200話 帰郷
Web版7巻の最終話(203話)まで、毎日投稿します。
2月最後の土曜日。
一樹、蒼依、小太郎、香苗の4人は、鹿野の地を目指すべく山口県入りした。
山口県周南市の徳山駅で降りた後、山口県支部が出してくれた車で、国道315号を北上する。車はワンボックスのワゴンで、後ろには自転車4台も積んでいる。
「最初の目的地は、人間の領域の最北にある長穂村だ。そこから自転車で錦川沿いに北上していき、鹿野中にある廃村を目指す」
自転車で目的地を目指すのは、運転手の身を案じたからだ。
山口県支部が運転手として派遣したのは、D級陰陽師だ。
小鬼であれば数十体に囲まれても勝てるが、A級妖怪との戦いの場には連れて行けない。
A級妖怪との戦いでは、統括陰陽師ですら足手纏いになる。戦闘中に守る余裕などは無いので、安全な場所で待機してもらうわけだ。
一樹が行程を確認すると、香苗が内容の一部を訂正した。
「長穂は、須々万や中須と合わせて都濃町になった後、下松市に編入されて、さらに徳山市に編入されて、もう消えましたよ」
「それは村の奴らも、困惑しただろうな」
二人の会話は、鹿野と周辺の村々を熟知しているような口振りだった。
だが一樹は、賀茂家の古い知識を持っている。
香苗も霊狐達から、古い知識を得ている。
そちらで知ったのだろうと聞き流した一行は、須々万を経由して、長穂に向かった。
「今回は、八咫烏達を連れて来なかったのか」
一樹は仕事の際、式神の八咫烏達を連れていることが、少なからずある。
その際たるは獅子鬼との戦いで、ほかにも無常鬼との戦いに動員し、首都圏も守らせた。
だが今回は、連れてきていない。
小太郎に問われた一樹は、理由を説明した。
「あいつらは飛び回って、小鬼を投げ落とすだろう。敵を誘き寄せる作戦には、向いていない」
「確かに、誘き寄せるどころじゃなくなるな」
「1羽だけ連れてきて、蒼依が抱え込んでいたら、流石に大人しくするだろうけどなぁ」
八咫烏達は、それぞれ幼稚園児並の知性、忍耐力、個性を持っている。
各自の個性は、何かを追いかける子、悪戯好きな子、やんちゃな子、大人しく積み木で遊ぶ子、保育士の傍にいる子などだ。
さらに数羽が集まると、一緒になって獲物で遊ぶこともある。
小鬼を捕まえに行った際、春日山で怪獣大決戦になったことは、記憶に新しい。
1度しか使えない誘き寄せ作戦で、そういった幼稚園児達を参加させるのは、いかがなものか。
自分以外が連れてきたのだとすれば、一樹は不安を覚えるだろう。あるいは、こいつは正気かと思うかもしれない。
連れて来られるわけが無かった。
「熟慮の結果、家に置いてきた」
「ご飯の世話は、沙羅にお願いしています」
八咫烏達の餌に関しては、蒼依が沙羅に頼んでいた。
放し飼いなので、自前でも食べ物は調達出来るが、育てていた頃に食べさせていた餌などは好む。
「花咲市には、餌をくれる家も沢山あるのだろう」
小太郎が尋ねると、蒼依は苦笑した。
「よく頂いているみたいです。お土産の袋を掴んで帰って来たこともありました」
「それは、本当にもらってきたものなのか?」
「テレビの特集で、お土産を渡している映像が流れていました」
絶句した小太郎は、一樹のほうを向いた。
小太郎の疑念を訳すと、『賀茂家の式神は、それで良いのか』だろうか。
「市民も面白がっているから、良いんじゃないか」
動物の神使であるという点では、奈良の鹿のようなものかもしれない。
「八咫烏については分かった。だが五鬼童も留守番なのは、珍しいな」
「確かに滅多にないが、五鬼童と春日は、山魈に覚えられてしまったらしい」
沙羅は、薬師如来の力が宿る羽団扇を持っている。
怪我や病、呪いなどの治療に効果的で、頚椎損傷の五鬼童義一郎を治療した実績もある。
可能であれば連れてきたかったが、沙羅を連れてきて山魈が出て来なくなれば、元も子もない。そちらも熟慮の結果、断念せざるを得なかった。
「判別方法は、視覚と呪力のどちらだ」
「分からないけど、双子の紫苑が覚えられてしまったから、どちらの判別方法でも沙羅は無理だ」
長穂に到着した一樹達は、自転車に乗り換えて、錦川沿いの道路を北上し始めた。
最初に通り過ぎたのは、向道ダムだ。
向道ダムは、工業用水と発電を目的として建設された多目的ダムである。
1940年に完成しており、多目的ダムとしては日本で最初に運用が開始された。
現在は下流のほうで、1965年に菅野ダム、2024年に平瀬ダムが作られたものの、向道ダムも引き続き利用されている。
「ダムがあるから、僻地の長穂を人間の領域として守っているのか」
「長穂村が人間の領域なのは、ずっと昔からだな」
自転車から錦川を眺めた小太郎が疑問を口にすると、併走する一樹が断言した。
「むしろ人間の領域だからこそ、妖怪に襲われる心配をせずに、ダムを作れたんじゃないか」
「賀茂、随分と詳しいな」
「ああ。香苗ほどには知らないが」
一樹は還暦を超える分、香苗は250年分、鹿野の歴史を体験している。
もっとも二人が体験したのは、主に江戸時代だ。
山や川の位置は変わっていないが、存在しなかったダムが建設されており、道も敷かれていた。
「こんなに巨大なダムを造るなんて、信じられない」
「ダムくらい、日本中にあるだろう」
「10の村に賦役を課したとして、川を迂回させるのに30年。城の石垣のように造って10年。完成まで40年くらいか。人生を賭けた大仕事だな」
「着工から完成までは、2年だそうだ」
「……有り得ない」
理解を拒否するように、一樹は首を横に振った。
江戸時代の村人達が、一樹に訴えてくる。
『それほど簡単に作れるのであれば、自分達の賦役や年貢は、一体何なのか』
『姥捨てをしたり、女衒に娘を売ったりした家も、沢山あったというのに』
当時の村人達がダムを建造したわけではないが、賦役が重くのし掛かっていた。
重い賦役に手を取られれば、作物を育てる手が足りず、山や川に食べ物を獲りに行けず、内職も出来ない。
すると食べ物が無くなって、山に親を捨て、娘を売らなければならなくなる。
一樹は、『自分が苦労したから、他人も苦労しろ』という考え方には、賛同しない。
自分が川に落ちた時、他人も川に落ちたか否かは、自分にとって何の意味も無い。馬鹿なことを考えていないで、さっさと川から上がり、身体を乾かしたほうが良い。
だが廃村を捨てて小作人になっていれば、一樹も呪詛を吐いただろう。
ダムの有無は、それほど衝撃的な光景だった。
「錦川が、変わってしまった」
川底の石まで見えた錦川が、ダムで堰き止められて、真っ暗になっていた。
――その代わりに、皆の生活が豊かになった。
当時の村人は生きていないが、その子孫が幸せになったのなら、皆は受け入れるだろう。
そう考えて自分を納得させた一樹は、錦川沿いに北上を続けた。
山間を縫って、ダム建設のために造られた道路を進んでいく。ダムよりも上流のほうに行くと、少しずつ川の水が澄んできた。
左手に、草木に埋もれた集落の後が見える。
一樹が住んでいたのとは異なる場所で、一樹が長穂に行く道中、休憩のために何度か立ち寄ったこともある。
「ここじゃない」
言葉短く告げた一樹は、一行を引き連れて、消えた集落の一つを素通りした。
そこから一つ、二つ、三つ、四つと、かつての集落を通り過ぎる。
そしてようやく、350年振りに、長く暮らした故郷へと帰ってきた。
山が同じ高さで村を囲んでおり、流れる錦川の色が同じだ。
川沿いには、村で拓いて一樹が受け継いだ畑の地形が、僅かに残っている。
「ちょっと歩くぞ」
道路が敷かれているのは、錦川沿いだけだった。
自転車を停めた一樹は、小太郎達を連れて、古い小道を西に歩き出した。
一樹の身体は、無意識に動いていく。
基礎だけ残っている朽ちた家々を通り抜けて、小高い山のほうに昇ると、そこには大きくて古い家があった。
母屋は、流石に崩れて落ちている。
補強された農耕牛用の牛小屋と納屋もあって、そちらは半壊といったところだ。
明治の初め頃まで、香苗が住んでいたから、形を残していたのだろう。
一樹は感情を表に出さないように意識しながら、家の裏手のほうへと回った。
裏手を進んだ先には、絵馬の世界で一樹が眠り、香苗が通い続けた大木がある。はたして一樹達が向かった先には、大木を引き抜いたような、大穴が空いていた。
 
























