241話 使役の動機
久瀬の行き先に見当が付いた翌日の火曜日。
学校を公欠にした一樹と小太郎は、沙羅と凪紗を連れて、姫路城に向かった。
小太郎と一緒なので、移動手段は、花咲家の車だ。
車は3列シートのミニバンで、2列目に一樹と小太郎、3列目に沙羅と凪紗が座っている。
ゆったりとしており、電車で移動するよりも楽で、内緒話も可能だ。
「小太郎、これを渡しておく」
一樹が差し出したのは、一見すると何の変哲もないボールペンだった。
「それは何だ?」
「証拠用のペン型カメラで、フル充電すれば2時間撮影できる。発見時の状況とか、証拠が必要になる可能性もあるだろう。俺も、同じ物を持っている」
一樹がペン型カメラを導入したのは、温羅を調伏した後だ。
桃太郎伝説の原典となった温羅は、大和国が吉備国を征服した際に抵抗した鬼神だ。
だが温羅の伝承は正しく伝わっておらず、一般市民からは、畑の作物を盗んだ鬼程度じゃないのと思われる始末だった。
極論すると、A級の鬼神を倒しているのに、F級の報酬では割に合わない。
証拠の必要を感じた一樹は、市販品で良さそうな物を調達したのだった。
小太郎にペン型カメラを渡した一樹は、次いで凪紗に謝罪した。
「学校を休ませて、すまないな」
一樹自身は、同好会の副会長で、春達を招聘して後輩を指導させた立場だ。
小太郎は、同好会の会長で、花咲学園の理事長でもある。
沙羅は、絡新婦の母体から救出して治療したことにより、一樹のおかげで終わったはずの人生を送れていると思っている。
一樹が「学校を休んで手伝ってほしい」と言えば、助けられた自分の存在意義を感じて喜ぶ。
そんな3人と異なり、凪紗は期間限定の学生アルバイトでしかない。
バイト代は破格だが、学校を休ませるのは、学生バイトに対する要求が強すぎる。
「いいえ。将来の職業は、陰陽師ですし」
「そう言ってくれると助かる」
凪紗の目的が『勉学に励み、将来は医学部に進学して、医者になる』なら、一樹の要求は酷い。
だが陰陽師に成るなら、複数のA級陰陽師と共に鬼神のところへ行くのは、学校で授業を受けるよりも将来のためになる。
要求が重い事実に変わりはないが、凪紗が得をするのであれば、罪悪感を持たなくて済む。
「思っていた以上に、凪紗に頼むことになっているな」
「未だ、温羅と刑部姫の2回だけですが」
「5月だから、月1のペースだぞ」
4月に入学した凪紗に、5月の時点で、2回も手伝ってもらっている。
そのペースで鬼神と相対するのは、一樹の感覚でも多すぎた。
A級の案件は、A級陰陽師にしか対応できないので、致し方がない部分もあるが。
「昨日の夕方からではなく、今日の移動で良かったのですか」
「力で押し通せるB級以下の相手なら、直ぐに行ったかもしれない。だけど今回の相手は、領域を持つ土地神だ。夜は視界が悪いし、体調を整えていったほうが良い」
「そうですか」
凪紗は、納得ではなく、理解を示した。
それは凪紗であれば、夜でも問題なく活動できるような態度だった。
――相手が鬼神なら、先祖返りが強い凪紗も、同じくらい夜目が利くか。
一樹の式神である牛太郎も鬼神で、小太郎の犬神も人間の5倍は見える。
やって、やれないこともない。
急いだほうが良いのは、時間が経つと、行方不明である久瀬の生存率が下がるからだ。
「久瀬が土曜日の昼に着いていたとして、今日の正午には、72時間が経つな」
発災時、救出が72時間を過ぎるか否かで、生存率が大きく変わるとされる。
それは人間が、3日間水を飲まなければ、死んでしまうからだ。
妖怪に監禁されて動けない場合、72時間ほどが一つの山場だ。
だからといって、万全ならざる状態で鬼神に突撃するのは危険だ。必要な状況もあるだろうが、自業自得である今回は該当しないというのが、一樹の考えだ。
「刑部姫は、強いはずだ。凪紗も知っているだろうが、今回の刑部姫について、改めて説明する」
刑部姫は、『延喜式』(927年)で「刑部明神」と記される土地神だ。
姫路城が建設された標高45.6メートルの姫山には、建設前から刑部神社があって、刑部明神が祀られていた。
刑部神社は、姫路城が造られる際に、移転させられている。
その際、天狗が書状で、八天堂の建設を求めた。
姫路城を大規模に造り替えた大名の池田輝政も、天守閣が完成する1608年頃に病で倒れて、「八天堂を建立して、大八天狗を祀るように」と求める書状を受け取っている。
坊主が祈祷すると、30歳ほどの姿をした刑部姫が現れて、二丈(6メートルほど)になって、坊主を蹴り殺した。そのため池田輝政は、城内の鬼門に八天堂を建立した。
由来を考えれば、漢字が「刑部姫」、読みが「おさかべひめ」となるのが正しい。
池田輝政は、姫路城内に鎮守として、『長壁神社』も建立した。
だが、1613年に50歳で病死して、嫡男も1616年に33歳の若さで病死している。
「刑部姫を呼ぶ時は、漢字の間違いなんて起きないが、念のために注意してくれ」
「名前を間違えたら、失礼ですからね」
「そういうことだ。間違えると強く祟られて、病死してしまう」
そんな刑部姫は、姫路城の天守閣の主だとされており、歌舞伎や戯曲でも描かれる。
『諸国百物語』(1677年)では、次のように記される。
姫路城の五重目に、夜な夜な火を灯す者が居た。
そこで城主の秀勝が見に行く者を募り、18歳の武士が天守に赴いて、証拠として堤灯に火を灯してくることになった。
武士が見に行ったところ、そこには数え年で17から18歳ほどの十二単を着た女性がおり、「主の命ならば許そう」と、堤灯に火を灯し、さらに証拠として櫛を与えた。
堤灯の火は、秀勝が消そうとしても消えなかったが、18歳の武士が消すと消えた。
その後、秀勝が天守に上ると、秀勝がいつも呼ぶ座頭に会った。
座頭が「琴の爪箱の蓋が取れない」と言い、秀勝が取ろうとすると、爪箱が手足にくっついて離れなかった。
そして座頭は、みるみるうちに一丈(3メートル)の鬼神となり、「我はこの城の主なり、我を尊ばないならば、今引き殺してやる」と言った。
秀勝が降参すると、天守に居たはずが、いつの間にか御座に居たという。
「姫路城で十二単を着た女性と会って、堤灯に火をもらう話は、『老媼茶話』(1742年)にも記されている」
「刑部姫は、人の姿で17から18歳と、30歳ほど。鬼神の姿で、一丈(3メートル)と二丈(6メートル)で、一致していませんね」
「変幻自在なのだろう。『甲子夜話』(1841年成立)によると、天守閣の上層に居て、そこに人が入ることを嫌い、年に一度だけ老婆の姿で城主に対面するという。姿は、アテにならない」
刑部姫を端的に述べれば、「天狗から昇神した土地神で、鬼神。性格は、荒い」となる。
天狗で鬼神といえば、沙羅や凪紗の先祖である前鬼、日本八天狗の大峰山前鬼坊が有名だ。
前鬼という例があるので、刑部姫が同様に天狗で鬼神であっても、何ら不思議はない。
「相手の正体は理解しました。強さは、どれくらいでしょう」
「姫山に領域を持つ土地神だから、最低でもA級下位だろう。それが1000年前の時点だから、力を蓄えていって、A級中位には上がっているかもしれない」
一樹の予想は、低く見積もっての話だ。
土地神として力を蓄えた存在には、赤城山に陣取っていた柚葉の母龍も名を連ねる。龍神の力は現在、S級中位に達している。
姫山の標高が低くて、大した地脈ではないことが、救いだろうか。
もちろん一樹は、刑部姫を調伏しに行くわけではない。
「俺達の目的は、久瀬を連れ帰ることだ。久瀬は使役のために、姫路城のお菊井戸に行ったと考えられる。単なる勘違いだから、穏便に済めば良い」
「そうですね」
納得した凪紗は、続いて疑問を呈した。
「でも、どうして姫路城まで使役に行ったのでしょう。人の霊を使役するだけなら、墓場に行けば同等の霊が、沢山居ると思います」
凪紗が尋ねたのは、誰もが理解しつつも、あえて言及しなかった点だ。
お菊は、数え年で16歳と伝わり、久瀬と同い年くらいである。
姫路城主の忠臣であった衣笠元信が妾にして、鉄山の家に送り込めば女中になり、鉄山の三男である小五郎からは簡単に情報を聞き出せた。
鉄山の家臣である町坪弾四郎が懸想して、リスクを負ってまで皿を隠して妾になるよう迫り、「自分のものにならぬくらいであれば」と殺してしまうほどの美少女だった。
使役に行った動機は、明白であろう。
何をするのか、どこまでするのかはさておき、動機自体を想像出来ない男は居ない。
担任と久瀬の母親との話し合いでも、その点にだけは、一切触れられなかった。
「……小太郎、どうしてだと思う?」
凪紗は、地位・名誉・財産を併せ持った名家のお嬢様で、相手から違和感を抱かれるので人付き合いが浅く、浮き世離れしている。
純粋無垢に問われた一樹は、説明しかねて、逃げを打った。
 
























