265話 登別の妖怪
登別温泉ホテルの特別室に荷物を置いた一樹と小太郎は、本館の宴会場に移動した。
歩く度に、柔らかく沈む絨毯の上を歩いて行くと、やがて重厚な木製の扉の前にたどり着いた。扉を開くと、柔らかな照明に満たされた広々とした宴会場が広がっている。
会場には、6人掛けのテーブル席が3列で連なっており、合計102席が並んでいた。
「3列なのは、1組から3組までのクラス別。6席は、班ごとに座れという意味かな」
「そのようだな。あっちに、相川達が座っている」
小太郎が指差したほうを向いた一樹は、そちらに蒼依達が座っている姿を見出した。
先方も一樹達を見つけて視線を合わせ、柚葉が分かり易く手を伸ばして振って見せる。
小太郎と共に歩んでいくと、テーブル席には料理が並んでいた。
「待ちかねていました!」
北海道の食事に期待を寄せていた柚葉が、一樹達が席に着くより早く箸を手に伸ばす。
「はしたないですよ」
「えー、どうしてですかぁ?」
香苗に窘められるも、柚葉はまったく意に介さず、前菜に口をつけ始めた。
前菜は、内浦湾で獲れたホタテと、北寄貝のカルパッチョだった。薄紅色の貝柱に、搾りたてのレモンと細かなディルが光を受けて、艶やかにきらめいている。
隣は、アスパラガスの冷製スープ。
青みを帯びた滑らかな表面と、ほのかに立つ香りが6月の北海道らしい爽やかさを運んでくる。
さらに、エゾシカのロースト。
表面には香ばしい焼き目があって、切り口には肉汁が滲む。ローズマリーと山わさびの香りが立ち上っていた。
柚葉が待ちきれずに箸を伸ばしたのも、無理はない。
「鹿のお料理は、珍しいですよね」
「確かに、あまり見かけないな」
蒼依に賛同しながら席に着いた一樹は、自身も箸を取った。
鹿肉のほかには、メインと思わしき石狩風の海鮮鍋が、卓上で湯気を立てていた。
鮭とタラに加えて、牡蠣や帆立が贅沢に沈み、味噌の香りが漂ってくる。
テーブル中央には、リンゴのスパークリングジュースやお茶のガラス瓶もズラリと並んでいる。それらは照明の光を反射して、キラリと輝いた。
「これが高校生の修学旅行か。中学の時とは、随分と違うな」
裏事情を知りながら嘯いた一樹は、しげしげとエゾシカのローストを眺めた。
「エゾシカって、生息数が増えているんだっけ?」
「バスに乗っていたとき、飛び出し注意の看板が沢山ありましたよね」
だから積極的に狩られているのだろうか。
一樹に蒼依が相槌を打ったところ、向かいの席から香苗が訂正した。
「登別市でエゾシカの肉が出されることには、理由があります」
「理由って、何だ?」
一樹は鹿肉を摘まもうとした箸を止めて、香苗に聞き返す。
「かつて登別市には、アイヌに伝わるキナポソインカラという妖怪が居ました」
「生憎と聞いたことが無いな。アイヌの伝承には、それほど詳しくない」
「わたしも、深くは知りません。たまたま、狐にも関係する伝承なのです。キナポソインカラは、アイヌ語で……」
キナポソインカラは、アイヌ語だ。
キナは、木、または草木。
ポは、小さいもの、子ども、子孫などを意味する接尾語。
ソは、場所を示す接尾語になることもある。
インカラは、見る、見守る、注視するという動詞。
それらを繋げた名称のキナポソインカラは、草から透かし見る青い瞳の妖怪だった。
鹿などの動物を遠ざけて、狩りを失敗させ、人々を餓えさせたという。
かつてのアイヌは、農耕ではなく狩猟の肉が主食だった。
そして食べた肉類の筆頭には、まさにエゾシカが入る。
アイヌでは、山菜や海藻と一緒に煮込んだオハウという料理が代表的な食事で、肉の汁物ならカムオハウ、魚の汁物ならチェプオハウと呼んだ。
肉類では、エゾシカのほかにもヒグマ、エゾリス、エゾタヌキ、ウサギなどを食べたが、やはりキナポソインカラが遠ざけた。
「その妖怪は、どうして人々を餓えさせたんだ」
「分かりません。飢え死にした人々から、気や怨念でも吸いたかったのか」
「それなら自然の摂理だな」
妖怪が気を吸うのは、生命活動の維持に必要な行為だ。
ライオンが草食動物を狩る行為と同様なので、妖怪の行為が悪行だとは言えない。
もちろん草食動物が抵抗するように、人間も抵抗するが。
「あるいは人に怨みを持っていたか。動物霊だったのかもしれません」
「その場合も分かる。親を狩られた子とか、子を狩られた親とかに、恨むなとは言えない」
狩る側と狩られる側が、逆だった可能性もある。
人間が抵抗するのだから、動物だって抵抗するだろう。
いずれにせよキナポソインカラは、人から動物を遠ざけて、人間を餓えさせた。
一樹は、豊かな食材が並んだテーブルを眺めた。
現代では、狩猟を妨害されても、食材の選択肢が数多ある。
だが海に面さない地域に住む、昔のアイヌにとっては、深刻な事態だったはずだ。
キナポソインカラとアイヌ、どちらも悪いとは言えない。
一樹は人間の陰陽師なので、調伏の依頼があれば、基本的には人間側として調伏するが。
「それで、どうなったんだ」
「白狐が弓で射って、調伏しました。それ以降、登別では狩猟に困らなくなったそうです。鹿肉が並ぶのは、豊かな食事の象徴ですね」
「白狐か。北海道に伏見稲荷を勧請した甲斐が、あったのかな」
「どうでしょうね」
白狐に弓で射られたのは、稲荷社を勧請する前かもしれない。
結局、妖狐に助けられたことには変わりないが。
めでたしめでたしと結論付けた一樹は、料理に手を付けた。
エゾシカのローストを口に運ぶと、軟らかい肉から、肉汁が溢れてきた。食用の家畜と異なり、野趣のある香りはあったが、山わさびが後味を締めている。
「エゾシカは農作物に被害を出しているそうだけど、観光客用のジビエにも使われているのなら、良い面もあるのかな」
「でも鹿は、小鬼の食料になって、鬼の数を増やしたりもしますよね」
「そういう迷惑な部分もあったな」
北海道でも、広大な土地が妖怪の領域になっている。
そこに生息しているエゾシカは狩れず、鬼の食料になってしまう。
「北海道も、妖怪の領域は広いですよね」
「そうだな。奥のほうには、何が棲んでいるのか分からない」
そんなことを話しながら、土鍋ご飯と石狩味噌椀を平らげる。
するとスタッフが足音を忍ばせながら、食器を下げに来た。
そして代わりに、白い陶器の皿を置いていった。
「デザートまで出るのか」
「たくさん出てきますね」
新しい皿の中央には、淡いクリーム色のババロアが鎮座していた。
その上からは、鮮やかな紫色のソースが、細い糸のように流されている。
小さくカットされた夕張メロンの果肉や、赤ルバーブのコンポートが、彩りを添えていた。
「とても良いですね!」
柚葉が目を輝かせて、フォークを手に取った。
「柚葉を見ていると、龍が生け贄を求める伝承に、納得感があるな」
一樹もフォークを取り、ババロアに刃先を入れた。
口に含むと、濃厚な牛乳の風味が口の中に広がっていく。
「とりあえず柚葉は、修学旅行での目的を達成できて良かったな」
「まだ始まったばかりですよ。明日も楽しみですね」
やがて食事を終えると、生徒達は寄り道せずに部屋へと戻った。
女子が居る西館には立ち入り禁止で、教師の佐竹達が交代で見張っている。初日から朝まで廊下で正座は、流石に一樹も御免蒙りたい。
ほかの生徒達は大浴場に行くようだったが、特別室には、温泉露天風呂が付いている。
一樹と小太郎は、交代でそちらに入ることにした。
「ああ贅沢だ」
高級ホテルには個人でも泊まれるが、修学旅行で泊まることが、贅沢感を際立たせた。
温泉に入りながら外を見下ろすと、遠方に青白い怪火が見えた。
「狐の嫁入りか」
北海道の空知郡上砂川町には、狐の嫁入りに関する伝承がある。
七月頃、青白い怪火が現れて、がやがやと賑やかに話している声が聞こえてきたという。
人々は、狐の嫁入りを婚礼の行列だと伝えている。
北海道にも妖怪は沢山居るのだと思いながら、一樹は露天風呂に浸かった。
本作は今話にて、100万字を突破しました。
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。
引き続き、お楽しみ頂けたら幸いです。
(書籍版もご愛顧のほど、よろしくお願いします!)


























