28話 仕事の仕上げ
「鎌鼬なら、怪我を治せるはずだ」
沙羅を治すべく一樹が選んだ妖怪は、鎌鼬だった。
鎌鼬とは、日本の他に中国でも翼の生えた虎の姿で現れる妖怪である。
凶悪性は千差万別で、一番恐ろしいのは中国で四凶に数えられる窮奇、次いで狂暴なのは新潟県の弥彦山と国上山の境にある黒坂の鎌鼬だろう。
関東、東海、関西、四国などでも鎌鼬の伝承は様々にあって、いずれも人を襲う存在である。
だが美濃や飛騨の山間部では、一風変わった鎌鼬が出る。
岐阜県に出る鎌鼬は、3柱の神だとされている。
日本には八百万の神が居て、物にまで付喪神が宿る。
それらの力は千差万別で、日本の鎌鼬に関しては、大した戦闘力は持たない神と考えられている。
だが鎌鼬は、戦闘力ではなく特性に、特筆すべき点があった。
岐阜県の鎌鼬は、1柱目が相手を転ばせ、2柱目が相手を斬り付け、3柱目が傷を治癒する。その中でも3柱目の治癒は非常に強く、2柱目の傷を癒やして痛みを消し、血も止める。
治癒できる鎌鼬が欲しかった一樹は、岐阜県で確認された鎌鼬の発生場所をインターネットで調べて、丹生川ダム上流の天端まで赴いた。
「そろそろかな」
インターネットが無い時代であれば、地道に探し歩くしか無かった。
だが現代では、ネットを使える数千万人が調査員のようなものだ。
一樹は情報が集中する地点で、鎌鼬が出るまで、幾度も右岸と左岸を往復し続けた。そして習性を把握されているとは知らない鎌鼬は、ノコノコとやってきた獲物に対して、簡単に釣られた。
「どわぁっ!?」
一樹は突然足を打たれて、声を上げて転ばされた……振りをした。
さらに転んだところを斬り裂かれて、左上腕から真っ赤な鮮血が噴き出す。
痛みに顔を歪ませた一樹は、3神目の鎌鼬が薬を塗ろうと近付いたところを、絡新婦の妖糸が纏わりついた右手で手掴みした。
「おまえだっ!」
3柱目の鎌鼬は神薬をぶちまけながら、一樹に捕まって暴れはじめた。
すると一樹を転ばせた上の兄神と、斬った下の弟神が怒り、戻って威嚇した。
「「キッキッキッ!」」
何を言っているのか全く分からないが、おそらくは離せと訴えているのだろう。
もちろん離す気など無い一樹は、威嚇する兄神と弟神に向かって、あからさまな挑発を行った。
「鎌鼬、めかかう」(かまいたち、あっかんべー)
舌を出した一樹は、さらに白目を剥いて馬鹿っぽい表情を作った。
舌を出すのと同時に首も動かして、舌をベロベロと振って見せる。さらに妹神を右手で掴みながら、軽くステップして、その場で小躍りした。
「めっかっかー、めっかっかー」
一樹は謎の呪文を唱えながら、妹神を掴んで不思議な踊りを始めた。
すると虚仮にされた2柱は憤慨して、一樹に向かって襲い掛かってきた。
「「キュキュキュキュキュッ!」」
頭に血が上った鎌鼬達は、再び一樹を転ばせて、斬り付けようとした。
そして一樹に肉薄した刹那、足元の影から投げ付けられた妖糸の網に、突っ込んだ身体が絡め取られた。
鎌鼬に絡み付いていく妖糸には、一樹から莫大な呪力が送られている。
一樹が抱え込んだ妹神を含めた3柱は、止め処なく生み出される妖糸に、絡み取られていった。
「はいはい、ごめんね」
妖糸を投げ付けたのは、一樹が使役する水仙だ。
水仙の力はB級下位で、鎌鼬は1柱がC級上位だった。3柱では水仙を上回るが、水仙は一樹から莫大な気を送られている。
雁字搦めにされた3柱を引き寄せた一樹は、伏せていた陣を起こして、使役を試みた。
『臨兵闘者皆陣列前行。天地間在りて、万物陰陽を形成す。我は陰陽の理に則り、神たる汝ら3体を陰陽の陰と為し、我が気を対の陽とする契約を結ばん。然らば汝ら、この理に従いて我が式神と成れ。急急如律令』
陰陽道系の式神術は、鬼神・神霊を呪力と術で使役する。
すなわち神たる鎌鼬は、式神術によって使役できる対象となる。
普通の人間であれば呪力が足りないが、一樹には莫大な陽気と、地蔵菩薩の神気がある。そして神たる鎌鼬に神気を与えられるのだから、神性を損なわずに使役できる。
一樹は神気を送りながら、手元の鎌鼬に呼び掛け続けた。
『お前達が捕まったのは、いきなり殴り付けて、斬り付けたからだ。攻撃すれば、反撃されるのは当然だ。世の理、自然の摂理に従い、我に降れ』
ちなみに妹神は、全く悪くない。
不良な兄神達の後ろを付いて行き、兄神達が怪我をさせた相手の手当てをして回っているだけだ。人語を話せれば、謝罪の言葉すら口にしていたに違いない。
だが一樹は、その点を意図的に無視した。
一樹と縛られた鎌鼬3柱との攻防は、およそ1刻も続けられた。
最初に諦めたのは、3柱で唯一悪くない妹神だった。妹神が一樹に降った事で、一樹には鎌鼬の言葉が伝わってきた。
『だから悪い事をしたら駄目だって、言っていたでしょう。いつも、いつも、いつも、あたしが傷を治して来たけれど、今日こそは、本当に怒ったんだから。これ以上は、絶対に付き合えないから、早く式神に降って!』
妹神は、兄神達に対する説得に加わっているらしかった。
『力を試したかった。反省はしていないが、負けたからには従ってやろう』
『鎌が有れば、使うだろう。俺も悪くない。使役させてやるから斬らせろ』
『いいから、早く、こっちに来て!』
2柱の容疑者達は、警察が発表出来なさそうな、反省が皆無の主張を述べた。その後、妹神に厳しい口調で指示されて、渋々と一樹の影に入って来た。
それを見届けた妹神は、兄神達に呆れた眼差しを向けた後、2柱を追いかけて一樹の影に入っていった。
一樹が沙羅の入院する病院を訪ねたのは、鎌鼬捕獲から一週間後だった。
鎌鼬は1柱目が転ばせて、2柱目が斬って、3柱目が治す。
一樹はB級下位に上がった3柱に神気を継ぎ足し、神転、神斬、神治と、役割に応じてあからさまな名前を付けて、神気と命名によって効果上昇を図った。
その後は八咫烏達に小鬼を捕まえて来させ、水仙に切断させて、鎌鼬に治癒させる実験を何度も繰り返した。
これは決して遊びでは無く、沙羅を確実に治療するために不可避の行為だった。鬼を使ったのは、沙羅が鬼神の血も引くからだ。
実験で上手く再生出来た動画は、沙羅に送って、家族の説得に使わせた。
かくして本日、沙羅の治癒を行うに至った。
一樹は五鬼童当主の義一郎に依頼して、病院の敷地外にトラックを駐車させ、そこに沙羅を車椅子で運び込んでもらった。
立会人は、義一郎と沙羅の両親である。
「失敗したらどうなる」
自らも重傷を負う義輔が、同じく車椅子から質した。
手足を失って自殺を選びかねなかった娘に対して、さらに手足を斬るのだから、一樹が失敗した場合を懸念するのは当然だ。
予想していた質問に対して、一樹は自らの左手を義輔に見せて答えた。
「水仙、俺の小指を斬れ。鎌鼬、その後に治せ」
「はいはい、麻痺毒を塗りまーす。抵抗を弱めてね」
一樹が強張った表情で指示すると、一樹の影から現れた水仙が小指に触れて麻痺毒を塗り、その後に妖糸を巻き付けて、一樹の指を中節骨から切断した。
歯医者で、麻酔を打たれた後に歯を削られたような痛みが響く。神気によって、一樹は麻痺の効きが悪かったのだ。
それを殆ど顔に出さずに耐えた直後、3柱の鎌鼬が現れた。
そして直ぐさま一樹を倒し、斬られた左手の小指をさらに深い基節骨から斬り落として、莫大な神気を変換して生み出した神薬を塗りつけた。すると一樹の斬られた左小指が、鎌鼬に送られる神気と神薬で再生した。
溜息を吐くと、一樹は斬られた小指を回収した水仙に告げた。
「しっかりやれよ」
「はいはい、ご馳走様」
小指を飲み込む水仙を見届けた一樹は、義輔に説明した。
「このように、自分の身を使って証明するくらいには、治せる確信があります。ですが治療を先送りすると、気の巡りが右手と左足の欠損で定着して、治せなくなります。そして私と沙羅さんは、治療内容で合意しています」
一樹から言外に「邪魔するな」と告げられた義輔は、沙羅の瞳に宿る意思を確認した後、念を押した。
「失敗した時、お前が一生の責任を取るならやれ」
これで「失敗するかも知れない」と不安を見せるのであれば、改めて質さなければならない。
険しい表情を浮かべた義輔に対して、一樹はハッキリと言い返した。
「分かりました。それでは治療しますので、以降は口出し無用に願います」
五鬼童一族が注視する中、一樹は水仙に指示を出して、沙羅の右手と左足に麻痺毒を塗り始めた。
次いで一樹は、3人の大人に依頼する。
「治療で回復するには、大量の特別な気が必要になります。これから沙羅さんに俺の気を送るのですが、その間だけ、後ろを向いて貰えませんか」
「何故だ」
僅かに逡巡した一樹は、ハッキリと口にした。
「人工呼吸みたいな事をしますので」
車椅子に乗る義輔が、思わず呻った。
すると沙羅と、沙羅の母親が、同時に義輔を睨み返した。さらに義一郎も加勢して、義輔の肩に手を置いて押さえ込む。
「治療として明確な必要があり、お前は責任を取るならやれと言い、彼も応じた。ならばお前は、黙って後ろを向いていろ」
眉を吊り上げ、眉間に皺を寄せる義輔は、苛立ちながらも押し黙った。
大人達が後ろを向いたのを確認した一樹は、沙羅に顔を近づける。
すると沙羅は一樹に微笑み、静かに目を瞑った。
























