249話 誘き寄せ作戦
北山駅から徒歩10分。
京都市北区上賀茂深泥池町神山に、その売家はあった。
鉄筋住宅で立派な門があり、坂の傾斜を均す土台の石は、戦国時代の石垣を想起させる。
土地面積は126坪で、場所が京都市であることを考えれば、充分に広い。
「ここが今回、ネズミの霊を誘き寄せる屋敷だ」
「立派なお宅ですね」
「築20年の中古住宅だけど、販売価格は2億円だそうだ」
一樹と蒼依の会話を聞いていた後輩達が、感心した表情を浮かべた。
2億円は、1件20万円となるF級の霊障を1000件祓って、ようやく稼げる額だ。週1件で除霊を行う場合、20年近く活動を続けなければ、2億円は稼げない。
実際には税金、協会の取り分、諸経費や生活費で減るので、20年では貯められない。
築20年の中古物件でも、現在の後輩達では手が届かない屋敷だ。
「ネズミの霊が出て家財を荒らすから、売れないんだけどな」
「不動産会社は、これまで陰陽師に依頼しなかったのですか」
「相手は、最低でも200から300匹のネズミの霊だぞ。誰が、どうやって倒し切るんだ」
「……そうですね」
相手は霊体なので、殺鼠剤などは効かない。
すばしっこくて、追えば逃げる。
そして陰陽師が帰った後に、再び出現する。
調伏し切れないのも無理はない。
「所有する不動産会社に、無料で調伏を提案したら、是非お願いしますと言われた」
「どうするのですか。御札を貼っても、効果は1年で切れますよね」
「適当に使役させた後、ネズミ避けとして、地蔵菩薩の木像でも埋めておけば良いだろう」
地蔵菩薩の神気を宿し、木行に特化した一樹が、地蔵菩薩の木像を彫る。
その効果は、一樹にとっては不本意ながら絶大だ。
猫の掛け軸で逃げ出すネズミの霊如き、ものの数ではない。
本来ならば、家を借りるだけでは到底釣り合わない行為だが、一樹の地蔵菩薩に対する評価は、極端なマイナスである。
塗り潰しの絵馬を所有する長谷寺に、対価で奉納した時と同様、勿体ないとは思わなかった。
開き直って、「世に地蔵菩薩の木像が広まって良かったな」や、「これは相互利益じゃないか」と都合良く解釈して、勝手に納得している。
「それで家を用意できたのですね」
「そういうことだ。伝承に沿って宴会をしたら、自分達から来てくれるだろう」
調伏の際、誘き寄せたネズミの霊に屋内を荒らされることは、不動産会社も織り込み済みだ。
A級陰陽師に清めてもらえば、荒らされた損害以上に、売値を上げる。
不動産会社が手ぐすねを引いて待つ霊障物件のインターホンを押すと、中からおゆうが現れた。
「お待ちしていました。少し到着が遅れましたが、何かトラブルでもありましたか?」
「食料の買い出しで、ちょっと寄り道していました」
「そういうことでしたか」
一樹が手に提げた買い物袋を見せると、おゆうは後ろに続く後輩達の同じように膨らんだ買い物袋にも目をやり、納得の表情を浮かべた。
海鼠の調伏では、ホテルや幽霊巡視船を使用していた。
その時に比べて質素なのは、最初から素直に従ったほうを優遇しているためだ。
「先に準備をしていただいて、ありがとうございます」
「いいえ、賀茂殿も平日には授業がありますからね」
おゆうが早めに到着していたのは、平日の間に宴会の準備を進めるためだった。
伝承では、徳田が掃除をして引っ越し、祝いに訪れた親族達と饗宴を開いたところ、ネズミ達が現れている。
出現した理由は、土地と家が自分達の物であると主張するためだろう。なにしろ徳田の時も、元々は自分達が住んでいたのだと主張している。
子孫が繁栄し易い土地を巡って生物が争うのは、何ら不思議な話ではない。
一樹達が呪力を抑えて、徳田の話を再現すれば、同じ主張に来ることは想像に難くなかった。
「よし、皆、家に入って準備を始めてくれ」
一樹が声をかけると、24人の後輩達が次々と家の中に足を踏み入れた。
玄関は靴が乱雑に並び、まるで大人数で一斉に公民館に入るように、ドタバタと騒がしい音が響き渡る。
屋内には宴会に使う物品が運ばれており、おゆうが指示を出し始めた。
「天幕を張って下さい。隣家には護符を貼ってもらい、避難してもらいましたが、範囲は庭と敷地内に収めて下さいね」
自分達の荷物を部屋の端に置いた男子生徒が、柱や布、提灯を運び出していく。
それを見た元正狐が、天幕を張る指導をするためか、一緒に外へと出て行った。
あくまで手前で宴会を催す形なので、立派な張り方はしなくて良い。元正狐が居れば、形になるだろうと見なしたのか、おゆうは完全に任せる態度で彼らを見送った。
おゆうが取り掛かったのは、宴会に出す料理のほうだ。
「力仕事を男子にさせるのですから、女子には料理をお願いしましょうか」
現代では、その発言は男女差別にあたるのだろう。
だが指揮するのは現代人ではなく、江戸時代に伝承を持つ妖狐のおゆうだ。
おゆうに「女子に力仕事を任せて、男子に料理をさせるよりも、適材適所です」と言われれば、まったくそのとおりだ。
男女では筋肉量が異なり、筋肉量が多いほうが、重い物を持ち上げるのに適している。
それは筋肉の発達を促すテストステロンというホルモンの分泌量が、男性のほうが多いために、男性は筋力や体力が付き易いからだ。
また男性のほうが骨密度も高く、骨格も力仕事に適しており、負荷や圧力にも耐え易い。
心肺機能も、男性は大きな肺と心臓を持ち易くて、酸素供給量が多いので、持久力がある。
男女平等のために、事実である生物学を否定することは、社会の効率や安全の支障になるので、正しいアプローチではない。
もちろん生物学上の違いを理由に、不当な差別をするのは不平等だ。
この場合、個々の適性に応じた機会を平等に与えるのが正解である。
「宴会用の料理を買ったので、並べて下さい。追加で汁物も作りますから、手伝って下さい」
おゆうに指示された後輩の女子達が、バタバタと動き出した。
邪魔にならないように端のほうへ寄った一樹は、料理が得意な蒼依を制止する。
「あいつらの式神だから、あいつらにやらせよう。蒼依は見学な」
「分かりました」
「手荷物は、空いている部屋にでも放り込んでおくとして、貴重品は肌身離さず持っておいたほうが良いな。この後、ネズミの霊に荒らされるだろうし」
「荒らされるのは、見逃すのですか?」
「相手が襲ってきたから取り押さえて使役したのと、こちらから襲って使役するのとでは、使役される側の納得感が変わるだろう」
「そうですね」
「だから、先に手を出させる。あいつらは守護護符を持っているから、怪我は心配ない」
見守る姿勢に入った一樹達の眼前で、後輩達がバタバタと宴会の準備を続ける。
不慣れな手つきで天幕を張り、提灯を取り付けて、蝋燭に明かりを灯してみる。
料理も次々と並び、その横には高校生らしくペットボトルの飲み物が置かれた。
不慣れな分だけ時間が掛かり、やがて外が暗くなってくる。
夜のとばりが降りるにつれて、提灯の明かりが強くなり、現代人には見慣れない光景が生み出されていった。
「なんとか形になりましたね」
会場を見渡したおゆうが、ホッと一息吐いた。
「それでは宴会を始めます。賀茂殿、一言お願いします」
「えー、この度は、私の引っ越し祝いに集まって頂いて、ありがとうございます。この地を買い、住むことになりました。ここは私の土地です。ぜひ皆さんで飲み食いしながら、この地の所有者を祝って下さい」
「ありがとうございます。皆さん、拍手」
一樹はネズミの霊を挑発すべく、土地の所有権を宣言した。
おゆうが追従するように指示を出すと、一同からはパチパチパチと大きな拍手が沸き起こる。
「さあ食べよう。まずは乾杯だ。各自、好きな飲み物を手に取ってくれ。さあ、乾杯」
一樹の声が響き渡り、一同が一斉に飲み物を掲げた。
すぐに「乾杯」と声が重なり、プラスチックの響きが夜の静けさを割って広がる。
飲み食いをしろと言われれば、育ち盛りの男子高校生は喜んで食い付く。すぐに彼らは、並んだ食べ物に手を伸ばした。
「唐揚げうめぇ」
「フライドポテトが温かいけど、冷凍のを揚げたのかな?」
ガツガツと食べる男子とは正反対に、女子はヘルシーなサラダを取り分け、スナック菓子やデザートにも手を伸ばしていた。
「どうして、お菓子やプリンが並んでいるんだ」
「途中で買い足していましたよ」
困惑する一樹に答えた蒼依が、隣でおにぎりを口に運んだ。
「……好き勝手に食べるほうが、宴会っぽくて良いのか?」
そのほうが、ネズミの霊を騙せるかもしれない。
一樹は割り切って、後輩達が作ったサンドイッチに手を伸ばした。
サンドイッチにはハム、レタス、トマトが挟んであり、調味料にマヨネーズを付けている。
トマトの分量が多くて、パンがベットリしていたが、高校1年生で普段作り慣れていなければ、そんなものだろう。
蒼依のおにぎりも食べ難い大きさだったが、自前で作ったからか、当事者達は満足げだった。
そして当事者が盛り上がっているからだろうか。
成立した宴会に釣られたのか、屋敷の門に、霊の気配が集まってきた。
「どうやら来たな」
一樹が呟いたのに前後して、門を叩く音が聞こえてきた。
























