25話 追加依頼
「作戦と編成を変更する」
水仙から情報を得たA級陰陽師の義一郎は、討伐隊を再編成した。
最優先目標は、大魔の娘である2体の母体となる。
これらが強い子供を生み、その子供達が人間の世界に紛れ込んで、人を喰う。さらには子孫を生んでいき、被害はネズミ算式に増えていく。
確実に元を絶たなければならない。
そのように確信した義一郎は、連絡し合う母体を逃さないために、2体同時攻撃を決断した。
1班 五鬼童義一郎(A級1名)
2班 義一郎を除く五鬼童家と春日家(B級6名、C級2名)
水仙が一番強いと話した西側が1班、残る東側が2班。
ランクが1つ上がると、1つ下のランク10人分と言われる。
五鬼童と春日の割り振りからは、義一郎の実力に対する評価の程が窺えた。
「無線は傍受されているようだが、青森県の開発で携帯電話が繋がる。代替に使えるだろう。もっとも、この期に及んでは殲滅するだけだが」
作戦は、大天狗の子孫である五鬼童家と春日家が、空から巣に急襲する。
地上からは自衛隊が先行して、巣を包囲して同時接敵し、逃がさず駆除する。
なお一樹は、依頼主の沙羅から、一足先に依頼達成を告げられた。
「C級陰陽師の一樹さんは、索敵と戦闘支援の依頼を達成しました」
絡新婦の住処を全て特定した一樹は、索敵を完璧に果たした。
さらには親蜘蛛2体と子蜘蛛7体のうち、子蜘蛛1体を撃破している。
一樹への依頼料は、総額20億円のうち1000万円で、200分の1。
それに対して仕事の貢献度は、全体の1割には達している。
これ以上活躍されると、五鬼童が下位の陰陽師を安く酷使している事になって、風聞が悪くなる。
故に一樹の仕事は、完了したと見なされた。
「依頼人として、期待を超える成果に満足しています。また機会がありましたら、よろしくお願いします」
他の五鬼童一族が見守る中、沙羅は依頼完了を告げた。
(1000万円分の仕事は、熟したかな)
仕事振りを振り返った一樹は、水仙の糸に引き摺られて泥だらけになった事を思い起こした。
C級上位、すなわち強いマンティコアやグリフォン並みの力を持つ水仙だけでも、武装した自衛隊員にそれなりの殉職者を出せる。一樹が死ななかったのは、守護護符と万病熱病平癒の力があったからだ。
故に水仙を倒して、自衛隊の殉職者を減らした一樹の働きには、明らかに1000万円分の価値がある。
その成果は、一樹を招き入れた沙羅の功績だ。
故に一樹は、確かに仕事を果たしたと納得した。
「ご指名を頂き、ありがとうございました。また依頼がございましたら、お得意様として優遇させて頂きます」
沙羅のおかげで、一樹は高校の進学費用や、陰陽師事務所の開業資金を得られた。Youtuberもやっていたが、それでは資金が足りなかった。
事務所を建てるには未だ足りないが、山姥が住んでいた1階部分を事務所として使って良いと、一樹は蒼依から伝えられている。
一樹の陰陽師事務所は、開業の目途が立った。
(沙羅には感謝している。だから沙羅の父親は、許してやらなくも無い……かもしれない)
沙羅の父親である義輔は国家試験時、閻魔大王の神気が破壊したプレス機を一樹に弁償させて、借金を負わせている。
だが今回の契約では、沙羅に名義を貸した。
故に一樹は、沙羅を除く五鬼童家に対しては恩に着たり、特別扱いをしたりする考え方は持たないが、試験の借金は水に流す事とした。
「それでは行ってきます」
「ああ、気を付けてくれ」
依頼が完了した一樹は口調を戻して、攻撃に参加する沙羅を見送った。
その後、一樹は自衛隊の現地司令部に残って、取り調べに応じた。
生前の水仙が行った諸々は、被疑者死亡、かつ絡新婦に人権が無いので、裁判は行われない。絡新婦は駆除の対象であり、既に駆除されているので、処分自体は終わりである。
取り調べを行うのは、主に姉妹や従姉妹の情報を得るためだ。
それらが2つの巣に潜んでいなければ、潜伏している町に陰陽師と自衛隊を派遣して、駆除しなければならない。そして被害者を死亡扱いにする。
そのために水仙の情報が必要だった。
「ボクが知っているのは、青森県を拠点にする姉妹2人だけだよ。伯母さんの所の従姉妹は、芋づる式にならないように聞かない事になっていたからね」
自衛隊員と警察官は、水仙に疑わしい眼差しを向けた。犯人の主張を頭から信じるなど、出来るはずも無い。
そのため一樹は、陰陽師として説明した。
「この絡新婦は、死して霊体化した後、C級陰陽師である私の術で縛りました。使役者の私に対して、式神は嘘を言えません」
C級陰陽師は、中の上に分類される。
B級が都道府県の統括者であり、その一つ下のため、実力で考えれば相当高い。
さらには一樹が比叡山を解放した動画が世間を賑わせていたため、自衛隊員と警察官は一先ず納得した。
「それでは先ず、2人の姉妹について、教えてもらおうか」
問われた水仙は、素直に答えた。
その結果、青森県の鰺ヶ沢町に住む中学3年生と、深浦町に住む中学2年生が、妖怪の可能性が高いと判断された。
スラスラと話す水仙の態度に、取り調べを行っていた側が訝しんだほどである。
「姉妹に対する仲間意識は無いのか」
はたして、気で繋がる使役者の一樹だけに答えた水仙の思考は、想像の斜め上を行っていた。
『ボクって、悪魔の孫でしょ。ダーリンの式神として気を貰い続ければ、受肉できるA級の大魔に届くんじゃ無いかな。だったら、ダーリンに付くべきだし、娘が強くなるなら、お母さんも本望だと思わない?』
気を介した水仙の意志は、一樹にしか届いていない。
質問に答えなかった水仙に対して、自衛隊と青森県警は表情を観察して推察していたが、人間に化ける絡新婦に対しては無意味だった。
『絡新婦は強さに応じて、獲物の種類が変わるでしょう。ボクも大魔になれば、妖気が大きい他の妖怪を食べるよ。ダーリンの役にも立つから、ボクの事を捨てないでねーっ』
水仙の本心は、取り調べ官に見せる殊勝な表情とは真逆だった。
人間が期待するような反省は、皆無である。
追及の言葉を続けなかった自衛隊と青森県警に対して、一樹は騙されるなと言いたかったが、取り調べが長引く未来を想像して口を噤んだ。
水仙の行為は、犠牲になった本人や、娘を失った家族には決して許せない事だろう。受肉など、以ての外であるはずだ。
一方で、水仙が成長して、人を喰う大鬼を食べるような大魔になれば、大鬼1体を食べるだけで数百人が助かる。数百人の家族側から見れば、水仙を大魔に成長させるのは、犠牲を防ぐ正しい行為だ。
そして一樹自身は、水仙に喰われた少女の家族から復讐依頼を受けていない。自身も被害を受けておらず、熟慮の結果として見逃した。
(分かり易い前例は、生駒山地に住んで人を喰っていた前鬼・後鬼だな)
現在の五鬼童家は、人を喰っていた前鬼・後鬼の子孫だ。
修験道の開祖・役小角に使役されて、その後どれほどの人間を助けたのか、もはや計り知れない。
『水仙の方向性は認めるが、俺の式神である間、絶対に人間を喰うな』
『大丈夫だよ。だってダーリンから、最上級の濃厚な気を貰えるからね』
一樹から送り込まれる気は膨大で、人間を喰うよりも遥かに力を得られる。
水仙は完全に一樹側に付いており、母や姉妹の犠牲を割り切った上で、自身が大魔に成長して受肉する最適解を選んだようだった。
類する判断は、『太平百物語』(1732年)にも記されている。
太平百物語では孫六という者が絡新婦を殺したが、殺された絡新婦は孫六の元に現れて、娘を嫁がせようとする。そして娘も、それを望む。
すなわち絡新婦は、自身や身内が殺された恨みよりも、生物として子孫を残す事を優先する。
水仙が恨んでも無意味で、一樹に従って受肉する方が遥かに建設的だ。
そんな分かり易くて強かな水仙が、率先して情報を出していったために、取り調べはスムーズに行われた。
真夏の太陽が高く昇り、窓から溢れる陽光が肌に熱を感じさせる頃、一樹のスマホに着信があった。
電話の相手先が沙羅と表示されるのを見た一樹は、直ぐに通話を繋いだ。
「五鬼童から連絡です…………賀茂一樹だ」
一樹の報告で、自衛隊と青森県警が口を噤んだ。
急に静かになったコテージ内で、一樹の耳に沙羅の声が聞こえてきた。
『急で申し訳ないのですが、追加依頼を受けて頂けませんか』
絡新婦の討伐に向かった五鬼童が、帰還を待たずに連絡している。
一樹は至急であろうと想像して、手短に答えた。
「どんな依頼だ」
『……私は右手と左足を噛み裂かれて、毒を受けました。応急処置されましたが、もう動けません。東の母体はA級下位で、2班は負けそうです。東より強い西側の1班も、負けるかもしれません。一樹さんは、どのくらい対応できますか』
悪い予想の的中に、一樹は息を呑んだ。
一樹の式神は、最も強い牛鬼でもB級上位でしかない。
B級とA級を隔てる壁は高く、戦って勝てる確信は無い。
『絡新婦に食べられると、魂を吸収されて、共に地獄落ちだとも聞きます。最悪の場合、遺体の一部でも回収して供養して頂けましたら、とても嬉しいです。依頼料は、こちらに来ていない五鬼童一族から出させて頂きますので』
地獄に堕ちると聞かされた一樹は、躊躇いを振り捨てて応えた。
「今すぐ助けに行って、絡新婦を撃退して、沙羅を解毒して病院に運ぶ。依頼料は高く付くからな」
基本的に陰陽師は、自分のランクより1つ下までの依頼を受ける。
互角の相手と戦えば、半々で自分が死ぬのだから、受けられるはずがない。
そのためA級陰陽師までしか存在しない日本において、A級妖怪に対する依頼は、基本的に成立しない。
入念な準備をしてから、A級下位に挑む事は有り得るが、緊急依頼の場合は誰も受けないので、相場すら無い。
『助けて頂けましたら、延びた命で、最大限にお支払いします』
「分かった、契約成立だ。直ぐに行く」
相場が無い以上、不当に安い価格で受けたという事にはならない。
『蒼依、八咫烏達を連れて、式神符も全部持ってきてくれ』
一刻の猶予もない依頼を受けた一樹は、即座に走り出した。