210話 後輩入学
街路樹に植えられた桜並木が、満開に咲き乱れていた。
開花が卒業や入学のシーズンと重なる桜は、日本人の心へ特別に訴える。
一樹も学園内の桜並木を眺めながら、自身が高校2年生に進級したことを強く実感していた。
「先輩かぁ」
「先輩が居ないまま、先輩になりましたね」
蒼依の指摘を受けて、一樹は苦笑を返した。
「手一杯だと言って、入会を断ったからな」
「手一杯だったでしょうか」
蒼依が不思議そうに、首を傾げる。
同好会室でネットサーフィンに勤しむ光景を見ていれば、そのような疑問が湧くのも当然だ。
「魔王が出現していた時は、手一杯だったな」
一樹が説明したとおり、魔王が出現していた時は余裕が無かった。余裕があるように見えても、即応体制は維持していた。
だが魔王の出現以前と調伏以降であれば、一樹にも余裕があった。
それでも先輩や同級生の大半を入会させなかったのは、一樹自身が高校生活を満喫するためだ。もしも入会させていた場合、一樹は相当の苦労をすることになった。
「陰陽師の教育を受けていない先輩に、陰陽師の不文律を受け入れさせるのは大変だ」
「不文律というと、一番優秀な陰陽師が指揮するとか、従えないなら参加するなですか」
「それのことだ」
一樹が首肯した不文律は、過去の陰陽師達が多大な犠牲を出して、生み出された。
家柄だけが立派な無能な者の指揮と、一代で駆け上がった有能な者の指揮。
無駄な犠牲を出して、作戦の成功率も低いのが前者。
無駄な犠牲が少なく、作戦の成功率も高いのが後者。
結果を求めるならば、後者を指揮官にすべきだ。
だが家柄に重きを置く日本では、指揮官に選ばれるのは前者のほうだった。そのため古来より、多くの無駄な犠牲が積み重ねられてきた。
そしていつの頃からか、陰陽師には不文律が生み出された。
『対妖怪で共働するに際しては、最も優れた陰陽師が指揮する』
『自分より上の陰陽師には従え。然もなくば引っ込んでいろ』
それらの不文律について、一樹は当然だと認識している。
陰陽同好会の結成後、最初に調伏しに行ったのはムカデ神だった。
ムカデ神の調伏に先輩が関わる場合、一樹の力を用いて、口だけを出すことになる。まったく役に立たないどころか、邪魔でしかない。
それで蛇神とムカデ神の戦いの結果が、引き分けや敗北に悪化していれば、目も当てられない。
両神の戦いが引き分けになっていれば、子供の数で有利になるムカデ陣営が、いつか勝利した。するとムカデ神の領域を拡大して、人も襲われるようになっただろう。
そのような結末にしてまで先輩を介入させる理由は、全く無いと、一樹は考える。
「陰陽師に関して、俺は先輩や同級生だからと遠慮する気は無い。命がけだからな」
「分かります」
一樹の調伏に付き合ってきた蒼依は、一樹の考えに賛同した。
蒼依が同行した調伏には、風切羽集め、五鬼王、獅子鬼なども挙がる。
風切羽集めの質が落ちれば、五鬼童家と春日家の戦力が大幅に下がった。
五鬼王は、調伏に失敗して逃げられていれば、蒼依の昇神が成らなかった。
獅子鬼を調伏できなければ、数百万人の難民化は続いていた。
「小鬼と戯れる程度なら命がけではないが、俺が不文律を破ると、協会に迷惑が掛かる」
「A級陰陽師ですからね」
「そうだ。A級陰陽師が不文律を破ると、それがほかの人間の免罪符になってしまう」
強い陰陽師に従えと言っているのだから、強い陰陽師がやっている事は免罪符になってしまう。
A級陰陽師の一樹は、陰陽師の不文律を守るべき立場だ。
だが陰陽師について殆ど知らない先輩達は、不文律に沿って、後輩に従えるだろうか。
先輩の立場を無視されて、従えと言われれば、感情的に反発しないだろうか。
対立する立場であるが故に、諍いの火種も見えている。そのため、陰陽師の常識を身に付けていない上級生や同級生は、一樹には受け入れられなかった。
「不文律を知らない先輩に、言うことを聞くように言い聞かせるのは、大変な手間だ。逆恨みされるのも御免だし、入会は断るのが最善だった」
「後輩は良いのですか」
「先輩面する後輩なんて居ないだろう」
「それはそうですね」
実際の先輩ならば先輩面が有効だが、後輩の場合は実体が伴わないので意味は無い。
「……それに斡旋された師匠から、不文律くらい学んでいるだろう?」
一樹は自信なさげに語った後、不安そうに沙羅へと視線を送った。
すると沙羅は、あまり肯定的ではない表情を浮かべた。
「陰陽師国家試験の一次試験は7月、二次試験は8月1日にあります」
「そうだな」
「協会が、不合格者に師匠を斡旋するのは、8月から9月です。それから3月まで学んでいれば、最長で半年の教育を受けています」
「おお!」
一樹は喜んだが、沙羅の表情は浮かばなかった。
「高校受験を優先する中学3年生が、どれくらい通えるでしょうか」
「……1日1時間かな」
「土日に1時間かもしれませんし、高校受験を優先して、半年保留するかもしれません」
まるで塾や習い事である。
実際に習い事ではあるが、家業として継承するつもりの者達と比べれば、浅いにも程がある。
「それなら次の年も国家試験に受からないのは、むしろ当然だな」
「高校進学後も、高校に通いますから、塾通い程度でしか学べません」
「国家試験の再受験で、不合格者が多い理由が理解できた。本人達の安全のためにも、しっかりと落とすべきだな」
一樹は自分の妹のほうが、新入生よりも遥かに実力が上ではないかと疑い始めた。
一樹が小学3年生の時、妹で2歳年下の綾華は、両親の離婚で別々に引き取られた。
綾華は園児から小学1年生までは学んでおり、簡単な呪術図形を描くことは出来た。
――小学1年生の綾華のほうが、上かもしれない。
新入生の大半が素人ではないかと想像した一樹は、思わず溜息を吐いた。
新入生達の指導は、想像以上の難事業だ。全員試験に合格させるという甘い考えは放り投げて、何人か受かれば良いと思い直した。
同好会に相当数の不合格者が在籍するのは、仕方が無い。
そこで一樹は、ふと後輩から尋ねられた場合の蒼依の立場について考えた。
「蒼依のことを後輩に聞かれたら、『一定の呪力を持つ俺の事務所の所員』で良いかな……?」
「どうしてだ」
突然言い出した一樹に、小太郎が首を傾げた。
「蒼依を不合格者だと思われるのは癪だから、俺の事務所の事務所員という立場にしたい」
「ふむ」
「だけど一般人で所属させているのなら、自分も入りたいと言われるかと思って」
「有り得るかもしれないな」
小太郎の口から、納得の声が上がった。
現メンバー6名は、蒼依が名無しの女神様だと知っている。
蒼依はA級の神格を持ち、実際に神域も生み出している。
神話は、神使の八咫烏で首都圏を守り、建御名方神を倒した荒ラ獅子魔王を一樹と共に倒した。テレビやネットの普及後で知名度は高く、民衆から信仰を得ており、社も建立されている。
陰陽同好会に居ても力不足ではなく、むしろ同好会のほうが役不足だ。
蒼依が陰陽師の資格を取ると言えば、おそらくA級陰陽師に一席を設けられる。
そんな蒼依は、けっして後輩が侮れるような存在ではない。
だが正体を明かすと普通の高校生活は送れなくなるので、秘密にしている。
自ら話さなければ、戸籍を持つ女子高生が女神様とは思われない。イザナミから枝分かれした神ならば、神話時代に誕生したのだと考えるのが普通だからだ。
「確認するが、野球部のようなマネージャーを取るつもりは無いのだな」
「マネージャーか」
「それなら一般人が混じっていても問題視されないし、マネージャーが対応するのは同じ学年だけにしておけば、相川が下級生の相手をする必要も無いが」
小太郎の提案を受けて、一樹は蒼依の立場について悩んだ。
高校の野球部にマネージャーが入るのであれば、高校の陰陽同好会にマネージャーが入ることもおかしいとは言い難い。
少なくともマネージャーが居ることが駄目な理由について、一樹は思い至らなかった。
陰陽師の事務所には事務所員が居るのが一般的なので、支援要員は必要だと考えられる。
陰陽同好会がマネージャーを採用した場合でも、危険性については問題ない。野球の試合にマネージャーが出ないのと同様に、陰陽師の調伏にマネージャーが加わることはないからだ。
――そもそもマネージャーになりたい人間は、居るのかな。
野球部にマネージャーが居る以上、マネージャーに成りたい者は居るのだろう。
クラスメイトの大半が陰陽同好会に入るから、自分には呪力が無いけれど一緒に入るという動機などであれば、一樹にも想像が付く。
部活や同好会に入る動機など、その程度の軽さでも充分に成り立つ。
自分の想像以上に来そうだと想像した一樹は、不意に気付いて首を横に振った。
「やっぱり駄目だ」
「どうしてだ」
「マネージャーまで認めると、ほかの部活と同好会に人が入らなくて潰れる」
野球部は、9人居なければ試合が出来ない。
サッカー部は11人、バスケ部は5人、ハンドボール部は7人が居なければ不利にも程がある。
柔道部にも剣道部にも団体戦はあるし、チアリーディング部にも最低人数がある。
最低人数が居なければ、そもそも大会に出場できない。
何のために高校生活の3年間を捧げるのかということになってしまう。
ダンスや演劇の同好会であれば最低人数を気にしなくても良いが、とても数人で成り立つようには思えなかった。
「……ああ、そうだったな」
小太郎であれば押し通せるが、一樹達の授業に来る各教科の教師は、何らかの顧問をしている。授業に来る度に恨みがましい目を向けられては、小太郎も堪ったものではない。
かくして陰陽同好会は、入会者は呪力者のみとなった。
























