230話 ダンバー数
鬼ノ城から離れた小道の端。
木々に隠れた一樹達は、温羅に使役されていると思わしき鬼達の動きを観察していた。
鬼達は正門を積み増しており、鬼ノ城の再建と増強をしているのだと推察された。
かつて鬼ノ城を居城とした温羅が復活したからには、城を再建することに不思議は無い。
「自衛隊の兵器だと、壊せそうですけれど」
総社市で自衛隊の部隊を見ていた蒼依が、疑問を口にした。
総社市に来た第46普通科連隊には、81ミリ迫撃砲が配備されている。それで分厚い石造りの城は破壊できないが、城には屋根が無いので、城の中の小鬼を焼き払うことは可能だ。
また瀬戸内海に護衛艦を展開させれば、対地ミサイルで城の破壊も可能だ。
温羅に城を建てられたところで、自衛隊にとっては、あまり意味は無い。
「壊せると思うが、1500年以上封じられていた温羅は、現代兵器なんて知らないだろう」
「そうかもしれません」
「妨害していない自衛隊も、城は無駄だし、時間稼ぎにもなって有り難いと思っていそうだ」
道理で温羅の城造りを放置するわけだと、一樹は勝手に納得した。
「手下の数は、何人居るのかな」
一樹が悩む様子を見せると、沙羅が口を開いた。
「鬼の集団は、『ダンバー数』が、一つの目安になると言われます」
「ダンバー数って、何だ」
「イギリスの人類学者ロビン・ダンバーが提唱した数字で、38種類の霊長類を調査したところ、安定的な関係を維持できる限界値が出たそうです。脳の大きさが影響しているそうで……」
・ダンバー数
5人:社会集団。最も親しい友人やパートナーとなれる人数。
15人:シンパシー・グループ。心から信頼できる人数
50人:一団。危険な状況を安全に往来できる人数。
150人:フレンドシップ・グループ。共同体で共に暮らせる最適な人数。
500人:部族・種族。出会って会釈する程度、顔見知り。
1500人:共同体。長期記憶の上限。頭の中で名前と顔が一致する人数。
「ニホンザルの群れは、基本的に150匹を超えません。人が餌付けする淡路島、四方を海に囲まれた宮城県金華山島のような特異な環境を除けば、群れの数が増えると、40から50匹の集団で分派行動を始めます」
「へぇ」
「それは鬼にも当て嵌まって、1体で直接支配できる鬼は、150体までが限界だと言われます。それ以上を集めても、分派していくそうです」
「なるほど、参考になる」
食糧確保のために小集団が好ましいのか、遺伝的な多様性を求めているのかは定かではない。
だがライオンは、群れで生まれた子供のうちオスが出ていき、チンパンジーはメスが出ていく。出ていかないと近親交配が続いて、遺伝的多様性が低下し、子孫の生存が不利になる。
そのように生物学的な必然性から、本能的に行動しているのならば、力による支配は不可能だ。力で支配しても、温羅が居ない隙に逃げていく。
大集団に所属するほうが食糧の確保が安定し、子孫も残せるという社会制度を構築することで、ようやく大集団の維持は可能となる。
メリットがある典型例が淡路島で、物理的に逃げられない典型例が金華山島だ。
かつて温羅は、鬼ノ城を拠点として吉備国に一大勢力を築いていた。
だがそれは、国家という既存の社会制度を用いていたからだ。国家を体験していない鬼の集団に赴いても、易々と大集団は形成できない。
充分な物資、人材、時間があれば可能だが、それら一切が温羅には無かった。
「鬼ノ城を建築しているのは、150体未満の共同体ということだな。それなら、釣るか……」
一樹は式神の中から、鬼太郎を喚び出した。
◇◇◇◇◇◇
「ギャーッ、ギャーギャッ!」
鬼ノ城の西門付近に、小鬼達の鳴き声が響いた。
遠くまで響く声にどのような意味が込められているのか、小鬼を知らない一樹には分からない。だが状況から、伝達内容を予想することはできる。
小鬼達の視線の先に、彼らが見慣れない小鬼が姿を現した。
ニホンザルのグループがあり、そこに見慣れないニホンザルが姿を現したら、どうなるのか。
餌の人間ではないので、捕まえろとは言わない。
天敵の妖怪でもないので、逃げろとも言わない。
発見者は、仲間に対して、『見慣れない奴が来たぞ』と伝えるのではないだろうか。
「環境省が出した『野生鳥獣の保護及び管理に係る計画制度』によれば、ニホンザルのオスは、成長すると生まれた群れを出て、別の群れに移っていきます。それが近親交配を避けるメカニズムになっているそうです」
「ライオンのオスと同じか」
鬼太郎は、オスである。
それならオスが一匹で姿を現したところで、捕まえろとも逃げろとも、言わないだろう。
ニホンザルのグループであれば、群れの順位の一番下に入れるかもしれない。ライオンの場合であれば、オス同士の戦いで勝ったほうが群れのボスになる。
堂々と姿を現した鬼太郎は、これ見よがしに足元の石を拾ってみせた。
そして石を掲げながら、大声を出す。
「ギィーッ」
西門の鬼達は、建築の手を止めて、鬼太郎が何をするのかと関心を向けている。
一方、足元の石を拾った鬼太郎は、それを建築中の西門に向けて投げ付けた。
届くはずがない石は、仙術で引っ張られたかのように、力強く飛んでいく。
そして西門の外壁にガツンと命中して、小鬼達が建築していた外壁の一部をへこませた。
「ギャッギャッギャ」
唖然と見つめる小鬼達に対して、踏ん反り返った鬼太郎が高らかに笑って見せた。
ここに至って小鬼達は、完全に状況を理解した。
『群れの乗っ取りだ』
遺伝的な多様性を求める場合、他所から強いオスが来るのは、好ましいことだ。
鬼は繁栄しており、種族の生存戦略が上手く機能していると評価できる。
ただし群れの小鬼達にとっては、堪ったものではない。
鬼太郎の行動は、村に見知らぬ男がやって来て、「今日からここは、俺の村だ。ヒャッハー、酒と食料を持ってこい。それと娘を差し出せ」と言っているようなものである。
だが挑戦者は1人なので、多数での迎撃は行えない。
それは武士道精神や騎士道精神に基づく忌避ではなく、10対1で追い返していたら、外部から優秀な遺伝子を取り入れられないからだ。
やがて集団で視線を送り合った小鬼達の中から、1体の小鬼が前に出てきた。
それは鬼太郎よりも一回り大きな体格をした年配の緑鬼で、薙刀も携えていた。
「ギッ、ギャアーッ!」
厳めしい顔付きをした緑鬼は薙刀を掲げ、「娘が欲しければ俺を倒してみろ」と言わんばかりに雄叫びを上げた。
「「「ギャッギャッギャ」」」
緑鬼を見送った小鬼達は、後ろから大喜びで囃し立てている。
金行の緑鬼にとって、赤鬼や青鬼は相性が悪い。
だが体格差や呪力差から、小鬼達は本能的に、緑鬼の勝利を確信している様子だった。
確かに鬼太郎はG級上位で、小鬼達の中で上位者である緑鬼は、F級上位くらいと予想できる。
一樹の呪力が尽きない限り回復し続ける鬼太郎でも、勝つのは容易ではない。
緑鬼に相対した鬼太郎は、棍棒を振り上げた。
すると棍棒は、鬼太郎の手を離れて浮かび上がる。
そして仙術で操られたかのように勢い良く飛んでいき、緑鬼の腹部に直撃した。
「グボアッ」
盛大に吹っ飛んだ緑鬼は、大きな木の幹にぶつかり、そのまま崩れ落ちていった。
囃し立てていた小鬼達は、信じられないものを見たように固まり、しんと静まり返った。
そして困惑したように、周りの小鬼達と視線を交わし合っている。
「グギャーッ」
鬼太郎が棍棒を拾い上げて、これ見よがしに振って見せた。
鬼の言葉を解さない人間であっても、「この緑鬼が群れのボスで良いのか、お前らは従うのか」と伝えているであろうことは、さほど想像に難くない。
鬼太郎が筋骨隆々とした大きな鬼で、激しい打ち合いの末に緑鬼を下していたならば、小鬼達にも困惑はなかっただろう。
子孫を残せる鬼太郎と、群れが強くなる小鬼達は、相互利益の関係だ。
納得の勝ち方であれば、小鬼風の歓迎会でも催したかもしれない。
だが鬼太郎は、大して強くなさそうな見た目だ。
それに、よく分からない方法で勝っている。
たまたま投げた棍棒が、上手く当たったのかもしれない。
そんな可能性も捨て切れない小鬼達は、鬼太郎への評価を保留した。
「グギャッ、グギャッ」
「ギャッ、ギャッギャー」
小鬼達は互いに見合って、次に出す小鬼を選んでいるようだった。
一樹が勝手に予想した話し合いの内容は、「お前、行けよ」「えっ、なんで俺なの」である。
その根拠として、なかなか次の鬼が出てこない。
そろそろ駄目そうな緑鬼は、群れの中でも強かったのだろう。
小鬼達は、緑鬼とは同じ目に遭いたくないのだ。
「ギャッギャッ」
「グギャッ、グギャーッ」
押し付け合いをしていた小鬼達は、やがて仲間内で小突き合いを始めた。
肩を掴んで鬼太郎のほうに押し出し、その腕を掴んで鬼太郎のほうへ引っ張る。
睨んで、叫び、蹴って、醜い争いが繰り広げられていった。
ダンバー数におけるフレンドシップ・グループとは、一体何だったのか。
あのようなグループには、鬼太郎も入りたくないだろう。
相手が自発的に去ることを企図しての演技であれば、大したものである。
「もう鬼ノ城の再建は、無理かもしれないなぁ」
小鬼達の集団は、これから50人規模の一団、あるいは15人規模のシンパシー・グループに分派していきそうである。
そのように一樹が思い始めた頃、小鬼達の群れの長である温羅が、城から姿を現した。
憤怒の表情を浮かべていたが、醜く争う部下達を目にすれば、無理からぬ話であった。
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