246話 後輩達の模擬戦
2人組になって砂浜に広がっていった後輩達が、対戦する相手と向かい合った。
そして意識を集中させ、呪力を練り上げて、使役している式神を召喚する。
『召喚・海鼠』『召喚・海鼠』
式神を召喚した後輩達の足元に、次々と猫サイズの海鼠が姿を現す。
現れた海鼠は、鋭い4本の歯を持つ。その歯で食らい付けば、相手の霊体を傷付けることができるだろう。
顕現した海鼠達は、標的を見定めて、鋭い眼光で睨み合った。
「海鼠には、仲間意識は無いのですか」
「そんなものは無いだろう」
一樹が想像したのは、イザナミの分体として各地に撒き散らされた山姥だった。
山姥はイザナミが生み出した分体だが、山姥同士で助け合ったりはしていない。蒼依のように、イザナミの呪いから独立する者すら現れる。
召喚された海鼠達は、相対する海鼠を完全に敵と見なしており、ジリジリと近寄っていった。
「始まるな」
一樹が呟いた次の瞬間、二体の海鼠が砂浜を蹴って、互いに飛び掛かった。
砂煙が舞い上がる中心地に、海鼠の爪が閃く。
狙ったのは、相手の首元。
仲間意識など皆無で、明らかに致命傷を負わせようとしていた。
しかし、もう一方の海鼠は人間を上回る反射神経で身を翻し、その攻撃を回避した。
爪が軌跡を描きながら、空を裂いていく。
攻撃を躱した海鼠は口を大きく開けて、相手の霊体を貫くように歯を突き立てようとした。
「行けっ!」
反撃に転じた海鼠の使役者が叫びながら、無意識に気を送った。
命じられた海鼠は、その身を省みずに突撃して、鋭い歯で相手の首筋に食らい付く。
食らい付いただけで勢いは収まらず、ぶつかっていった海鼠に体当たりされる形で、2体の海鼠は砂浜を転がっていった。
「ギイイイッ」
噛まれた海鼠が、苦痛に叫んだ。
全身を左右に振り回して、噛み付いた相手を振り解こうとする。
だが噛んだ海鼠は、けっして標的を離さない。噛み千切ってやると言わんばかりに標的を押さえ付け、アゴの力を強め、同時に気を高めた。
ギリギリと噛み続けると、霊体が薄れていく。
すると噛まれたほうの使役者が、呪力を送り込んだ。
「くっ、ぬあああっ」
押されている海鼠が、押されながら呪力を回復させた。
その様子を見た一樹は、渋い表情を浮かべる。
「押さえ込まれたまま回復させても、呪力の消費が大きすぎるんだよなぁ」
噛まれて、押さえ込まれている状態で回復させても、呪力を削られるばかりだ。
そのうち呪力が尽きて、敗北に至るのは、目に見えている。
「あれは、どうするのが正解なのですか」
一樹と蒼依が緊張感を持たないのは、これが成績とは無関係な模擬戦だからだ。
国家試験の三次試験であれば、もっと惜しんだかもしれない。
だが模擬戦であれば、敗北から改善策を考えることが出来る。負けても有意義なので、敗北したからといって、惜しむことはない。
「そうだな。一度霊体に戻してから、再び出して、仕切り直させるのが良いかもな」
「霊体に戻す間、使役者は無防備になりますよね」
「だから、直ぐに消して出し直せるように、練習することも必要かな」
一樹であれば、最初から複数の式神に攻撃させる。
だが後輩達に、2体の式神を使役しろというのは、呪力的に厳しい要求だ。
海鼠2体であれば、呪力的に不可能ではないが、霊符を作成する呪力が無くなってしまう。
後輩達が、式神に割り振れる呪力の範囲内で、どれだけ上手く戦えるようになるか。そのような効率面での向上を目指すのが、模擬戦の目的だ。
今回は残念なことに、噛まれて押さえ込まれている側が右手を挙げて、早々に決着が付いた。
「くそっ」
負けたほうは悪態を吐いたが、運が悪かったとか、砂浜に足を取られたとか、自分以外のせいにはしていない。
悔しくて、次は勝ちたいと思うのであれば、術者として成長するだろう。
後輩達の戦いは、砂浜の各所で起こっていた。
式神同士で接戦を繰り広げる組もあれば、一方的な戦いになってしまう組、式神と術者が連携して混戦になっている組もある。
戦いは百人百様で、模擬戦が終わった者達も他所を見学しながら、使役方法を学んでいった。
海鼠達、そして隼人達の模擬戦は、一樹の想定内に推移している。
想定を逸脱したのは一カ所、花音と九鬼隆士の式神達だ。
そこには、信じがたい光景が生じていた。
「……主様?」
「あれは何だ」
周囲が海鼠の戦いで白熱する中、若い妖狐と子犬が、無邪気に遊んでいる。
浜の流木から軽い木の枝を掴み取った妖狐は、それを上に掲げてから、ヒョイッと投げた。
すると海犬が、嬉しそうにピョンと跳びはねながら、木の枝を追って走る。
尻尾を振りながら軽やかに駆けた子犬は、木の枝を咥えると、妖狐の元に駆け寄ってきた。
すると妖狐は木の枝を受け取り、海犬を褒めた。
「偉いね。賢いよ」
「キャンキャンッ」
頭を撫でられた海犬は、嬉しそうに尻尾を振り回す。
その光景が何かと問われた蒼依は、見た目のままに答えた。
「子犬が、飼い主と遊んでいるように見えます」
「奇遇だな。俺にもそう見えた」
海犬の使役者である隆士は、呆然としている。
そして妖狐の使役者である花音は、なぜか一樹に、何かを訴えるような視線を向けていた。
「……俺は、悪くないぞ」
花音に福という妖狐の式神を紹介したのは、師匠のおゆうだ。
一樹はおゆうに頼まれて、使役に赴く花音達の引率者となっただけである。
資格を持った陰陽師として引率した以上、現地で対象を視て「良し」と判断した責任がゼロとは言えないかもしれないが、9割方はおゆうの責任で良いのではないだろうか。
花音に視線で訴えられた一樹は、言い訳を口にした。
「勝てば良いんだ。勝てば」
海犬は、完全に福の制御下に入っている。
これが陰陽師の仕事で、調伏対象が海犬であったならば、福という式神で海犬を鎮めた花音は、依頼を達成したことになる。
「九鬼君は、海犬を使役しているのですよね。どうして、あんな風になるのですか」
「そうだな。海犬の特性も、利用されたかもしれない」
海犬は、関ヶ原の戦いで東軍に付いた九鬼守隆が領した鳥羽藩があった三重県や、高知県の歴史書『南路志』(1813年成立)、和歌山県など各地に伝わる妖怪だ。
海犬は、海で水死した子供の霊である。
全身が真っ青な子犬の姿をしており、沖の深い海底に棲んでいる。
人が苦手なので、姿を見ることは滅多にないが、子供が一人だけで海辺で遊んでいる時には姿を現して、海底に引き摺り込んでしまう。
引き摺り込む理由は、寂しがって友達を欲しているからだそうだ。
だが引き摺り込むと死んでしまうため、「ルルウ、ルルウ、ルル」と悲しそうに鳴くという。
「相手が遊んでくれるから、海犬が喜んで乗ったということでしょうか」
「そうだと思う。朱雀達だって、相手と遊ぶだろう?」
「そうですね。昨日は、どこかで野菜のお土産をもらって、袋を掴みながら帰ってきました」
「……あいつらは、一体何をやっているんだ」
蒼依の話を聞いた一樹は、こめかみを押さえた。
一樹は二大宗家である賀茂家の血統であり、最高峰と謳われるA級陰陽師で、術の精度が高い。
そんな一樹が使役する式神でも、好きに振る舞う。
それならば隆士の海犬が、木の枝を追いかけたところで、何ら不思議ではないだろう。
福は特性を利用したのか、それとも術に掛けたのか、海犬を完全な制御下に置いていた。
「隆士が海犬を使役しているのは、九鬼の本拠地だった三重県の海に生息する妖怪だからだろう。代々受け継いだとか、家の都合とか、効率以外の事情も考えられる」
「そうなのですね」
「ああ。だから効率的な式神を勧めるような指導は出来ないな。遊ぶ犬が悪いわけでもないし」
一樹の脳裏を過ぎったのは、花咲家の氏神となった犬神だ。
生まれが普通の紀州犬でも、大成する場合がある。
その過程を辿っているかもしれず、安易な否定は躊躇われた。
「花音と福は、模擬戦だから戦えと指導して良いのか、判断が付かないな」
「あのままで良いかもしれませんね」
夕暮れの砂浜には、無邪気に遊ぶ妖狐と子犬のシルエットが、長く伸びていった。
























