219話 妖狐と7人の弟子
生い茂る草地の先に、『八条ヶ渕』と呼ばれる大沼がある。
上流は東の山々、下流は西の佐保川で、その中間で水が溜まって沼地になった場所だ。
400人ほどが暮らす八条村にあり、『八条村にある渕だから八条ヶ渕』という、誰でも分かる命名の由来がある。
「2年前から八条ヶ渕に、大蛇が住み着くようになりました」
八条ヶ渕を前にした若い妖狐が、引き連れてきた若者達に講釈を始めた。
若者達は、男が4人で、女が3人の合計7人。
いずれも10代の半ばになった頃で、未だ幼さが残る顔立ちをしている。
出で立ちは典型的な庶民で、男が直垂に短い袴、女が小袖に褶だつもの、足元は草鞋だ。
裸足ではないので、遠方から来たのだと想像が及ぶ。さらに7人は、矛も手にしていた。
「大蛇の長さは、3丈(9メートル)ほど。通りがかる人間を、これまで幾度も襲ってきました。好んで襲うのは女で、おそらく肉を食うのでしょう」
「典型的な物の怪なのですね」
「そのようです」
妖狐は、若者の一人に頷き返した。
普通の蛇と比べて有り得ない巨体であり、物の怪であることに疑いの余地は無い。
物の怪は人を喰らう存在で、肉と同時に気も喰らっていると知られている。
気や生命力は、死にかけの老人よりも、若者のほうが沢山持っている。
そして男よりも、子を生む女のほうが良質なのだろうと考えられていた。
「最初に八条村の男衆が、次に兵が派遣されましたが、いずれも蹴散らされました」
「何人で立ち向かって、蹴散らされたのですか」
「数十人だそうです。ですから、中鬼くらいの強さはあるようです」
物の怪は、小鬼でも武装した成人男性1人以上の強さだとされる。
そんな小鬼が、100匹も群れなければ倒せないとされるのが中鬼だ。
並の兵が中鬼と戦うのは不可能で、強い呪力を引いた高貴な者達、陰陽師、経験を積んだ地狐でなければ、まったく歯が立たない。
「幸い男には興味が無いようで、多くの者が逃げ帰れました」
400人の村で、数十人もの男手が減れば、村の被害は計り知れない。
大蛇の気が乗らず、犠牲者の数が抑えられたことは、不幸中の幸いであった。
「獲物の選り好みが、激しいのですか」
「ええ。まるで憎んでいるかのように、年頃の娘や花嫁ばかりを襲っているそうです。人間に興味が無ければ、野放しにしても良かったのですが」
中鬼でも襲ってくれれば、なお有り難い。
食性が異なれば、村の守り神として崇められる可能性すらあった。
「自分が結婚できなくて、ほかの女に嫉妬しているとか?」
「そんなことは無いと思います。ですが、蛇ですし……うーん」
女が蛇に変じる伝承を思い浮かべた妖狐は、大いに頭を悩ませた。
妖狐が悩んだ理由の一つには、京が何故か動かないことが挙げられる。
大和の八条は、平安京から近い。道がしっかりとしており、数日あれば辿り着ける距離にある。
だが平安京の貴人達は、大蛇の討伐に動こうとはしなかった。
自分が動かなくても、陰陽寮から優秀な陰陽師を出せば、片付けられるにもかかわらず。
――まるで『地元の有志が勝手に倒した』という形を望んでいるようです。
妖狐に話が来たのも、地元から神社に願い出られたからだ。
地元にある矢田坐久志玉比古神社は、延喜式神名帳(927年)に記された大和国添下郡十座の筆頭社である。
祀っているのは、天磐船に乗って空を飛んだ邇芸速日命。
邇芸速日命は、神武天皇に抵抗した大和の豪族・那賀須泥毘古の妹を妻として、那賀須泥毘古が敗れた後に神武天皇へ従った。
そのような伝承のため、いざとなれば切り捨てられるという、微妙な立ち位置にある。
神社から相談を受けたのも、陰陽寮の陰陽師ではなく、神社と付き合いのある妖狐だった。
様々に想像を巡らせた妖狐が、憂いを口にした。
「吾は、心配です。皆を拾って数年、畑仕事を覚えさせれば良かったと、後悔しています」
「おゆう様、畑を継げるのは長男です」
「そもそもあたし達、口減らしで、親に捨てられたわけですし」
継げる畑なんて無いぞと、若者達が言い返した。
6年前に倒壊した平安京の羅城門は、上層が死者の打ち捨て場になる有り様だった。
鴨川には死体が流され、井戸には死体が放り込まれ、病気の流行で人が死ぬ。それらの死体からは衣服が剥ぎ取られ、髪は引き抜かれて売り物にされた。
粗末な家、栄養不足で腹が膨らみ、手足はやせ細り、餓鬼のような姿の者も多く見られる。
平安京ですらその有り様なのだから、ほかの地域もお察しである。
口減らしを躊躇って一家が全滅するくらいなら、最低限の子供を捨てる。
それは動物の世界でも行われることで、おゆうにも理解はできた。
7人の親を責めようとは思わない。
ただ7人が死ぬのを哀れに思って、手を差し伸べた。
拾ったのが妖狐であったために、7人が身に付けたのは、妖術の真似事だった。
おゆうは多少の陰陽術にも通じているので、7人は陰陽師の見習い程度には成れている。
「紗紀、玲奈、花音は、どこかへ嫁に出しておくべきでした」
4人の男達には畑を譲れなくても、3人の女達には別の道があったかもしれない。
おゆうが話を振ると、いずれも乗り気ではない答えが返ってきた。
「おゆう様に行けと言われれば、従いますけど」
「楽なところでお願いします。田堵(有力百姓)とか!」
「巫女が良いので、稲荷社に推挙して下さい。でも、おゆう様のお手伝いはしちゃうかも」
嫌々、その気が無い、斜め上。
紗紀だけは可能性が有りそうだが、4人の男達の中に意中の相手が居るのは分かっているので、引き裂くことは忍びない。おゆうは典型的な妖狐で、純愛派だ。
頬を膨らませて不満を示したおゆうは、3人に言い聞かせた。
「この仕事に成功すれば、5年は働かなくて良くなるので、その間に身を固めなさい。貰い手が居なかったら、隼人達から選んでも良いですから」
「「「……はーい」」」
おゆうに念を押された3人は、渋々と答えた。
3人はそろそろ年頃で、5年のうちに嫁げと言われるのは、至極真っ当な話だ。
そして気心が知れ、おゆうに訴える手段も取れる4人であれば、知らない相手に嫁いでハズレを引くよりはマシである。
「俺達の意見は?」
「何か言いましたか?」
「いいえ、何でもありません」
怪しい依頼だが、その分だけ報酬は大きい。
八条村や周辺の村ではないところから、金が出ているのだと推察される。
自分一人であれば受けない話だったが、年頃の7人を養うおゆうは、賭けに出ていた。
「それでは始めますよ。まずは毒草を沈め……」
おゆうが言い終わる前に、沼の水が吹き上がった。
吹き上がった水飛沫に混ざって、おそろしい爬虫類の頭も飛び出してくる。
それは一直線におゆうへと突き進み、大口を開けて食らい付いてきた。
「ああああああっ!?」
左足を咥えられたおゆうの身体が、大蛇の頭と共に宙へと舞い上がる。
もしも背後に7人が居なければ、一瞬にも満たない僅かな逡巡は無かった。
おゆうは術を放とうとしたが、発動する間もなく沼に引き込まれていった。
「おゆう様っ!」
大慌ての7人が、武器を片手に沼へと飛び込んでいく。
動き回る大蛇の位置を割り出すことは、さほど難しくはない。
大蛇の太い胴体に向かって、矛の尖端を叩き付けていった。
『急急如律令!』
矛の尖端に呪力が集まり、それが大蛇の身体に突き立てられる。
祭具としても多用される矛は、呪力の集中と放出に優れている。
小鬼程度が相手であれば、一撃で倒せただろう。小魔が相手でも、多少は効いたはずだ。
だが7人にとっては、相手が悪すぎた。小鬼は100匹で群れなければ、中鬼に勝ち得ない。さらに大蛇の強さは、中鬼よりも上だった。
直後、沼の中から光が溢れ出して、激しい水飛沫が吹き上がった。
撒き散らされた水飛沫は熱湯になっており、浴びた7人は熱さを感じ取った。
そして沼からは、口元に火傷を負った大蛇が、痛そうに頭を出してきた。
「おゆう様はどこだっ」
放たれた術は、おゆうの狐火だ。
そして大蛇の口には、妖狐が咥えられていない。
息が出来ない沼の中で、自爆によって手傷を負わせたのだろうと想像が出来た7人は、大蛇を前にしながら、必死におゆうの姿を探した。
一方で大蛇は、顔を火傷して、激怒している。普段であれば男を狙わないというが、とてもそのような様子には見えなかった。
「おい紗紀、逃げろ」
「あはは、無理。だって、腰が抜けているから」
「だったら誰でも良いから逃げて、地狐でも勝てないと伝えろっ!」
良い指示を出せたと、隼人は思った。
大蛇の強さを報告して、誰かに討ってもらうことは、育ての親と仲間の仇討ちに繋がる。
それなら逃げることにも、後ろめたさを感じずに済む。
「誰か、上手く逃げろよ」
迫ってきた爬虫類の頭が、槍を構えた隼人の視界を、埋め尽くしていった。
























