24話 見積もり間違い
「主様、式神を増やされたのですか」
一樹がコテージに戻ると、蒼依が不安そうな表情を浮かべていた。
(俺を介して気が繋がるから、知覚できるか)
蒼依の立場に鑑みれば、不安になるのは無理もない。
蒼依は一樹との関係が破綻すれば、気を得るために人間を喰わざるを得ない。そうすれば醜い山姥と化して、人間としての生活は終わりを迎える。
無論、一樹はそのような事をしない。
そもそも一樹は、蒼依に対して「一生手放さない」と言明している。
陰陽師が言葉にした約束を破れば、言霊の効力が激減して、力を大きく損なう。陰陽師の一樹なればこそ、そのように愚かな真似をするはずがない。
それに蒼依には、困っている時に受験費用を借りたり、家に住まわせて貰ったりした。それが無ければ受験できず、生活も軌道に乗せられなかった。
諺には『犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ』とあるが、一樹は犬よりも記憶力が良いつもりだ。
(これ以上、何を言えば良いんだ)
一般的に女性は何度でも言われたがるが、男は易々とは言わないとされる。
この件に関しては一樹も多数派の1人であり、度々口にするのは憚られた。
困った表情を浮かべた一樹と、不安そうな蒼依の様子を窺った水仙は、微笑を浮かべながら2人の間に割って入った。
「あなたは、奥方様ですか」
「ふぇえっ」
一樹の妻かと問われた蒼依は、驚きの声を上げ、次いで頬を朱に染めた。
「あの、まだそうじゃないけど、一緒に暮らしているというか……」
根が正直な蒼依が動揺しながらも、真面目に答えようとする中、水仙は第二声を放った。
「ボクは、ダーリンの愛人で、水仙と申しますぅ」
水仙の言葉を聞いた蒼依は、一瞬で固まった。
そして美しき伊邪那美命ではなく、冷酷な黄泉津大神を彷彿とさせる醒めた表情を浮かべて、一樹に顔を向けて、目線で真偽を問うた。
それは、蛇に睨まれた蛙の如き様だった。
一樹は強張った表情となり、首を左右に大きく振って弁明した。
「嘘だ。そいつは、さっき戦って式神にした絡新婦だ。蒼依が望むなら、仕事が終わったら契約を解除しても良い」
焦った一樹が過激な弁明をすると、蒼依は水仙に向き直って微笑んだ。
次の瞬間、天沼矛が具現化して、煌めく矛先が水仙の首元に添えられた。
そして蒼依は、黄泉津大神の如き底冷えのする声で質す。
「もう一度、自己紹介してくれるかな」
「はじめまして、ボク、式神の水仙ですぅ!」
上下関係が、定まったらしくあった。
(強さも異なるからな)
現在の蒼依の力はB級中位で、水仙はB級下位だ。
両者は一樹から莫大な気を与えられる同士だが、元々の種族差がある。山の女神である山姫が、絡新婦を上回るわけだ。
水仙をわからせた蒼依は、天沼矛を収めた。
張り詰めた空気が弛緩していくと、一樹は蒼依に恐る恐る報告した。
「これから五鬼童に、水仙を連れて報告しに行く。先に毒塗れの服を着替えるから、水仙はそこで待っていろ」
「ボクは着替えに一緒でも気にしない……けど、良い子で待ってまーす」
蒼依に一睨みされた水仙は、即座に表明を撤回した。
それを確認した一樹は、ようやく部屋に向かった。
着替え終わった一樹は、説明のために指揮用のコテージに移動した。
「水仙、お前の他にコテージを監視している奴は、居ないんだな」
「うん、ここはボクの担当だよ。ボク達には、テリトリーがあるからね」
式神となった水仙からもたらされる情報について、一樹は概ね信用した。
式神使いの一樹は、式神の水仙を呪力と術で縛っている。使役者からの明確な問いかけに対して、術で縛られる式神が真逆の嘘を吐く事は出来ない。
もちろん呪力や術が不充分であれば、効果が不完全になる。
自身の呪力に見合わない妖怪を従えようとしたり、術が未熟だったりすると、式神は上手く制御できない。
だが、一樹の呪力は莫大だ。
大焦熱地獄で魂に染み込んだ穢れを充分に抑え込める陽気、そして同量となる地蔵菩薩の神気。
それらを以て、絡新婦の1匹すら縛れないなど、有り得ない話だ。
式神術も、手順と意味を理解した上で行使している。
故に一樹は、水仙を完全に従えた確信を持つ。
そしてコテージに赴き、集まった陰陽師達と自衛官の前で、水仙に説明を行わせた。もっとも一樹の依頼人は沙羅であるため、あくまで沙羅に報告する形を取ったが。
「私の依頼人である、沙羅お嬢様に報告致します。コテージを監視していた絡新婦1体を殺し、式神化しました。術は完全に及んでおり、嘘は吐かれません。まずは情報を話させようと思いますが、よろしいでしょうか」
「それで良い」
A級陰陽師の義一郎が指示したが、一樹は一瞥のみで、沙羅の指示を待った。
一樹は言葉と態度で、自身の依頼人が沙羅であると示したのだ。それを頷いて肯定した沙羅は、義一郎の指示を追認した。
「式神化した絡新婦に、情報を話させて下さい」
「畏まりました。水仙、まずは白神山地に居る絡新婦の強さと数を教えろ。地図に書き込んで良い」
一樹がテーブルに広げられた白神山地の地図を指すと、水仙はペンを取って、書き込んだ。
まずは、白神山地の西側にある十二湖側に1つ、東側にある高倉森に1つ。
合計2ヵ所に、大きな丸が書かれた。
「1番強い伯母さんが西、2番目のお母さんが東に巣を持っていて、前の陰陽師と自衛隊を倒したのも2人だよ」
次いで水仙は、青森県の鰺ヶ沢町、深浦町、西目屋村、秋田県の能代市、藤里町、三種町、八峰町に1つずつ、合計7つの丸を書いた。
「これはボクと、姉妹や従姉妹達の縄張り。今は皆、伯母さんとお母さんの所に、戻って来ているけどね」
集まった陰陽師と自衛隊員の面々が、水仙の情報に息を呑んだ。
ボスが2体いるなど、想定していなかったのだ。
そんな彼らに構わず、一樹は新たな疑問を質した。
「お前達は、協力するのか」
「うん。女郎蜘蛛って、卵から沢山生まれて、小さい頃は集団生活を送って、大きくなったら独立するでしょ。それなのに、どうして協力しないと思うの」
言われてみれば、至極尤もだ。
妖怪達の集団戦法に驚いた一樹だったが、女郎蜘蛛の生態と同じであると聞いて納得した。
「親の2人と牛鬼を比べれば、どちらが強い」
「ボクは伯母さんとも、お母さんとも戦った事が無いから断言できないけれど、2人とも牛鬼に勝てそうな気がする」
一樹の牛鬼は、B級上位の強さを持つ。そして一樹の気を介して繋がりを持った水仙は、牛鬼の正確な力を理解している。
その水仙が、「牛鬼に勝てそう」と判断した絡新婦2体は、最低でもB級上位、おそらくはA級の力を有していると思われた。
だが絡新婦は、本来はC級妖怪だ。
捕食する獲物は、人間や小鬼、強くてもD級の中鬼程度。B級の大鬼などは、絡新婦の身体には大きすぎて、狩っても食べられない。
そのため絡新婦は、食性によってC級の強さに進化した。長く生きた特殊個体であればB級に届くが、A級の強さは生物学的に有り得ないのである。
「どうして、そんなに強いんだ」
「お爺さんが大魔だからかな」
「……大魔か」
大魔とは、A級に分類される上級の悪魔・魔族だ。
魔王や魔族は日本に居ないと思われがちだが、それは誤解である。
宮城県と山形県の境にある船形山。
その伝説を記した書物『船形山手引草』によれば、神武天皇から数代後、貪多利魔王なる存在が数万の悪魔邪神を率いて、日本に攻め込んだと記される。
貪多利魔王は、金剛山の金剛神を退けた。
その他にも、不動明王と戦った烈風魔王、毘沙門天と戦った荒ラ獅子魔王、摩利支天と戦った天竜魔王らがいる。
神仏と悪魔邪神との戦いでは、貪多利魔王を除く3体の魔王が逃げ延びた。配下の一部も逃げており、それらと子孫が日本に土着した現在の魔王と魔族だ。
A級の大魔は、B級の大鬼に勝る存在だ。
不動明王や毘沙門天、摩利支天らと戦って生き延びた魔王達の配下であり、尋常の存在では無い。
その力を受け継いだ絡新婦であれば、A級に届く力を有しても不思議はないと、一樹は理解した。
「連携するB級上位の絡新婦、捨て置けんな」
義輔は、絡新婦をB級上位と見積もった。
B級の絡新婦が2体いると聞いて、実質C級陰陽師と自衛隊員100名の犠牲について、納得してしまったようである。
絡新婦はC級で、特殊個体がB級になるのは常識だ。血は薄れるため、親が大魔だからといって娘が大魔になるとは限らない。
だが今まで確認されていないからと言って、存在しないとは限らない。
根拠は無いが、一樹は絡新婦の脅威度をA級ではないかと疑った。そして危険性を訴えるべく、水仙を質した。
「お前達は、糸に毒を塗ったりするのだよな」
「うん。妖気を神経毒に変換して、獲物を麻痺させたり、殺したりするんだけど、ダーリンには効かなかったよね」
一樹に毒が効かなかったのは、対抗できる陽気が莫大で、万病熱病平癒の力を持つ地蔵菩薩の神気も持つからだ。平安時代の今昔物語にも、地蔵菩薩による平癒は記される。
一樹の訴えは、一樹自身が無事だった事から効果に乏しかった。
「我らには、毒に対応できる天狗の仙薬が有る」
あまり良くない気がした一樹は、水仙に自ら危険性を説明させた。
「水仙、絡新婦と戦う際、人間側の注意点は何だ」
すると水仙は、恐ろしい事を口走った。
「自衛隊の無線機は、傍受できるよ。前に奪ったし、それが駄目なら新しいのを奪うからね」
「何だと、何故使える」
水仙が口にした内容に、当の自衛隊から驚愕の声が上がった。
詰問口調に対して水仙は、使役者ではない自衛隊からの問いを無視した。
一樹が義一郎に対した態度と同じであり、一樹には責める資格が無い。代わって一樹は、沙羅と同じく重ねて問うた。
「水仙、どうして無線機を使える」
「ボク達も人間の学校に行くし、捕まえた人間に使い方を教えさせるからね」
一樹は目を見張って驚いた。
日本政府は人間に有益な一部を除き、妖怪に戸籍や住民票を発行していない。
「戸籍や住民票はどうしている」
「捕まえた娘を喰えば、人化で細部までソックリに化けられるよ。後は、親の片方を捕えて人質にして、もう片方を脅すとかね」
「それでどうするのだ」
「決まっているじゃない。紛れ込めば、露見しないように食べられるからだよ。それに途中で見つかっても、同級生を喰えば化け直せるし……かく言うボクも、弘前市で中学3年生だったんだ」
長年人間に紛れてきた絡新婦の手練手管に、獲物扱いされる人間側は言葉も無かった。
「せっかく模試の成績も凄く良くて、高校も良いところに行くはずだったのに。これって、女子中学生殺人事件にならないかな」
「犯人は、お前だ」
一樹は真犯人を指差して、自身に掛けられた疑惑を晴らした。
























