248話 化鼠
6月最初の土曜日。
一樹と蒼依は、妖狐の春、式神を持たない後輩24人と共に、京都市へと赴いた。
前回の海鼠では蒼依を同行させていないが、今回は必要があって同行を頼んでいる。
「目的地は、京都市北区上賀茂(旧・愛宕郡上賀茂村)という場所だ。市営地下鉄の烏丸線に乗り換えて、北山駅で降りてから徒歩になる。ちゃんと付いて来いよ」
学生服の後輩達は、コクコクと頷いて、カルガモのヒナのように付いてくる。
後輩達に学生服を指定したのは、大勢の人が行き交う場所で、集団の見分けを付け易いからだ。つまり普段は来ない不慣れな場所で、はぐれると再合流が面倒だという理由である。
京都は修学旅行先として有名で、学生服姿の大人数が移動しても、気にも留められない。
24人は竹刀袋も持っていたが、剣道部の大会と解釈されるのか、呼び止められなかった。
中身は、海鼠を使役させた際に持たせた、神気を帯びた木材である。
最初に182人分を作成しており、海鼠の不参加者の分は、相川家の納屋に放り込んでおいた。それを引っ張り出して持たせたわけだ。
――木材は、竹刀みたいなものだろう。
一樹達は剣道部ではないが、同好会の活動に使う物なので、剣道部が竹刀を持つような物だ。
京都市の日常に溶け込んだ一樹達は、ガタンゴトンと電車に揺られながら、市街地の最北端に向かっていった。
24人の後輩達を眺めた一樹が、春に話し掛ける。
「けっこう参加しましたね」
「と、申しますと?」
「ネズミは、人間からの好感度が高くはない生物です。それでも今回は、前回不参加だった33人中24人が参加しました。この人数は、想像より上でした」
ネズミは、干支で最初に数えられる動物だ。
だが農作物を食い荒らしたり、病原菌を運んだりする害獣のイメージが定着している。
頭で考えれば、霊ならば農作物を食い荒らさず、病原菌も運ばず、指示にも従うと理解できる。それでも本能的に忌避感を抱くことは、理屈を理解できたとしても避けがたい。
――嫌なものは、嫌だからな。
対象となる33人は、同好会で学ぶ立場だが無理だと、一度はネズミの使役を拒んだ立場だ。
わずか2週間での変遷は、変わり身が早い。
「1人が強制退会させられた件と、先般の模擬戦での見学が、影響したのでございましょう」
「それは仰られるとおりだと思います」
勝手に式神を使役に行って失敗した久瀬は、同好会を強制退会させられた。
同好会を退会させられると、春達から術の指導を受けられなくなる。
指導を受けなくても、これまで学んだ内容と独学で、国家試験には受かるかもしれない。
だが2ヵ月の指導を体験すれば、陰陽術を学ぶにあたって指導を受けることが最善だと分かる。指導を受けられる機会を手放すメリットなど無い。
そのため久瀬のように、自分で式神を探して使役するという行動は、迂闊に取れなくなった。
そして先般の模擬戦だ。
式神の有無は、大会に出られるか、応援席に座らされるかの差となった。
自分はずっと応援席で良いという者は、わざわざ花咲高校に進学したりはしない。
生憎と、式神を得られる二度目の機会も、対象はネズミであったが。
「妖怪や怨霊を使役する時、相手の顔が好みという理由で選ぶほうが、おかしいのでございます」
「至極ごもっともです」
蒼依と目が合った一樹は、内心で冷や汗を搔きながら答えた。
そんな一樹の様子に蒼依が微笑みを浮かべる。
一樹と蒼依との式神契約は、一樹が祖母の山姥を追い払ったことで、蒼依が身体の維持に必要な気が得られなくなった状況に端を発する。
蒼依が両親を亡くした未成年で、意に沿わず祖母に利用されていた立場も、一樹は思料した。
だが蒼依が、祖母の山姥と同じ容姿ならびに年齢であったならば、そこまでの手は貸さなかっただろう。
一樹は地獄の体験を経ており、精神が健全だとは言い難いが、身体は健全な男子高校生である。健全な男子高校生に、欲が無いわけがない。
もっとも一樹と後輩達とでは、使役に使える呪力の差で、立場が異なる。
後輩達は、式神の戦闘能力を最優先で選ばなければ、自身の生死に関わる。
後輩達を対象として「好みで選んでいる場合ではない」と見なした春の主張は、そのとおりだ。
――今回も拒んだ33人中9人は、まあ仕方が無いな。
陰陽師に成った後、調伏の現場で、使役に適した霊に出会えるかもしれない。
その際は、一樹が式神の霊符を持たせたり、神気を帯びた木材を与えたりはしてくれない。二尾の妖狐が、実力を見定めた上で手頃な妖怪を見繕ってくれたりもしてくれない。
その代わり、自分の好みに合致する霊を選べる利点がある。
そのほうが、上手く使役できるかもしれない。
「それにしても、ネズミの妖怪は沢山いるのですね」
「子沢山でございますからね」
今回対象となったネズミの妖怪は、『狗張子』(1692年)に記されている。
応仁年間(1467年~1469年)、京都の四条に徳田某という商人がいた。
応仁の乱の最中で、京に住むのは危険だと判断した徳田は、北山賀茂(京都市北区上賀茂)の親類に頼み、密かに賀茂の古御所を買い取ることにした。
屋敷は長年、人が住んでおらず荒れ果てていたが、掃除をして引っ越し、祝いに訪れた親族達と饗宴を開いた。
その夜、皆が酔いつぶれた頃、突然、屋敷の門を激しく叩く音がした。
訝しみながら門を開けた徳田の前に、衣冠(平安中期以降の宮中で、正装に準じて着用された、男性貴族の略式の装束)を纏った立派な髭の男が現れ、宣った。
『私はこの屋敷の元の主です。今夜、息子の婚礼を執り行うため、この屋敷を一晩だけ貸していただけませんか。夜が明けたらすぐに立ち去りましょう』
そう言うやいなや、婚礼の行列がぞろぞろと屋敷に入り込み、総勢200から300人もの大宴会が始まった。髭の男は続けて宣言する。
『こんなめでたい日です。遠慮はいりません。皆さんもご一緒に楽しみましょう』
徳田と親族達も招かれ、一緒に酒宴に加わった。
新婦は14歳から15歳ほどで、細身で色白の美しい娘であった。また、侍女達も皆美しい。
徳田達が戯れに新婦の手を取り、杯を勧めると、新婦は我慢できない様子で逃げ出した。
それを追いかけようと騒ぐうちに、突如強風が吹き荒れ、灯りが全て消えてしまった。
驚いた徳田が急いで火をつけると、先ほどまでそこにいた人々は跡形もなく消えていた。
夜が明け、屋敷を調べると、新居に持ち込んだ道具は一つ残らず消え、秘蔵の茶道具や食器、家具までもが噛み千切られていた。ただ、床の間にかけられた『牡丹の下に猫が眠る掛け軸』だけは無傷で残っており、皆は不審に眉をひそめた。
後日、博学な老儒者の村井澄玄が徳田に告げる。
『それはネズミの妖怪で、掛け軸に描かれた猫を恐れたのでしょう。猫を恐れるネズミごときが、これ以上の怪異を起こすことはできません』
さらに村井は、そのネズミ達を退治することを提案した。
怪異の巣は、屋敷から一町(約109メートル)ほど東の、石が小高く積み重なる場所の下にある穴だった。
そこには無数の年老いたネズミが巣食っていたが、すべて捕らえて埋めると、それ以降は何も起こらなかったという。
「あの、春先生。そのネズミって、倒したんですよね?」
春の傍に居た三人組の女子のうち一人が、春に尋ねた。
すると春は、不敵な笑みを浮かべる。
「倒せば怨霊になりますが、それを祓っておりませんでしょう。ですから、放置されている怨霊の使役を、陰陽師を志す皆様方に勧めているのです」
「あっ、そういうことなんですね」
説明された1年生が、大きく頷いた。
そもそも、先に使役された海鼠が、ネズミの怨霊だった。
次の妖怪もネズミだと言われているなら、ネズミの怨霊であろう。
「それに新婦の実家は調伏しておりませんから、子孫が棲み着いているはずです。もちろん新郎と新婦の2家だけのはずもございませんから、ネズミの妖怪は、山と居ります」
「それは大変ですね」
「ですから機会があるごとに、狩り続けませんと」
稲荷神は、ネズミを狩る狐を神使とした。
そんな稲荷神(吒枳尼)を祀る豊川稲荷に属する妖狐だからか、春は楽しそうに、ネズミ狩りについて語った。
























