206話 撮影旅行
高校が春休みに入った3月下旬。
一樹達は、同好会の紹介動画を撮影すべく、僻地にやってきた。
「わたし達は紹介動画を作成するために、鬼ヶ島の攻略に来ました。どーん!」
一樹が構えるカメラに向かって、柚葉が自分で効果音を入れながら解説した。
陽気あるいは脳天気な柚葉に向かって、香苗がツッコミを入れる。
「現在地を言って下さい」
「あっ、ここは東京都の八丈島です。飛行機で、八丈島空港に来ました」
柚葉が慌てて場所を説明した。
さらに空港の掲示板や道路を指差して、一生懸命に現在地のアピールをする。
「案内板に『おじゃりやれ』って書いてありますよ。あれは八丈島の方言で、いらっしゃいとか、おいでませを意味するそうです。それと空港前には、沢山のヤシの木が植えられています」
柚葉が紹介した八丈島は、本土から海で287キロメートルも隔てられている。
東京都から名古屋市までが260キロメートルなので、東京から名古屋に行くよりも遠い島だ。
緯度は九州の大分県ほどで、常夏の島というほど暑くはないが。
羽田空港から八丈島空港までは、飛行機で1時間弱。
船で移動する場合は、定期船で片道10時間ほど。
飛行機で来れば早いが、厚生労働省が僻地に八丈町を含めており、僻地の扱いで間違いは無い。島にコンビニは無いし、台風が来れば船と飛行機が欠航して、孤島と化すこともある。
一樹達がやって来たのは、そんな島であった。
「八丈島は、昔は流刑地の一つになっていたそうです。豊臣五大老の一人で、岡山城主だった宇喜多秀家などが、関ヶ原の戦いで敗北した後に八丈島へ島流しにされました」
「……柚葉に任せて、大丈夫なのですか」
口で効果音を入れた後、おかしな説明を始めた柚葉を見て、香苗が疑わしげに問う。
なお一樹の同行者は、柚葉と香苗だけだ。
動画から蒼依を外したのは、蒼依を出演させて女神を連想されたくなかったからである。
部活と同好会の動画はネット上にもアップロードされるので、沢山の人間が見ることになる。
――イザナミと袂を分かった女神が、女子高生とは思わないだろうけど。
イザナミが黄泉津大神となったのは、遙か昔の神話時代だ。
その行為に異を唱えて袂を分かった女神が、高校1年生であるわけがない。
専門家ほど有り得ないと思うだろうが、素人が思い付きから正解に辿り着くこともある。
そのため一樹は、昨年は蒼依と沙羅が出ているという建前で、柚葉と香苗を出演者に指名した。
二人は昨年勧誘されて入会し、初めて陰陽道に触れて、その年の国家試験に出て合格したので、紹介動画に出演する先輩の経歴としても妥当だ。
そのため選択肢は、「お馬鹿か、真面目か」の二択となっている。
――悩ましい選択肢だ。
同好会の紹介動画は、活動内容を伝えることを主目的としている。
香苗は真面目に紹介するだろうが、難しいことを難しく伝えても、頭に入らない。
だからといって香苗が視聴者に伝わり易いようにレベルを下げて、わざわざボケてみせる姿は、一樹にはまったく想像が出来なかった。
――ふざける妖狐も、居るけれどな。
三尾の良房は、ふざける筆頭だろう。
犬神継承の儀を行った二尾の春も、わりとふざけていた。
そのように人間をからかう妖狐の伝承は、全国に沢山ある。
香苗が真面目寄りなのは、本人の気質だ。
一樹にとっては遺憾ながら、リポーターとしては柚葉のほうが伝わり易く思えた。
「柚葉がリポートして、香苗が突っ込む感じで、良いんじゃないか」
「別に良いですけれど」
香苗は呆れながらも、役割分担を引き受けた。
お笑い芸人のコンビは、実に良く出来たシステムである。
そんな風に思いながら、一樹は八丈島空港を撮って回った。
「あっちにバス停がありますよ」
元気に歩いていく柚葉に付き従って、一樹と香苗も移動する。
八丈島では町営のバスが運行されており、もちろん空港にはバスが来る。
柚葉はバス停に向かいながら、一樹が持つカメラに解説を始めた。
「東京都八丈町勢要覧によれば、2020年の八丈島は、農業が18億円、漁業が7億円、観光が22億円で、観光が強い島です。ホテルは沢山あって、泊まる場所には困りませんでした」
「カットです」
ちゃんと調べた柚葉の報告が、香苗にバッサリと切って捨てられた。
「えー、どうしてですか?」
「同好会の紹介動画ですよ。高校生の男女が、生徒だけで泊まりに行くのが普通だと思われたら、どうするのですか」
部活動の大会では、県外への遠征は、よくある話だ。
だが大抵の場合、大会には顧問の教師が監督者として付いていく。
香苗の言わんとすることは理解しつつも、一樹は抗弁を試みた。
「陰陽師の徒弟制と実践教育は、少なくとも天武天皇(在673~686年)が陰陽寮を設置して以降、現代まで続いてきたぞ。それが嫌なら、陰陽師は諦めろと言いたいが」
「泊まったとき、男子が女子の部屋に行ったら、どうしますか」
「女子だけに、強い式神符を持たせておこうか。犬神の分霊という手もある」
C級の力を持つ鳩の式神符であれば、一樹は100枚単位で渡せる。
A級陰陽師でなければ抗えず、実際にはA級の小太郎でも命を落としかねない。
また犬神の分霊であれば、顧問を1000人用意するよりも安全だ。
犬神が守りに付いていると聞けば、一樹だって行きたくはない。
世間も、それなら安全だと呆れるだろう。
「それなら良いですけど」
香苗も呆気なく引き下がって、撮影が再開された。
柚葉がカメラに向かって、目的地を話す。
「八丈島は、ひょうたんみたいな形になっていて、島の真ん中の狭まった東西に港があるそうです。今回行くのは、西側にある八重根港です」
「そこから、どこに行くのですか」
「東京都の青ヶ島です。鬼ヶ島とも呼ばれています」
今回は八丈島空港から、町営バスで島の八重根港に移動して、八重根港から幽霊巡視船に乗る。
一樹達の目的地は八丈島ではなく、八丈島から70キロメートルほど南方にある青ヶ島だ。
「どうして青ヶ島は、鬼ヶ島なのですか」
「えっ、鬼が居るからですよね?」
柚葉がカメラを持つ一樹に尋ねた。
「微妙なところだな。『保元物語』(13世紀)に記される鬼島は、青ヶ島の古名だとされる。だけど命名は、鬼が居たからだ」
「そうなのですか」
「ああ。鎌倉幕府を開いた源頼朝の叔父で、伊豆大島に流刑となった源為朝が青ヶ島に渡来して、鬼を一人連れ帰ったと伝えられている」
人よりも沢山の猫が暮らしていれば猫島と呼ばれるように、人よりも多くの鬼が住んでいれば、鬼島の認識で良いのかもしれない。
八丈島では、古くは青ヶ島のことを「おうがしま」と、鬼ヶ島寄りの呼び方をしていた。
そんな八丈島にも鬼が出て、各地で鬼と戦った伝承が残っている。
例えば、八丈小島の為朝神社の上方にある断崖絶壁の赤い大岩も、その一つだ。源為朝と戦った鬼が、岩を登りながら吐いた血で赤くなったと、伝えられている。
現在は、八丈島の一部が人の領域になった。
その一方で青ヶ島は、人が完全に撤退して、鬼の領域になっている。
両島は海で約70キロメートルも隔てられているので、人と鬼の行き来は無い。
「ちなみに八丈島の名前は、源為朝が八丈島で倒した大蛇の長さが、八丈(一丈=約3メートル)だったからという説がある」
「へぇ、結構大きいですね」
よくぞ倒したものだが、源為朝から9代を遡れば、三尾の良房の孫である清和天皇に行き着く。
血統的に高呪力だと推察される家柄なので、それで何とかしたのかと一樹は想像した。
























