208話 赤堀柚葉探検隊
青ヶ島の三宝港に上陸した一樹達は、道沿いに歩き出した。
暫く進むと、柚葉が警告を発する。
「鬼ヶ島に上陸したわたし達の目の前に、細長い洞窟が現れました!」
一樹がカメラを向けると、岸壁の下に細長い洞窟が伸びている。
そして入り口には、次の銘板が埋め込まれていた。
・青宝トンネル
・1985年3月、東京都建造
・延長505メートル、幅4メートル、高3.5メートル
「巨大な洞窟です。どこまで続いているのでしょうか。真っ暗で、先が見えません」
おそらく505メートルほど続くであろう洞窟を前に、柚葉が恐れ戦いた。
なお洞窟とは、人間が進入可能な地下空間で、洞口の長径よりも奥行きが大きいものだ。幅4メートルで高さ3.5メートルの場合、奥行きが4メートルよりも長ければ洞窟となる。
また洞窟の広義には、人工物を含む。
そのため目の前の横穴は、洞窟と言えないこともないかもしれない。
もっとも銘板には、トンネルと明記されているが。
さらに入り口の右側には「トンネル内、点灯!」という表示も取り付けられているが。
「この先に進むには、垂直に天高く伸びる断崖絶壁を上るか、洞窟内に侵入するしかありません。わたし達は熟慮の末、洞窟へ侵入することにしました!」
その二択で、熟慮する必要はあるのだろうか。
垂直に切り立った絶壁の上には、青空と白い雲が浮かぶ。鬼ヶ島に来たのが五鬼童家であれば、上から行くかもしれないが、生憎と一樹達に翼は無い。
さしあたって熟慮の定義を想像した一樹は、馬鹿馬鹿しくなって思考を放り投げた。
そして洞窟に侵入する。
幅4メートルの洞窟は、一樹には狭く感じられた。
とても車二台がすれ違えそうにはない。
現在の青ヶ島は、国が確保しに来たわけではないので、公共施設に電気が届いていない。一切の灯りがない洞窟は、真っ暗だった。
すると先頭を歩く柚葉が、術を使って光源を呼び出した。
『不知火』
ゆらゆらと、柚葉の周りに光源が浮かび上がった。
それは柚葉が陰陽師国家試験で使った技である。
――龍神の火か。
試験後に一樹が調べたところ、不知火とは、鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』(1779年)などで描かれた、九州地方に伝わる怪火であった。
旧暦7月の晦日(8月末)の新月の夜、九州西部の有明海や八代海で、海岸から数キロメートル離れた海上に複数の火が浮かぶ。
『日本書紀』、『肥前国風土記』、『肥後国風土記』などには、景行天皇が九州に親征した際、闇夜の海上に無数の火が出現したことから、その火を目印に船を進めたと記される。
そのため不知火は、海神である龍神の御業ではないかといわれた。
もっとも柚葉が使っている時点で、龍神の技で確定している。
今のところ柚葉が使える術は、一樹が教えたほかは、母龍からの継承だけだ。一樹が不知火を教えていない以上、どこを由来とするのかは明白だ。
なお第12代景行天皇は、龍神から『干珠』を授かった第15代神功天皇の親戚だ。
景行天皇の祖父、そして神功天皇の5代前が、第9代開化天皇となる。
初代神武天皇は、血筋の4分の3が海神系なので、海神が力を貸しても不思議はない。
そんな導きの光を生み出した柚葉は、洞窟を進み始めた。
「洞窟の中は、上りの急勾配になっています」
トンネルの入り口の海抜は30メートルで、出口は90メートル。勾配が大きくて、上り坂だ。なお素掘りで、内面は吹付けコンクリートになっていた。
足元には、砂埃が堆積していた。
青ヶ島には砂浜など無いが、強風で削れた山肌の埃が入るのかもしれない。
そんな洞窟の最初のカーブを左方向に回ると、遙か彼方に小さな光が見えた。
「遠くに小さな光が見えますね。出口でしょうか」
「呆気ない洞窟探索でしたね」
香苗が冷たく告げて、柚葉の探索は、開始から1分で終わってしまった。
たが、一樹達は撮影に来ている。
そして洞窟は、絶好の撮影スポットでもある。
――召喚、鬼太郎。
一樹が念じると、柚葉の前方に、鬼の霊が浮かび上がった。
一樹と呪力が繋がる香苗は勿論、気の繋がりがある柚葉も気付く。
「あっ、鬼太……鬼だっ!」
慌てて言い直した柚葉は、鬼太郎を指差しながら叫んだ。
顕現した小鬼は赤褐色で、頭部には二本の角が生えている。
身体の大きさもチンパンジーほどで、誰が見ても明らかに小鬼だった。
「鬼です。鬼が、島に現れました!」
柚葉の説明は、事実である。
島に鬼が現れたとは言ったが、それが島に生息している鬼だとは言っていない。
そして鬼太郎のほうは、困ったように立ち尽くしていた。
――おい、凶悪そうな振りをしろ。
使役者の一樹が、式神に無茶振りを行った。
鬼太郎は小鬼で、柚葉は毛野国(群馬県と栃木県)に座す龍神の娘だ。
どうやったら柚葉に凶悪さを伝えられるのか、一樹自身も想像が付かない。
指示を受けたG級上位の鬼太郎は、1万倍の呪力を持つC級上位の柚葉に向かって、棍棒を振り上げた。そして、叫ぶ。
「ギャッギャッギャ」
「……わあ、なんて凶悪そうなんでしょう」
それは幼稚園児が、お遊戯で鬼の役をやって、保育士が状況を読み上げるかの様だった。
――もう良いぞ。
鬼太郎は、頑張った。
自身の式神を評価した一樹は、凶悪さを伝えることは断念して、次のシーンへと進む。
すなわち、作成風景を撮影した霊符の実地試験である。
棍棒を振り上げて前進する鬼太郎に向かって、柚葉が霊符を構えて見せた。
「これは同好会で作成した霊符です。陰陽同好会では、陰陽師国家試験の合格を目標に、霊符作成を学びます。わたしも去年、沢山作りました」
柚葉が構えている霊符は、柚葉自身が作成した物だ。
描かれているのは龍神で、動画撮影のために気合いを入れて描いたのだろうと窺えた。
母龍をイメージしたであろう龍神の絵には、絵に由来とする龍気が強く籠められている。今にも絵が動き出して、目の前の小鬼を消し飛ばしてしまいそうだった。
――野生の鬼なら、あれを持っているだけで逃げ出すだろうな。
昨年の柚葉は全体で3位だったが、現在の力量があれば、凪紗に次ぐ2位だったかもしれない。
柚葉が掲げた護符を見た鬼太郎は、天井を向きながら倒れていった。
そして鬼太郎は、洞窟内で仰向けに、バタンと引っ繰り返る。
「あれっ。ええと……このように守護護符は、鬼の攻撃を防げます!」
倒れた鬼太郎を見た柚葉は、慌てて取って付けたような説明をした。
守護護符で鬼を防いだのは、柚葉の説明通りで間違いない。
ほかの鬼に対する再現性も、有るかもしれない。
「おかしくないですか」
香苗の冷たい眼差しが、一樹の頬をチクチクと刺した。
「陰陽師に求められるのは、調伏という結果で、手段のほうは問われていない」
「あれも、調伏方法の一つだと言いたいのですか」
「調伏は、結果が全てだ。倒せた結果に対して、その手段は駄目だとは、言えない」
陰陽師協会では、結果が全てというのが、基本的な考えである。
柚葉は、一樹がまったく想定しない方法で小鬼を撃退してしまった。
だが撃退には成功しており、さらには護符の呪力を消費していないので、何度でも使い回せる。下手をすると、既存の方法よりも優れているかもしれない。
結果だけであれば、柚葉は既存の手段を超える成果を挙げている。
「後輩への説明動画としては、アレで良いのですか?」
調伏の手段として正しくとも、動画としてはどうなのかと香苗は問うた。
「……動画の下のほうに、『これは一般的な手段ではありません』と表示しておく」
「そうして下さい」
一樹は溜息を吐いて、宥めるように香苗の髪を撫でた。
ツンとすました香苗が静かになって、洞窟に静寂が戻る。
「ええと、どうしましょう。これで良かったですか」
「一応撮れたから、帰るぞ」
もしかすると、相川家の山でも撮影できたかもしれない。
そんな思いを胸に納めて、一樹達は青ヶ島を後にした。
























