227話 岡山県支部の依頼
「この金額は、一体何でしょうか」
陰陽大家に呆れられる、立派なA級陰陽師。
そのような自覚が芽生えなくもない男が、自分自身が驚く羽目に陥っていた。
相手は同じA級陰陽師で、集まりもA級陰陽師の常任理事会。恥とは思わないが、自分も未だ未だと自覚させられた。
一樹を驚かせたのは、常任理事会の決算報告だ。
収支は黒字だったが、一樹は3000億円以上の赤字を予想していた。
「昨年11月の常任理事会では、1000億円ほどの赤字が報告されていました。下半期は魔王を調伏して、作戦に従事した陰陽師に、合計2000億円の報酬も支払いました」
「それらは記載してある」
「確かに、3463億円の魔王対策費が載っています。ですが収入に、同額の補助金もあります。私は、政府からはお金を受け取らない話を聞いた記憶がありますが」
調伏内容に口を出されたくなかった協会は、政府からの補填を断った。
だが政府が無策は拙いと、協会が内部留保金から出した報酬は、全額が非課税所得とされた。
それで終わった話だと一樹は思っていたが、収入の部には、なぜか魔王対策費と金額が一致した補助金が記されていた。
それによって協会の決算は、近年と同程度の黒字である。
資料を作成した協会長の向井は、粛々と口を開いた。
「政府が魔王対策として、12兆円という超大型の補正予算を組んでいた」
「はあ、12兆円ですか」
補正予算は、テレビのニュースや新聞には出ていた話だ。
一樹も耳にしたはずだが、軽く聞き流して忘れていた。
未成年者は選挙権を持たず、公職選挙法(第百三十七条の二)で、選挙運動も禁じられている。
違反者は、一年以下の禁錮又は三十万円以下の罰金(第二百三十九条第一項)と、選挙権の停止(第二百五十一条)だ。
そのため、どうしようもない範疇は、あまり深く見ないようにしていた。
「補正予算は、様々な用途に使われた。自衛隊や警察の派遣、防霊対策、避難所運営、企業助成、生活再建……そして静岡・山梨・神奈川三県の応援割」
「うっふっふふ」
応援割が挙がったところで、堪えきれなかった宇賀が笑い出した。
応援割とは、魔王の出現により観光需要の落ち込みがあった三県において、『旅行商品』または『宿泊料金』の割引を支援する事業である。
なお旅行業を支援すべく、国税投入の音頭を取っている与党の幹事長は、旅行業協会の協会長を兼ねており、パーティ券の購入や政治献金も受けている。
国民から集めた税金を、自分に献金してくれる特定の業界に渡して、さらに献金を貰うわけだ。
宇賀の健全とは言い難い笑いが収まったところで、向井が話を続けた。
「補正予算を応援割に使うのなら、魔王の侵攻を防ぎ、調伏した陰陽師達に諸経費を払わないのはおかしいと、国会で野党に追及される。そもそも予算の使い道を精査されると困る」
「それは大いに困るでしょうねぇ。ツッコミ処、沢山あるわよ」
向井の説明に、宇賀が私見を付け加えた。
魔王対策の補正予算であるならば、魔王領を包囲して煙鬼の侵攻を食い止め、魔王を調伏した協会が経費を補填されるのは正しい。
むしろそれに使わなければ、何に使っているのだという話になる。
「それで追及を躱すべく、実際に調伏した協会にも、金を出そうと思ったようだ」
「調伏後で口を出されないのだから、実費は貰っても良いのではないかしら。受け取らなければ、支援者にバラ撒くのだし、正しい使い道に協力してあげましょう」
向井の端的な説明と、宇賀の補足によって、一樹は概ねの事情を理解した。
「さしあたって協会の内部留保金は、有事があれば対応できる状態に戻っていますね」
一先ずそれで良いかと、一樹は自分を納得させた。
「念のために言っておくけれど、建御名方神が顕現できるほど回復するには、時間が必要よ」
「期間は、どれくらいでしょうか」
「地脈だけだと、魔王は2000年よね」
「途方もない年月ですね」
「必要なのは神気で、信仰からも得られるわ。人間次第の部分もあるわね」
現代人は、昔ほど信仰深くはなくて、生け贄を捧げようといった考えは無い。
だが人口が爆発的に増加して、情報伝達も飛躍的に進歩した。
人口は、紀元元年の100倍以上、平安時代の10倍以上。
情報伝達も、昔は文献や口頭だったが、現代では通信機器を用いて大多数に一瞬だ。
2000年が人口差で10分の1、100分の1に縮まり、情報伝達の差でさらに縮まる。
生憎と現代は情報が氾濫しているため、信仰先も分散してしまったが。
「玃猿と無常鬼は残っているが、賀茂と花咲の両陰陽師が山魈を倒したことで、状況は好転した。現在は、諏訪様の回復を待っている」
予算の話が発展して、協会の方針に及んでいった。
そのため話を引き戻そうと、向井が次の議題に移った。
「次にB級昇格です。今回はC級の祈理陰陽師が、候補に挙がっています。それは賀茂陰陽師が、祈理陰陽師がB級の実力で、山魈調伏でトドメも刺したと報告を上げたからですが」
「報告書は事実です。豊川稲荷では白面の三尾も、祈理をB級と判断しています」
豊川稲荷の名が挙がったことで、向井は豊川に視線を送った。
すると豊川は、一樹を質した。
「木行の継承は、終わったのですか」
「はい。実は、火行も終わりました」
「それでは、B級に上げておいたほうが良いでしょう。土行の継承も、忘れないように」
「恐れ入ります」
向井には直接答えずに、豊川は会話で察せという態度を取った。
「……祈理陰陽師は、B級とします」
厳かな宣言があって、香苗がB級に認められた。
等級に関しては、指揮権や報酬に影響するので、周りのためにも適正にしたほうが良い。
もっとも陰陽師には、嫌な仕事であれば受けない自由もある。組む相手や報酬に不満があれば、霊感が良くないと囁くとでも言っておけば良いのだ。
「その他の事項に移ります。1つ目は、国家試験です。総責任者は数年ごとの交代制ですが、賀茂と花咲は未成年。五鬼童家に、継続をお願いしたいと考えております」
「構わないよ。花咲の陰陽同好会からの受験者も、多いのだろう。暫くは引き受けよう」
向井は、事前に根回ししていたのだろう。
義一郎は即座に応じて、小太郎が引き受けられない理由も補足した。
改めて指摘を受ければ、至極もっともに思われる。
一樹と小太郎が設立した陰陽同好会は、新入生196名のうち、国家資格を持つ凪紗、茉莉花、昨年5位の鶴殿優斗を除いた193名が受験予定となっている。
一樹達には不正を行う意志など皆無だが、合格者が多ければ、邪推もされる。
――試験の総責任者、A級陰陽師でないと駄目なんだよな。
陰陽大家の子弟を含めた受験生達に、順位や等級を付けるのが国家試験だ。
陰陽大家同士のトラブルにも成りかねないが、A級陰陽師の決定であれば陰陽大家も口を噤む。
だが人外の宇賀と豊川は、そもそも総責任者を受ける気が無い。
協会長の向井に全権を集中させるのも、良くはない。五鬼童に任せ続けるのも好ましくないが、会長の向井、未成年の賀茂と花咲に比べれば、一番マシな選択肢だ。
「それでは反対が無ければ、五鬼童家の継続でお願いします」
ここで反対するということは、自分が総責任者を引き受けるということだ。
もちろん反対者は現れず、五鬼童家が試験を受け持つことが承認された。
「それでは最後の事項です。岡山県支部が、支部の手に負えないと報告を上げた妖怪が居ます」
配付された資料の一番下に、その妖怪に関する資料があった。
資料には、神社の瓦礫と鳥居の残骸らしき写真が、載っていた。
神社の各所は上から押し潰されており、相手が巨大で、剛力だと想像できる。
「神社を破壊したのは、神社に設けられた小さな社から復活した鬼神です。神社を破壊し、神官と巫女を殺して、根城の方角へ飛んでいったそうです」
その妖怪は、日本で一番多いであろう鬼の一種『鬼神』だった。
鬼は種類が多く、強さも幅広い。一樹達が過去に相対した獅子鬼、羅刹、夜叉、五鬼王などは、すべて鬼に分類される。
復活して飛行した情報から、一樹は鬼神がA級で、羅刹や夜叉と同等だと認識した。
相手が鬼神であれば、支部が手に余ると判断するのは当然だ。
壊滅した神社に人々が恐怖を抱いても、独力での対応は不可能である。
「宇賀様と私は無常鬼2体、豊川様は玃猿を牽制中です。五鬼童家は予備戦力で、国家試験もお願いしたところです。花咲家は、まだ忙しいでしょう」
「そういう訳で、賀茂のところが行って頂戴。蒼依姫命も居ることだし、戦力は足りるでしょう」
そちらの話も、宇賀に根回しされていたのだろう。
国家試験の総責任者を務めるよりも、鬼退治のほうが単純であることは否めない。
役割を振られた一樹は、資料を覗き込んだ。
























