243話 大天守の主
「お菊井戸から近いのは、備前門ですね」
久瀬の呪力の残滓を確認した一樹達は、沙羅の案内で大天守へと向かう。
その最中、犬神を連れた小太郎が、不調を訴えた。
「圧迫されそうだ」
「それは、通路が狭いからか?」
戦国時代の城は、大名や領主が、敵方から身を守る城塞として作られた。
ほかにも力の誇示や、行政機関も兼ね備えていたが、最優先事項は防衛だ。
優勢な敵が攻めてきた時、籠城して耐え抜けば、相手が撤退を余儀なくされる場合もある。
そのため城は、堅牢であるほうが良くて、大人数が広々と通れるような造りにはならない。
姫路城も城に相応しく、本丸の通路は狭かった。
「違う。違わないかもしれないが、それだけではない」
「だとすれば、神域の神気を浴びているからか」
一樹達の中では、小太郎の呪力が一番低い。
A級陰陽師の一人に数えられるが、それは小太郎自身ではなく、犬神が強いからだ。
小太郎の呪力は、国家試験でD級中位、犬神が憑いてD級上位、魔王領の煙鬼掃討でC級下位、羅刹を殺してC級上位まで上がった。
後輩達と比べれば充分に高いが、沙羅はB級上位で、凪紗もB級中位だ。
自分の気が少ない中で、ほかからの神気を浴びて、飲まれたのかもしれないと一樹は予想した。
すると小太郎とは正反対に、平然とした凪紗が異を唱えた。
「ほかの理由も、あるかもしれません」
凪紗が指差したのは、備前門手前の石垣だった。
正確には、積み上げられた石垣の中で、大きな石を二つ指差している。
様々な石の中でも、綺麗な色だった。
「あれがどうかしたのか?」
「あれは、古墳時代の石棺です」
「かつて大王を収めていた棺か」
石棺とは、遺体を納める石製の棺のことだ。
かつて兵庫県高砂市の伊保山には、垂直に切り立った岩肌があって、石切場として使われた。
現在の竜山石採石遺跡から採石された石は、古墳時代の中期以降に大王を収める棺として利用されていた。
姫路城がある兵庫県姫路市では、壇場山古墳から長持形石棺が見つかった。
同県では、加古川市の池尻16号墳や、加西市の山伏峠から、家形石棺も見つかっている。
「墓からの転用石です」
つまり城を造るために石が必要で、遺体を収めていた石棺を利用したということだ。
墓の上に設置される墓石ではなく、骨壺を使うことに相当する。
骨壺に収められている邪魔な骨は捨てて、入れ物だけ使うわけだ。
「本丸の門の石垣を作るのに、ちょうど良かったのかもしれません」
「それは怨念が募りそうだな」
そんな石棺が、刑部神社が建立されていた姫山の神域に運ばれて、城造りに使われた。
そんな目に遭った刑部姫も、色々と思うところがあったかもしれない。
小太郎が圧迫感を感じた備前門を抜けると、大天守に入った。
上っていく途中で、先程まで居たお菊井戸が見える。
「城から見ると、大通りが真っ直ぐに延びて、駅まで続いているな」
その先には、瀬戸内海がある。
姫路藩主となった池田輝政は、飾磨川が注ぎ込む地の両側に、櫛の歯状となった船の係留岸壁を造成して、姫路藩御船手組(水軍)を置いた。
姫路城の周辺は、南に瀬戸内海があって、残る三方は山だ。ただし山に囲まれた田舎ではなく、兵庫県から山口県の下関までを繋いだ西国街道の通り道だった。
また城の付近に流れる市川の上流には、生野銀山もあった。
立派な造りの姫路城は、それに見合う価値を有する、西国を押さえる重要拠点だったのだ。
そんな江戸時代の重要拠点を上っていくと、やがて最上階に辿り着いた。
天守には小さな社があって、誰一人として観光客が居なかった。
――小太郎で圧迫感を感じるのだから、一般人は誰も来られなかっただろうな。
社に居たのは、明らかに観光客ではない2人だ。
1人は、数え年で17から18歳ほどの女性だ。古風な十二単を着ており、髪型は垂髪で、口元を扇子で隠している。
もう1人は、久瀬と思わしき男だ。現代の服を着て、平伏させられていた。
衝撃的な光景であったが、一樹は深呼吸をして落ち着くと、丁寧に頭を下げた。
「かしこくも尊き刑部明神様に拝見できますことは、身に余る光栄に存じます。姫山に座し、人の世を見守り下さる御身に、深く御礼申し上げます」
一樹は先手を取って、自身の認識を説明した。
池田輝政を含めた大抵の人間は、延喜式に記された刑部神社や刑部明神を知らない。
刑部姫を理解しておらず、刑部姫から「話にならない」と思われている。
一樹は、自身が刑部姫にとって「話になる相手だ」と証明したのだ。
「ほう。この阿呆の同類かと思いきや、道理の分かる者であったか」
「刑部神社が建立された姫山は、刑部明神様の神域と心得ます。その者は、先月に同じ寺子屋に入ってきました。後輩の無知には、先輩として恥じ入るばかりです」
蒼依の山は、蒼依姫命の神域である。
それと同様の認識で、一樹は姫山が刑部姫の神域だと、確信を以て断じた。
すると刑部姫は、硬直していた態度を軟化させて、威圧の度合いを下げた。
「その者は、陰陽師を志しております。ほかの者達が鼠の怨霊を使役に行った際、お菊という霊に目星を付けました。ですが場所が見当外れで、神域に迷い込んだようです」
「そして女の霊を術で縛りたいという、邪にして不埒な欲望を撒き散らし、妾の神域を穢した」
刑部姫が視線を向けると、放たれた神気に押された久瀬の頭が、床にゴツンとぶつかった。
いわゆる土下座である。
一樹は、どのように弁護すべきか迷った。
そもそも刑部姫は、お菊の使役という自身とは無関係なことで、なぜ怒っているのか。
「刑部明神様は、城主の命で天守の灯りを見に来た武士を、許したこともお有りと聞き及びます。そしてお菊は、姫路城の乗っ取りを防ごうとした忠心の配下でした」
「然り。それが何じゃ」
「姫山を奪った青山鉄山が殺そうとし、懸想した町坪弾四郎が責め立てて殺したお菊を死後にまで辱めるのは、度し難いとお考えなのかと、拝察いたしました」
「如何にも。此奴は、霊を辱めて、霊の無念を増す。陰陽師には、向かぬのではないか」
「ごもっともでございます」
ぐうの音も出ないとは、この事であろう。
久瀬がやろうとしたことは、陰陽師が行う活動の対極にある。
神から正論で諭されて、一樹は頭を抱えたくなった。
「私は、現代の陰陽寮における第六席です。その者が、刑部明神様の神域に踏み入って、邪な術を目論んだことを報告します。そして陰陽師の資格を与えないように、働きかけます」
幸いにして一樹は、刑部姫との話し合いを撮影している。
刑部姫の動機を丁寧に確認したのも、証拠撮影が目的だった。
協会長の向井、副会長の宇賀、国家試験の責任者である五鬼童に、撮影した動画を同時に送り、不合格とするよう働きかければ良い。
「その言に偽りは無いであろうの」
「必ず行います」
働きかければ条件を満たせるため、一樹は断言した。
陰陽師に求められるのは結果だ。
そして久瀬は、参拝すれば御利益を与える神を敵に回して、マイナスの結果を出した。
神を敵に回すのは、人類の味方を敵にする点で、プラスをマイナスにする愚行だ。
しかも相手は神なので、1000年後にも存在しており、不興も忘れない。
久瀬がF級下位の陰陽師として、40年に渡って、プラス1の結果を出したとする。
神域を持つ刑部姫が、蒼依姫命に並ぶA級上位だと考えて、1000年に渡って敵に回せば、元々のプラス40万が、マイナス40万に変わる。
1から80万を引き、40年間のマイナス79万9999、41年目以降のマイナス80万が、久瀬が陰陽師としてもたらす結果だ。
久瀬は協会に対して、宇賀と豊川を合わせた分の損失を出すことになる。
協会が、差し引き80万のマイナスをもたらす久瀬を所属させる価値は、あるのか。
それを含めて報告すれば、協会は確実に久瀬を陰陽師にさせないと、一樹は確信する。
「ならば、其方らは帰って為せ。もっとも、妾が此奴を生かしておくとは限らぬがの」
刑部姫は、久瀬の身柄を返してはくれなかった。
伝承によれば、祈祷した坊主を蹴り殺したこともある。
一樹が働きかけるよりも、刑部姫が自分で蹴り殺したほうが、早いのだろう。
そもそも刑部姫は、元が鬼神で天狗だ。
鬼神が人間を殺すなど、有り触れた話である。
一樹は致し方がなく、話し合いが不調だった場合に備えて用意した策を用いた。
「刑部明神様におかれましては、大八天狗を祀る八天堂を建立させるほど、天狗の庇護に熱心だと伺います。そしてこちらに、時代が移り変わっても修練に熱心な天狗の姉妹がおります」
「ふむ」
「見事に力を示して、刑部明神様の意に沿いましたならば、それに免じて、後輩の身柄をお譲り頂けませんでしょうか」
「そこまで申すのであれば、試してやろうぞ」
刑部姫が応じたのは、一樹が伝承を理解していたからと、刑部姫に決定権を渡したからだ。
意に沿うか否かであり、刑部姫が意に沿わないと言えば、身柄を渡さなくて良い。
その上で、天狗の庇護に熱心だという点を挙げて、現代でも天狗の修行をしている者が居ると言えば、刑部姫は無下に出来ない。
応じた刑部姫は、外に出ろと言わんばかりに、大天守の最上階から下りていく。
「小太郎は、久瀬に水を飲ませてくれ。俺も幽霊巡視船員を出して、城の管理事務所に警告する。それと凪紗には、管玉を預ける」
一樹が凪紗に渡したのは、普段から自分が持っている蒼依姫命の管玉だ。
元々は、槐の邪神であった信君を倒して手に入れた勾玉のうち5つだった。
その後、蒼依姫命が神域を作る練習に使われて、天空櫓に建立した名無しの女神様の社で呪力の蓄電器となり、蒼依が獅子鬼を倒す活躍した後に、管玉と化した霊物だ。
「溜めている呪力は、A級中位。凪紗の羽団扇の10倍ほどだ。これを使って、力を示してくれ」
「この形で良かったのですか」
「今回は、久瀬が悪い。この形は、できうる限りで最善だ」
1000年前には土地神だった刑部姫は、強さが不明瞭だ。
久瀬を強引に奪還しようとして失敗すれば、一樹達の命すら危うくなる。
だが力を示す腕試しであれば、殺し合いにはならない。
自分達の安全を確保しながら、久瀬を取り戻せる可能性も得たのだ。
――腕試しで負けたら、どうせ力尽くでも勝てないからな。
一樹が参戦したところで、相手は飛べる。
上空から天狗火で久瀬を焼き殺せば、それで終わりだ。
自分の選択に納得しながら、一樹は刑部姫の後を追った。
























