214話 絵馬の神域
新入生のうち、飛び抜けた力を持っていたのは7人だった。
凪紗、茉莉花と分家の2人、羽林家の小倉、そして九鬼と名乗った2人である。
「九鬼というと、織田信長に仕えた水軍の九鬼を思い浮かべるな」
織田信長は、中学校の教科書に出てくる人物だ。
そんな織田信長には、沢山の家臣がいた。名だたる家臣に比べて知名度では劣るが、九鬼は織田の水軍として、数々の勝利に貢献している。
「その九鬼です」
「村上海賊を倒した九鬼か」
「賀茂先輩は、村上海賊と関わりがありますね」
「ああ。現在進行形で、国から仕事を請け負っているからな」
冷たい海の印象を纏った男子が、一樹の想像を肯定した。
一樹が瀬戸内海で蹴散らした村上海賊も、九鬼とは因縁が深い。
第一次木津川口の戦いで毛利と村上海賊に敗れた織田信長は、第二次木津川口の戦いにおいて、鉄の装甲で大砲を載せた大安宅船を九鬼に率いさせて勝利している。
九鬼が倒した村上海賊の怨念が、一樹が祓っている怨霊の一部なのかもしれない。
「織田信長に仕えた九鬼は、信長の死後は豊臣秀吉に従い、関ヶ原の戦いでは親子で西軍と東軍に分かれて、東軍に付いた子の九鬼守隆が家を残したのだったか」
「そうです。そうやって家を残す例は、当時は沢山ありました」
「そうらしいな。徳川方に付いた兄の真田信之と、豊臣方に付いた弟の真田信繁の話も、有名だ」
大坂冬の陣で真田信繁が築いた真田丸は、大河ドラマにもなっている。
西軍の豊臣方に付いた諸将は死に、あるいは助命されても没落したが、東軍に付いた諸将は家を保つことが出来た。
東軍に付いた九鬼守隆も、鳥羽藩の初代藩主として5万6000石を治めている。
鳥羽藩は九鬼の出身国であった三重県で、伊勢湾の出口で広く海に面していた。
九鬼一族の決断は、見事に成功を収めたのだ。
「ですが九鬼は、東軍に付いた守隆が没した後、病弱だった長男と次男の代わりに後継者とされた五男の久隆と、三男の隆季との間で後継者争いが起こりました」
「後継者争いか」
それも良くある話だ。
年功序列の長男、控えの次男が同時に駄目となれば、親も迷うだろう。
関ヶ原の戦いで東軍に付いた九鬼守隆の判断は正しかったが、後継者選びで失敗をしたわけだ。もしも後継者の選択が三男であれば、年功序列で争いは起きなかったかもしれない。
「そのため幕府は、九鬼を分封しました。五男の久隆には、摂津国有馬郡三田(兵庫県三田市)の3万6000石。三男の隆季には、丹波国氷上郡綾部(京都市綾部)の2万石が与えられました」
「それで三田九鬼と、綾部九鬼なんだな」
「はい。九鬼は、合計の石高こそ変わりませんでしたが、内地の山里が領地となったことで、水軍の力は失われました。本家が三田、分家が綾部です」
「なるほどな」
徳川に長く仕えた家臣ではなかった九鬼は、都合良く力を削られてしまった。
九鬼にとっては恥だが、400年も昔に起きた歴史上の話だ。それに三田と綾部の両家は、幕末には倒幕に参加して、しっかりと意趣返しもしている。
綾部九鬼を名乗った男子は、特に気にした様子を見せずに由来を語った。
――危ないのは、本家のほうだな。
冷たい海の印象を纏った男子は、綾部九鬼で分家。
猫の雰囲気を纏う女子が、三田九鬼で本家。
九鬼と海の繋がりに納得した一樹も、猫のほうには首を傾げざるを得なかった。
「7人の呪力が高い理由には、得心した」
呪力の大きさは、「遺伝と環境で決まる」と言われる。
修験道の五鬼童家、陰陽大家の九条家は語るまでなく、分家筋の鶴殿と松園、羽林家の小倉、大名だった三田九鬼と綾部九鬼は、血統が良くて、呪力を高められる環境もあった。
少なくとも祖先から継承した呪力は、飛び抜けて良い。
そして陰陽道を学べる環境も、ほかに比べて相当に良かった。
ほかの同級生189人と比べて、呪力が隔絶する所以だ。
「家の秘密も有るだろうし、これ以上は聞かない。九条が言った『先輩からの陰陽道の指導』は、一度やっておくかな」
そのように告げた一樹は、身体の前に、何かを掴んだ右手を突き出した。
右手からぶら下がっているのは、一枚の絵馬だった。
「それは何ですの」
茉莉花が不思議そうに眺めた絵馬には、山里が描かれている。
古い家と田畑があって、清らかな川が流れており、周囲は森に囲まれている。
そして一本だけ、大きな木も描かれていた。
「本気ですか」
香苗が一樹に、心底呆れた瞳を向けた。
絵の世界に入れることを知るのは、2人のほかには、蒼依と小太郎のみ。
意味が分からない面々は、一樹と香苗の会話を見守った。
「あちらで数時間くらいだ」
「蒼依の山でも良いでしょう。使う必要は、ありますか」
「この絵馬は、後輩の指導用に使役したんだぞ。目的通りだろう」
言いたいことの大半を飲み込んだ香苗は、不本意そうに周囲を見渡した。
二年生6人と、一年生7人。
全員の位置を把握した香苗は、一樹に繋がる気を介して告げる。
『家を荒らされるのは嫌なので、川辺です』
その瞬間、絵馬から強烈な青光が迸り、多目的会議室を飲み込んだ。
◇◇◇◇◇◇
ゆったりとした川のせせらぎが、微かに聞こえてくる。
穏やかな陽光に身体を温められて、凪紗達は意識を覚醒させていった。
「幻術……じゃない?」
パチパチと目をしばたかせながら、凪紗は周囲を見渡した。
一見すると、田舎の里山である。
青空には疎らな雲が浮かんでおり、その下には四方を山に囲まれた土地が広がっている。
畑はきちんと手入れされており、細道には人が使っている痕跡もあって、しばらく歩けば人には遭遇しそうだった。
生い茂る草木は生き生きとしており、石に当たって水飛沫を飛ばす川の流れは美しい。
澄んだ空気。風で揺れる草木や、川を流れる清らかな水の音。それらは幻影で作り出すには、あまりに鮮明だった。
試しに生えている草に触れれば、確かな感触もある。
集団で平然としているのは、一樹と香苗の2人。
山魈の調伏時に、絵の世界に入れる話を聞いていた蒼依と小太郎を含めて、あとの11人は各々の表情で驚いていた。
「これはどういうことですの」
物怖じしない茉莉花が質すと、一樹は僅かに考えてから答えた。
「君達は、絵馬の世界に霊体で入っている」
「絵馬の世界に、霊体で?」
「俺が使役している神木の分霊の神域だ。この世界でどれほどの時間が過ぎようと、元の世界では一瞬だ。この世界で何度死のうと、元の身体は傷付かない」
塗り潰しの絵馬には、神域を作れる条件が揃っている。
絵馬は、神木の分霊で、A級中位の力を有する。
すなわち絵馬は、神域の作成に必要なA級の力を持つ神仏だ。
神域の作成には、神域にする土地が必要だが、塗り潰しの絵馬は世界を描ける。
そして弁才天の御利益によって、その世界に踏み入ることも叶う。
――人々の信仰や、地脈の力は得られないが、俺が神気を供給出来るからな。
一樹の魂には、S級下位の神気が宿っている。
そのため一樹が絵馬の世界で休めば、神気を回復できる。
一樹の式神である絵馬は、一樹が居る限り、神域を保つ力を無限に補充される。
「途方もない話だと、自覚しておられますか」
「A級とは、B級の陰陽大家では何をやっても勝てない相手らしいな。勝てるイメージは沸くか」
一樹が尋ねた相手は、三田九鬼の夢乃だった。
ただならぬ力を持つ夢乃の反応を確認したいというのが、一樹が招いた理由の一つだ。
はたして夢乃は、夜の猫のように目を輝かせながら、僅かに微笑んだ。
返答自体は無かったが、それは一つの答えとなる。
少なくとも、即答で無理だと答えない程度には何かがあるのだろうと、一樹は判断した。
――まあ、良い。
これは夢乃が何かをした場合、一樹が力技以外にも、相応の対抗措置を執れることを示した牽制でもある。
その目的は、果たせている。
「この世界は、どれくらい広いんですの」
「半径5キロメートルは保証する。描き直せるから暴れて良いが、民家は壊さないでくれ」
絵馬の世界における制約の一つが、香苗のご機嫌かもしれない。
絵馬から霊体を出すだけならば、一樹や柚葉も、牛や白い八咫烏を出した。それは、牛若丸と弁慶を出した塗り潰しの絵馬が、元々持っていた力でもある。
だが外から霊体を招き入れるには、弁才天の御利益を持つ香苗の力を借りなければならない。
香苗は、一般的な妖狐から大きく外れた性格ではない。
ちゃんと打算を考えて、滅私奉公もしない。
自分と一樹のためには使うだろうが、それ以外では消極的だ。蒼依や沙羅を自分より有利にすることはしないし、過度に後輩を鍛えることにも疑問符を付ける。
7人を少し指導する程度であれば、一樹の顔を立てるが、1年間ならば反対するだろう。
鹿野は香苗の領域でもあるし、霊体を絵画の世界から追い出す権能も持つ。香苗が却下すれば、そこで終わりだ。
絵馬の神域には、そのような制約がある。
「維持できる時間は、どれくらいですの」
「今回は、1時間ほどで終わるつもりだ」
「実際にはもっと広くて、長時間を保てるのですね」
「どうだろうなぁ」
感情を吐露した茉莉花は、絶句に近い反応を示した。
もっとも絶句された側の一樹は、遠い目をしていたが。
「それでは模擬戦をしようか。凪紗は沙羅、九条達3人は香苗、小倉は柚葉、三田九鬼は猫又で、綾部九鬼は犬神の分霊でどうだ」
「猫又?」
「……犬神」
一樹が割り振りを告げると、夢乃は目を丸くして驚き、隆士は茫然とした。
























