203話 継承の愛狐【3巻本日発売!】
日本で神木に至る樹木は、スギ、クスノキ、イチョウ、ケヤキ、ヒノキ、シイ、松など幅広い。
その中でスギは、最も高く伸びる木だ。
60メートルを超えるものや、樹齢千年を超える木も、複数が確認されている。
高知県大豊町にある八坂神社の神木『大杉』は、二株のスギが根元で合着して、南大杉が樹高57メートル、北大杉が樹高60メートル、推定樹齢3000年。
歌手の美空ひばりが「日本一の歌手になれますように」と願掛けして、叶った逸話もある。
人間の領域内にある大木は、多くが人間の暮らしの中で、伐採されてしまった。
だが鹿野の廃村にあった大木は、伐採から逃れて樹齢千年を超え、樹高も50メートル以上に達していた。無論、過去の話になってしまったが。
横倒しになった鹿野の大木は、見るも無惨な姿だった。
「霊魂は、輪廻する」
大木を無言で見詰める香苗に向かって、一樹はフォローの言葉を掛けた。
輪廻は、仏教用語だ。
車輪が回転して廻るように、霊魂は三界六道の迷いの世界で、生死を繰り返す。
三界とは、一切衆生が、生まれ、死んで往来する世界だ。
六道とは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上である。
「寿命が長かろうと、いつか死ぬのは、生ある者の定めだ。もう、次の世界に行かせてやれ」
『それが、あの人を追体験した、あなたの思いなのですね』
香苗と同化した木行護法神が、香苗を介して問うた。
香苗は、木行護法神から魂の欠片を受け取っている。
その一方で一樹は、鹿野の最後の村人から魂の欠片を継承していない。
どのように答えるのが適切かと悩んだ後、一樹は自身と香苗に置き換えた。
「離れがたければ、大木から男の魂の残滓を受け取って、取り込めば良い。元に戻ろうと引かれていくから、輪廻を繰り返せば、また会えるかもしれない」
『その手がありますね。香苗には、先を越されてしまいました』
香苗は、一樹と式神契約をするに際して、互いが同意せずには切り離せない契約を結んだ。
香苗が唱えた『陽は陰を含み、陰は陽を含む。陽下の燭光は陰なれど、闇夜の燭光は陽なり。陰陽の理に則り、これより式神契約は、互いの同意なくして切り離せぬものと成る』は、八坂神社にある神木二本の合着にも等しい、結び付きの呪だ。
通常の式神契約は、消費用の気を渡すだけだ。
式神に気を渡しても、一樹の気の総量は減らない。
だが香苗との契約は、破れば一樹の陽気の一部を根幹ごと持って行かれる契約だった。
式神契約を交わして一緒に居るか、別れても一部を持って行く。
まるで結婚にも等しい内容に変えられてしまった。
良房の「妖狐は番いになると、伴侶を変えないことは知っているかな」という確認が、ようやく一樹にも理解が及んだ。
『忠言を受け入れましょう。あたしが求めているのは、大木ではなく、あの人ですから』
香苗に魂の欠片を託した木行護法神は、追体験で50年を共に歩んだ一樹の言葉を受け入れた。
大木へと歩み寄った木行護法神は、その手を大木に添える。
そして200年という長きに渡って送り続けた自身の気と共に、気と一体化していた男の魂の残滓を回収し始めた。
すると黙って見守っていた小太郎と蒼依が、一樹の傍にやってきて尋ねた。
「賀茂、説明してくれ」
小太郎からすれば、現状は想定の斜め上だ。
今回は、獅子鬼の残党である山魈調伏として、A級陰陽師の一樹と小太郎が派遣された。蒼依は一樹の式神であり、一樹の派遣にセットで含まれる。
香苗の役割は、音楽好きの山魈を音楽で誘き寄せることだった。
それが蓋を開けてみれば、香苗が山魈を倒したようなものだった。
予定外にも程があるだろう。
「祈理に召喚された小女郎狐が、山魈の領域を祓い、同じく召喚された源九郎狐が山魈を斬り捨て、祈理自身が山魈を大地から引き抜いたように見えたが」
「奇遇だな。俺もそう見えた」
さしあたって小太郎の主張には、否定できる余地が無かった。
そのため一樹は素直に肯定したが、小太郎は呆れた瞳を向ける。
「祈理はC級陰陽師だぞ」
「俺もC級陰陽師の時に、A級評価された絡新婦を倒したなぁ」
「お前は、祈理をA級陰陽師にするつもりか」
「いや、無理だろう。そもそも呪力が足りない」
香苗の呪力は、五狐の魂の欠片を受け継ぎ、国家試験で、C級中位。
五狐の魂が馴染んでいき、菜々花と琴里を使役した頃に、C級上位。
小白に誘われた絵馬の世界で、750年の経験を継承し、B級下位。
一樹と式神契約して、五狐の魂が地蔵菩薩の神気を得て、B級中位。
鹿野の大木に200年間ほど籠めた気の大半を回収して、B級上位。
「まだ足りないと思う。多分」
ざっと見積もった一樹は、自信なさげに呟いた。
当の香苗は、倒れた大木から残った気を回収している最中だ。
木行護法神の気は、大木の隅々まで染み込んでおり、山魈に乗っ取られても多くが残っていた。
香苗はそれを回収して、木行護法神の魂を介し、自分の力に換えている。
A級上位だった山魈の呪力は40万で、B級中位とB級上位の呪力差は2万。2万程度は確実に山魈から取り戻して、霊魂の強化に使える。
だが木行ばかり強くなりすぎると、残る四狐の気が押し流され、消えてしまう。
そのため一樹は、香苗が上がる力は一段階に留まるだろうと予想した。
なお一つでも予想が外れていたり、何かを見落としていたりすれば、香苗はA級である。
「そもそも香苗は、A級陰陽師になって活躍したいとか、思ってないからなぁ」
「贅沢な話だな。陰陽大家は、統括の立場を維持するために躍起だぞ」
「確かに躍起だな」
一樹が思い浮かべたのは、秋田県の統括であった春日結月だった。
協会では、B級の定数は64名と定めている。だが実際には64名も居ないので、C級上位を繰り上げして、統括に就任させている。
すなわちB級であれば、必ず統括陰陽師に成れる。統括に成れば、家の誰かが統括である限り、その地での地位、名誉、財産が保証される。
逆にC級上位から繰り上げの統括は、B級が統括に成ると言えば、席を空けなければならない。地位、名誉、財産とはお別れである。
没落の末が、一樹の父である和則のような姿だ。
一度没落すると、逆転は容易ではない。
没落すまいと必死になるのは、無理からぬ話である。
「香苗には、陰陽師界隈の常識を伝えておくか」
「そうしたほうが良い。もっとも祈理は、豊川様の後継者と考えられているから、余計なちょっかいは出されないだろうが」
「それは、200年は先の話だろう」
気狐で800歳ほどの豊川は、1000歳で仙狐に至る。
そして四尾になれば、天狐として天に仕える道も開ける。
豊川は明確な意思を示していないが、香苗が三尾に至って後継者に成れるのであれば、相方の居ない人の世には留まらないかもしれない。
鹿野の経験や、木行護法神の想いを理解した一樹は、そのように漠然と思った。
一樹が感慨に耽っていると、膨れっ面の蒼依が質してきた。
「それで主様。香苗の式神契約は、いつ解除されますか」
「……おう」
蒼依が式神契約に怒ったのは、水仙以来である。
水仙以降、鎌鼬三柱、幽霊巡視船、槐の邪神、塗りつぶしの絵馬、小鬼を使役したが、いずれも怒られなかった。
理由は、明白である。
――困った。
通常であれば、山魈を調伏したので式神契約を解除しても良かった。
だが同意を得ずに式神契約を解除すれば、一樹の陽気を香苗に持って行かれる。
一樹の陽気は穢れと一体化しており、香苗に穢れごと引き取られかねず、引き剥がせない。
一樹は、地獄の体験や穢れの経緯を喋る気など、微塵も無い。
実際に体験しなければ、地獄の共感など不可能だ。
表面上の薄っぺらい同情や、分かった振りなどしてほしくない。それは癒やしではなく、一樹が負った心の傷に塩を塗る行為だ。
強引に式神契約を解除するとすれば、穢れを浄化し切った後だろう。
それがいつになるのかは、まったく不明である。
「陰陽師と妖狐の式神契約を拒む理由は、何かありますか。式神の女神様」
圧を掛けられる一樹の後ろから、大木の力を回収し終えた香苗が割って入った。
香苗は式神同士の繋がりで、蒼依の正体を看破したらしい。
女神の蒼依も式神契約を交わしていることを利用して、香苗は蒼依を牽制した。
「もう山魈は調伏しましたよね」
「はい。ですが女神様よりも、妖狐が式神契約するほうが自然ですし、このままで良いでしょう」
平然と言い張った香苗に対して、蒼依は一樹を責めるような瞳を向けた。
だが香苗に穢れは押し付けられない。
契約を解消出来ずに固まった一樹を見た香苗は、蒼依との一騎打ちに入った。
「陰陽師の式神が陰陽師なんて、おかしいと思います」
「禁止する規定はありません。そういえば、式神使いとしても高名な安倍晴明の両親は、人と妖狐だったそうですね」
「それが何ですか」
「いいえ、別に」
その言葉とは裏腹に、香苗は一樹に向かって微笑んで見せた。
ほおずき屋で見たような、幸せそうな微笑みだった。
























