197話 ほぼ億ション
合否が発表されて3日後の金曜日。
一樹は学校で、沙羅から報告を受けた。
「凪紗の引っ越しが終わりました」
「早いな!」
花咲高校の受験は、土曜日に行われた。
翌週の火曜日には合格発表が行われて、凪紗は金曜日に引っ越しを終えた。
引っ越しは、それほど簡単に出来るものなのか。自身の常識と相反する事態に一樹は混乱したが、沙羅が事情を説明した。
「去年の11月に分譲マンションを買って、荷物を分けていたんですよ」
「11月って、沙羅の父親に、凪紗が花咲高校に入学する事を認めさせた後か」
遡ること4ヵ月前。
一樹は、蒼依の神域作りのために神話の補完を試みて、五鬼王を倒しに行った。
だが五鬼王を見つけられなかったので、見鬼に優れた凪紗に協力を求めた。
そこで凪紗が出した条件が、花咲高校への入学と、一樹の事務所へのアルバイトについて、父親の義輔を説得することだった。
義輔は頑固親父で、頭が固い。
そのため一樹は、『陰陽師に対する正規の依頼』という形で、凪紗を引っ張ることにした。
五鬼童家は陰陽師の一族で、陰陽師が依頼を受けるのは当然だ。
恩人である賀茂家の仕事なら、断らないだろうと目論んだ。
報酬は、宇賀が五鬼童に渡した羽団扇の代金から、一樹が風切羽の豪華にした分を引くこと。
それを金銭換算すると、B級陰陽師の凪紗を3年間雇用できるよりも、大きな額になる。つまり依頼人が提示した報酬も、十分に足りている。
かくして頑固親父の説得は、成功した。一樹は見鬼の力を持つ凪紗を利用できるようになって、凪紗も花咲高校に進学できることになった。
「11月から引っ越しの準備をしていたなら、納得だな」
3日は早過ぎるにも程があるが、3ヵ月であれば何もおかしくはない。
高校3年間のためにマンションを買うのは、もちろん凄いことだ。
但し一樹が、宇賀に差し引かせた風切羽の豪華分は、金銭換算するとマンション一棟より高い。凪紗の働きで差し引かせたのだから、義輔がそれくらい用意するのは当然のようにも思えた。
「やっぱり高いマンションだよな」
「花咲市は地方ですから、東京みたいな高額のマンションは有りませんよ」
「一戸で1億円を超える『億ション』じゃないのか」
「億ションではありませんね」
想像とは異なる話に、一樹は意外性を感じた。
もっとも花咲市は、人口17万人ほどの大都会ならざる市だ。
その規模の市には、億ションを買いたいという需要が、どれだけあるのかという問題がある。
花咲市の大きな会社は花咲グループの傘下で、経営者は花咲家だが、花咲一族には自宅がある。それ以外では、一体誰が億ションを買うのか。
年収が高くて相続税対策を考える医者や弁護士くらいしか、買えそうな人間は居ない。
花咲市には、億ションの需要自体が無いのかもしれないと、一樹は思い直した。
「花咲駅近くの20階建ての新築マンションで、3LDK+3WIC+SIC+Nだそうです」
「……何だって?」
矢継ぎ早の攻撃を受けた一樹は、鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべた。
「3LDKで、ウォークインクローゼット3つ、シューズインクローゼット、納屋が有るそうです。専有面積は112平方メートルで、ほかに18平方メートルのバルコニーもあります。タワーパーキングと駐輪場付きです」
「それって、明らかに億ションだろ」
「購入金額は、8500万円だったそうですよ」
「でも東京で買ったら、いくらになるんだ」
「港区だと、駅近くの条件を省いて……10倍の8億円台でしょうか」
目を瞬かせた一樹は、比較対象が悪すぎたのだと自分に言い聞かせた。
「東京の金額はおかしいからな。大阪とか北海道だと、いくらくらいだ」
「2億円台に下がるかもしれません」
「福岡とか沖縄だと、どれくらいになる」
「1億円台になりそうです」
「だったら億ションみたいなものだろ」
一樹は大雑把に、『億ションみたいなもの』だと解した。
建造物は億ションと同等だが、億では売れないため、現地の懐事情に合わせて値下げしている。あるいは需要に合わせて、都会のほうが値段を釣り上げているのかもしれない。
家や土地が安いのは、田舎に住むメリットの部分だろうか。
「そこに呼ばれています。一樹さんも、場所や移動時間を知っておいたほうが良いと思いますが、ご一緒にいかがでしょう」
「アルバイトをさせるのなら、把握しておいたほうが良いか」
「それでは帰りに寄りましょう。高校から自転車で、20分ほどです」
納得した一樹は、沙羅と二人で凪紗のマンションを見に行くことにした。
一樹は蒼依を同行させないことにしたが、それは蒼依が凪紗に対して、沙羅のような同居を拒否しているからだ。
二人の距離感を当事者に任せることにした一樹は、蒼依に一声掛けてから、沙羅と二人で凪紗のマンションに訪問した。
「マンションの20階に一戸を買っています」
「最上階は凄いな」
「飛べますから、最上階は便利です」
コンビニに行くときに、20階から飛び降りるのだろうか。
その光景を想像した一樹は、青ざめる目撃者の姿を妄想した。
「父は、20階をすべて買おうとしましたが、ほかの入居希望者も居て買えませんでした」
「五鬼童家が頼めば、不動産会社は調整しそうだけどなぁ」
最上階に別の入居予定者が居ても、値下げしてほかの部屋に移って貰う交渉は出来る。
マンションを販売する不動産会社のメリットは、五鬼童家に交換条件を付けられることだ。
開発したいが、強い怨霊が居座って手を出せない土地は、日本中に沢山ある。そんな曰く付きの広い土地を買って、五鬼童家に除霊して貰えば、不動産会社は大儲けだ。
もっとも不動産会社が頼んでも、契約済みで、相手が嫌がれば、駄目なこともあるだろう。
「最上階は眺めも良いから、終の住処と考える老人なら、移らないか」
「そうかもしれませんね」
20階建てのマンションは、花咲市内では一二を争う高さとなる。
20階以上で、高さも60メートル以上のマンションは、タワーマンションと呼ばれる。
凪紗のマンションは、20階建てで、生憎と高さは59.9メートルだった。
60メートルからは、航空法第51条で、航空障害灯の設置義務が生じる。そのため維持費を抑えたり、景観を保ったりするべく、60メートル未満に抑えることもある。
そのため残念ながら、億ションでも、タワーマンションでもない。
だが実態は、億ションみたいなもので、タワーマンションのようなものだった。
さらに中身は、一樹が想像していた億ションを遥かに超えていた。
「ここが私の花咲市での家です」
「王侯貴族の邸宅かな」
凪紗のマンションは、モデルルームのように立派な内装だった。
統一感があるデザインと、落ち着いた色合いのインテリアは、全体で調和が取れている。
ダイニングテーブルセットは、迎賓館という単語が一樹の脳裏を過ぎった。おそらくは海外の有名ブランドが、一流デザイナーに考案させた品であろう。
そこに置かれた数々の食器は、貴族の晩餐会で使われるような品々だ。
天井から吊り下がるアンティークの照明は、それ自体が美術品のように洗練されて美しい。
シルク製のペルシャ絨毯は、間違いなく高いが、それ以上にシルクロードの歴史を想起させる。
インテリアの棚や植物の鉢植えなども、すべて同等のブランドだ。
壁に掛けられているいくつもの絵画や、端に置かれている美術品なども、数十万程度の安物ではないだろう。寝室のベッドも、車くらいの値段はするはずだ。
凪紗のお洒落すぎるマンションは、分譲マンションの本体価格よりも、内装に金が掛かっているようだった。
「ヨーロッパのラグジュアリーブランドは、王侯貴族と取引実績がある権威を指します」
「おう」
「ブランド品が結構ありますから、賀茂さんの印象は正しいです」
「そうか、俺が悪かった」
権威に負けた一樹は、凪紗に全面降伏を申し出た。
「凪紗は、プロのインテリアコーディネーターに任せただけですよ」
「そうなのか」
圧倒されてしまった一樹の隣で、沙羅がネタばらしをした。
一樹が凪紗のほうを向くと、部屋の主は頷いて肯定した。
「家具を揃えてもらいたかったので」
「お金を渡して任せたと?」
「はい。花咲市に居ませんでしたし、忙しかったですから」
凪紗は京都市にある卿華女学院の中等部に通っており、実家は奈良県だ。
さらに羽団扇を手に入れて以降は、魔王領を削る五鬼童家の手伝いもしていた。
花咲市で家具を選んでいる暇などなかったはずで、任せるのは自然に思われた。
「それは安心した」
ホッと溜息を吐いた一樹は、バルコニーに出た。
バルコニーにも、立派なテーブルやデッキチェアが配されていたが、理由を知った一樹は萎縮せずに済んだ。
バルコニーからは、花咲高校がある地区が見える。
「ここから花咲高校は見えないかな」
そう言って身を乗り出したところ、一樹は隣の部屋の住人と目が合った。
「あら賀茂様、ごきげんよう」
「ああ、合格おめでとう」
一樹と目が合ったのは、陰陽長官の孫娘、五摂家の九条茉莉花だった。
隣を空けられなかった理由が、一樹の腑に落ちた。
























