215話 模擬戦
里山の遙か高みを、二つの影が飛び回っていた。
1つは黒い翼を生やした天狗で、1つは金の翼を生やした天狗。
黒の天狗からは次々と火の玉が生み出されており、それが金の天狗に襲い掛かっていた。
『天狗火』
火の玉は、燕のように飛翔しながら凪紗に襲い掛かってきた。
どれだけ巧みに躱しても、とても逃げ切れない。
故に凪紗は気を高めた。
『鬼神護気』
凪紗に触れた瞬間に膨れ上がった天狗火が、凪紗の全身に炎を浴びせ掛けた。
ドン、ドンと5つの炎が叩き付けられて、凪紗が纏った気を削っていく。
落下で移動した凪紗は、纏わり付いた炎を振り払った。
「……鬼火が出せない」
「鬼火は、意識が消えた浮遊霊の霊魂です。神域には居ませんよ」
余裕で解説する沙羅に、凪紗は現在の形勢を見た。
沙羅は虚勢を張っているのではなく、優勢を確信している。
それもそのはずで、沙羅と凪紗には倍の呪力差がある。
沙羅はB級上位、凪紗はB級中位。互いに1本ずつの羽団扇も持っていたが、性能はB級上位とB級中位で、呪力差は縮まらない。
また沙羅は自身で生み出す天狗火を使い、凪紗は周囲の力を使う鬼火を常用する。現在の神域で使えるのは、天狗火だけだ。
教わった修験道は同じだが、沙羅の戦闘経験は、絡新婦、ムカデ神、飛天夜叉、獅子鬼などと、凪紗を上回っている。
そして沙羅は、神域を味方に付けられる神気も持っていた。
「沙羅姉、その神気は?」
「何でしょうね」
沙羅が持つ神気は、絡新婦との戦いで負傷して、治療の際に一樹から注ぎ込まれたものだ。
C級上位で呪力4000だった当時、B級下位に相当する1万ほどが与えられた。気の比率は、7割ほどになる。
一樹の魂から切り離され、鬼神の子孫である沙羅に根付いた神気は、沙羅の成長と共に増えた。それは一樹の神気で誕生した八咫烏達が、成長と共に神気を増やしたことに近しい。
そんな沙羅の神気は、一樹の神域で回復できる。あまり使い熟せていないが、それでも回復速度において、凪紗が無視できない差を生じさせている。
圧倒的な不利を悟った凪紗は、即座に戦法を変えた。
『天狗火、天狗火、天狗火』
金色の翼を生やした天狗の周囲に、次々と小さな火の玉が浮き上がった。
それは単純に沙羅の術を模倣したのではなく、圧縮もさせている。
天狗火を周囲に纏わせた凪紗は、上空に飛翔していった。
「妹が天才で困ります。『天狗火、天狗火、天狗火、天狗火……』」
凪紗が一点突破してくると判断した沙羅は、凪紗の質に対して、呪力差による量を取った。
より多くの天狗火を展開させた沙羅は、上空から滑空を始めた凪紗に向かって、無数の火を投げ付けていく。
それから数秒後、上空に盛大な爆発音が轟いた。
上空で天狗達が術をぶつけ合う下では、妖狐の子孫達が対峙していた。
「3対1で、よろしいのですか」
「良いよ。30対1でも、あなた達は勝てないし」
香苗が淡々と告げると、茉莉花は不満そうに目を細めた。
「そうですか。それでは参りますわ」
分家筋の二人に目配せした茉莉花は、三人で半包囲しながら構えを取る。
ジリジリと迫ろうとしたところで、茉莉花の視界を地面が覆い尽くした。
ガンと鈍い音がして、茉莉花の頭が地面にぶつかっていたのだ。
「ほら、勝てないでしょう」
のんびりと告げる香苗の視線の先では、対峙した三人が、頭から地面に突っ伏していた。
それなりに痛いが、深手にはならないように手加減している。
そんな術を受けた茉莉花は、混乱しつつも顔を上げて、直ぐに起き上がった。残る二人も同様に立ち上がり、香苗に対して最大限に警戒する。
『狐火』
茉莉花達の知覚は、攻撃を受けたのと同時だった。
背中から狐火を浴びせられた三人は、無抵抗に前方へと吹き飛ばされる。
術の展開が速過ぎて、気による知覚がまったく追い付かない。
大きく体勢を崩した三人の身体は、立て続けに放たれた仙術で正面から受け止められて、優しく横手に転がされた。
「うぎゃっ」「ぐあっ」「きゃっ」
ゴロゴロと地面を転がった三人を眺めた香苗は、困ったような表情を浮かべた。
そして考える素振りを見せた後、仙術を使って、転がる3人の身体を上から押さえ込んだ。
香苗の呪力はB級上位で、750年の経験を積んだ気狐の仙術は、年季が入っている。
そしてこの世界は、一樹の領域であると同時に、香苗の領域でもある。
象にでも抑え込まれたかのように、茉莉花達は大地に縫い付けられた。
まるで動けなくなった3人に対して、香苗が静かに話し掛ける。
「あの人が力の一端を見せたのは、陰陽師の不文律を分からせるためだと、思うのだけれど」
「不文律とは、実力に基づく指揮権のことですの」
「そう、それ。実力差、分かったよね」
「おかげさまで」
身体を動かせない茉莉花は、顔だけを上げて香苗に答えた。
香苗は、開始から一歩も動いていない。一歩も動かずに、茉莉花達の首を仙術でねじ切ったり、狐火の業火で全身を焼き払ったり出来る。
呪力が桁違いであるのみならず、術の力量でも隔絶した差があった。
九条家が継承してきた術と比べてすら、香苗は上だった。
「お姉様、昨年のエキシビションマッチに比べて桁違いに強くなっておられますけれど、こちらで修行なさいましたのかしら」
「ちょっとだけ」
「うふふふ」
老獪な妖狐は、相手を騙したり、化かしたりする。
まったく信じていない様子の茉莉花に対して、香苗は不思議そうに首を傾げてみせた。
◇◇◇◇◇◇
香苗が3人の後輩と相対していた頃、柚葉は1人の後輩と対峙していた。
一樹が死の臭いを感じた男子生徒、羽林家の小倉達季だ。
一樹の見積もりではC級で、C級上位の柚葉は試金石として妥当だと見なした。
だが柚葉の行動は、一樹の想像の斜め上を行っていた。
「ぎゃーっ、来ないで下さい!」
柚葉の悲鳴が上がり、青白い炎が浮き上がった。
それらは宙に舞い上がると、一斉に柚葉の前方へ襲い掛かった。
そこには死神のような、長身の老人が立っていたが、瞬時に龍火に飲み込まれていった。膨れ上がる浄化の炎が、死神を焼き払っていく。
「……はぁっ?」
大口を開けて唖然としたのは、長身の老人を顕現させた直後の達季だ。
未だ一瞬、姿を見せただけで、何もしていない。
それにも拘わらず柚葉は、顕現の直後に浄化の炎を浴びせて、大打撃を与えたのだ。
「いやーっ!」
柚葉の周囲に、さらなる龍火が浮かび上がる。
柚葉の龍火は、達季が出した存在に対して、最悪の相性を纏っていた
「おいおい、おいおい……」
陰陽師と妖怪の戦いは油断するほうが悪いし、顕現させた時点で戦闘行動は始まっていると見なせるかもしれない。
だが後輩に対して、容赦がないにも程がある。
「急急如律令っ!」
先手を取られて倒れた老人に向かって、柚葉の龍火が容赦なく叩き込まれていった。
柚葉は直感だけで、最適解を出していた。
両者の相性は、達季にとって最悪だった。
そして香苗と茉莉花達、柚葉と達季に比べても理不尽だったのが、綾部九鬼の隆士だった。
何しろ相対しているのは、花咲の犬神だ。
それに勝てるのであれば、隆士がA級陰陽師になっている。
顕現した犬神は、牛を描く一樹とは異なって立派な姿で現れて、嬉しそうに尻尾を振りながら、隆士が出した海犬を追いかけ回した。
「バウッバウッ」
「ギャン、ギャン、ギャン」
暗い海の色を纏った海犬が、白っぽい紀州犬に追いかけ回される。
海犬は錦川の水上を走るが、花咲の犬神は空すら駆けられる。
無意味な逃亡の直後、軽く体当たりをされた海犬は、水飛沫を上げながら錦川を転がった。
「バウッ」
海犬が転んだのを見た犬神は、ハッハッと荒い息を吐き、激しく尻尾を振りながら、相手が起き上がるのを待った。
犬神は分霊で、隆士と対峙する小太郎の傍にも1頭が控えている。
羅刹に先代の花咲を殺された犬神は、遊んでいても、小太郎を害せるほどの隙は見せていない。逆転の可能性は、皆無だった。
「花咲先輩、ここだけ割り振りを間違っていませんか」
「俺もそう思う」
隆士の問い掛けに対して、小太郎は厳かに頷いた。
模擬戦が成立しているのは凪紗だけで、茉莉花達は捻伏せられて指導を受けており、先手を取られた達季は呆気に取られている。
それでも妖狐の様々な術を見せられた茉莉花達は、行き着ける先を体験出来た。また達季には、油断大敵という学びがあったはずだ。
模擬戦が何の役にも立たなかったのは、隆士だけである。
使役しているのは犬同士だが、チワワと闘犬を競わせても意味は無い。
もっとも、割り振りがおかしい場所は、もう一つあった。
それは一樹が一番強いと見なした三田九鬼の夢乃と、B級下位の猫太郎であろう猫である。
蒼依が描いた猫太郎の姿は、見事な猫であった。
「なぁーん」
「……なにゆえですか」
どこから見ても茶トラの猫太郎に対して、夢乃はひたすら困惑していた。
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