264話 修学旅行の裏事情
夕暮れの光が山肌を黄金色に染める頃。
2年1組から3組と、引率の教師を乗せた3台のバスが、登別温泉の中心街に到着した。
窓外から見えたのは、白い湯けむりを上げる温泉街。
乗車するバスは、山の斜面に沿ってそびえ立ったホテルの駐車場に入っていく。
正面には、白とベージュを基調にした11階建てのホテルが建っており、ほかにも何棟ものホテルが連なっていた。
バスから降り立った生徒達が、周囲と囁き合っている。
「ここが今日、泊まるところなのか?」
「中学の時に泊まったホテルとは、全然違うんだけど」
一樹も彼らに同感で、陰陽師の仕事で泊まるようなランクのホテルに思えた。
かつて一樹は、安倍晴也と式神探しをした際、長時間の移動後に適当な安宿に泊まって、A級の怨霊であったキヨを見誤ったことがある。
そんな過去の失敗から、仕事では宿泊場所について、金銭を惜しまないようにしている。
それと比べても、見劣りしないように思われた。
ざわつく生徒達を佐竹が整列させた後、1組から順に、時間を置いて進まされる。
一樹達の番が来ると、添乗員の後ろに連なってホテルに入った。
一歩踏み込むと、暖かい空気と檜の香りが混ざった温泉地の空気が、肌を撫でていった。
「凄く立派なホテルですね」
「外観で予想したより、立派だった」
一樹と蒼依が見上げた天井には、大きなシャンデリアが吊るされている。
そこから放たれた輝きが、磨かれた大理石の床を煌めかせていた。
ロビーの左側には、観葉植物を配したラウンジスペースが広がっている。
チェックインカウンターの奥には、お土産ショップとカフェラウンジが併設されている。
背後を振り返れば、夕暮れに煙る山々と、白い湯けむりを上げる温泉街が一望できた。
「お前ら、左のラウンジスペース側に並べ。これから各自の部屋の鍵を配る」
生徒達を移動させた佐竹が、カードキーの入った封筒を配り始めた。
部屋はあらかじめ決められており、事前に配付された資料にも、各自の部屋番号が載っている。
一樹と小太郎が本館1101号室、蒼依と沙羅が西館1101号室、香苗と柚葉が西館1102号室だった。
最上階の最小番号は、大抵が特別室などで、部屋風呂が付いていたりする。
ほかの生徒達は、6や7から始まる部屋番号で、3人部屋や4人部屋のところもあった。
――優遇は明らかだけど、小太郎だからなぁ。
学園の理事長である小太郎は、教師達の雇い主だ。
さらに小太郎は、修学旅行の全額出資者でもある。
教師が理事長の金で、理事長よりも良い部屋に泊まるのは、居心地が悪いだろう。
「賀茂達は、数百万人を難民化させた魔王と戦った陰陽師や、チャンネル登録者数が数百万人の配信者だ。トラブルを避けるために、部屋は異なる」
佐竹の口からは、そういう建前が出た。
獅子鬼のせいで難民化した人も居れば、家族を殺された人も居る。前者は感謝しており、後者は八つ当たりするかもしれない。
ほかにも相談や話をしたい人間は、少なからず居る。
一般客が入る露天風呂で声を掛けられて、面倒事にならないとも限らない。
そういった建前も提示されて、一樹達の部屋は分けられた。
「男子は本館、女子は西館だ。男子は西館に寄るなよ。絶対だからな」
「それって、やれというフリだったりする?」
北村の確認は、本気か冗談か、判別できなかった。
ふざけて答えると、本当にやりかねない。
「止めろ馬鹿。やらかしたら、朝まで廊下で正座させるからな」
「竹さん、マジで?」
「マジだ。俺は保護者から女子生徒を預かっている教師だから、本気でやるぞ。ほら、鍵を受け取ったら部屋に行って、荷物を置いてこい。夕食の集合時間に遅れるなよ」
佐竹は厳重に注意した後、ロビーに群れる30人に、邪魔だから移動しろと指示した。
追い散らされた生徒達は、ゾロゾロと移動を始める。
蒼依達と分かれた一樹は、廊下の柔らかいカーペットを踏みながら、本館に進んだ。
そしてエレベーターに乗り、最上階まで上がって、1101号室に入った。
「わぁ、贅沢だね」
一樹の影からヒョイッと飛び出した式神の水仙が、開口一番に感嘆を漏らした。
そこは温泉露天風呂付きの特別室だった。
部屋の広さは、普通のツインルームの三倍以上。
寝具や家具、壁や床のすべてが上質で、高級感に溢れている。
信楽焼の露天風呂には、源泉かけ流しの温泉が流れ込んでおり、外の景色も絶景だった。
「水仙、ベッドは2つしかないぞ。満喫しても良いが、実体化して寝るならソファーにしろ」
「えー、まあ良いけどね」
一樹が財布を出して、何枚かの紙幣を水仙に手渡す。
それを受け取った水仙は、さっさと部屋を出て行った。
「賀茂、あれは何をするんだ」
「1階のお土産コーナーにでも、行ったんじゃないか。レストランは宿泊客でなくても使えるし、お土産コーナーなら宿泊客ではなくても買えるだろう。駄目でも、宿泊客の式神だ」
「それは確かに、式神に買い物をさせてはいけないというルールなんて、無いだろうけどな」
好き勝手に動き始めた水仙と、手綱を緩めた一樹に対して、小太郎は呆れた表情を浮かべた。
そして一樹に合わせるように、自身も犬神を出す。
「皎。お前も部屋の中なら、好きにして良いぞ」
「バウッ」
小太郎の身体から、紀州犬の霊体が飛び出して、一鳴きした。
吠えた犬神は、おかしなものが無いか見回るように、部屋を巡回し始めた。それを見守った後、小太郎はアメニティのミニバーから、2人分のコーヒーを淹れ始めた。
一樹はソファーに腰掛けて、小太郎に尋ねる。
「それで、どうしてこんなに高いホテルになったんだ」
このホテルが昨年までの比ではないことは、生徒達の反応から想像できた。
彼ら彼女らは、部活動や同好会の先輩から、修学旅行について聞いていたはずだ。
もしも同レベルであれば、あれほど驚いたりはしていない。
一樹達の部屋は論外としても、ほかの部屋でも1人1泊2万円はする。
数秒の沈黙を経て、小太郎は答えを口にした。
「花咲高校に、交付金が入った」
「交付金というと、魔王を調伏したからか?」
一樹が真っ先に思い付いた理由は、昨年12月に行った獅子鬼の調伏だ。
調伏したのは陰陽師協会だが、そちらには湯水のように使った全費用分の補助金が入っている。
ただし実費だけで、余計な額は受け取っていない。
陰陽寮を廃止された陰陽師の互助組織として立ち上げられた陰陽師協会は、自分達を放り出した政府とは、一定の距離を保っている。
だが協会は、学校法人が交付金を受け取ることにまで関与しない。
協会が魔王調伏の報酬を受け取らなかったので、代わりに魔王を倒したA級陰陽師が理事長を務める花咲学園に交付金を出すことは、有り得る話のように思われた。
そんな一樹の予想に対して、小太郎は首を横に振った。
「魔王が理由なら断った。交付金は、新しい試みを始めたことに対するものだ」
「新しい試み?」
「俺と賀茂で創設した、陰陽同好会だ」
2人分のコーヒーをテーブルに置いた小太郎は、一樹の向かいに座った。
一樹は自分の分を受け取りながら、同好会のほうかと納得した。
現在日本は、自国だと主張する国土の3分の2が、妖怪の領域に属している。
その境界線は、陰陽師と妖怪の力関係で定まっている。
陰陽師の総合力が上がれば、安全に使える土地や資源が増えて、人的被害も減る。
国の立場では、陰陽師が増えるほど嬉しい。
「俺達が卒業した後も、同好会を続けてくれという意味の交付金なのか?」
「今年度の分は、今年度の活動に協力するという意味だ。来年度も入会者数で交付金が出る」
「出ると分かっている結果に、タダ乗りするようなものか」
「交付金を出すのだから、タダ乗りではないな」
陰陽同好会への補助金は、成功すると分かっている事業への投資だ。
「国公立の医学部は、医学生1人あたり年間1000万円の運営費交付金が出る。それを参考に、同好会の1年生195人に500万円を掛けた額が交付された」
「すると、9億7500万円が交付されたのか?」
A級陰陽師だが庶民感覚を持つ一樹にとって、それは途方もない大金だった。
もちろん国防費から考えれば、端数だろう。
ビル1棟よりも安い金額で、市町村で数個分の土地が利用可能になれば、費用対効果も高い。
「今年から同好会の活動費は、交付金から費用を補助する。海鼠や化鼠を使役させたり、講師を招聘したり、国家試験の遠征費を出したりするが……」
「ほとんど無料だな」
海鼠の使役は、広島県の除霊依頼を受けており、経費は依頼人である県の負担だった。
化鼠の使役は、除霊した土地を所有する不動産会社が、謝礼金を出した。
妖狐の招聘は、神気を持つ一樹が自作した霊物を奉納しており、それらの経費はゼロに近い。一部は現金で支払っているが、交付金の2割ほどで補える。
練習用の護符すら、一樹の式神である塗り潰しの絵馬・大根で書くので無料だ。
交付金を使わないのであれば、もらわなければ良いわけだが、問題は一樹の卒業後だ。
一樹が調整していた諸々が有料になるので、交付金が無ければ、現在の活動は維持できない。
一樹の卒業後から高額の交付金を求めようにも、その時から同好会の質は、大きく下がる。
国の予算は、前年度と同額であれば通り易いが、新規や増額には、相応の理由が必要だ。
新規として通ったのは、魔王を倒したA級陰陽師が2人で立ち上げて、香苗や柚葉という実績も出したからだ。
『質が下がりますが、継続するために必要な金額は、跳ね上がります』
そのようなことを伝えて、増額の要求が通るわけがない。
だが要求が通らない場合、先方の求める同好会は維持できない。
それなら最初から交付金の額を維持したほうが、お互いにとって、より良い結果になる。
「それで修学旅行のグレードが上がったのか」
「この交付金には、使途の報告が求められている。修学旅行は、研究研修費にできる。国家試験で借り上げるホテルも高くして、半占有しているR棟の使用料も計上して……」
一樹が呆れた目を向けると。小太郎は不満を訴えた。
「学校は、今は賀茂のおかげで必要経費が少ないが、卒業後には上がると伝えた。そしたら国が、後で上がるのは困ると言った。額を維持すれば良いのかと聞いたら、そうだと答えた」
「そうか。学校も苦労しているな」
学生らしからぬ修学旅行の内容に、一樹はようやく得心した。
2年後のために交付金を維持しろと言われて、頑張って無駄遣いをしていたわけである。
一応、指導者である一樹達の待遇向上であれば、目的内使用だ。
それに巻き込まれて、ホテルのグレードが上がった同学年の生徒達は、幸運だった。
「交付金の使い道は、もちろん小太郎の自由にやってくれて良いけど」
「けど、なんだ?」
「妖狐の講師は、豊川稲荷にコネのある俺が、非売品の霊物を奉納して招聘した。交付金で継続を依頼しても、応じてくれないかもしれない」
自前で講師を手配した一樹は、契約内容について念押しをした。
すると小太郎は、僅かに渋面を浮かべつつも、代替案を口にする。
「元中級の講師を何人か招聘しようと思っている。二次試験に落ちた人間の指導なら、それで充分じゃないか」
「協会に割り振られる元下級よりは、マシだな」
中級と下級では、ほぼ間違いなく中級のほうが技量は上だ。
中級陰陽師が霊符の作成を教えてくれるのであれば、同好会にはそれなりの価値が残る。
もちろん、妖狐が教えてくれる現状より質は下がる。
「交付金を使いたいから、妖狐の講師と時期的に被るとしても、早めに招聘したい」
「良いんじゃないか。陰陽師としての活動経験は、妖狐にも教えられないし、役に立つと思うぞ」
「交付金で増やす指導者の候補には、賀茂の父親の和則氏も考えている」
「……何故だ」
善きに計らえといった態度だった一樹は、冷や水を浴びせられたように真顔となった。
「以前は調伏に金を使い過ぎると聞いたが、内容を霊符作成に絞れば、卓越した指導者だろう」
「確かに、俺に陰陽術を教えたのは父親だが」
鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべながら、一樹は目を泳がせた。
二大宗家の継承者である一樹の父・和則に限っては、妖狐が教える術に劣るとは言えない。
和則の問題は、陰陽術ではなく、経済観念にある。
たとえば一樹が小学5年生の時、霊刀で斬られた伝承のあるD級妖怪の調伏で、4000万円の霊刀を用意して戦い、折ってしまったことがあった。
なぜ報酬の相場が1000万円の仕事で、4000万円の道具を調達してしまうのか。
そもそもD級の呪力で、D級妖怪と戦うなという話である。
そういった部分は別人が教えるのであれば、上手く分業できるかもしれない。
だが来年度には、一樹の妹である綾華が、花咲高校に入学する可能性がある。
そして父親の和則が居ると、妹の綾華が入学できなくなる。
なぜなら綾華の保護者である母親が、離婚した元夫の和則を断固拒否しているからだ。
付け加えるなら、離婚する際に父親側に引き取られることを希望した一樹のことも嫌っており、陰陽師も嫌いで、C級の高呪力を持つ綾華を陰陽師関連に触れさせないようにしている。
おかげで綾華は、妖怪にとって良い餌だ。
使役前の水仙が綾華と出会えば、笑顔を浮かべながら捕まえて、パクリと食べただろう。
花咲高校に居るのが一樹だけであれば、呪力の高い綾華に自衛の手段を持たせるという名目で、祖父母が入学を押し通せる可能性が高い。
綾華が希望した場合、母親が感情論で拒否しても、『合理性がなくて子供の利益に反している』として、家庭裁判所で親権に関する調整を申し立てられる。
ただし和則が講師として在籍していると、『経済的に困窮させた元父の職場に行かせることは、娘のストレスになる』などと理由を作って、保護者として合理的に阻止できる。
目まぐるしく思考した一樹は、ふと生け贄を思い付いた。
「おゆう先生って、面倒見が良さそうだよな」
「うん? ああ、そうだな」
「座敷童っぽい伝承も持っているし、継続してくれないか、派遣元の豊川稲荷に聞いてみようか。それが実現するなら、今年度に余りそうな交付金は、おゆう先生への契約金にできるし」
「そうか。それなら交渉は、賀茂に任せる」
その後、哀れな妖狐が1匹、売られることになったそうである。
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