199話 自分の後始末
「高校1年生で、最後のテストが終わったな」
「あっと言う間でしたね」
3学期の期末テストが終了した。
テスト期間中に休止していた部活や同好会が、一斉に活動を再開させる。
陰陽同好会も活動が再開されて、一樹は香苗と共に、音楽室へと赴いた。
新入生の受け入れ準備は、概ね終わっている。
R棟6階にある音楽室と楽器室の合計6室でも、防音の改修工事は終わった。
それは花咲グループが、自前の土建業者も持っているからだ。グループの会長が指示したので、ほかの工期に余裕を持たせていた業者が真っ先に着手した次第であった。
「手配する楽器は、何を選んだんだ」
陰陽同好会で用意する楽器のほうは、香苗に選択が一任されている。
予算は1000万円で、揃える楽器は100人分。香苗が使用できる楽器であれば何でも良い。
予算を使い切らなくても良いが、50人分は揃えてほしいというのが小太郎の依頼だった。
「三味線が30挺、篠笛が60本、琴が20面、太鼓が10張です」
香苗は依頼された当日に、絵馬で木行護法神の世界を体験した。
体験以前と以後とでは、香苗が得意とする楽器や技術が、まったくの別人レベルで異なる。
幸いにして、絵馬の体験後に楽器を選択しているが、その順番が逆だったら困ったことになっていたかもしれない。
「やっぱり和楽器になるか」
香苗は、ギターやピアノも弾ける。
さらに『思い描ける楽器を顕現させられる』という弁才天の御利益を得て、鹿野の廃村で練習もしていた。
音楽神の神使である小白が付いて、250年も学べば、達人のレベルに達しているはずだ。
だが香苗は、それらを選ばなかった。
「その4種類であれば、あたしと雪菜達が、どれでも教えられます。それに歌唱奉納は、一人で行う必要はありません。大人数で奉納しても、御利益は頂けます」
「ギターやピアノは、用意しないんだな」
「奉納する相手は、日本の古い神様が多いです。いきなりギターを弾いても、ポカンとしませんか」
「言われてみれば、確かにそうだな」
香苗の音楽に対する方向性は、自己満足から、相手のことを考えるものへと、変化していた。
三味線であれば、津軽三味線が派手で良いなどと思っていた一樹は、恥じ入るばかりである。
「ギターも練習したので、あなたが聞いてくれればそれで良いです」
「そうか。また聞かせてくれ」
「はい」
香苗は、僅かに微笑んだ。
他人が見れば、すました表情のままだが、一樹には香苗の気持ちが読み取れた。
一樹に伝わった様子を見た香苗も、それで十分だという意を示した。
「そういえば絵馬から戻った後の配信は、前とは変わったか」
「かなり変わりました」
「コラボの誘いとか、企業の案件とかか」
「それは毎日来ています。連絡先は公開していませんが、Twitterの相互、マシュマロ、学校や協会を経由して、次々と。大変なので、Twitterにはお断りの文言を載せました」
「それは大変だな」
以前の香苗は、承認欲求があると自認していた。
その頃であれば、企業の案件には応じていただろう。
だが現在の香苗は、他人の承認を必要としていない。
――二尾の生涯を体験すれば、二桁台の子供からの承認なんて、要らないよな。
それに近い感覚は、一樹にもある。
鹿野の廃村での生活が、自分にとって等身大の生き方だった。
あれが一樹にとっては、ゴールに辿り着くまでの歩み方だ。
他人が頑張れと言ってこようとも、知ったことではない。
無理矢理走らされてペースを乱し、呼吸苦で倒れ込んだところに「よく頑張った」と言われても、お前は一体何様だと思うかもしれない。
唯一、共に歩んでいた香苗の言葉であれば頑張るし、他人事だとは思わないし、香苗の承認なら心が満たされるだろうが。
おそらく香苗も、同様であろう。
香苗が音楽配信を行うのは、承認欲求ではなく、メリットがあるからだろうと一樹は予想する。
ファンのフォロワーが多ければ、発信力が高くなり、強い武器や防具になる。
YouTubeのチャンネル登録者数500万人、Twitterのフォロワー250万人となった香苗は、他人から不当なことをされ難いし、周りを守ることも出来る。
香苗は口にしないが、周りの人間の最初のほうには、一樹が入っているはずだ。
「まだ、簡単なものを軽く弾いただけですけどね」
「その言葉が冗談ではないのが、末恐ろしいな」
香苗は先ほど、4種類の楽器は自分と式神達が、どれでも教えられると言った。
さらにギターやピアノも、神に奉納できるが、相手が聞き慣れない楽器だという風に話した。
「歌のほうも……聞くまでもないな」
「小白様が付いていましたから」
「そうだろうな」
小白は音楽神の神使にして、自身でも琴引浜の鬼女を圧倒して従えた音楽家だ。
そして香苗は、元々歌唱奉納で霊狐達を魅了した天才である。
小白が250年も費やして、強い向上心と、大木に眠る一樹に聞かせる目的意識を持った香苗を、高みへと導けないわけがない。
二人の会話が途切れた後、一樹は香苗の瞳を見て、ようやく本題を切り出した。
「頼み難いことがある」
「何となく、そんな風に思っていました」
一樹の態度や仕草で、香苗は話があることを察していた様子だった。
話してみるようにと促された一樹は、本意ではない話を切り出す。
「日本には、魔王の残党が4体残っている。その1体である山魈というA級の妖怪が音楽好きで、音楽に引き寄せられる伝承がある」
一樹は、香苗に陰陽師をさせる目的で陰陽師の資格を取らせたわけではない。同好会を設立する人数集めに誘っており、国家資格の取得も、活動実績を作ることが目的だった
香苗のほうも、陰陽師になりたかったわけではない。妖狐の半々妖という自身を承認されたくて、そのために音楽活動を計画していた。
それぞれの目的を達成するために、相互協力関係を結んだのが始まりだ。
A級妖怪を倒しに行くなど、当初と話が異なるにも程がある。
「誘き寄せる役をやれと言われましたか」
「……俺達に関係する事情がある」
ほとんど表情を変えないままに、香苗は強い不満を発した。
協会に言われたからといって、勝手に二人の約束を違えるのかという不満だ。
それを感じ取った一樹は、即座に否定した。
「その山魈が縄張りにしているのが、俺達が暮らしていた鹿野の廃村だ」
一瞬で不満を散らした香苗は、一樹に説明を求める眼差しを向けた。
二人の家を荒らされているから、荒らしている妖怪を倒しに行きたいのかと。
それだけでも香苗は応じるだろう。
だが話を続けた一樹の説明は、香苗の想像を上回る酷い話だった。
「山魈は木の精で、立派な木に宿る」
それは香苗にとって、霊体の頭を殴られたような精神的な衝撃だった。
鹿野の廃村には、一樹の死後、香苗が200年に渡って音楽を捧げた大木がある。
むしろ廃村で立派な木とは、その大木を置いてほかには存在しない。
「あの木ですか」
「そうかもしれない」
長らく村を見守ってきた鹿野の大木は、最後の村人である一樹が臨終する今際に、そこに宿って見守っていると香苗に告げた場所である。
それから香苗は村で過ごし、村に妖怪が来ても逃げることを拒んで、死ぬまで戦った。
香苗にとって、自分が死んでも譲れないものが、夫が眠る墓の大木だ。
それを妖怪に奪われたかもしれない。
それは香苗が動くには、十分すぎる事情だった。
「自分の後始末をしに行く。だけど俺だと、呼び寄せられない。一緒に来てくれ」
頼んだ相手が一樹でなければ、香苗は自分が主体で動いたかもしれない。
豊川稲荷に長期の歌唱奉納を約束して、ツケ払いで与力を頼んだだろうか。
豊川が玃猿と争っている最中だが、女人禁制でやっているので、女性の霊狐達は召喚できる。
あるいは、豊川稲荷ではない日本三大稲荷などを回っただろうか。神を召喚する手段はあるので、準備が万端であれば、A級妖怪を殺せる可能性はある。
B級陰陽師がA級の神を呼ぶリスクは、殉職した静岡県の堀河陰陽師でも明らかだが、香苗は自分が死んでもやったかもしれない。
だが一樹が香苗の言葉であれば受け入れられるように、香苗も唯一、一樹の言葉は受け入れた。
「いつ行きますか」
それが確定事項となった香苗は、一樹に日程を確認した。
























