232話 物語の結末
ゴールデンウィーク中に温羅の調伏を終えた一樹は、平穏な日常に戻った。
高校に通い、放課後には同好会室でパソコンのブラウザを開き、自分の仕事について検索する。そして、記事やコメントを見て、溜息を吐いた。
「温羅の調伏は、世間には評価されなかったな」
「そもそもの被害が少なかったですからね」
隣に座る蒼依が、一樹の独り言に反応して頷いた。
温羅は自らを封じていた神社を破壊し、儀式を行っていた神官と巫女の二人を殺害した。
だが怨恨に基づく報復であり、無差別の行為ではなかった。
そのため人々からは、自分も襲われたかもしれないという危機感は得られなかった。
「確かに、交通事故でも死者が二人を超えることはあるからな」
一樹は少し皮肉交じりに言った。
獅子鬼のように数十万人を殺し、数百万人を難民化させるような鬼であれば国家の危機となり、世間も危機感を抱くだろう。
しかし、死者が二人で神社が一つ破壊された程度では、被害に見合った扱いにしかならない。
事実、温羅の調伏は岡山のローカルニュースに取り上げられただけで、全国ニュースにはならなかった。
それどころかネット上では、温羅の実力や伝説について懐疑的な意見まで上がっていた。
『桃太郎の鬼といっても、畑の作物を盗んでいた小鬼程度じゃないの』
画面上に表示されたそのコメントに、一樹は眉をひそめた。
何を為したかという伝承の内容は、人々の評価に大きな影響を与える。
例えば、イザナギとイザナミは『大八洲国と神々を生み出した国産み・神産み』だと謳われる。だが、桃太郎の鬼が具体的に何をしたのかを知っている一般人は少ない。
大和国が吉備国を征服した話が元になったとは、絵本では読み聞かせられないからだろう。
「正しい話が伝わっていなければ、調伏しても評価されないのは仕方がない」
一樹は自分に言い聞かせるように呟いた。
かつて福澤諭吉は、『悪行をなす鬼を懲罰する桃太郎は正しくとも、鬼が所持する宝を強奪した桃太郎は卑劣千万』と非難した。
それに加えて、そもそも吉備国が悪行を為したので退治に行ったのではなく、勢力を拡大させた大和国が侵略した話だとなれば、現代の常識では善悪すら逆転しかねない。
本当の話をすれば、桃太郎は、勧善懲悪の物語ではなくなってしまう。
そのため温羅は、一般人にとっては、よく分からない鬼になっている。
「派遣された自衛隊が温羅との戦闘を撮影していたのは幸いだったな」
一樹は少し安堵した表情で言った。
総社市に展開していた普通科連隊は鬼ノ城を監視しており、温羅との戦闘も記録していた。
記録された映像には、A級下位の牛太郎が温羅の銅矛に押し出される場面があり、温羅の強さが牛太郎よりも上であることが分かる。
自衛隊の派遣を要請した県知事には、自衛隊から結果が報告される。
温羅がA級であったのなら、岡山県支部による妖怪の評価には、誤認がない。そのため県からの支払いが渋られることもない。
「やっぱり、証拠の撮影って大事だな」
一樹は同好会のパソコンで世間の反応を調べながら、しみじみと結論付けた。
「次からは、撮影用のカメラを持っていきますか」
提案した蒼依は、自分が撮影係も務めるつもりなのだろう。
アルバイトの女子高生が、業務記録の撮影係を手伝うのは、おかしな話ではない。
だが蒼依は、A級上位の神格を持つ女神でもある。
必死に祈願して、助力を請うのが、普通の神仏だ。静岡県の堀河陰陽師が、護法一龍八王大善神として祀られるA級の赤牛に願掛けしたことは、一樹の記憶に新しい。
女神を撮影係にするのは、一樹も流石に気が咎めた。
「蒼依は気にしないだろうけど、陰陽師としては、神格を持つ女神様に撮影係をさせるのもなぁ。小型カメラでも身に付けるか、戦力外の鬼太郎にでも持たせるか」
『ギャッ?』
何も分かっていない鬼太郎が、条件反射で反応した。
鬼太郎の知能は、八咫烏達と同程度だ。
はたして鬼太郎は、カメラの録画ボタンを押せるのか。
カメラのフレームに、撮影対象を収め続けられるのか。
一樹の脳裏に、不安が過ぎる。
「鬼太郎は、カメラを使える知能が、無いかもしれない」
ちゃんと撮影が出来なければ、カメラを持たせても意味は無い。
それどころか必要な記録を取り損ねて、痛い目を見ることにも成りかねない。
「だけど飛行できて、遠距離攻撃も可能な沙羅や凪紗だと、人材の無駄遣いが酷すぎる。今回の状況だったら、柚葉でも良かったかな」
沙羅が名乗り出る前に却下した一樹は、机に突っ伏す柚葉に視線を送った。
温羅を倒した柚葉は、B級下位に力を上げた。
火行の世界で経験を積み、A級中位の温羅を倒して魂魄の一部を吸収したことで、上級陰陽師の領域に達したのだ。
だが火行の世界で長年を過ごしていても、こちらでは僅か半月という短期間。
香苗ほど上手く気を扱えない柚葉は、急成長した身体が呪力の成長痛に見舞われており、机の上でピクピクと震えていた。
「柚葉ですか」
蒼依が微妙な表情を浮かべた。
一樹は身請けを名目として、龍神から柚葉を引き取った。そのため一樹が、仕事の撮影係として柚葉を使ったところで、親元からクレームが来ることは無い。
だが一樹が『桃栗3年、柿8年、柚子の大馬鹿18年』と連想したように、柚葉は普通の人間とは感性に齟齬がある。
率直に言って、ポカが怖い。
「柚葉は運が良いから、良い映像を撮れそうな気もする」
「そうかもしれませんが」
温羅にトドメを刺したことを思い出したのだろう。
蒼依は困った風に、机に突っ伏す柚葉を眺めた。
聞き耳を立てていた柚葉は、一樹に褒められて、偉そうに宣う。
「わたしも火行の世界で修練しましたから、調伏には実力もあったと思いますよ……ギャーッ!」
香苗が柚葉に呪力を送り込むと、呪力痛に苦しむ柚葉から悲鳴が上がった。
調子に乗っていた子龍を制した妖狐が、一樹に名乗り出た。
「撮影係でしたら、あたしがやっても良いですよ」
「いいえ、柚葉が良いと思います」
蒼依は即座に前言を翻して、香苗を牽制した。
新米女神と、A級に達した妖狐が、静かに見つめ合う。
蒼依は一樹との式神契約について、精神的な依存や、特別な意識を持っている。
そして香苗の押し掛け式神には、当初から不満を表出している。
対する香苗は、鹿野の体験を得ている。
良房は一樹に対して、「妖狐は、一度番いになると伴侶を変えないことは、知っているかな」と尋ねた。
「柚葉よりも、上手く撮れると思いますが」
「柚葉でも、大丈夫だと思います」
神気と妖気がバチバチと衝突して、飛散した欠片が柚葉の身体に降り注いだ。
「うぎゃーっ、やめて下さいよぉ」
机に突っ伏している子龍から、情けない悲鳴が上がった。
「人数分の小型カメラを買って、皆で所持しよう……」
小さく呟いた一樹は、ネット通販のサイトを開いて、見つめ合う二人から視線を逸らした。
今話にて、第8巻(約10万字)が終了しました。
引き続き、お楽しみ頂けましたら幸いです。
























