260話 竜宮城と玉手箱
1週間後、任務を終えた幽霊巡視船を回収した一樹は、夢乃と共に再び蓬莱を訪れた。
布引の滝を経由し、滝壺に飛び込むと、前回と同じように身体が沈んでいく。しかし、滝の奥へと進むにつれ、前回とは異なる変化に気づいた。
――澄んでいるな。
前回訪れた際、滝壺から蓬莱へ至る水中は、霊的に清浄とは思えなかった。
しかし今は、嵐が全てを吹き払った後、蓬莱の気が流れてきたかのように、澄み渡っている。
蓬莱に踏み入った後の空気も、軽やかだった。
わずかに鼻をくすぐる蓮の香りが際立って感じられる。
「無支祁が居なくなったからか」
前回訪れた時も、蓬莱は素晴らしかった。
だが今は、雲間から差し込む陽光が、力強い輝きを放っている。
敷石に沿って並ぶ蓮の池では、波紋に沿って清らかな気が流れてくる。
ゆらめく金色の鯉が水面を跳ねると、光の粒が空中に舞い上がり、しばらく漂ってから消えた。
「無支祁は、マリアナ海溝に沈めたのですよね」
夢乃に問われた一樹は、頷きながら答えた。
「幽霊巡視船が、ちゃんと沈めてくれた」
「霊的な存在だと、水圧では潰れませんよね。戻ってくる可能性は、どれほどあるのでしょう」
「そうだなぁ」
無支祁は、夏王朝(紀元前2070年~ 紀元前1600年頃)には桐柏山を神域とした神で、禹王の配下に捕らわれて、淮河に沈められた。
そして唐の永泰年間(765年~766年)、中国と朝鮮半島の間にある黄海に面する楚州で、一度引き上げられた。
そして先頃、中国から東の海上にある蓬莱の海中で発見され、マリアナ海溝に送られた。
それらを思い浮かべた一樹は、無支祁の行く先を想像する。
「無支祁は、川や海流に流されているようだが、移動速度は遅い。無支祁に繋がった鎖が、海底で錨になっているのだと思う」
「同意いたします」
「あとは自力で移動できるかだが、禹王の配下に倒されて、神域も奪われて、力が残っていない。マリアナ海溝に沈めば、もう上がって来られないだろう」
「戻って来ないと考えて良いのでしょうか」
「少なくとも数千年は、戻って来ないと思う。打ち上がっても、アメリカとかじゃないか」
蓬莱が抱えていた問題は、消え去ったと考えて良い。
蓬莱の海底で倒すよりも海が汚れないし、良い結末であろう。
蓬莱宮の門前には、前回と同様に白虎の石像が鎮座している。しかし白虎の目に宿る光は、外敵が消え去ったからか、柔らかくなったように見えた。
一樹と夢乃が門前に立つと、門が音もなく開かれていった。
蓬莱宮を進んで玉座の間に入ると、そこには以前と変わらず何仙姑がいた。
蓮の花を背に、静かに佇むその姿は、神秘的な輝きを帯びている。
彼女の琥珀色の瞳が、一樹へと向けられた。
「ご苦労であった」
まるで、すべてを見透かしたような労いの言葉だった。
一樹は静かに膝を折り、頭を垂れる。
「身に余るお言葉、光栄に存じます」
「うむ。それでは約束のものを渡そう」
何仙姑はふわりと袖を翻し、細やかな動作で手を差し伸べる。
すると一樹の手前に、青く淡い光を放つ小箱が浮かび上がった。
「何を躊躇う?」
「ご慧眼、恐れ入ります。日本に伝わる昔話・浦島太郎で、浦島太郎が竜宮城で受け取った『玉手箱』を想像しました」
昔話の浦島太郎では、助けた亀に連れられた竜宮城で歓迎され、やがて帰りたいと伝えたところ玉手箱を渡され、玉手箱を地上で開けたところ一気に老いたと伝えられる。
なぜ亀を助けて、その仕打ちに遭うのか。
地上に帰りたいと言った罰という話もあるが、別の理由も伝えられている。
「人間の浦島太郎が、竜宮城で過ごした期間をそのまま身体に適用すると、寿命で死んでしまう。そのため浦島太郎の命を守るために、乙姫が手渡した法宝だと、聞いたことはございますが」
一樹が仮説を唱えると、何仙姑は語り出した。
「西遊記は、知っておるか?」
「三蔵法師が白馬・玉龍に乗り、三神仙を従えて天竺に向かう話でございますか」
「左様。西遊記では、太上老君の童子(眷属)であった金角と銀角が、太上老君から盗んだ羊脂玉浄瓶と、紫金紅葫蘆という法宝を使った」
金角と銀角は、太上老君が仙丹を作る金炉と銀炉の番をしていた眷属達だ。
仕事に嫌気が差して、太上老君から5つの法宝を盗んで下界に降りて、魔王となる。
金角が持つ羊脂玉浄瓶は、羊脂玉(乳白色のヒスイ)の浄瓶で、水差しだ。
銀角が持つ紫金紅葫蘆は、純金の赤い瓢箪型で、仙丹の容器として使われていた。
どちらも呼びかけた相手が返事をすると中に吸い込む力があり、千人でも吸い込めた。
また、太上老君急急如律令奉勅の札を貼ると、吸い込んだものを溶かすことができた。
「その青い箱は、妾が作った。名は、蓮華青老函」
「蓮華青老函でございますか」
「意味は分かるかえ」
「蓮華とは、何仙姑様に由来する蓮の花。青は、五行では生気を司ります。老は、そのまま老い。函は、貴重なものを納める箱でございましょうか」
「すると蓮華青老函とは、何であろうか」
「先に西遊記の法宝を挙げられましたので、これは老いを吸う箱ではないかと考えます」
「如何にも」
何仙姑に肯定された一樹は、目まぐるしく思考した。
そもそも蓬莱とは、不老不死の薬がある島だ。浦島太郎の原話でも、蓬莱に辿り着いて、老いを収める玉手箱をもらったとされる。
そして何仙姑は、蓬莱の主だ。
――何仙姑様が、老いを吸う法宝を用意できることは、有り得るか。
千人の全てを吸い込むことに比べれば、1人の老いを吸い込む程度は些細だ。
蓬莱にあるという不老不死、蓬莱の主という立場、何仙姑と太上老君との力の差。
それらに鑑みて、蓮華青老函が老いを封じることは有り得ると、一樹は考えた。
「これは玉手箱のように老いを吸えて、開封で吸った老いが戻る法宝でございますか」
「そなたの気が大きい故、際限なく吸えるわけではない。為すべきことを為すための時間の制約が緩まると思えば良い」
「恐れ入ります」
今世で穢れを祓うことが、為すべきことだと察した一樹は、気遣いに頭を下げた。
冤罪をやらかした閻魔大王の祖父が、何仙姑を東海に配した玉皇上帝である。
一樹に依頼した人選や、与える法宝について、何らかの口添えがあったのかもしれない。
「其方の気に合わせた法宝である故、他人の老いは吸えぬ」
「私の老いを吸うことに特化した法宝なのですね」
「其方の気を持つ者に対しては使えるが、対象は式神などが精々であろう」
「無制限では無いほうが、有り難いです」
誰の老いでも吸えるなど、自分の身柄を狙ってくれと言うようなものだ。
そのようなことは、出来ないほうが良い。
蓮華青老函に手を伸ばした一樹は、刑部姫が羽団扇の出し入れを教えたことを思い出しながら、自分の気に溶け込ませようと試みた。
すると法宝は、一樹の身体へ煙のように吸い込まれていった。
「九鬼の娘も、ご苦労であった」
「勿体なきお言葉にございます」
平伏する夢乃を眺めながら、何仙姑は考える素振りを見せた。
そして思い付いたのか、軽く頷いて告げる。
「よく仕えておる故、天元丹を与えよう。憑けている遣いも、下賜する」
「恐悦至極に存じます」
平伏する夢乃の前に、七眼天珠で飾られた小さな紫の絹の袋が浮遊してきた。
それが夢乃の正面に落着すると、何仙姑は立ち上がり、退出する。
放たれていた神性が薄らいで、一樹はようやく息を吐いた。
◇◇◇◇◇◇
玉座の間を後にした二人は、宮殿の回廊を歩いて行く。
無言で考え込む一樹に向かって、夢乃は声を掛けた。
「大変なものを渡されてしまいましたね」
「お互いにな」
天元丹は、天地の精気を集めた仙丹だ。
服用者の霊力を飛躍的に高めて、天地の気を操る能力を授ける効果がある。
小さな梅の実、梅干しほどの大きさだが、飲めば呪力が上がって、仙術も身に付くのだ。
天上の五つの星の精気と、地上の五種の霊草を精錬して作るが、製法を知る者は少ない。
「夢乃の護衛に憑けていた化猫を下賜するから、それを御せる呪力も与えるということかな」
「そうかもしれません」
「何仙姑様にとっては妥当な褒美なのかもしれないが、途方もない話だな」
鹿野の嫁狐が200年掛けて作った仙丹は、香苗の呪力をB級中位分ほど増大させた。
であれば何仙姑が、仙境の蓬莱で片手間に作った仙丹でも、それくらいは増すだろう。
「確か伝承では、飲んだら24時間ほど昏睡するはずだ。安全なところで飲めよ」
「承知しました」
「ちなみに副次効果は、寿命が100年延びるそうだが」
流石は、不老不死の仙薬があるという蓬莱だと、一樹は呆れた。
不老でも不死でもない長命の薬は、大したものではないという扱いだった。
「その点については、御身のほうが一大事ではございませんか」
夢乃の指摘に、一樹は眉を顰める。
「他人には使えないのだから、そこまで問題ではないだろう」
何仙姑は、『其方の気を持つ者に対しては使える』と言った。
一樹は、穢れが浄化されて使えるようになった陽気、魂と一体化している神気、龍神の加護で得た龍気の三種類を持つ。
それらは一樹以外では、卵から育てた八咫烏達、式神契約した蒼依と香苗、手足の再生で神気を分け与えた沙羅、国家試験に際して龍気を分け与えた柚葉が持っている。
普通の人間は、卵から育たないし、山姫や妖狐ではないので式神に成らないし、鬼神の子孫ではないので神気を移植できないし、龍神の娘ではないので龍気も受け取れない。
だから老いを吸える法宝ではあるが、他人には使えない。
「御身の子孫に対しては、使えるように思えますが」
「子供の気は、親とは異なるが」
使えないと否定した一樹だが、簡単な抜け道が思い浮かんだ。
夢乃のほうも思い付いたのか、それを口にする。
「八咫烏を氏神として祀れば、御身の子孫は氏子として、加護を得られませんか」
「得られるかもしれない」
「氏神の八咫烏が御身の気を持ち、氏子に分け与えれば、同質の気を持てるのでは?」
一樹の子孫が、八咫烏を氏神として祀る氏子に成る。
すると、一樹が龍神から加護で龍気を得られたように、氏子は八咫烏達から加護で一樹と同質の気を得られる。
一樹と同質の気を得ると、蓮華青老函の使用対象に成れる。
「そうかもしれないが、子孫の老いを吸えても、依頼者にとっては無価値だろう」
「本人ではなく、家の繁栄を考える者も居ましょう。分かり易く例えますと、元華族の娘が、長命の子孫が家の繁栄に繋がるのではと思い付いたとか」
「随分と遠回りな方法だが、無いわけでもないか」
夢乃が自分自身を例にしたことで、一樹は他人にとっても法宝に価値があると認識した。
数百年単位で家の繁栄を考えることは、一樹が九条家の当主から聞かされた話だ。
「自身の老いを吸わせることに比べると、熱意は低そうだが、内緒にしておいてくれ」
「蓬莱の場所を教えろと迫られては困りますので、此方は申しません。ですが、御身や此方が老いなければ、いずれ露見しませんか」
「神仏に長命の御利益を頂いたと言って、誤魔化すしかないだろう。上手い言い訳を思い付いたら、俺にも教えてくれ」
一樹は深く息を吐き、肩を竦めた。
そして静かな潮騒の音を背に、一樹と夢乃は蓬莱宮を後にした。
蓬莱宮の天は、青く澄み渡り、何処までも広がっていた。




























