273話 石狩川頭首工、上空戦
先行してゴムボートから飛び出した犬神が、石狩川頭首工の上空を駆け上がる。
犬神が進む先には、黒い巨鳥が軽やかに飛翔していた。
巨大な翼には、クジャクのオスが持つような眼状紋がある。それは天敵から身を守るためにあるとされており、遠目にも威圧感があった。
だが一樹と巨鳥の間には、犬神と沙羅が居る。
「左側の岸部に着けろ」
冷静に周囲を見渡した一樹は、上陸し易そうな川岸への移動を指示した。
その間に駆け上がった犬神が、ケソラプに躍り掛かる。
ケソラプは翼を華麗に開いて、ひらりと宙返りで躱した。
そのまま犬神の後ろに回ると、鉤爪で犬神の背を掴んだ。
「グルルルッ!」
犬神の口から、苛立った声が上がる。
それを恐れることもなく、ケソラプは空中で激しく回転を始めた。
犬神は身体を捩るが、鉤爪でしっかりと背中を掴まれており、牙が届かない。
逆にケソラプのクチバシが、犬神の頭を突く。
そこへ沙羅が迫ると、ケソラプは掴んでいた犬神を投げ捨てる。大きな水飛沫が上がり、犬神は石狩川に沈められた。
「C級の分霊を一撃とは、曲がりなりにも神霊か」
ケソラプは伝承で、神の国に住むと話しており、毒矢を受けても死なぬ身体だと語った。
そのため一樹は、ケソラプが神霊ではないかと考えた。
一樹が使役している式神では、牛太郎がツバキの根に宿る神霊だった。大鬼級の強さを持ち、倒してもツバキの根が無事であれば復活した。
犬神を倒したケソラプも、同等ではないかと一樹は見積もる。
『川岸です』
「よし、一度消す」
川岸に降り立った一樹は、ゴムボートと幽霊巡視船員を送還した。
上空では沙羅が、犬神と入れ替わって戦闘を始めるところだった。
沙羅の手が、羽団扇を仰ぐように、虚空を一撫でする。
『朱雀』
轟と、炎の塊が膨れ上がった。
それは瞬く間に形状を変えて、八咫烏に変化する。
バサリと羽ばたいた炎の八咫烏は、ケソラプを追って飛翔を始めた。
「刑部姫から教わった術か」
羽団扇は、素材に使った妖怪11体の力を5パーセントずつ引き出せる。
沙羅の羽団扇1本に籠められた朱雀の力は、B級中位。
その5パーセントであれば、C級下位のはずだが、沙羅が生み出した炎の朱雀からは、倍以上の力が感じられた。
『青龍、白虎、玄武、黄竜』
沙羅が虚空で手を薙ぐ度に、新たな光が迸る。
木行の青、金行の白、水行の黒、土行の黄。
それらは八咫烏の姿と化して、一樹が見覚えのある動きで、ケソラプを追い始めた。
青龍の性格は、蛇。捕まえた鬼をほかの妖怪に投げて、反応を試す。
朱雀の性格は、カラス。鬼を振り回して、空から落として遊ぶ。
白虎の性格は、猫。鬼で鬼ごっこをして、獲物のように追い回す。
玄武の性格は、亀。獲物を待ち構えて、傍に来たら食らい付く。
黄竜の性格は、竜。鬼を土に埋めて、神域の境界を通さない。
五羽の八咫烏は、自然と連携して、瞬く間にケソラプを包囲した。
青龍が鋭く身を翻し、蛇のようにしなやかな軌道でケソラプの左翼を狙う。
ケソラプが翼を畳んで急降下すると、朱雀が眼下から火矢を打ち出した。炎の矢筋が夜空を赤く染め、ケソラプの腹部を掠める。
「ギャァッ!」
甲高い鳴き声を上げたケソラプが体勢を立て直そうと翼を広げた瞬間、白虎が獲物を狩る猫のように飛び掛かる。
金行で顕現した鉤爪がケソラプの右翼を捉え、二体が絡み合いながら錐揉み回転で落下する。
その先には、玄武が待ち構えていた。圧縮した水を放ち、下からケソラプを突き上げて、再び空中へと弾き飛ばす。
空中で体勢を崩したケソラプの逃げ道を、黄竜が土行で封じる。
天空から降り注ぐ土槍が、ケソラプの羽根を穿った。
五行の光が石狩川上空で交差し、ケソラプを包み込んだ。
「羽団扇2本分で出して、虚空蔵菩薩の利益で力を引き上げているのか」
沙羅が生み出した五行の術は、一樹ですら目を見張る精度だった。
それぞれが本物の朱雀達のように飛び交い、連携しながらケソラプを攻撃していた。
沙羅は蒼依の家に同居して、朱雀達を毎日のように見ている。
だからこそ、あれほどの精度で術を放てるのだ。
そんな術を放った沙羅の羽団扇には、2本合わせて、大鬼5体分以上の呪力を溜められる。
つまり現在飛び回っている術を破られても、あと4回は同じ攻撃を打ち出せる。
加勢は不要だと判断した一樹は、本来の目的である北村の救出に移った。
「神転、神斬、神治」
一樹が呪力を籠めて喚ぶと、足元に鎌鼬3柱が姿を現した。
「石狩川頭首工、あの建物の上に人間の男が居るはずだ」
一樹の予想は、鳥が高所に営巣することに基づく。
「人間の男を見つけて、守れ。神治は、そいつが傷を負っていたら、治してやれ」
「キュイッ」「キィィッ」「キュッキュ」
腰元まで浮かび上がった鎌鼬3柱が、つむじ風に乗り、岸辺を駆けていく。
鎌鼬の後ろ姿を見送りながら、一樹は不意に思い当たった。
伝承では、エゾマツの神の妻が助けているが、それは妖怪に営巣されて困ったからではないか。
そうだとすれば、伝承の内容に辻褄が合う。
「水仙、出ろ。ケソラプが落ちたら、妖糸で捕まえろ」
一樹の呼び掛けに応じて、水仙が現れた。
隣に並んだ水仙は、上空を見上げながら尋ねる。
「ボクって必要かな。圧倒しているよね?」
「二重に囲めば、一人目が逃しても、二人目で捕獲できるかもしれないだろう」
「はいはい、慎重だね」
2人が見上げる空では、ケソラプと沙羅が、空中戦を繰り広げていた。
ケソラプと沙羅だけの空中戦であれば、鳥のケソラプにも多少の勝機はあるかもしれない。
だが戦闘は、戦いとは言えないほどに一方的な形勢となっている。
『天狗火』
沙羅の眼前に、3つの火の玉が生み出された。
それらは羽団扇に仰がれて、まるで鳥のような速度で、ケソラプに向かっていく。
尋常ならざる速度で迫った天狗火は、五行の八咫烏に手一杯となっていたケソラプに触れるや否や、龍が吐き出したのかと見紛う業火を浴びせ掛けた。
「ギャアアアアッ」
虚空蔵菩薩の御利益で強化された天狗火が、ケソラプの霊体を激しく焼いていく。
「いやぁ、困っちゃうなぁ」
「蒼依に続いて、逆らえない相手が増えたな。良いから行くぞ」
一樹と水仙は、空を見上げながら移動を始めた。
沙羅の術は、以前よりも速度と効力が高まっている。
切っ掛けは、刑部姫から羽団扇を呪力に溶け込ませる方法を教わったことだろう。
それを実践した結果、羽団扇に宿る虚空蔵菩薩の力が、沙羅の力に作用しているのだ。
そんな風に思っていた一樹は、自分の認識が甘かったことに気付いた。
焼かれたケソラプが、空中で悶え苦しみ、痙攣を始める。
明らかに炎とは異なる苦しみ方に一樹は訝しみ、やがて戦慄した。
「まさか、斑猫喰の霊毒も浴びせたのか?」
沙羅の羽団扇には、11の力が宿っている。
その一つが、斑猫喰の風切羽に宿る霊毒だ。
斑猫喰が持つ毒は、コロンビアのモウドクフキヤガエルが持つ毒と同族塩基。
陸上脊椎動物が持つ毒の中で最強だと、一樹は聞いている。
「あの毒って、どれくらい殺せるの?」
「1本につき、数百人を殺せると聞いているが」
その毒は、マウスによる実験で半数致死量が0.003ミリグラム/キログラムとされる。
単純計算すると体重60キログラムの人間の場合、0.18ミリグラムで死亡する。
モウドクフキヤガエルの毒1グラム(1000ミリグラム)で、およそ5555人が死ぬ。
だがアロメトリー効果といって、毒性は体重に正比例せず、大型動物のほうが体重当たりの致死量は少なくなる傾向がある。
マウスと人間の体重を単純計算すれば2000倍だが、実際の致死量は500から1000倍。
間を取って750倍とすれば、5555人×(2000÷750)で、14800人。
つまりモウドクフキヤガエルの毒1グラムは、およそ1万5000人を殺せることになる。
斑猫喰は山鳩ほどの大きさで、風切羽の重量は0.3グラムだった。
すると1グラムの10分の3で、およそ4500人を殺せる霊毒になる。
風切羽を羽団扇にすると5パーセントの力になるので、225人を殺せる霊毒となる。
もしかすると虚空蔵菩薩の御利益で、効果が増しているかもしれない。
そんな羽団扇の霊毒2本分が、ケソラプに浴びせ掛けられた。
「効いてきたみたいだね」
「そのようだな」
ケソラプの大きさは、人に翼を生やした程度に過ぎない。
痙攣したケソラプは、身体が麻痺して翼を動かせなくなったのか、滑空を始めた。
速度は滑空と墜落の中間ほどで、水田へと落ちていく。
「ねえダーリン。田んぼが毒で汚染されそうだけど?」
「沙羅の羽団扇なら、毒も消せる」
沙羅の羽団扇には、薬師如来の御利益も宿っている。
薬師如来が持つ薬壺の霊妙は、あらゆる苦しみを癒すことが叶う万能薬だ。
薬師如来の力が、斑猫喰の霊毒よりも弱いはずがない。
「B級から見て、A級は絶対に勝てない非常識の塊らしい。沙羅も、その域に入ってきたな」
「ボクがA級になって、受肉した後の牽制かな。そんなことしなくても、ダーリンが生きている間は契約を切らないから、沙羅と争うことにはならないよ」
「それは良かった」
一樹が生きている間、水仙は契約を切らない。
このまま契約していれば、安全かつ急速に呪力が上がる。逆に水仙が強引に契約を切ると、力の一部が一樹側に残ったままとなり、いくらか弱体化するだろう。
一樹の懸念は、自分の死後である。
「もっと確実に、絡新婦を味方にする方法があるんだけどね」
「却下。女神様に怒られるぞ」
一樹と水仙は軽口を叩きながら、ケソラプが墜落した場所へと向かっていった。


























