274話 ケソラプ
沙羅の天狗火と霊毒を受けたケソラプは、田んぼに不時着した。
墜落現場に移動した一樹は、そこで人の背丈ほどの胴体を持ち、その数倍ほど大きいクジャクのような翼を持つ妖怪を目の当たりにした。
「トドメは刺せたか?」
「この霊体が本体でしたら、そうなりますけど」
迂遠に否定した沙羅の見解は、一樹や水仙と同様だった。
「伝承のケソラプは、毒矢では倒せず、死なない身体だったな。ツバキの根に宿っていた牛太郎みたいに、依代があるのか、それとも犬神のような分霊かな」
「ケソラプには、祀られる神社がありません。大人数からの信仰も受けていないと思いますから、それで復活はしないと思います」
「それならエゾマツなどに宿る神霊のほうが、有り得るか」
ケソラプに霊毒が回るのを見守りながら、一樹は頭を悩ませた。
本体を調伏していないが、これは事務所で受けた仕事ではない。
クラスメイトが妖怪に攫われたので、救出に協力しただけだ。北村は鎌鼬が確保しており、目的は果たしている。
ヒグマがクラスメイトを攫ったので、ヒグマを追い払って助けたようなものだ。
警察と、陰陽師協会の北海道支部も状況は把握している。
次の誰かが襲われたところで、それは一樹の責任ではない。
「俺に責任は無いけど、賀茂陰陽師が倒せなかったケソラプが、また人を攫ったと言われるのは、不本意だな。渡辺陰陽師から聞いた話を再現するか」
「どのように再現するのですか?」
「ケソラプは枕元に立つらしいから、近場に宿を取る。沙羅は、鎌鼬が確保した北村を治療して、ケソラプの分体はそのままに、田んぼに撒かれた霊毒だけを消してくれ」
「治療した後、北村君はどうしますか?」
「伝承だと、助けた側の枕元に立つらしい。北村は、小太郎に預ける」
「分かりました」
一樹が橋の上を指差すと、沙羅は田んぼの上で軽く手を振った後、黒翼を広げて飛び立った。
「水仙、ケソラプが暴れないように、妖糸で縛ってくれ」
「霊毒で動けないんじゃない?」
疑問を口にしながらも、水仙は言われたとおりに妖糸を飛ばした。
確実に動けなくなったところで、一樹はケソラプに歩み寄り、翼から羽根を抜き取った。
「恨み言があれば、羽根を目印にやって来て、枕元に立つだろう。言い分があれば聞いてやろう。俺は、この周辺で一番近い宿に泊まる予定だ」
倒れ伏すケソラプに向かって、一樹は目印と宿を言い聞かせた。
その後、スマホを操作して小太郎に連絡を取る。
「小太郎、ケソラプを撃退して北村を確保した。車で、石狩川頭首工まで迎えに来てくれ」
『すぐに向かう。北村は無事か?』
「直接は確認していないが、沙羅を向かわせ……橋の上から手を振っている。元気そうだな」
一樹が見上げた橋の上では、北村が飛んでくる沙羅に向かって、大きく手を振っていた。
それどころか、分かり易くジャンプまでしている。
一樹の表情は、若干の心配から、呆れへと変わった。
「いつもの北村だ」
『それなら良かった。ケソラプは撃退という話だが、調伏ではないのか?』
「調伏できていない。これから俺と沙羅は、近場に宿をとって、ケソラプを誘き寄せる。荷物は、蒼依に運んでもらうつもりだ。小太郎は、北村と警察の対応を頼む」
『分かった。そちらは任せる』
小太郎との通話を切った一樹は、そのままスマホで、近場で宿を検索した。
すると3キロメートルほど離れた場所に、宿が1軒あった。
周囲は田んぼで、ケソラプが上空から見渡せば、宿が見えそうだ。
羽根や一樹達の気を辿れば、すぐに見つけられるだろう。
伝承が再現されることを期待して、一樹は宿を取った。
◇◇◇◇◇◇
修学旅行、最後の夜。
一樹と沙羅は、予定外の宿で、8畳のスタンダードツインルームに泊まった。
「ケソラプは、来ると思いますか?」
「渡辺陰陽師が語った伝承では、二度来ている。習性を考えたら、来ると思う」
「習性ですか?」
「伝承のケソラプは、生き物として自然な行動を取っている」
1度目は、エゾマツの神の妻が渡した毒矢で妨害されたことに怒り、『伴侶を見つけるためなのだから邪魔をするな』と伝えた。
カラスの場合は、カーカーと警告の鳴き声を発して、縄張りを主張する。
クジャクも警告するので、ケソラプが警告したところで何ら不思議はない。
2度目は、村人が神々に訴えたことに対し、『神々に言われて断念するから、もう訴えるな』と伝えた。
警告の鳴き声があるのだから、戦闘終了の鳴き声だって上げるだろう。
「魂を奪って鳥に変える儀式は、簡単にはできないだろう。邪魔されたから、邪魔するなと言いに来るんじゃないか」
「文句を言いに来たところで、諦めるように伝えるのですか?」
「それも選択肢の一つだ」
沙羅と戦ったケソラプは、大鬼ほどの力だった。
一樹であれば、水仙を北村に専属で張り付かせれば、守り続けられる。
その間に、沙羅や犬神で追えば、ケソラプの本体に辿り着くだろう。
北村は諦めろと言えば、応じる可能性は充分にある。
ケソラプにとって、北村は今日見かけたばかりの相手だ。
執着するほどの思い入れは、まだ無いはずである。
やがて、夜が更けた。
一樹と沙羅は二人きりだが、妖怪が来るかもしれない中では、流石に沙羅もアプローチしない。
二人が寝床で待っていると、どこからともなく声が聞こえてきた。
『……もし、陰陽師様、大天狗様』
一樹が目を開くと、部屋には明かりの代わりに、天狗火が浮かび上がった。
すると窓からは、上等な黒い着物姿をした少女の霊が入ってきた。
年の頃は、一樹や沙羅よりも少し上。
黒髪は艶やかで長く、花の簪を挿している。
ケソラプの化けた姿だと認識した一樹は、ベッドに腰掛けながら相対した。
「昼間のケソラプかな」
「左様にございます」
向かい合ったケソラプは、憔悴していた。
肌は青白く、顔には苦悶が浮かんでおり、瞳は怯えている。
その様子から一樹は、ケソラプが倒されて恐怖を抱いただけではなく、沙羅の霊毒が残っているのだと思い当たった。
「分体と本体が繋がった時に、本体にまで霊毒が及んだか」
普通の毒であれば、物理的に繋がらない本体にまでは作用しない。
だが霊毒であれば、霊体が繋がっているか、分体を戻した時に、本体に混ざる。
毒と気付いて切り離しても、入った分は取り除けない。
「その霊毒は、元が最強クラスの毒で、虚空蔵菩薩が効能を高めている。薬草では、解毒できないだろうな」
ケソラプは眉尻を下げ、苦悶の表情を浮かべた。
そして一樹と沙羅を交互に見ながら訴える。
「あの人間を狙うのは、もう止めます。解毒をお願いできませんか」
分体が息絶える前、一樹は田んぼの霊毒を消すよう、沙羅に指示している。
それを聞いたケソラプは、沙羅が解毒できることを知っているのだろう。
もちろん一樹には、応じる理由は無い。
「お前は、あの人間を狙うのは止めると言った。すると、別の人間は攫うわけだ。せっかく霊毒で弱体化したのに、次の人間を攫わせるために元気にするわけがない」
ケソラプを手当てして解放することは、人を襲ったヒグマを手当てして解放する行為に等しい。
しかも強さは大鬼級で、自衛隊が連隊規模で対応を検討するほどの脅威だ。
他人がケソラプを手当てして解放したら、一樹は解放者の正気を疑うだろう。
解毒を却下されたケソラプは、苦しそうに沙羅のほうを見た。
その行動に対して、一樹は言い放つ。
「無駄だ。俺達の関係を簡潔に伝えるなら、沙羅は妻みたいなものだ。夫が駄目だと言っている」
江戸時代の格好をした怨霊は、江戸時代の常識を持っている。
ケソラプは神霊で、黒い着物姿。するとケソラプは、着物を着るのが一般的だった時代の感覚を持っていると考えられる。
明治の感覚だったとしても、第二代内閣総理大臣になった黒田が「出迎えが遅い」と言って、妻を斬り殺したと記事に載ったような時代だ。
その時代の常識では、夫が駄目と言ったのなら、妻が応じるとは思わないだろう。
「だそうです。絶対に駄目になりました。ごめんなさいね」
一樹の例え話に上機嫌で乗った沙羅は、絶対を付けて肯定した。
――こう言えば、絶対に肯定するとは思ったけど。
これで沙羅は、一樹が許可しない限り絶対に応じなくなった。
ケソラプの伝承で、夢に現れて恨み言を述べたことを思い出した一樹は、そちらにも念を押す。
「お前が逆恨みで呪えば、今の霊毒に加えて、俺の呪詛返しで地獄の苦しみを受けることになる。そういった報復も、しないほうが良い」
様々に行動を封じた一樹は、沈黙するケソラプに尋ねた。
「そもそもケソラプには、オスもメスも居るのだろう。どうして人間を狙うんだ」
安倍晴也と結婚したキヨは、母親が白蛇の精で、人間と結婚して子を成した。
牛太郎はツバキの精で、かつ神霊でもある。
すると神霊のケソラプも、キヨの母のように、人との間に子を作れてもおかしくはない。
だが同族が居るなら、人間を相手にする理由が不明だ。
キヨの母は父に助けられたからだが、北村は初対面のはずである。
やや躊躇ったケソラプは、怖ず怖ずと口を開いた。
「わたくしの同族では、強い者が伴侶に選ばれます」
「大抵の生物は、そうだな」
強い個体を選ぶのは、弱い個体が淘汰されていく中で受け継がれた、生存本能に基づく選択だ。
強さの定義は、戦闘力のほかにも有って、人間であれば群れでの立場も力の一つとなる。
人間よりも群れていないケソラプであれば、人間よりも戦闘力に重きが置かれるだろう。
何もおかしくはないと、一樹は頷き返した。
「わたくしは、同族では弱いほうです」
「大鬼級で、弱いほうなのか。とんでもない種族だ」
弱いと聞かされた一樹は、表情に出さないように気を付けながら、内心で驚いた。
沙羅と戦った時のケソラプは、並の大鬼ほどの力を振るっていた。
それが同族で弱いのであれば、鳳凰のような強大な存在に例えられるのも無理はない。
「同世代の同性と比べて、どれくらい差があるんだ。倍ほどか?」
「はい。人間との混血は、力が半減します。すると純血のケソラプからは、相手にされません」
だから伝承では、ケソラプの世界では伴侶を見つけられず、人間を探したのだろう。
諸々に納得した一樹は、目の前のケソラプをどうするかについて考えた。
ケソラプが住む神の国とは、エゾマツの森などだと予想する。
ツバキの根に宿った牛鬼のように、どこかに本体を残しているなら、ケソラプは滅ぼせない。
北村を諦めたので捨て置いても良いが、霊毒で弱っているとはいえ、一般人くらいであれば簡単に攫える力は残っている。
一樹が持つ解決手段では、牛太郎のように使役する方法しかない。
――問題は、使えるかどうかだけど。
常に同行させられて、呪力で復活する霊体の式神は、利便性が高い。
飛べることもメリットで、朱雀達が居ない場合は、空中戦で役に立つ。
今回は石狩川を越えるために沙羅に同行を依頼したが、それも解決できる。
結論を出した一樹は、ケソラプに話を持ち掛けた。
「お前が同族から伴侶を探せるくらいに力が増して、霊毒も消せる方法が、一つだけ有る」
解毒の可能性を口にされたケソラプは、藁にも縋る思いで一樹を見詰めた。
「俺が使役すると、気を受けた妖怪や怨霊は、力が一段階上がる。俺と式神契約して働くのなら、解毒させるし、契約が終わる頃には同族から伴侶を探せるくらいに力も増しているだろう」
一度言葉を切った一樹は、ケソラプに自己判断を促した。
妖怪側が自発的に従うのであれば、一樹の呪力消費は少なくて済む。
ケソラプが従うことで得られる報酬は力が倍加することで、伴侶を探したい目的に適う。
力が倍加すれば、同族から伴侶を探せるので、契約満了後に人を攫う理由も無くなる。
そもそも霊毒を受けているケソラプには、拒む選択肢など無い。
このままでは、伴侶にした人間との間に生まれる子にまで、霊毒が受け継がれかねない。
人と会話が成立する知能を持ち合わせていたケソラプは、一樹の提案に応じた。
「あなた様に従います」
「それでは、最初に式神契約を交わして、契約した後に解毒することにする」
「かしこまりました」
「分霊で契約すると、切り離されるから本体までは解毒できない。お前がエゾマツの木などに宿る神霊だったら、俺に宿る形で本体ごと契約したほうが良い」
「……承知しました」
こうして一樹は、思いがけず鳥の神霊を使役することになった。


























