242話 姫路城の神域
姫路城から至近の大手門駐車場で車を停めた後、一樹達は桜門橋に向かった。
桜門橋から姫路城までは、450メートルほどある。だが桜門橋からでも、5重6階建ての姫路城は、全体像がハッキリと見えていた。
「あれが姫路城か」
晴れ渡った青空の下、白い姫路城が、見事に映えている。
周囲には、現代的なビルなどの建物は一切見当たらず、景観は非常に良い。
橋の下は内堀では、船頭の練習なのか、和船が観光客を乗せずに周回している。
一樹は、まるで江戸時代にタイムスリップしたような感覚になった。
「姫路城には、初めて来たな」
一樹は、父親の和則が請け負った様々な仕事に付き合って、各地を巡っている。
だが観光地として有名な姫路城には、一度も来ていない。
初だと聞いた沙羅が、城の説明をした。
「姫路城は、江戸時代までに建てられた天守が現存する12城の一つです」
「現存というと、当時の建物が残っているのか」
「いいえ。姫路城は明治、昭和、平成に、何度も大規模な修理を行ってきました。ですが、あくまで修理なので、元の姿は保たれているそうです」
「確かに、いかにも江戸時代の城って感じだな」
江戸時代の姫路城など、一樹は見たことが無い。
だが浮世絵師の歌川広重が、江戸時代に『諸国名所百景 播州姫路市川の渡し』(1859年)を描いており、そこには5重6階建ての姫路城の姿がある。
江戸時代の城がどのような姿だったのか、見たことがなくても、おおよそ見当は付くわけだ。
「変わった部分は、色でしょうか。江戸時代にも白漆喰で塗られたそうですが、今ほど真っ白ではなかったそうです」
「そう言われると、確かに白が強い気がするな」
漆喰とは、消石灰を主成分とする建築材料だ。
石灰石を粉砕して加工した消石灰は、有機物と混ぜると、漆喰になる。
漆喰を塗ると、防水性が高まって、ひび割れも防げる。
そのため漆喰は上塗り材として、土造や木造の建物で、広く用いられてきた。江戸時代の城郭、寺、土蔵、民家などには、漆喰が広く使われている。
「石灰岩は、炭酸カルシウムを主成分とした堆積岩なので、基本的には白いです。ですが江戸時代には、貝殻や藁すさを混ぜていました」
「今だと、貝殻は使わなさそうだな」
「現代では、耐久性の高い合成材料などを使っています」
貝殻集めや藁の回収なんて、やっていられないだろう。
それに耐久性を高める目的で入れていた藁すさよりも、合成材料のほうが効果的だ。
修復作業では、極端な白色にならないように調整する。
だが姫路城は、白漆喰で塗り固められた優美な姿が『飛び立つ白鷺』に例えられて、白鷺城とも呼ばれる。そのため通常の修復よりも、白を強くしたのかもしれない。
姫路城が白鷺城と呼ばれたのは、明治以降であって、江戸時代ではないが。
現代の漆喰は、反射率も高くて、陽光を反射して輝いていた。
「藁すさだと、黄色になっただろうな」
「江戸時代は若干黄色みがあって、現代は鮮やかな白色だそうです」
大手門を潜って三の丸広場に入ると、より鮮明に姫路城が見えた。
「姫路城は、大天守と小天守3つ、天守を繋ぐ渡櫓4つの計8ヵ所が、国宝に指定されています」
「まとめて指定すれば良いのに、妙に細かいな」
「ユネスコの世界遺産では、城郭を含む内曲輪および中曲輪の大半を含むエリアが、まとめて登録されましたよ」
「そっちのほうが良いと思う」
官兵衛が譜請した石垣の案内板を通り過ぎ、券売所で入場券を買って、菱の門から入場する。
そこで一樹は、姫山から神気を感じ取った。
「気付いたか?」
「何がでしょうか」
一樹が確認すると、沙羅は首を傾げた。
次に凪紗を見ると、先祖返りが強くて見鬼に優れる凪紗は、確信を以て頷き返した。
「神域に入りましたね。姫山が、神域のようです」
流石は凪紗だと一樹が感心すると、一樹達の確認に合わせて、小太郎が犬神を出した。
すると神域内の神気が、肌を刺すような圧を掛けてきた。
それは刑部姫による敵対宣言ではなく、ここは自身の領域だという警告、あるいは警戒だろう。
「これは、間違いなく居るな」
「一般の観光客を逃がすか?」
確信を口にした一樹に、小太郎が尋ねた。
「刑部姫は、民が城に来ることを認めている。何しろ、元の姫山には刑部神社が建立されていて、刑部明神が祀られていた。勝手に参拝客を追い出したら、それこそ敵対行為だ」
神々の神格は、系譜、神話、信仰で定まる。
姫路城の観光客が、刑部姫を信仰しているとは限らないが、伝承に畏敬する者もいるだろう。
それを土地神から取り上げることは、紛れもなく敵対行為となる。
「だが戦闘になれば、被害が出るぞ」
「土地神であれば、参拝者に被害を出して信仰が減ることは、あまりしない」
絶対に暴れないとは言い切れないが、それは人間も同様だ。
現時点では、避難させないほうが、相手を刺激しないと一樹は判断した。
菱の門を潜り抜け、二の丸に入ると、四角い堀が視界に入った。
どこの水路とも繋がっておらず、地下の湧き水が地表に溜まっている。
「三国堀ですね」
「なんだそれは」
「名前の由来は、姫路城の大改修を行った池田輝政が、播磨、淡路、備前の三国から人夫を集めたからだそうです」
「三国から人を集められたのは、凄いな」
「自国と、養子が治める国だったからだそうです」
織田家の重臣という家柄であった池田輝政は、織田信長の近習となり、信長が死んだ際は信長の四男と共に棺を担いだ。
豊臣秀吉と徳川家康が争った小牧・長久手の戦いにおいて、秀吉側に付いて父と兄が戦死したために、家督を相続して13万石の主となる。
秀吉の九州平定、小田原征伐などに従軍して加増され、やがて豊臣秀吉の仲介で徳川家康の娘・督姫を娶った。
関ヶ原の戦いでは東軍に付き、それによって徳川家康から播磨の姫路藩52万石を与えられた。
その後、1608年に淡路も加わって、62万石となる。
備前を治めていたのは、池田輝政の養子であった池田光政だ。
姫路城の大規模改修が終わったのは、1609年である。
「それを病に倒れさせたのだから、刑部姫の凄さが際立つな」
刑部姫は、池田輝政を1608年に病で倒れさせて、八天堂を建立するよう要求した。
さらに城内の鎮守として、長壁神社が建立されると、刑部神社だと言わんばかりに1613年に50歳で病死させて、嫡男も1616年に33歳の若さで病死させた。
姫山の主として、曲げられない主張なのであろうが、いかにも神らしい行動だ。
だが一樹の目的は、刑部姫に会うことではなく、後輩の久瀬を連れ帰ることだ。
三国から人夫を集めて作らせた堀を抜け、「ぬの門」と呼ばれる門をくぐると、お菊井戸に辿り着いた。
すると犬神が駆け寄って、クンクンと臭いを嗅ぎ始めた。
そして小太郎に向かって、尻尾を振りながら、バウッと吠えた。
「どうやら久瀬は、お菊井戸に来たらしい」
「分かるのか?」
一樹は、呆れと共に聞き返した。
霊体の犬神が嗅ぐのは、臭いではなく、呪力のほうであろう。
それならば3日が過ぎても、消え去らないかもしれない。
だがG級上位からF級下位の呪力者では、そこまで強い残滓にならない。人が多く来る場所で、久瀬の呪力の残滓が残っていたとすれば、それは余程のことだ。
「余程、お菊を使役したくて無念だったか、ここで叱られて連れて行かれたからか、どちらかな」
「どちらでも良い。ここには来たということだ」
小太郎は、無駄足ではなかったことに安堵していた。
行方不明の生徒にして、同好会員の行方が判明すること自体は、好ましいことだ。
もちろん行方が判明した場所や、行方不明になった原因には、色々と問題が有る。
少なくとも国には、解決手段が無い。
相手は神社に祀られる神で、肉体が無いであろうから、現代兵器は通用しない。
蒼依姫命のように肉体を持つ例外も居るが、殺しても復活できるので、肉体を滅ぼしたところで倒せない。
獅子鬼は殺そうとしたが、それは怨霊化した後に、陰陽師が調伏する予定だった。
国だけでは、霊の問題は解決できない。
つまり姫路城で発見したのは喜ばしいことだが、一樹達しか対応ができないと判明したわけだ。
「強制退会、決定だな」
「もしも生きていた場合、経験的に呪力は高まりそうだが」
小太郎の指摘は、呪力が高まった者を野放しにして良いのかという確認だった。
かつて刑部神社が建立されていた神域で、不埒にも若い女性を捕まえようとした久瀬は、刑部姫の怒りを買って連れて行かれたようである。
人は死にかけると、その体験によって呪力が上がる。
想定されるのは、神罰だ。
久瀬がG級上位だったとしても、F級下位には上がりそうな経験だ。
霊符作成も教えており、陰陽師に成れるかもしれない。
「知らん。行動の問題だ。仮にA級に成れても、同好会からの追放は変わらない」
一樹には、久瀬が強くなっても「戻って来い」と言う気は無かった。
久瀬の扱いについて確認した後、一行は大天守へと向かった。
























