29話 賀茂一樹陰陽師事務所
夏に大金を稼いだ一樹は、陰陽師としての活動を休止した。
中学3年生の2学期に入り、受験が差し迫ってきたためである。
『式神使いが式神を使うのは、自身が持つ力の内だ』
その様に一樹が考えたのは、式神化した絡新婦の霊体である水仙の学力が、想像以上に高かったからだ。
水仙に学力テストを受けさせたところ、全教科の平均が99点を超えた。
『英語98点、数学100点、国語98点、理科100点、社会100点』
普段の平均点から掛け離れた一樹は、もちろんカンニングを疑われた。
だが一樹だけが個別に受けさせられた再テストで、やはり同等の点数を取った結果、無罪放免となっている。
死んで霊体化している水仙は、呪力を用いて顕現しなければ姿が現れない。
教師には見えない水仙を使役する一樹は、自身の成績が水仙の学力と連動するようになった。
日本の法律では、式神が何らかの損害を出せば、術者が賠償責任を負う。
式神使いが式神を使う場合、式神が起こす事象の全てが、式神使いの力とみなされる。故に式神の水仙に試験問題を解かせても、式神使いである一樹の力で解いた事になる。
一樹は強引に、水仙に試験問題を解かせるのは自分の力とした。
なぜ絡新婦の知能は、人間よりも高いのか。
それは愚かな絡新婦が、自然淘汰されてきたからだと考えられる。
人化して人間社会に紛れ込み、捕食と繁殖を続けてきた絡新婦達は、人より賢くなければ発見されて、殺されてきた。
人が見分けられないほど優れた人化の術と、人間社会に溶け込む知能を持った個体のみが子孫を残してきた結果として、絡新婦は人間よりも賢くなったのだ。
優れた血統と知能を持つ水仙は、かつて自称したとおり成績が良かった。一樹が教科書や問題集を渡して勉強させたところ、学力はさらに向上した。
そして式神の水仙を引き連れた一樹は、花咲高校の受験に臨んだ。
『問10の答えは、3番だよ』
霊体の水仙が問題を解いて、呪力の繋がる一樹に答えを教えた。
マークシート式の答案用紙が丁寧に埋められる間、さらに次の問題を解いた水仙が、新たな解答を告げる。
『問11の答えは、2番』
自身の学力で受験した方が、その後の高校生活は楽だろう。
だが成績の良い蒼依は、式神であるが故に、一樹と同じ高校に進学する。蒼依に不利益を与えないために、一樹は水仙を用いる決断を下したのだ。
受験した花咲学園高等学校は、「枯れ木に花を咲かせましょう」で有名な『花咲か爺さん』の子孫である旧花咲財閥の経営者が、社会貢献目的で建てた学校だ。
花咲家は代々の犬神使いで、現当主はA級陰陽師でもある。
豊富な資金力で作られた花咲学園には、大学もある。高校と大学が同じ敷地内に併設されており、施設や活動の一部は共有される。
大学の施設を使えるため、高校生に与えられる教育環境は、国内最高峰。
花咲大学への内部進学も可能であるため、近隣の偏差値が高い中学生には、私立の花咲高校と公立高校とを併願して、受かれば花咲高校に入学する者も多い。
『問12の答えは、1番』
水仙の伝達は、同じく式神で、一樹と呪力で繋がる蒼依にも届いている。
花咲高校は、成績順でクラスが分かれてしまう。そのため蒼依と同じクラスになるべく、一樹は成績を揃えようと考えた。
一樹は『式神使いが式神を使うのは、自身が持つ力の内だ』と開き直った。
そして式神の水仙に問題を解かせて、同じく式神の蒼依にも伝えさせて、高校受験を乗り切った。
「一樹さん、蒼依さん、合格おめでとうございます」
2月中旬、ウェブサイトで合格発表があり、一樹と蒼依は花咲高校に受かった。
第一志望であったため、公立高校の出願は行わずに高校受験は終了となる。卒業式以外では中学校に行かなくて良いため、一樹は一足早い春休みに突入した。
そしてTwitterで高校合格と、陰陽師の活動再開を載せて、賀茂一樹陰陽師事務所の立ち上げも報告したところ、翌日には沙羅が来た。
蒼依の家は、1階部分を一樹が事務所として借り受けている。
蒼依の家は二世帯住宅で、2階には蒼依と両親が住み、1階には蒼依の両親を殺した祖母の山姥が住んでいた。
1階は嫌いだが、2階には両親との思い出があるため、家は捨てられない。
そのため祖母から解放してくれて、人間としての道も示してくれた一樹が1階を塗り替えてくれるのであれば、蒼依にとっては歓迎する話だった。
蒼依は一樹に対して、1階は自由に変えて欲しいと伝えた。そして蒼依の心情に鑑みた一樹も、施工業者に依頼して、敢えて大きく改装した。
そんな事務所の応接間に沙羅を通したところ、蒼依に菓子折を渡した沙羅は、花咲高校の受験番号を見せて報告した。
「私も花咲高校の進学コースに受かりましたので、高校からはご一緒できます。事務所をお手伝いしますので、よろしくお願いします」
椅子から立ち上がった沙羅は、一樹と蒼依に向かって深くお辞儀をした。
沙羅に受験先や受験番号を伝えたのは、一樹自身だ。
高校に入ったら自分の事務所を開所して、沙羅に手伝って貰うと告げたため、予定は伝えたのだ。すると当然のように沙羅も、花咲高校を受験した。
事務所に人を雇う事について、蒼依は特に反対していない。
沙羅は国家資格を持つ陰陽師で、知識もコネもある。天狗の翼で空も飛べる。いざという時、一樹を抱えて飛んで逃げられる可能性があるのだ。
一樹が女性を雇う事に、蒼依は嫉妬が皆無なわけではない。
だが危険な仕事をする一樹は、沙羅が居なくて命を落とす可能性もある。そんな事になれば生きていられないため、蒼依は沙羅を受け入れた。
「こちらこそ、よろしく頼む。成績順でクラスが分かれるそうだが、沙羅なら、水仙を使った俺と同じクラスになりそうだな」
1300年以上も続く陰陽大家の五鬼童家は、少なからぬ資産を持つ。
B級陰陽師に対するC級妖怪の調伏は、相場が1億円にもなる。
先だっては失敗したが、普段の五鬼童は分家でも億単位を楽に稼げるため、教科ごとの家庭教師を雇うのは造作もない話だ。
花咲高校は田舎で、他の都道府県から高成績者が押し寄せるわけでも無い。沙羅にとって花咲高校の受験は、難関では無かったのだ。
高校で同じクラスになる光景を想像した沙羅は、はにかんだ。
「それで蒼依さんにご相談なのですが、家賃をお支払いしますので、一樹さんが事務所として使う1階の客室の1つに、所員の私を住み込みさせて頂けませんでしょうか」
「どうして、そうなるのですか?」
沙羅に請われた蒼依は固まり、間を置いて質した。
両親を殺した山姥の住処であった1階は、一樹の事務所として、本当に好きにしてくれて良いと考えていた。
一樹が1階で蕎麦屋を始めるのであれば、蒼依は苦笑しながらも、従業員として接客を手伝うだろう。
だが沙羅が住み込みをする話には、蒼依は頷けなかった。
「恩義を返すために、なるべくお側に居たいと思いまして」
「……主様は、五鬼童全体を助けたのですよね。五鬼童家全体で、依頼料を支払えば良いのではありませんか」
家主の蒼依は許可を出さず、五鬼童で支払う対案を提示した。
それに対して沙羅は、勿論引き下がらない。
「依頼人は私個人でしたから、五鬼童家は関係ありません。近くに賃貸マンションでもあれば良いのですが、山と民家ばかりで……事務所に住み込みをさせて頂けたら助かります」
沙羅が主張するとおり、追加依頼を行ったのは沙羅個人で間違いない。
他の五鬼童家や春日家とは契約を結んでおらず、一樹が報酬を要求する権利は無い。契約していないのに料金を取るのは、おかしな話だ。
もちろん沙羅が要求すれば、五鬼童と春日は直ぐに報酬を払うだろう。
援護が無くとも逃げられた義一郎は別として、東側を攻めた沙羅を除く7名は、沙羅の追加依頼で命を救われている。
そんな沙羅であればこそ、一族に対して無理を押し通せる。
沙羅が五鬼童の陰陽師でありながら、一樹のところへ来られた由縁だ。
頷かない蒼依に対して、沙羅は思い切った提案を行った。
「住み込みで恩義を返せないのでしたら、不足分は別の返し方にしましょうか」
「別の返し方って、何ですか」
条件付きで引いて見せた沙羅に対して、蒼依は訝しみながら尋ねた。
「一樹さんは、『俺は身に余る大金は求めていない。それよりも、同学年の可愛い女の子が恩を返してくれる事に期待している。ぜひ払ってくれ』と仰られました。私は、そちらでも大丈夫ですよ」
沙羅が上目遣いで微笑み、襟元に右手を添える。
すると蒼依は椅子から立ち上がり、山姥を彷彿とさせる般若の笑顔で答えた。
「人助けで励ますために、所員として誘ったって聞きました。沙羅さんは、1階の客室にどうぞ。事務所で沢山働いて、恩を返して下さい。わたしと主様は、二人で2階に住みます。2階は立ち入り禁止ですっ!」
「はい、ありがとうございます」
上下関係は、水仙の時とは異なり、明確には定まらなかった。
蒼依に笑み返した沙羅の足元で、猫太郎が大きなあくびをする。
かくして賀茂一樹陰陽師事務所は、従業員2名と共に始動したのであった。
今話にて、第1巻(約11万字分)が終了しました。
第2巻は、明日からの投稿となります。
引き続き、お楽しみ頂けましたら幸いです。
























