252話 綾部九鬼の式神
『賀茂先輩に、ご相談したいことがあるのですが』
一樹はそう言われて、隆士と共に隣のC室へと移動した。
相談の内容は分からないが、わざわざ指名してきた以上、他人に聞かれたくない話なのだろう。
一樹達が使っているD室と、凪紗達に割り振ったB室の間にあるC室は、来年入学してくる最下級生用に確保されている空室だ。
一樹は隆士を連れて移動すると、D室から持ってきたペットボトルのお茶を1本手渡した。
そしてイスに腰かけ、隆士にも着席を促す。
「話を聞こうか」
五・一五事件で、陸海軍の青年将校に殺害された総理の犬養毅は、「話せばわかる」と言って、「問答無用」と撃たれている。
現代の考えでは、聞き手側は「分かる」と自分の意見を主張するのではなく、相手に話をさせて頷き、話の続きを促していくのが大切であるらしい。
――撃たれる直前というわけでは、ないけどな。
参考にすべきは、分かった振りをするな、決め付けるなということだろうか。
一樹は、自分で解決できるのかはさておき、まずは話を聞く態度を取った。
「相談したいのは、綾部九鬼と、海犬についてです」
隆士は微かな緊張を浮かべながらも、話し始めた。
かつて織田信長に仕え、水軍を率いた名将・九鬼嘉隆は、関ヶ原の戦いでは親子で陣営を分けたことでも知られる。東軍に付いた九鬼守隆は、戦の後に鳥羽藩(三重県鳥羽市)の初代藩主として5万6000石を領した。
しかし、子の代で守隆が指名した五男と、それに不満を持つ三男との間で跡目争いが起こり、幕府の判断によって九鬼家は分封されてしまった。
「九鬼家は、五男の久隆が摂津国有馬郡三田(兵庫県三田市)で3万6000石を領し、三男の隆季は丹波国氷上郡綾部(京都市綾部)に2万石を与えられました」
「そうだな」
隆士の実家である綾部九鬼家は、久隆の家とは分かれた分家筋だ。
明治に入るまで大名家として存続した両家は、華族制度のもとで子爵に列せられた。
華族制度が廃止され爵位こそ失ったが、財産や血筋まで消え失せたわけではない。
分家の末裔である隆士も、九鬼家に伝わる中級の呪力を保ち続けている。
「綾部九鬼が海犬を使役しているのは、三重県を領した九鬼家の一族だからです」
「海犬は、三重県に伝わる妖怪だな」
「はい。先祖は、幕府から改易されることを恐れ、正統な継承者であることを証明したかったのでしょう」
隆士の声に、九鬼家が背負ってきた家名と存続への執念が重なり合う。
時代を遡れば、江戸時代には改易や減封を命じられた大名が数多くいた。
1622年、第二代将軍の暗殺を図ったとされた宇都宮城釣天井事件の本多正純が、冤罪ながらも15万5000石を召し上げられたのは有名な例だ。
そのような厳しい時代、どの家も改易される理由を生み出さないように注意を払った。
九鬼家もまた、守隆が領した三重の妖怪を使役して領地を守る立場を継承したことは、家を存続させる苦肉の策であったと考えられる。
「それで今も海犬を使役しているのですが、式神として適しているわけではありません」
「ふむ」
一樹は頷き、隆士の話に考え込んだ。
先般の模擬戦では、隆士の海犬が花音の使役する妖狐・伊勢福に敗れた。
花音の呪力はE級上位で、隆士のD級上位よりも下であるため、隆士にとっては不本意を超えて、屈辱的な結果であろう。
陰陽師協会は、等級が下の妖怪と戦うことを推奨している。
それは等級が下であれば、確実に勝てると考えられるからだ。
それにもかかわらず負けたとあれば、恥と考えざるを得ない。
「海犬は、水死した子供の霊だったな」
「はい、その通りです」
「小さな子供の霊だと、確かに戦闘向きとは言い難いな」
一樹は、人間という生物が戦いに適さない存在だとは思っていない。
だが、徒手空拳の子供が強いかと問われれば、疑問符を付けざるを得ない。
おゆう班のうち、花音を除いた6人が使役した人間は、武装した大人達だ。
なぜ大蛇の犠牲となった様々な者達のうち、武装した大人達を選んだのかといえば、彼らが一番強くて、戦闘にも向いているからだ。
「代々の伝統を否定することは難しいのですが、A級の賀茂先輩の助言であれば、父や祖父も耳を傾けると思います」
そのように隆士が、言葉を切り出した。
「先輩は、綾部九鬼が海犬を使役している現状について、どう思われますか」
「そうだな……」
隆士は、海犬を使役し続ける自家に対して、揺らぐ想いを抱えているようだった。
実際の行動に移ったのは、1年生196人のうち、下の7人に数えられていた花音に負けたからだろう。
中級の呪力者が、2ヵ月前までは小鬼以下だった相手に負けたとあらば、自身に疑念を抱かざるを得なくなっても無理はない。
隆士の話を理解した一樹は、解決策を模索した。
「大名や華族だった時代は、陰陽師の実務が無かったから、海犬でも問題は無かった。だが現代において、海犬を使役するには、戦闘面で疑念がある」
「はい」
「しかし九鬼家の存在証明である三重県の式神は、祖父や父親の譲れない部分となっている」
「そうです」
隆士は、即答を続けた。
「それなら、まずは戦いに向いた三重県の妖怪を使役する。それが上手く行けば、子供の霊で戦いに向かない海犬は、成仏させてやる。そういう形は、どうだろうか」
「戦いに向いた三重県の妖怪ですか」
「三重県には、海犬以外の妖怪も沢山居る。例えば、鳥羽の鬼女だな」
それは鳥羽城の築城伝説として伝わる。
九鬼守隆の父である九鬼嘉隆が、鳥羽の地を本拠地として、城を構えようとやってきた。
すると山の上に小さな茅葺きの寺があって、そこには千手観音があった。
だが堂守が居らず、訝しんで見回ってみると、琵琶のような声をした鬼女が居た。
嘉隆が「汝は如何なる者であるか」と問うと、鬼女は怒りの形相で飛び掛かってくる。
迎え撃った嘉隆は、鬼女の首を斬り落として、そのまま谷に投げ落とした。
以来、その地は琵琶の首と呼ばれるようになり、観音像は堀の上(鳥羽城の堀の上通り)というところに建立した観音堂に移されて、現代でも残っている。
「三重県には、九鬼に由来のある鬼も居る。九鬼嘉隆は、関ヶ原の戦いで西軍に付いているから、そちらを継承する形になる鬼女は、使役できなかったかもしれないが」
「そうなのでしょうね」
当時は、様々な制約があったのだと想像できる。
だが現代には幕府が存在せず、綾部九鬼も領地を持っておらず、改易の心配は無い。
「流石に鬼女が、現代まで残っているとは限らないが」
400年前の妖怪や怨霊となれば、既に調伏されている可能性が高い。
九鬼嘉隆に首を刎ねられた個体を探した場合、残っている可能性は、あまり高くはない。
「鬼女は、単なる例だ。三重県には色々な妖怪が棲んでいるし、海犬に拘る理由は無い」
「先輩、九鬼に直接関係が無い妖怪でしたら、海の妖怪が有り難いのですが」
「海というと、九鬼が水軍だったからか?」
「そうです」
「家柄で煩く言われるのは、うちに限らないわけか」
賀茂家の末である一樹は、父親の和則を思い出して溜息を吐いた。
一般人、あるいは平凡な陰陽師の家柄であれば、和則も等級を無視した調伏活動は行わなかったかもしれない。
だが二大宗家に数えられる賀茂家の陰陽師という点が、和則に無茶をさせた。
息子がA級陰陽師となり、魔王を調伏したので、和則は賀茂家の再興を果たした。
だが綾部九鬼は、海と接しない領地に分封されており、三重県の海に関わる妖怪を使役しないと収まりが付かないのだろう。
「三重県には、海に関わりのある妖怪も多いぞ。磯ナデ、シキ幽霊、七本鮫、引亡霊。一志町史に伝わる鬼とかは、俺も相手にしたくないが」
三重県には、かつて仏陀に矢を射た鬼がいたと伝わる。
それは、三重県一志町波瀬がまだ海の底にあった頃の話である。
当時、この地には人が少なく、鬼達は魚を捕って暮らしていた。ところが、魚達を哀れんだ仏陀がその漁を妨げたことから、鬼と仏陀の間に争いが生まれた。
現在の一志郡の地名にも、その激しい争いの痕跡が残っている。
室の口は仏陀が鬼の漁を妨げた場所とされ、矢下村は鬼が放った矢が法力で落とされた地だ。
矢頭山は矢が命中した地で、矢野村は仏陀が鬼を組み伏せ、矢を折った地と伝わる。
このように鬼と仏陀は、広範囲を巻き込んだ壮絶な戦いを繰り広げた。
伝承を聞くに、獅子鬼よりも強かった可能性すら否めない。
「三重県の海に関わる妖怪で、海犬よりも強くて、制御可能な奴を使役しよう」
制御可能という部分を強調しながら、一樹は隆士に、新たな妖怪の使役を勧めたのであった。
























