244話 刑部姫
姫路城がある姫山から、強烈な神気が放たれていた。
それは刑部姫に腕試しを挑むことになるまでは、発せられていなかったものだ。
大天守から見渡すと、神気に気圧された人々が続々と、姫路城の敷地外に逃れていた。
「観光客だけではなく、城の管理職員も逃げていきますね」
「小太郎ですら、備前門で二の足を踏んだ。それが広がれば、逃げるのも無理もない」
人々は警告するまでもなく、城の外に移動していく。
人的被害を最小に抑えるために、刑部姫が配慮したのだろう。
なにしろ姫山は刑部姫の神域であり、観光客は参拝者に準じるのだ。
――国宝や世界遺産に登録されている姫路城の安全は、確保されていないが。
長壁神社と命名されたような建物だから、刑部姫は愛着が湧かないのかもしれない。
そもそも姫路城は、明治、昭和、平成と幾度も大修理を繰り返している。
壊れたら勝手に修理しろとでも、思っているのかもしれない。
「A級陰陽師として、B級の二人に指示する」
一樹は、後ろを付いてくる沙羅と凪紗に告げた。
「姫路城の損害は、気にしなくて良い。久瀬の救出、すなわち人命を最優先として、作戦を行う。俺が全責任を持ち、陰陽師協会に結果を報告した後、必要に応じて協会から公式発表する」
「分かりました」
沙羅が代表して返事をした後、一同は備前丸(本丸)の広場に出た。
刑部姫と向かい合った沙羅と凪紗は、それぞれが羽団扇を取り出した。
羽団扇は、大天狗や力の強い天狗しか持てず、それ1本で様々な術を自由自在に扱える。
それも力の証明ではないかと一樹は思ったが、それだけで認められるほど甘くはなかった。
「その羽団扇は、普段から持ち歩いておるのかえ」
刑部姫は目を細めて、見定めるように問う。
右手に錫杖を持ち、左手で2本の羽団扇を重ねて持つ沙羅は、警戒しながら浅く頷いた。
「普段は1本ですが」
「面倒であろう。わざわざ持ち歩かずとも、好きに喚び出せば良い」
刑部姫は、手にしていた扇子を軽く振った。
すると扇子が、天狗の羽団扇に化ける。
目を見張って驚いた一樹達の前で、さらに振られた羽団扇が掻き消えた。
刑部姫は、何事もなかったかのように虚空から羽団扇を取り出してみせる。
「私達の羽団扇は、現世の風切羽を集めて作ったのですが」
刑部姫のような顕現ではなく、蒼依の天沼矛のように呪力で生み出しているわけでもない。
だが刑部姫は、その常識が間違っているかの態度で、再び羽団扇を出し入れしてみせた。
「出来ました」
刑部姫を見ていた凪紗の手元から、羽団扇が消え失せた。
そして消えた羽団扇を出してみせる。
「自分の呪力に溶け込ませて持ち歩き、呪力を使って出すのですね」
「……ほう」
刑部姫は、自身の羽団扇を扇子に化けさせて、口元を隠した。
次いで、沙羅を注視する。
刑部姫に見詰められた沙羅は、凪紗の仕草と説明を元に、自身の羽団扇に念を送った。
すると沙羅の羽団扇も、虚空に消え失せた。
だが消した羽団扇を、出せるのか。
一樹が見守る中、沙羅も虚空から羽団扇を取り出せた。
「最初の娘は、才覚。次の娘は、羽団扇の力に助けられたの」
刑部姫の慧眼は、一目で本質を見破った。
沙羅と凪紗の羽団扇は、素材となった風切羽11枚のうち、2枚が異なる。
沙羅の羽団扇には、薬師如来の力を宿す金文の霊鳥と、虚空蔵菩薩の力を宿す白鷹を使った。
凪紗の羽団扇は、五鬼童家が自前で狩った鵺2頭で、大鬼相当だった。
虚空蔵菩薩は、かつて地蔵菩薩と合祀されていたこともある、
地蔵は、地(大地)と蔵(恵みを与える宝)。
虚空蔵は、虚空(宇宙)と蔵(恵みを与える宝)。
虚空蔵菩薩の力を宿す羽団扇であれば、虚空から取り出すことに力を貸せる。
加えて虚空蔵菩薩は、技芸上達の御利益も持つ。
「一体化を成せたのであれば、自分の力に重ねられよう」
刑部姫は、口元を隠していた扇子を扇いで、広場につむじ風を起こした。
そして扇子を消すと、何も持たない手を扇ぐ。
すると手元から、つむじ風が巻き起こり、広場を吹き抜けていった。
――羽団扇を手にしていなくても、持っているのと同じことが出来るのか。
やってみろと言わんばかりに、刑部姫が視線で二人を促す。
すると手元の羽団扇を消した凪紗が模倣し、一回で風を起こした。
凪紗が手を振る度に、炎が巻き起こり、水が噴き出し、木矢や石礫が飛び出していく。
「朱雀達の力か」
11枚の風切羽には、五行の八咫烏、地脈の力を溜める大森山の怪鳥、敵の呪力を吸う生血鳥、猛毒の斑猫喰、剛力と鷲への変身能力を持つ天津鰐が、共通して用いられている。
凪紗は、それらの術を身に付けたことになる。
「天狗の羽団扇が、様々な術を使えると伝わるのは、それぞれに籠められた力が異なるからじゃ。実際に使えるのは、1本につき11種類である」
「知りませんでした」
「その割に、遺漏が無いの」
沙羅も、羽団扇を消しながら火を出せていた。
説明が事実であれば、沙羅の羽団扇は、薬師如来と虚空蔵菩薩の御利益を持つことになる。
沙羅に学校を休ませた一樹は、虚空蔵菩薩が技芸上達のほかに、成績向上や記憶力増進の御利益もあったと思い浮かべた。
「ようやく、試すに値するようになったの。相応の力を見せてみよ」
羽団扇を扱えるようになるまでは、論外であったらしい。
扇子を出した刑部姫が、沙羅と凪紗に構えた。
沙羅と凪紗も、それぞれ錫杖と薙刀を両手で構えて、向かい合う。
「五鬼童沙羅です」
「五鬼童凪紗です」
「日本八天狗の一狗となった、大峰山前鬼坊の子孫か。いつでも来い」
刑部姫と睨み合いながら、凪紗は呼吸を整えた。
次第に呼吸が小さくなっていき、やがて止まった瞬間、縮地で瞬時に飛び掛かった。
大地を蹴り飛ばし、背に風を受け、爆発的な速度で襲い掛かり、薙刀を振り抜いた。
だが刑部姫の姿は、振るわれた薙刀の先には居なかった。
凪紗の攻撃を避けるように、上空へと飛び上がったのだ。
澄み渡った青空に、刑部姫が広げた黒翼が際立っている。
『天狗火』
沙羅が放った術が、巨大な火の玉と化して、上空の刑部姫に襲い掛かった。
刑部姫は素早く躱したが、天狗火は飛び回って、刑部姫を追いかける。
火の玉が追ってくるのを確認した刑部姫は、迎撃の術を放った。
『鬼火』
鬼神である刑部姫が生み出した鬼火が、沙羅の天狗火と衝突して、互いに打ち消し合った。
その隙に沙羅と凪紗は、黒翼と金翼を広げて、上空に舞い上がっていた。
二人と刑部姫は、上空で睨み合いとなる。
「どうして神域で、鬼火を出せるのですか」
凪紗が攻撃する隙を作るためなのか、沙羅が刑部姫に話し掛けた。
鬼火は、意識が消えた浮遊霊の霊魂で、神域には存在しない。
「自らの霊魂で、生み出せよう。呪力を使って、擬似的に作れば良い」
刑部姫は、手本を見せるように鬼火を生み出した。
その鬼火が、次第に人の姿に変わっていき、やがて刑部姫の姿を模した。
炎を纏った刑部姫の霊は、その力を見せつけるように、沙羅に襲い掛かっていく。
『天狗火』
刑部姫の鬼火に迫られた沙羅は、模倣して鬼火を出したりはせず、天狗火で迎え撃った。
その瞬間、凪紗が鳥のように飛んで、刑部姫に襲い掛かった。
羽団扇に力を宿す11羽は、いずれも高い飛行能力を持つ。
地上の縮地よりも、素早く迫った凪紗は、頭上から薙刀を振り下ろした。
「中々に速い」
凪紗の速度を評価しつつ、刑部姫は扇子を振るって、薙刀の攻撃を横に受け流した。
打ち合った瞬間、凪紗は身体から霊魂を出すように、術を放った。
『鬼火』
凪紗の術を見た刑部姫が、驚きに目を見張った。
それが一瞬の隙を突いて、鬼火が刑部姫の身体に触れる。
互いに武器を打ち合うという、とても避けがたい距離からの攻撃に対して、刑部姫は全身から神気を放って鬼火を打ち消した。
神気で凪紗を押し出した刑部姫は、いつでも鬼火を放てる構えのまま、距離を取った。
そして攻撃を受けた身体を見下ろす。
刑部姫の十二単は、凪紗の鬼火で焦げていた。
「……二重に不意を突かれたの」
不意の一つは、沙羅が神域で避けた鬼火を、凪紗が一発勝負で出したことだ。
そのため刑部姫は驚いて、行動が一瞬遅れた。
「身体から霊魂を出すように放つ鬼火と、手から生み出す天狗火では、速さも異なりますから」
「良い判断だが、それだけでは神気を突破できぬ」
A級以上の力を持つ刑部姫に対して、B級の凪紗は呪力が足りない。
だが呪力不足を補う霊物を、凪紗は身に付けていた。蒼依姫命の管玉である。
「妾を傷付けたのであれば、及第であろう」
腕試しの終了を宣言すると、刑部姫は空から降りて来た。
それを追って沙羅と凪紗も、一樹が待つ備前丸に降りていく。
軽やかに着地した3狗が揃うと、刑部姫が扇子で口元を覆いながら告げる。
「あの阿呆、連れて行くが良い」
許しを得た一樹は、姿勢を正して頭を下げた。
 
























