272話 石狩川遡上
修学旅行中の北村が、石狩市の海浜公園で、黒い巨鳥の妖怪に連れ去られた。
それを確認した小太郎は、犬神に追跡を命じている。
自分が追うよりも確実だと考えた一樹は、追跡は犬神に任せて、支援に回ることにした。
陰陽師の序列では小太郎のほうが1つ下になるが、物事には得手不得手がある。
何かを追い掛けるのであれば、犬神を使える小太郎のほうが優れている。それに花咲高校が行う修学旅行中に生徒が攫われており、理事長の小太郎は当事者でもあった。
「幽霊巡視船に搭載されている複合型ゴムボートで、石狩川を遡上できる。速力は、39ノット(時速72キロメートル)で、川沿いなら車より速い。川から外れると、移動できないが」
みやこ型巡視船は、船体の左右に7メートル型高速警備救難艇が2艇搭載されており、揚降用クレーンで揚収、進水させている。
その中間には、巡視船のディーゼルエンジンからの排気ガスを排出する青と黒の煙突があって、その煙突の後ろ側には、7メートル級の黒い複合型ゴムボートが1艇搭載されている。
複合型ゴムボートは、左右どちらからでも進水できて、浅瀬や川などでの活動を可能とする。
川から遡上するには、最適な船艇だ。
「二手に分かれるか?」
「それは俺が伝承通りに川上へ向かって、小太郎が別ルートで探す形か」
「そうだ。北村を攫った巨鳥が、伝承と同一個体だとは限らない。賀茂にも、分霊を付ける」
小太郎が言うとおり、全員で固まって追い掛ける必要は無い。
むしろ複数のルートから追跡を行ったほうが、確実性は増す。
今回は支援役に回ると決めた一樹は、小太郎の判断に従った。
「分かった。途中で浅瀬やダムに阻まれるかもしれないから、沙羅だけは俺に同行してくれ。蒼依、香苗、柚葉は、修学旅行に戻ってくれ。捜索の頭数にも、戦力にも不足は無い。北村の命が掛かっているから、とにかく速さが優先だ」
「私なら一樹さんを抱えて飛べますし、治療もできますね」
沙羅は蒼依に分かるように、自分だけが同行する理由を口にした。
一樹だけなら抱えて飛べるが、同行者が増えると、往復に時間が掛かる。
治療は、沙羅が持つ羽団扇に宿った薬師如来と虚空蔵菩薩の力のことだ。
医薬の力と、効能を引き出す力があって、相乗効果で五鬼童家当主の脊椎損傷すら治した。
北村が肉体や心に傷を負っていても、沙羅の羽団扇であれば治療できる。
「式神の大鳩でも短距離は飛べるが、難所の数は分からないし、相手は巨鳥だ。ここには朱雀達も居ないし、落とされる危険がある空戦は避けたい」
「分かりました。気を付けて下さい」
納得した蒼依が引き下がると、羽団扇の効能を知らない香苗も、様子を見て引き下がった。
その間に小太郎は、パトカーを使わせてくれるよう三浦警部に交渉を始めている。
「小太郎、先に行くぞ」
「ああ、頼む。皎、案内しろ」
「バウッ」
小太郎の身体から新たな犬神の分霊が飛び出して、一樹の傍に駆けてきた。
犬神を伴った一樹は、石狩川の川辺に駆けていき、複合型ゴムボートを顕現させて乗船する。
操船するのは幽霊巡視船員で、乗員は一樹と沙羅、それに犬神だ。
乗員は10名なので、充分な余裕がある。
沙羅と犬神が跳び乗った複合型ゴムボートの幽霊船は、石狩川を遡上し始めた。
グングンと風を切って加速していく搭載艇の船上は、穏やかとは言い難い。
幽霊船であるが故に揺れは僅かだが、風圧は受ける。
時速72キロメートルで受ける風圧は20メートル毎秒で、気象庁が強風と表現する風力だ。話し声は、殆ど聞こえなくなる。
一樹は呪力を纏って身体を強化しつつ、操船する幽霊巡視船員の後ろにある椅子に腰掛けた。
すると沙羅は、一樹の膝の上に座って、風に背を向ける形で一樹の首に両手を回しながら、耳元で話し始めた。
「北海道の石狩川は、268キロメートルという国内第3位の長さを持つ一級河川です。源流は石狩岳で、河口は石狩市の石狩湾になります」
「そうか。ところで、わざとやっているよな」
「何のことでしょうか。このゴムボートは、ほかに椅子がありませんよね」
沙羅の吐息が、一樹の耳元を擽った。
「ただでさえ蒼依と香苗で頭が痛いのに」
「私は側室で構いませんよ」
何も言い返せなかった一樹は、溜息を吐いて誤魔化した。
五鬼童家は、役行者との約束を1300年以上に渡って守り続けた、義理堅い鬼の子孫だ。
人間と五鬼童家とでは、約束に関する捉え方が異なる。
人間は平気で約束を破るが、五鬼童家は自身の存在に直結する言霊のように重く扱う。
沙羅は一樹に救命された上、失った片手片足を治された。
その際のやり取りで沙羅は、自分は一樹に求められて、正当な対価と努力を引き替えに売ったのだと確信している。蒼依や香苗がどうあろうと、自分自身は一樹のものなのだから、離れることは有り得ないわけだ。
仮に一樹が「側室ではなく愛人で」と言い返せば、沙羅は平然と受け入れるだろう。
それどころか、賀茂家を継ぐ一樹の役に立てることを喜ぶだろうと、一樹は確信している。
「一番重いのは、蒼依でも香苗でもなく、沙羅かもな」
「そうかもしれません。2人とは、式神契約を解除して別れを告げれば離れられますけれど、私は無理ですし」
小柄な鬼の子孫が、耳元でクスクスと楽しげに笑った。
一樹は口を閉ざして、周囲の景色を眺める。
午後3時の川面は、わずかに和らいだ陽光に照らされて、銀色のきらめきを放っていた。
まだ海に近いからか、塩気を帯びた海風と、川辺の草の匂いが入り交じっている。
「北村の話に戻るぞ」
「はい。石狩川を遡上すると、順番に石狩市、 札幌市、 江別市、 岩見沢市、砂川市、滝川市、深川市、旭川市に入ります」
流石に沙羅も諳んじてはおらず、スマホを見ながら読み上げている。
「岩見沢市から深川市までが中流域、旭川市からが上流域になります。明治時代の中期までは、中流域の深川市までは大型船が、上流域の旭川市にも小型船が航行していたそうです」
「伝承にあったエゾマツは、上流域だったか」
「いいえ、中流に住む男の息子が上流側へ向かい、途中で見つけたという話です。出発地点が岩見沢市で、発見地点は砂川市だった可能性も有ります」
「それなら楽だが、エゾマツが多すぎるな」
石狩川の両岸には、エゾマツが点々と生えている。
エゾマツが目印だとすれば、今すぐに複合型ゴムボートを川岸に着けて、1本ずつ確認していかなければならなくなる。
一樹は早々に諦めて、専門家に委ねた。
「犬神、頼むぞ」
「バウッ」
同乗している犬神が、頼もしく吠え返した。
札幌市に入っても、両岸には延々と木々が連なっており、彼方には大きな紅白の鉄塔と山が見えるくらいで、のどかな景色が続いていた。
川幅は依然として広く、100メートルを優に超える。
これほど広くて深いのであれば、複合型ゴムボートではなく、高速警備救難艇でも良かったと、一樹は若干後悔した。
どちらも7メートル級だが、高速警備救難艇のほうが喫水は深い。その分だけ座る空間も確保できており、座り心地は良い。
水面を航跡で裂きながら、複合型ゴムボートは上流へと進んでいく。
江別市を抜けて、 岩見沢市を越えようとしたところで、目の前にゲートが現れた。
目の前に障害が現れたことから、複合型ゴムボートが速度を落としていく。
「あれは石狩川頭首工という、農業用水の供給施設です。河川を堰き止めて水位を上げて、水路に流し込んで、農地に水を供給しているそうです」
「見事に堰き止めているな。一度ゴムボートを消して、上を飛んで越えるか」
一樹が方針を口にした直後、犬神が複合型ゴムボートから飛び出した。
そして頭首工の上に向かって、勢い良く空を駆けていく。
「バウワウワウッ」
一樹の意を受けたにしては、速度と吠え方が激しすぎる。
犬神が駆けていく先を見た一樹は、頭首工の上空に大きな鳥の姿を見出した。
「沙羅、犬神を支援しろ」
ゴムボートを中心に、突風が吹き荒れる。
黒い翼が広がって、天空へと舞い上がっていった。


























