250話 石積みの穴
琴、三味線、篠笛の三重奏が、屋敷の内外に響き渡る。
もっとも音源は、スマホである。
それでも宴会っぽく仕立てられたのか、屋敷には衣冠を纏った立派な髭の男と、彼に引き連れられた100人ほどの婚礼を祝う人々が、集っていた。
――総数が目減りしているのは、過去に祓われてきたからかな。
伝承では200から300人だとされていたが、500年以上も昔の応仁年間だ。
それ以降、陰陽師が1体も調伏していないとは思えない。
地道に削り続けた結果、総数が減ったのだろう。
「いやあ、屋敷を貸して頂いて、実に有り難い!」
一樹の隣には、集団を引き連れてきた髭の男が座っていた。
――こいつが、核かな。
髭の男は、講師の妖狐用にと少量用意されていた御神酒を笑顔で飲んでいる。
そして春が、冷笑を浮かべながら、減っていく酒を見守っていた。
「……ははは、それにしても婚礼とは、おめでとうございます」
「はっはっは、ありがとうございます。我が息子ながら、まことに天晴れ。あのような器量よしの花嫁は、私も見たことがありません!」
髭の男が視線を向けた先には、14歳から15歳ほどの新婦がお行儀良く座っている。
伝承にあったとおり、細身で色白、顔立ちも整った娘であった。
なお応仁年間の頃は、色白で肌がきめ細やか、髪が長くて艶がある、口は小さくて紅いなどが、美女の条件だとされた。
屋敷に入ってきた花嫁は、美女とされる条件に合致している。
もっとも相手は、人に化ける妖怪だ。
人間が美しいと思う姿に化けただけで、正体はネズミの妖怪である。
「あなたは立派な衣冠をしておられますが、実はかなり身分の高い方なのですか」
一樹が尋ねると、髭の男は満面の笑みを浮かべた。
「ええ。我らの遠い祖先が、名高き神にお仕えしたと聞いております。嘘か誠かは知りませんが、我らには多少の呪力がありますので、誠かもしれませんな」
「名高き神ですか。それは凄いですね」
ネズミが仕えた名高き神とは何だったかと、一樹は目まぐるしく思考した。
第一候補は、諏訪の父にして、国津神の主宰神である大国主神だ。
古事記には、大国主神が火攻めに遭った際、ネズミが地下に招いて助けたと記される。
そのため大国主神を祀っている京都市の大豊神社では、境内末社に狛犬ならぬ狛ネズミが鎮座することとなった。
大国主神の神使は、神々の先導役でもある海蛇だとされる。
だが大国主神と習合された大黒天は、白ネズミを神使としている。
――多少の呪力や力があるのは、それ故か。
化鼠達の力を不思議に思っていた一樹は、髭の男から説明を聞いて、納得した。
もっとも神話時代の話であり、普通のネズミと混血していけば、大した力は残らない。程々で落ち着いたのが、現状なのであろう。
「勿体ないかなぁ」
「何がですかな?」
「いえ、失礼。無関係なことを考えておりました」
化鼠の能力を知った一樹は、僅かに惜しむ感情を抱いていた。
前回断った24人には、海鼠よりも能力の低いネズミの霊を持たせるつもりだった。
だが戦闘力は海鼠のほうが高くとも、人に化けられる化鼠は使い勝手が良い。
海鼠と化鼠は優劣を付けがたく、一概に差を付けられなかった。
「まあ、今更か」
「よく分かりませんが、今日は目出度い日。ささ、飲んで下され」
「ありがとうございます。それでは一献」
相手を油断させるために、一樹は相手が勧めた酒を飲んだ。
一樹は地蔵菩薩の万病熱病平癒という修法を持っており、酔っておかしくなる心配はない。
勧めた飲み物を口にするのを見て、髭の男の笑みが深まった。
「皆様、大分盛り上がってきたようですな」
その声で一樹が周囲を見渡せば、後輩達もお酌を受けている。
男子生徒は、花嫁の世話をしていた侍女達から。
女子生徒は、花婿の友人と思わしき眉目秀麗な青年達から。
相手がネズミの霊であることは言い含めているが、伝承に則して演技を続けているのか、男子は着物姿の侍女に対して、阿呆な真似をしていた。
「よいではないか、よいではないか」
「お代官様、お戯れを」
発生していたのは、時代劇などで演じられる典型的なシーンである。
着物姿の女性が逃げて、悪代官が追いかけていく。
そして悪代官役の男子が、侍女を捕まえた。
「がっはっは、このオレを手こずらせおって」
「あー、れーっ」
彼らは盛り上がっており、興奮が収まる気配は微塵もない。
侍女も笑みを浮かべながら、男子を煽っている。
「まっ、回るーっ」
男子に掴まれた帯が引っ張られ、侍女がクルクルと回り始めた。
帯が解かれると、着物がはだけてしまう。
男子生徒の邪な視線が、着物がはだけていく侍女へと集中したその時、不意に屋敷の明かりが、一つ残らず消えた。
途端に、大人数が屋敷中で暴れる騒音が鳴り響く。
「心霊現象だ。落ち着け、霊符に意識を集中させて身を守れっ!」
指示に従える者が、はたしてどのくらい残っているだろうか。
一樹は後輩達に持たせている式神・大根に気を送り、強制的に守護護符の効果を発動させた。
その間にも、ドンッと音を立ててテーブルがひっくり返り、料理が四方に投げ出される。酒瓶が床で砕け、床に液体が撒き散らされた。
ネズミ達と、混乱した後輩達のどちらが引っ張ったのか、カーテンが引き裂かれる音もした。
タンスが引き倒され、窓ガラスが割れて、屋敷のあらゆるものが破壊されていく。
「蒼依、猫太郎だ」
「はい、猫太郎っ!」
蒼依の指示が発せられた刹那、全身に鳥肌が立つ強烈な気が吹き荒れた。
「なぁーん」
暗闇に、大鬼に匹敵する大妖の呻り声が鳴り響いた。
呻り声と共に妖気が放たれ、空気を振動させながら、屋敷中を威圧していく。
「ギイイイッ!?」
屋敷の方々から、ネズミの悲鳴が上がった。
恐怖と混乱の気配が蔓延し、雪崩を打つように恐慌状態へと陥っていく。
「なぁーん」
「ギイイイッ」
一樹の隣から、理性を保ったネズミの命令が飛んだ。
髭の男が撤退を命じたのだと察した一樹は、即座に指示を出す。
「水仙、髭の男を追え。猫太郎と鎌鼬三柱は、ネズミの霊を追え。巣穴に追い詰めて、逃がすな」
一樹が召喚したのは、絡新婦と鎌鼬だった。
水仙は山中での行動に支障がなく、妖糸で標的の周囲を封鎖できる。
鎌鼬はつむじ風に乗って飛んでいけるし、小柄なのでネズミの巣穴にも入り込める。
猫太郎を合わせて5体の大鬼が、強風を巻き起こしながら飛び出していった。
『狐火』
いくつもの炎が浮かび上がり、暗闇を照らす。
それらは、術を放った春の元から離れて、提灯に明かりを灯していった。
照らし出された宴会の跡地には、壊された家具と汚れた床、食べ物の残骸が残されていた。
ネズミ達が居なくなって冷静さを取り戻した後輩達は、荒れ果てた屋敷に呆然と佇む。
「お前ら、怪我は無いか」
一樹が話し掛けると、後輩達が仲間と視線を交わしながら頷いた。
「はい、大丈夫です」
「それなら、今の状況を言ってみろ」
一樹が返事をした男子に尋ねると、男子は思い出しながら言葉を紡ぐ。
「賀茂先輩がネズミの霊達を誘い込んで、予定通りに宴会をしました。俺達も知らない振りをして、飲み物を飲んで……あれ、くそっ、あいつら騙しやがって」
「何を騙されたんだ」
「術だと思います。頭がふわっとして、引っ掛けられていました」
「術に関しては、ちゃんと霊符で守っていた。単に相手の色香で引っ掛かったんだろう」
一樹が突っ込むと、女子の冷たい視線が悪代官に突き刺さった。
相手のほうが遥かに年上で、手練手管では大きく上回る。
使役した後、式神に上手く騙されないか、一樹の脳裏に不安が過ぎった。
「お前が使役するネズミの霊、オスにしたほうが良いかもしれないな」
「えーっ、いや……」
「沢山居るから、マシそうなのを見繕うしかないな。とりあえず、あの侍女は駄目だ」
「マジっすか」
ションボリした後輩を見て、一樹は侍女の使役を禁止したことが正解だったと確信した。
「さて、下手人を使役に行くぞ。全員、例の木材を持て。後片付けは、その後だ」
後片付けの話をすると、後輩達は嫌そうな表情を浮かべる。
だが式神を獲得するという利益を享受するのは、他ならぬ後輩達だ。
一樹は構わず、水仙達の呪力を追って、怪異の巣へと向かった。
怪異の巣は、伝承通りの場所にあった。
屋敷から多少離れた、石が小高く積み重なる場所の下にある穴である。
先行して追い込んだ水仙から、報告が上がった。
「殆どが逃げ込んだよ。あとは、山に散っちゃった」
「そうか。髭の男は、こっちに入ったんだよな」
「当然。ボクが居るからね」
一樹は水仙に、髭の男を追えと命じた。
ネズミの霊100体と髭の男が別々に逃げれば、水仙は髭の男を追う。
水仙が居るのならば、ほかの霊が一体も居なくても、髭の男だけは巣穴に居ることになる。
「あの男が集団の核だから、調伏しておこう。あとは巣を祓って、屋敷には予定通り、地蔵菩薩の木像を埋めておくか」
「容赦ないねぇ」
「俺が去った後に再結集して屋敷を襲われると、終わりが無いからな。まずは使役だ。1匹ずつ、引き摺り出してくれ」
水仙は妖糸を用いて、ネズミの霊を巣穴から引き摺り出した。
そこには神気を纏った木材を構えた後輩が居て、傍には大鬼級の妖怪が並んでいる。そのうち1体は、化鼠の霊が恐怖を抱く猫又の大妖、猫太郎だ。
ガクガクと震える化鼠の霊に対して、一樹は厳かに告げた。
「我々は、陰陽師だ。お前達は、俺の屋敷を襲った。本来ならば調伏するところだが、式神契約が成立した者だけは、調伏しないでやろう」
使役されて力を蓄える機会を得るか、祓われるかの二択である。
引き摺り出された化鼠達は、一も二もなく頷いた。
これによって陰陽同好会の1年生は、希望した全員が、式神を持つこととなった。


























