224話 八条ヶ渕跡
4月下旬の土曜日。
おゆうに請われた一樹は、後輩達の式神使役に付き合うことになった。
『このまま6人が陰陽師に成った場合、死にかねません』
6人とは、花音を除いた元最下位グループの面々だ。
霊符作成は上々の結果で、後輩達の中では、上のほうになっている。
――今年の試験で、合格する可能性は、充分にあるな。
火行護法神の世界では、地狐に拾われてから、大蛇に返り討ちとされるまで、6年学んだ。
生きるだけでも精一杯の平安時代、陰陽道に専念できるはずもなく、下働きが多かった。それを飛ばし見ており、身に付けた内容は、6年という年数に見合わず少ない。
だが呪力の扱いは、地狐の見様見真似か、堂に入っていた。
6人が最下級の陰陽師を名乗っても、一樹が違和感を抱かない程度に成っている。
「確かに、今のまま陰陽師に成れば、死ぬかもしれません」
日本に存在する職業の中で、陰陽師は突出して危険な仕事だ。
毎年500人以上が合格しており、20歳で合格して60歳の定年まで働くとすれば2万人以上が居るはずなのに、現役は1万人ほど。
格下と戦うことが推奨されているが、義務ではない。
そのため傷病や殉職によって、半数が消えている。
「賀茂殿は、陰陽師は6人に限らず、誰もが死のリスクを負うと考えているのでしょう」
おゆうの問いに、一樹は頷いた。
「はい。自ら選んだ仕事なら、妖怪に襲われる一般人の立場ではありません」
「そうですが、絵馬の世界は、順当な修行の過程ではなく、想定外の呪力成長でした。6人が今年受かり、命を落とすような結果に至れば、私と賀茂殿には、指導者としての責任が生じます」
「……ううむ」
一樹は、正式には6人の指導者という立場ではない。
だが妖狐を招聘して指導を任せ、火行護法神の世界に引き込んだ。
火行の世界に引き込んだのは、香苗に火行を継承させるという自己の利益を追求しての行為だ。
後輩達も呪力や経験を得られたので、一樹は相互利益の関係だと考える。
だが6人が負傷引退すれば、相互利益とは言えず、一樹が利用しただけになってしまう。
F級の陰陽師を使い捨てにしたというのは、一樹の倫理観に悖る。
「それで、どうしろと仰られるのですか」
「式神を持たせてはどうかと、思うのです」
「式神ですか」
式神の提案を聞いた一樹は、真っ先に牛太郎や水仙を思い浮かべた。
術者の前衛となってくれる霊体の式神達は、どれだけ傷付いても、呪力を与えれば回復する。
難点は、呪力を使い過ぎることだ。
10の呪力を持つ式神に全力を発揮させるためには、10の呪力を与えなければならない。
普段から勾玉などに呪力を蓄えておき、全力で使役する時に使う手もあるが、そのような霊具は入手困難だ。
F級陰陽師が使う程度の霊具ならば、勾玉レベルでなくても良いので入手の難易度は下がるが、一樹であればともかく、後輩達が容易に入手できるわけではない。
「式神は有用ですが、呪力を食います」
F級の術者は、同等の小鬼を使役するのが精一杯だ。
無理をすると、守護護符を作成する呪力も残らない。
止めたほうが良いのではないかという一樹の態度に、おゆうが補足した。
「八条ヶ渕跡で、大蛇の犠牲となった霊。それを使役させようと、思うのです」
「大蛇の犠牲となった霊ですか?」
「そうです。大蛇の墓はあるのに、犠牲者の墓は無いのです。酷い話でしょう」
おゆうは、心底心外だという口調で訴えた。
八条には、大蛇と化した娘の墓は存在する。
だが、犠牲者の墓は無い。
「余裕が無い時代でしたからね」
家族を供養する理由の半分は、自分のところに化けて出るかもしれないからだ。
だが、他人が自分のところに化けて出る恐れは少ない。少なくとも、理由もないのに執拗に付け狙われることはない。
理由が乏しい他人の供養までする余裕は、平安時代には無かった。
「殺されたのに供養されなければ、成仏できません」
「確かに、彷徨っている霊は、居るでしょう」
大蛇に殺された者の中には、成仏していない霊もいるだろう。
大蛇の調伏に満足した霊も居るはずだが、家族が心配で未練を持つと、成仏できなくなる。
「大蛇は調伏されており、犠牲者達は、怨みを募らせて強大化してはいません」
「確かに、彷徨っている霊は弱いかもしれません。ですが、もう意識も無いのでは?」
大蛇が調伏されてから、既に1000年が経っている。
霊になって1000年を過ごしたとして、その間も記憶が蓄積されるのならば、1000年前のことなど覚えていられるだろうか。
そもそも大蛇に喰われたならば、正気を保っていられるとも限らない。
犠牲者の霊は、はたして論理的に説得できるような状態なのか。
一樹には、非常に疑わしく思えた。
「6人の呪力に触れさせて、当時を思い起こさせます。そうすれば6人を仲間と思い、手伝ってくれる者も居るでしょう」
「当時の記憶を思い出すと、怯えて暴れる霊も出そうですが」
「そこは私が押さえて、どうにもならない霊は、祓います」
「それなら使役できる霊は、見つかるかもしれませんね」
大蛇の犠牲になった者は、それなりに多い。
娘が大蛇に変じてから、火行護法神が調伏するまで、20年が経っている。
その間に、八条村の男衆、派遣された兵、通行人、年頃の女達が、続々と犠牲になっていった。人数にして、数百人は下らないだろう。
分母が多ければ、使役できる霊が見つかるかもしれない。
「自発的で協力してくれる霊であれば、呪力の消費は、非常に少なくて済みます」
「それは、仰せのとおりです」
労働者が仕事をする場合、やる気が有るか無いかで、成果が変わる。
使役した式神も同様で、協力的であれば、少ない呪力で良い成果が出る。逆に非協力的ならば、呪力という報酬を示しても、あまり良い成果は出ない。
その究極の形が、花咲家の犬神や、晴也に憑いたキヨだ。
当人達が自発的にやっているので、呪力という報酬は、必要最低限で済む。
「下級の霊を使役して、どうするのですか」
「勝てない敵が現れた時、足止めになってくれます。霊も何かの役に立てるほうが嬉しいですし、成仏にも繋がるでしょう。それは私の体験談ですが」
「分かりました」
一樹が受け入れたのは、火行護法神の世界で利益を得たという思いがあったからだ。
香苗は火行の世界において、火行、神刀・小狐丸、二神の御利益を獲得した。
それ以前にB級上位だったので、どう考えてもA級下位に上がっている。
――A級なら、三尾だ。
さらに道教で考えれば、香苗は仙人になる手順を完了した。
人の場合は仙人だが、香苗の場合は仙狐となる。
一応、押し掛け式神なので、一樹が頼めば仕事も手伝ってくれる。
自分と後輩達が得た力を見比べた一樹は、自分が搾取したような感覚に陥った。
そのため一樹は、おゆうと共に、花音を含めた7人を連れて奈良入りした。
◇◇◇◇◇◇
八条ヶ渕跡は、奈良県の大和郡山市にある。
協会本部がある御所市からは、北側に19キロメートルほど。
現代では、大蛇が住み着く余地など無いが、1000年前は大蛇の住処だった。
今も淀んだ沼があって、霊的にも非常に淀んでいた。
「うぇっ」
淀んだ気に中てられたのか、呪力の低い6人が、辛そうな表情を浮かべた。
花音はマシだが、不快そうな表情を浮かべている。
「吐いている場合では、ありませんよ。早く探して、この場から拾い上げてあげなさい」
おゆうの声が飛び、口を結んだ隼人達が、沼を見た。
すると蛍のように、小さな人魂が、ふわふわと漂っている。
『水仙、妖糸で引っ張ってやれ』
一樹が命じると、人魂が何かに引き寄せられるように、隼人の所へ近付いていった。
隼人が人魂に触れた刹那、脳裏に体験が過ぎる。
『おい紗紀、逃げろ……だったら、誰でも良いから逃げて、地狐でも勝てないと伝えろっ!』
火傷を負った大蛇が、怒り狂って見下ろしてきた。
誰かを逃がして、大蛇の脅威を伝えなければならない。
矛を握る手に、力が籠もる。隼人は正面から、大蛇を睨み返した。
『僅かでも長く保つ。その間に──、』
隼人の表情が、苦悶に歪む。
すると隼人の隣に、平安時代の格好をした男の霊が立っていた。
男の霊は筒袖の上着、衽なしの垂直の前あわせ、そして胸ひもをつけた括袴姿をしている。
そして隼人と共に、八条ヶ渕を睨んでいた。
『大蛇め、我が娘を返せ……』
抜き放った刀を構えた男が、悲しげに呟く。
嫁取り橋の大蛇に、嫁入りする予定だった娘を攫われた父親だろうか。
夫となる予定だった男は、別の妻を迎えたかもしれないが、父親に育てた娘の代わりは居ない。
虚しく佇む男に、隼人が呼び掛けた。
「私は、矢田隼人と申します。我が気をご覧下さい」
霊的に接触した二人の間に、気の交流が発生した。
大蛇を憎む気持ち、家族を守らねばという気持ちが交差する。
隼人を仲間だと認識したのか、男の霊は穏やかな表情を浮かべた。
「大蛇は調伏されましたが、世には数多の妖怪がおります。私は陰陽師として、次の戦いに挑み、一人でも救う所存。式神として、何卒ご助力を願い奉ります」
『……えいっ!』
平安時代の肯定にあたる返事をした人魂は、スッと隼人に憑いた。
隼人の様子からは、使役による呪力の負担が、まるで見受けられなかった。
――霊体を維持できる最低限で済ませているな。
人魂は、自分の身を犠牲にして隼人を助けてくれるらしい。
それは式神を使役するにあたり、通常では起こり得ない望外の結果だった。
「これなら2体でも、使役できる」
そのように呟いた隼人は、周囲を見渡して、思い止まった。
残っている霊のうち、武装している兵の姿は、さほど多くはない。
まだ式神を持っていない同級生が、最低でも1体ずつを使役するのが先だった。
何かに引っ張られた人魂が、次々と同級生達に寄ってくる。
その後ろには、おゆうが立っていて、使役するまでを見守っている。
助力の要請には、失敗することもあった。それは疲弊した霊自身が拒否的であることと、おゆうが視て止めさせることと、二通りの理由があった。
『嫁取り橋の大蛇』
霊には、沼に引き摺り込まれた花嫁も混ざっていたのだ。
弟子達に要請を止めさせた後、おゆうは丁寧に霊を祓った。
使役は順調に進み、やがて6人全員が、武装した男の霊を使役した。
呪力が高くなった花音には、別の霊を紹介する予定がある。
そんな花音の分を除いても、6人に2体目を行き渡らせるには、霊の数が足りなくなった。
「もう良いでしょう。皆、大儀でした」
沼の上に燃え広がった狐火が、彷徨う霊と淀みを祓っていった。
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