207話 青ヶ島
「わたし達は、鬼ヶ島に唯一存在する港、三宝港に辿り着きました。どーんっ!」
柚葉は口で効果音を発しながら、大海原に突き出た断崖絶壁を指差した。
「この鬼ヶ島は、太平洋に突き出た火山島です。島の断崖は250メートルの高さで、黒潮の海食で形成されたそうです」
鬼ヶ島と称した青ヶ島は、太平洋に浮かぶ火山島だ。
国際基準では、過去1万年以内に噴火していれば活火山とされる。
青ヶ島は、過去1万年の間に何度も噴火を繰り返しており、最新の噴火は1785年だ。
その時の噴火では、島民の約4割が死亡している。
生存者は八丈島へ避難して、それ以降は無人島となっている。
「どうして無人島のままなのですか」
「それは噴火後に死んだ島民の霊が発生して、争っていた人間が居なくなったので小鬼も増えて、島人の手に負えなくなったからだそうです。そして幕府も、支援しませんでした!」
聞き手役になった香苗の質問に、柚葉が意気揚々と答えた。
「1785年は、天明の大飢饉の頃ですね。本土が島人を支援しなかったとしても、あの時には、仕方が無かったと言っておきます」
まるで見てきたかのように、香苗が当時の人々を弁護した。
天明の大飢饉は、日本の近世で最大の飢饉とされた国難だ。
異常気象と、噴火を原因とした冷害が重なり、農作物が壊滅的な被害を受けた。
人々は人肉すら食べたが、それでも1780年から1786年までの全国の人口減少は90万人以上に上り、青森県の弘前藩では3人に1人が餓死している。
1787年には、江戸で1000軒もの米屋と8000軒以上の商家が襲われて、無法状態が3日間続いたと伝えられる。
青ヶ島が噴火したから帰郷を支援してくれと言っても、優先順位がある。
幕府に訴えを無視される間に島人が八丈島に居着いて、済し崩しとなった。
せめて霊や鬼が無ければ、島人は自力で青ヶ島に帰れたかもしれない。
「島は遠浅の海岸が無くて、防波堤が設置できません。上陸は大変でした」
「波が直撃する港でしたね」
柚葉と香苗は、波飛沫が掛かった上陸に溜息を吐いた。
青ヶ島には幽霊巡視船で来たが、小さな船着き場には、大型船を接舷できなかった。
そのため上陸は、幽霊巡視船に搭載されている7メートル型高速警備救難艇で行っている。
波は非常に荒かったが、もっと荒れた海で転覆した船の海難救助を行う海上保安庁だけあって、上陸は行えた。
「幽霊巡視船員さんによると、青ヶ島の港には、船を係留しておけないそうです。小型船は港にあるクレーンで吊り上げて高台に避難させて、中型船は離れないといけません」
「あたし達は式神の小型船で来て、影に戻しました。皆さんが来るときは、気を付けて下さい」
香苗は注意したが、どこの誰が来るだろうかと一樹は内心でツッコミを入れた。
少なくとも陰陽師でなければ、鬼が住む島に来るのは自殺行為だ。青ヶ島は東京都に属しているので、渡航にパスポートは不要だが、上陸は止めたほうが無難だ。
一樹達も撮影が無ければ、わざわざ来なかった。
そんな青ヶ島に日本が港を造ったのは、排他的経済水域を維持するためだ。
排他的経済水域では、水産物や鉱物を独占的に獲得できる。これから技術が進歩すれば、手付かずの海底資源も採掘できるようになるかもしれない。
島を維持することにはメリットがあるので、時々は上陸して、小鬼を排除し、建造物を建てて、日本の島だと主張している。
但し、島を確保し続けることは出来ない。
それは銃器で制圧できるのが肉体を持つ鬼だけで、霊には通じないからだ。
青ヶ島を確保し続けるには陰陽師の常駐が必要だが、島が小さくて産業も無いので、貴重な陰陽師を置いておくのは割に合わない。
そのため時々確保しては撤退して、島の領有権を維持する形に留めている。
各国が領有する島も同じような状況で、日本も国際的に通用すれば良いという考えだ。
現在の青ヶ島は、そのような形で管理されている。
「島の面積は、6平方キロメートルだそうです。これって広いんですかね」
「東京ドームで128個分、千葉のネズミ園で12個分です」
「うーん、よく分りません」
香苗が広さの例を挙げたが、柚葉はピンと来ない様子だった。
「6平方キロメートルって、人間は何人暮らせますか」
「6平方キロメートルは、600ヘクタールです。1ヘクタールは、米で5トンを収穫できます」
香苗はザックリと答えた後、スマホを使って計算を始めた。
1ヘクタール5トンに島の面積である600を掛けると、生産量は3000トン。
パン食が少なかった時代、日本人が1年間に食べた米が1年間で約100キログラム。
1トンは1000キログラムなので、3000トンなら、3万人分の米になる。
「お米だけなら、平均で3万人分を生産できる広さですね」
「お米だけだと、栄養バランスが悪くありませんか?」
栄養バランスを指摘された香苗は、ムッとした表情を浮かべた。
白米ばかり食べていると、ビタミンB1が不足して、脚気になる。
それは『江戸煩い』と呼ばれて、江戸時代に白米を食べる江戸の人々を苦しめた。地方に帰ると病気が治るので、風土病だと思われていた。
正しい原因が分ったのは、明治時代に入ってからである。
香苗が不本意になったのは、江戸時代全般について、柚葉よりも詳しい自負があるからだ。
「……島の周りに魚が泳いでいるので、自由に釣って下さい」
香苗は柚葉に対して、突き放すように告げた。
なお魚には、ビタミンB群が多く含まれている。
江戸の脚気対策に、魚は非常に活躍した。
「どれくらいの人が暮らせるのかは、近くにある八丈島を参考に考えれば良いと思うぞ」
やや不機嫌になった香苗に代わって、一樹が説明した。
「どんな風に考えるんですか」
「八丈島は69平方キロメートルで、2024年に6700人が暮らしていた。青ヶ島は6平方キロメートルだから、600人が暮らせるかもしれない」
「ほへぇ」
柚葉の口から、感心したような声が上がった。
八丈島の人口は、明治時代にはもっと多かった。
島には大正時代まで電気が無かったので、それくらいの人口であれば、島の生産物だけで完全に自給自足できるかもしれない。
それを参考に考えれば、6平方キロメートルの青ヶ島には、600人が暮らせるかもしれない。
もちろん電気が無い生活は、現代人には耐え難いだろう。
だが、木行護法神の記憶にあった鹿野の地で暮らした一樹には、50年の体験記憶がある。
――今なら出来るかな。
青ヶ島の難点は、水の確保だ。
八丈島には湧き水が有るが、青ヶ島には湧き水が無い。
そのため青ヶ島では、外輪山の山肌にシートを貼って、雨水を下にある取水場まで流して貯水している。電気のほうは、島を確保する時だけディーゼルエンジンで発電している。
そのため八丈島よりも、生活して行くには過酷な環境だ。
青ヶ島が鬼ヶ島となっているのは、無理からぬ話かもしれない。
そんな青ヶ島の断崖絶壁を見上げながら、柚葉が新たな疑問を口にした。
「ところで島に住んでいる鬼は、何を食べているのですか」
その質問は先程までとは打って変わって、陰陽師としては良い着眼点だった。
鬼が生息するためには、食べ物が必要だ。
島で得られる食糧によって、島に生息できる鬼の質と量が変わる。
食糧が多ければ小鬼が増えるし、質が良ければ中鬼も生きていける。
「島に生息しているネズミ、猫、イタチを食べているそうです」
「えっ、猫ですか」
「伊豆諸島ではネズミの駆除を目的として、ニホンイタチが放獣されています。猫は、無人島になる前に飼われていた猫達の子孫かもしれません」
「えぇぇ、そんなの食べているんですかぁ」
グルメな子龍である柚葉の口から、心底嫌そうな声が上がった。
























