216話 おゆうの直談判
「賀茂殿、絵馬を使わせて下さい!」
凪紗達との模擬戦の翌週。
呪力が低い7人を指導している妖狐のおゆうが、一樹の下へ突撃してきた。
形としては頼みに来ているが、眼力はネズミに迫る狐が如き迫力である。
もっとも一樹は、その狐に講師をお願いした立場だ。そのためネズミのようには逃げられず、渋々と対応した。
「おゆう先生、絵馬の話をお聞きになられたのですか」
「はい。使役している神木の分霊の神域で、霊体を加速させて鍛えられるのだと伺いました」
一樹はおゆうの情報源が、九条茉莉花か、分家の二人だと予想した。
講師として招聘された豊川稲荷の霊狐達は、霊狐達の長が藤原良房で、良房の子孫が九条家だ。
血の繋がりがあり、戦力と権力も結び付くので、理想的な相互利益の関係だ。
妖狐の繋がりを予想していた一樹は、神域に招いた際に伝えた言葉を確認した。
「使用には制約もあると、聞かれませんでしたか」
指導に使う神木の分霊に関しては、どうせ漏れるからと、口止めをしていない。
その代わり一樹は、使用に制約があると話しておいた。
使用を求められた時に断るためだが、おゆうは遠慮しなかった。
「拾った動物は、ちゃんと面倒を見なければなりません」
「……はあ?」
「賀茂殿は、7人の呪力が足りないと思いつつも、入会させたのでしょう」
「それについては、そうですが」
「それなら、拾った責任が生じます」
段ボール箱に入れて捨てられた子猫を拾ったかのように、一樹は責任を追及された。
責められた一樹としては、子猫にしては大きすぎるだろうとか、高校に入学させた保護者が居るだろうとか、否定の言葉を思い浮かべざるを得ない。
高校1年生は、留年や再入学をしていなければ15歳だ。
猫であれば、成猫を過ぎており、立派な猫又に成れる頃かもしれない。自分で元気に走り回ってほしいところである。
だがおゆうは、予想外のことを口にした。
「こう見えても私は、かつて人間に拾われた狐でした」
「それは意外ですね」
妖狐にはコミュニティがあるので、それが機能せずに人間に拾われるようなことは滅多に無い。
――そうでもないか。
人と妖怪の領域が明確化したのは、人間の武器が一気に近代化した明治以降だ。
それまでは領域が混ざり合っていて、村単位で潰されることも枚挙に暇がなかった。一樹が体験した鹿野の周囲も、沢山の村が妖怪に飲み込まれている。
人間と同様に、妖狐のコミュニティも潰されていたのだろう。
妖狐は強いほうだが、村長級の二尾でも、C級からB級だ。B級の大鬼が現れて、村長が負けてしまうと、あとは一方的に蹂躙されてしまう。
あるいは木行護法神のように、修行の旅の途中で、妖怪とやり合う場合も有り得る。
「とても寒い冬でした。深手を負って逃げ延びた山で、楮を伐りに来た人間に助けられたのです。それから少しの間、人間の手伝いをしました」
「楮……狐……?」
「萩藩の波野村に住んでいた紙漉きの与五郎と、拾われた狐と言えば、分かりますか」
萩藩は、鹿野も属する毛利家が治めていた山口県の藩だ。
米、塩、紙の生産が盛んで、錦川沿いの南桑には、山代紙の集散地もあった。
山代紙は、山代(錦川の上流地域)で生産される、楮を原料とした和紙の総称だ。
寛永七年(1630年)には、萩藩による山代紙の御買上(専売)も行われており、その頃の話であれば一樹もよく知っている。
一樹が体験した男の死後も、生産は盛んに行われた。
やがて萩藩の製塩は全国二位、製紙は全国一位に駆け上がっていく。
倒幕を果たした萩藩(長州藩)の力の一端は、防長四白(米・塩・紙・蝋の四白)などの強固な藩政改革にあった。
「波野村は、奥山代の中心にあった本郷村の南ですね。今では岩国藩の岩国市と合併しましたが、昔は萩藩の直轄地でした」
「お詳しいのですね」
「絵馬の神域にある川、萩藩の錦川ですよ」
「いつ頃の川ですか」
「江戸時代です」
「そうですか。不仲な岩国藩と合併するなんて、あの頃には考えられませんでした」
口を閉ざしたおゆうが回想しているであろう思い出は、まさに江戸時代だ。
一樹が体験した男は、おゆうの話を知らない。
だが一樹は賀茂家の後継者として、様々な文献に目を通した。
おゆうらしき楮狐が文献に載るのは、江戸中期。享保の大飢饉を経た第7代藩主の毛利重就が、財政改革で防長三白に力を入れていた頃だ。
ある冬、波野村で暮らす紙漉きの与五郎が、山に楮を伐りに行った。すると山で、傷を負って衰弱している狐を見つけた。
与五郎は狐を助けて、傷が癒えるまで家で世話をしてやった。傷が癒えた狐は、山には帰らず、与五郎の家に住み着くようになった。
それから与五郎は、凄腕の紙漉きとして、一気に評判を上げた。製紙に力を入れた萩藩の後押しもあって、家は瞬く間に栄えていった。
だが嫉妬した人間によって、与五郎は化け狐の力を使っているのだと噂された。代官の取り調べが行われると、まことしやかな噂まで立った。
それらは勝手な噂に過ぎなかったが、噂を恐れた下女が、狐に食事を出さなくなった。
すると狐は姿を消して、与五郎の家も没落していった。
「ちゃんと講義の対価を払うので、没落させないで下さい」
「失礼ですね。そんなことはしませんよ」
座敷童のような伝承を持つおゆうに対して、一樹は怯えて頼み込んだ。
世の中には、原理を説明できない不思議な力を持つ妖怪が居る。
例えば柚葉の幸運で、そのような力は実在すると、一樹は確信している。
すると怯えられたおゆうは、頬を膨らませて、プンプンと怒った。
「私は、厄介者扱いされたので、大人しく身を引いただけです。与五郎さんの家が没落したのは、私の力に頼り切っていて、追い出した後始末が出来なかったからです」
「代わりの人を雇った程度では補えないほど、色々と手伝っておられたわけですね」
「家が大きくなった分は、ほとんど私がやりました。でも与五郎さんが一人でやっていた頃に戻っただけで、食いっぱぐれたりはしていません。稼いだお金だって、それなりには残りました」
「お優しいのですね」
「まあ、最初に拾ってくれたわけですし」
おゆうは頬を赤く染めて、プイと顔を逸らした。
妖狐は打算も考えるが、人間と同様に様々な感情も持っている。どこぞの妖狐を思い浮かべた一樹は、おゆうの心情に理解が及んだ。
おゆうは暫くの間、与五郎を見守ったのだろう。破滅しないように最低限は守りつつ、行く末を軟着陸させたのだ。
もしかすると与五郎が探してくれるのを、近くで待っていたのかもしれない。
そこまでやっているのなら、与五郎の選択次第では、二人には夫婦となる未来も有り得た。
「……とにかく、拾ったら責任を取るべきだと思うのです」
「なるほど。それで7人に対して、絵馬の使用を求められるわけですか」
ギリギリの状態で拾われた7人に、おゆうは自分を重ねて見たのだろう。
道理で肩入れするはずだと、一樹は突撃してきたおゆうの行動に納得した。
「196人のうち、下から7番までだと可哀相でしょう。年季の異なる上の7人と比べても仕方がありませんが、残る189人の中では、恥ずかしくないようにすべきです」
「確かに現状は補欠合格者で、皆から下に見られますからね」
凪紗達が一段上に見られるとすれば、補欠合格者達は一段下に見られる。
8月の国家試験後には、合格者と不合格者という新たな線引きが生まれて消えていく見方だが、今はやりにくいだろう。
「あの子達には、努力次第では夢が叶うチャンスを与えるべきです」
「おゆう先生が仰られることは、間違いではないとは思います」
「でしたら、やりましょう。賀茂殿には出来ますし、大した手間でもありません」
ネズミに噛み付いた狐のように、しっかりと一樹に食らい付いたおゆうが、返答を求めた。
うんと言わない限り離さないと、目力で訴えながらである。
その積極性で、最初から与五郎に噛み付け……とは口にせず、一樹は唯々諾々と従った。
























