酷いな」
打ち出の小槌で何でも出せたからこそ実現した、途方もない贅沢であろう。
建物の前には、池もあった。
平安貴族の邸宅には必ず設けられた、寝殿造に欠かせない庭園の池だ。
持ち主が死んだ今は知らないが、かつては鯉なども、泳がせていたのではないだろうか。
池の周囲には、庭園が広がっている。
築山と呼ばれる人工の小山があり、その上には松や桜が植えられていた。
植物は豊かなようで、酸素という言葉が脳裏を過ぎった一樹は、安堵を覚えた。
さらに地下水が湧き出て、大阪湾にでも流れ出ているのだろうか。川も流れている。
「あなた、良いことを思い付きました」
一樹に抱き抱えられた香苗が、軽く一樹の胸元を引っ張る。
「何だ?」
「小槌を手に入れたら、鹿野に入って、立派な家を建てて、庭の神に作物を作らせて、のんびりと暮らしましょう。とりあえず50年ほど」
「真顔で言うな」
「本気ですから」
「陰陽師として働く意欲が無くなるから、却下だ」
一樹にとって最大の目的は、自身の魂にこびり付いた穢れを祓うことだ。
獅子鬼の調伏で半分ほどは浄化できたが、未だに道半ばである。
毅然と拒否すると、観察を再開した。
主邸の周囲には、いくつもの別邸が点在していた。
それぞれが数千平方メートルの規模を持つ、寝殿造を簡略化したような建物である。
来客を迎える客殿、女房達が暮らす対屋、書物を保管する文庫、楽器や調度品を収める蔵など。それらは、すべて贅を尽くした素材で作られていた。
「ここを作った長者は、誰か呼んだのかな」
居住区の周辺には、使用人達が暮らす区画が見えた。
板葺き屋根の建物が並ぶが、柱や梁は上質で、火行の世界とは比べ物にならない造りだった。
そして空間の一角には、広場があった。
板敷きの大きな舞台が設けられ、その周囲を低い塀が囲んでいる。
そこは、明らかに宴会をするための場所だ。
舞台には、笙、篳篥、琵琶、琴といった雅楽の楽器が置かれている。
それらは遠目にも豪華に見えた。
「確か伝承では、『静かな夜中に地面に耳を付けると、地下の遠くからは、宴会の音が聞こえた』そうですね」
「こんな空間に、呼べる人間が居たのか。屋根の金なんて、剥いで持って行かれるぞ」
少なくとも今は、人の姿が見当たらない。
だが一樹達が降下していくに連れて、鬼達の霊が浮かび上がってきた。
姿を現した鬼達は、まるで住人のように、地下の町を闊歩している。
「あれが原因で、打ち出の小槌を回収できなかったのかな」
「長者が町の護衛として、小槌を使って使役していたのでしょうか?」
「そうかもしれないし、後から入り込んだのかもしれない。鬼は、どこにでも居るからな」
鬼達の数は、ざっと見て百体ほど。
町の規模を考えれば、千体ほど居てもおかしくはない。
呪力は、中鬼ほどだろうか。
「A級が複数居れば、突破できそうですが?」
「一寸法師を大きくした小槌なら、鬼を大きくしたり、逆に侵入者を小さくしたりもできそうだ」
一寸は、およそ3センチメートル。
一寸法師が、仮に身長150センチメートルになれば、身長は50倍になる。
だが腕力などは、二乗三乗の法則(平方・立方則)で、2500倍になる。
巨大化すれば強くなるし、逆に小さくされると弱くなるわけだ。
術も同様だと考えれば、中鬼は鬼神並になって、逆にA級陰陽師は中鬼並に落ちる。
「それは厄介ですね。あなた、絵馬を出して下さい」
「どうする気だ」
「持ち手にヒモを結んだハンドベルを出して、私達や式神の腰に下げます。そうすれば鐘の音で、打ち出の小槌の効果を打ち消せます」
「分かった。頼む」
一樹が絵馬を出すと、香苗がハンドベルを思い描いて、取り出した。
着地すると、周囲の鬼達が注目する中、一樹は呪力を籠めて式神を喚んだ。
『信君殿、牛太郎、水仙、神転、神斬、神治』
一樹の周囲に、槐の邪神、牛鬼、絡新婦、鎌鼬三柱が次々と現れた。
信君と水仙は自ら受け取り、牛太郎の腰には香苗がハンドベルを結び付ける。
そして一樹は、神治に薬壺ではなく、ハンドベルを持たせた。
「今日は薬を塗るんじゃなくて、鐘を鳴らし回ってくれ」
「キュイィ」
神治は眉間に皺を寄せて、不満そうな表情で一樹を見返した。
神治という名で括ったのは、一体誰だという不満であろう。
地下の鬼達が迫る中、一樹は慌てて言い訳を並べ立てる。
「よく考えてみろ。やらかす兄達の後始末をしなくて良いんだぞ」
「キュイッ!?」
それは盲点だったと言わんばかりに、神治の目は大きく見開いた。
「キュイキュイッ!」
「キッキッキ!」
兄神と弟神は、不本意の極みといった表情で、抗議の鳴き声を上げた。
一樹は聞こえない振りをしながら、妹神の手に小さなハンドベルを握らせる。
「よし、ここの鬼達を殲滅しろ」
鎌鼬の兄弟が鳴き続ける中、最初に信君が動いた。
風神雷神の力が宿った鳴神兼定が、抜き放たれる。
黒檀の床を踏み抜くと同時に、信君は稲妻を放つ暴風と化して、前方へと駆け出した。
『鳴神』
伸びた雷光が、鬼の群れを、家屋ごと薙ぎ払う。
金の屋根と黒檀の柱が、空中で粉砕されながら吹き飛んだ。
激しい嵐の中で、鬼達の霊体は引き裂かれ、霧と化して消えていく。
暴風が町を蹂躙する横では、地響きを立てて別の災厄が走り出した。
「ウモオオオオオッ!」
八メートルの巨体が、全力で地面を蹴り、怒り狂った水牛のように突進する。
行く手に立ちはだかった邸宅が、A級妖怪の体当たりで吹き飛ばされた。
豪勢な邸宅が宙を舞い、粉砕された瓦礫、柱、屋根が、鬼達と後方の家屋に叩き付けられる。
B級の大鬼がティラノサウルス並であるならば、A級は一体何に匹敵するのか。
映画の怪獣のような天災が荒れ狂い、逃げ惑う鬼達を踏み潰し、蹴散らしていった。
「派手だねぇ」
少し遅れて水仙が、建物の屋根に跳び上がった。
そこから妖毒が塗られた妖糸を撒き散らして、一樹に迫る鬼の霊を狩っていく。
糸に触れた鬼達は、毒を受け、霊体が耐えられずに崩れていった。
「ギイイイッ!」
「あー、逃げちゃ駄目だよ」
水仙に背を向けた鬼の身体に、妖糸が巻き付く。
そのまま逃げようとした鬼の身体は、鋭い妖糸で切断された。
そのすぐ脇を、見えない刃の奔流が駆け抜ける。
神転、神斬、神治の3体は、突風のように大通りを一直線に疾走していた。
大通りに居た鬼達が纏めて倒れ、首や身体が切り裂かれていく。
その後ろから、神治が鳴らす鐘の音が響いた。
すると金の屋根が輪郭を失い、白壁は薄く透け、雪が溶けるように消えていった。
「灯籠の灯りまで消えるのは、困りますね」
鐘の音が響く戦場を眺めながら、香苗が一歩前に出る。
一樹しか居ないからか、三尾を出している。
右手には、火行護法神が神勅で作刀した、小狐丸。
纏う呪力には、同じく火行護法神から継承した、二神の御利益が宿っている。
「灯りを足しましょう」
香苗が小狐丸を振り上げると、狐火が次々と生まれ、上空へと昇っていった。
火球が無数に浮かび、地下の天井一面を埋め尽くす光景は、まるで夜空の星のようだった。
そして香苗が、静かに小狐丸を振り下ろす。
すると狐火が、一斉に落下を始めた。
「おいおい」
豪雨となった無数の狐火が、町と鬼の群れに降り注いだ。
着弾と同時に爆ぜ、炎を撒き散らしながら、鬼と家屋を焼き払っていく。
しかも狐火は、逃げ惑う鬼達を正確に追い回した。
「あれは、意志を持たせて、追わせているのか」
「良房様の大名行列に比べれば、ずっと単純ですよ」
それは二大宗家で木行に特化した一樹が、鳩の式神を大量に飛ばすのにも匹敵する攻撃だった。
しかも香苗は、式神契約を交わしている一樹から呪力を引き出していない。
「呪力は足りているのか?」
「あまり呪力を籠めなくても良いと、良房様が仰っておられましたので」
香苗が携える小狐丸は、火行の力を帯びて、刀身が赤く輝いている。
宿る御利益は、製鉄と鍛冶の神である天目一箇神と、狐を神使とする稲荷神。
それなら狐火を放っても、呪力の消費は極小で済むだろう。
一樹の背後では、これらの式神達を使役する主に対して、千幸が本気で引いていた。
「……これで脅威は、消えたな」
爆音と熱風が収まった時、そこにあった地下の都は、跡形もなくなっていた。
残ったのは、燃え続ける瓦礫の山だけであった。




























